第1131話「少女の名案」

 モーグリー氏率いる〈ブラッククイーン〉の医療チームが呑鯨竜の胃に穴を開けた。大きな重機がいくつも投入され、ベッドシーツサイズのガーゼや巨大なロール状の包帯が次々と運び込まれていく。彼らは綿密に練られた手術計画に基づいて無駄なく動き、呑鯨竜の丈夫な胃壁を切り進めていく。

 俺たちと同様にその執刀を見ていたプレイヤーも、次第に周囲の水が血で濁っていくに従って、一人二人と去っていった。


「なんか、すごい出血してるな。大丈夫なのか?」

「サイズがサイズですからね。体積比で言ったら、かなり出血量には余裕があるらしいですよ」


 周囲が真っ赤に染まり、もはや執刀の光景を見るのも難しい。どうやら呑鯨竜のバイパス手術は数時間、数日というスケールで行われるらしく、ここから先は観客もほとんどいなくなるだろう。

 レティは事前に軽く手術についても調べてきていたようで、俺にも説明を施してくれた。


「ローテーションを組んでノンストップで進めても、3日はかかるみたいですよ」

「3日って、リアルタイムか?」

「はい。モーグリーさんたちはこの日のために有給を取ったとか」

「すごい気合の入りようだな」


 どんどんと周囲の血は濃くなっていき、プレイヤーも逃げるように町へ帰っていく。

 なんか、思ったよりも手術は長引きそうだし、血もかなり広範囲に広がっている。


「レッジさん?」

「ああ、いや。何でもない」


 〈パルシェル〉の直上にある桟橋を見ていると、怪訝な顔をしたレティが覗き込んでくる。俺は慌てて頭を振るが、足元に立っていたラクトにひとつ尋ねた。


「ラクト、俺が持ってきたコンテナは」

「桟橋に繋留されてるよ」

「そうか。それならいいんだが」


 不思議そうに首を傾げるラクト。


「おじちゃん、何か隠してない?」

「えっ。いや、そんなことはないぞ」


 鋭くこちらに目を向けて指摘してくるシフォン。俺は顔色を変えずにさらりと受け流したつもりだったが、彼女はなおも食い付いてくる。


「ほんとかな。なんか挙動不審だけど」

「いや、そんなことは……」

「そういえば、先日のブログで何か書いてましたよね」


 逃れようと身を捩ったその時、トーカが口を開く。シフォンの疑念が周囲にも広がっていた。


「大丈夫だよ」

「何が大丈夫なのかしら?」

「うおっ」


 後ろへ下がろうとするも、いつの間にか回り込んでいたエイミーに阻まれる。


「レッジさん、〈パルシェル〉にいい喫茶店があるらしいんですよ」

「そこでゆっくりお話ししましょ」

「げぇ」


 レティとLettyが左右の腕をがっちりと掴む。腕力初期値の俺に抵抗する術はなく、諦めて降参の意を示すしかなかった。


━━━━━


 〈パルシェル〉の直上に築かれた桟橋に、装甲コンテナが一つ繋ぎ止められていた。フロートを取り付けられたそれは静かに波に揺られている。

 調査開拓員がインベントリに収納できるアイテムの数や重さには制限があるため、物資を多く持ち込むためにコンテナを用いることは珍しくない。桟橋には装甲コンテナ以外にも多くのコンテナが繋留されていた。


『すんすん』


 コンテナの中、完全な闇の何かで何かが動く。彼女は遠く離れた胃壁の傷から漏れ出した血の微かな匂いを感じ取り、のそりと体を起こした。その匂いは、彼女の本能を刺激し、食欲を湧き立たせる。


『美味しそうな匂い! ……でも、外に出ちゃだめだよね』


 彼女ははっと思い直し、金属の床に座り込む。

 勝手に外に出てはいけない、誰かに見つかってはいけない、これはさぷらいずなのだ。と彼が言った。彼の言うことは守らなければならない。

 幸いなことに、彼女は極度の飢餓状態というわけではなかった。つい先ほども荒波の中で巨大イカの踊り食いに興じていた。最近は侘しい食事や変わり映えのしないメニューも解消され、毎日新鮮で美味しい魚介類をたらふく食べることができている。


『うぅ。でも……』


 しかし、彼女は元来無限の成長と際限なき食欲を持つ存在である。

 耐えようと思えば数百年単位の飢餓にも耐えられるが、食べようと思えばいくらでも食べられる。そして、彼女の嗅覚が感じた血の匂いは、彼女がまだ食べたことのない生物のものだった。


『食べたいなぁ。でも、パパはだめだっていうかなぁ』


 ぽっこりとしたおなかをさすりながら、彼女は思案する。

 さぷらいずだ、と彼は言った。誰かに見つかってはいけないと。

 彼女は本能と理性の間で揺れ動く。徐々に強くなる魅惑的な香りと、背くことができない言葉に挟まれて懊悩する。その感情を表すように、肉厚な赤い花弁が大きく揺れる。それに合わせて、彼女を封じたコンテナも揺れる。


「おーい!」

『はっ!』


 不意に外から声を掛けられ、彼女は慌てて口を抑える。動きを止めて息を潜める。

 そのうち、足音が近づいてきた。


「誰かいるのか?」


 彼女は身動ぎひとつせず、じっと耐える。

 そのうち、また別の足音が聞こえてきた。


「どうかしたのか?」

「いや、あのコンテナが揺れてたような気がして」

「波じゃないのか? って、あれ〈白鹿庵〉のコンテナじゃないか」

「げっ。マジか。じゃあいいや」

「触らぬ神に祟りなしってな」


 そんな会話を繰り返した後、足音は遠ざかっていく。彼女はしばらく耳をすませ、周囲に他に動くものがないことを確認してからゆっくりと顔を上げた。


『あぶなかった。みつかるところだった』


 ふぅ、と胸を撫で下ろす。誰にも見つかってはいけないと厳命されていたのに、見つかってしまうところだった。


『はっ!』


 その時、彼女の脳裏に稲妻が走る。


『ここにいたら危ないかもしれない。これは、外に脱出したほうが、いいかもしれない』


 また怪しまれて、今度こそ蓋を開けられてしまえば、存在が露呈してしまう。それは誰かに見つかってしまうということだ。それは避けなければならない。であれば、外に出た方が安全なのではないか。ついでに少し小腹を満たしてもいいのではないか。

 そのようなことを瞬時に考え、彼女は早速行動に起こす。


『てやあっ!』


 軽い声と共に、拳を突き出す。頑丈な装甲コンテナの底が吹き飛び、水が勢いよく侵入してくる。


『わぷっ!? うぎゅぅ、うむむむっ!?』


 強烈な呑鯨竜の消化液が無防備な少女を襲う。彼女の表皮が焼け爛れ、溶けていく。驚きの声を上げながら、彼女はもがき――。


『よし、いくぞ!』


 数秒で“適応”した。

 彼女はぽこりと小さな泡を吐き出すと、滑らかな動きでコンテナを飛び出す。泳ぎに適した体ではないが、水中での動き方はここ数日のバイキングですっかり習熟してしまった。

 頭に大きな花を咲かせた小さな少女は、軽やかに身を捩って、密かに白い町へと忍び込んだ。


━━━━━

Tips

◇装甲コンテナ

 頑丈性を重視した、非常に堅牢なコンテナ。積載量は少なくなるが、強い衝撃や腐食、熱などあらゆる侵蝕に耐える。高価で精密な機械などを運搬する際に使用される。


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