第1129話「海底街の成長」

 以前は二者択一の運ゲーだった呑鯨竜の体内侵入だが、多くの調査開拓員が何度も試行錯誤を繰り返し幾つもの残機をすり減らしながら調査した結果、現在はある程度安定して目的地を選べるようになっていた。


「行きますよー」

「カウント開始します!」


 呑鯨竜の歯を掘削して作った入口から侵入し、そのまま喉を通っていく。レティとLettyが自慢の剛力を存分に活かし、ラクトとエイミーが作る蒼氷船を勢いよく押し出すのだ。

 勢いよく出発した船は、やがて上下左右に縦横無尽に動き回る食道へと入ることになる。ここであらゆる方向感覚が喪失し、貯蓄袋か胃袋のどちらに進めるのかが分からなくなってしまうのだが――。


「12秒経過!」

「右!」

「せいやあああっ!」


 ストップウォッチを持ったシフォンが侵入からの秒数を読み上げる。それを元にトーカが方向を叫び、船の左右に取り着いたレティかLettyのどちらかがその方向へと船を押し出す。

 右と言われた場合は左舷にいるレティが強い打撃で船を押すのだ。


「15秒!」

「下!」

「どっせーい!」


 船の速度は検証班によって集められたタイムログと一致するようにラクトが調整している。現在判明している貯蓄袋への確定ルートの最高速度は時速790km。流石に速すぎてタイムアタックのレベルになっているため、俺たちは時速120km程度で進んでいる。それでも1秒に30m以上進むのだから、かなり激しい動きになるが。


「17秒!」

「右ななめ上、すぐ左、上下上下、右右、左!」

「どどどどっ!?」

「うおりゃい!」


 船の進路を定めるチャートは進むほどに激しく変わる。トーカが方向を読み上げる役目を担っているのは、彼女が〈白鹿庵〉で二番目に滑舌がいいからだ。ちなみに一番滑舌がいいのは操船に集中しなければならないラクトである。基本的に機術師は滑舌がいいのだ。


「上、上、下、右、右右右右!」

「ふおおおおおおおおっ!」


 トーカの読み上げに合わせてLettyが船腹を連打する。俺たちは急流に沿って進みながら螺旋を描くようにして食道を下っていく。


「30秒!」

「上上、上いや下、斜め左、急ブレーキ!」

「はえええんっ!?」


 チャートは存在するといっても、時速120kmの激しい動きだ。若干のズレが出てくる。トーカはタイムログを注視しながらその誤差をリアルタイムで修正していく。

 ラクトの操船によって全員に慣性の力がのし掛かる。船外に吹っ飛ばされそうになるシフォンの手を掴んで引き寄せ、こちらへ転がってきたラクトを小脇に抱える。


「あ、ありがと」

「なんの。もう到着だろ?」

「見えました!」


 そうして〈白鹿庵〉の力を総動員すること1分弱。俺たちは呑鯨竜の胃袋へと到達した。


「防護膜展開!」

「準備できてるよ!」

「『包み込む撥水の天幕』ッ!」


 海水と共に胃袋へと落ちていく。巨大な滝から飛び込むような浮遊感に高揚しつつ、その前にするべきことがある。

 エイミーの防御アーツが発動し、蒼氷船を半透明の薄膜がすっぽりと包み込んだ。直後に勢いよく波を立てながら着水した船体は、胃袋の消化液に負けることなく形を保っていた。


「よしよし、いい感じだな」

「漏水なし。やっぱりネヴァはすごいねぇ」


 俺の腰を掴んだまま、ラクトが満足げに頷く。

 防御アーツ『包み込む撥水の天幕』は水属性の攻撃を防いだり、潜水時の防御手段となったりする術式だ。それそのものには呑鯨竜の消化液を中和する作用はない。しかし、ネヴァが胃袋に生息している粘菌の消化液中和メカニズムを解析し、それを応用した触媒を作ったのだ。

 “竜酸中和酵素”と呼ばれるそれを『包み込む撥水の天幕』の発動時に使用するナノマシンパウダーに混ぜることで、アーツにその中和効果を付与することができた。触媒に第二の要素を付け加えるというかなり画期的なことをやってのけたのだ。


「流石にLPは割り増しになっちゃうけどね。さっさと安全域まで行きましょう」


 エイミーのLPはテントの範囲内ということで回復しているが、それでも漸減している。ここでのんびりしている理由もないため、俺たちは〈パルシェル〉に向かって進んだ。

 胃袋の水面に浮かぶブイとフラッグを目印に進むと、やがて巨大な『包み込む撥水の天幕』に覆われたエリアが現れる。〈大鷲の騎士団〉や〈ダマスカス組合〉などが総力を結して作り上げた、調査開拓員のための安全域だ。そこには桟橋なども立派なものが整備されており、プレイヤーの船がいくつも係留されている。


「到着!」


 速度を落とした船から、レティがひと足先に跳躍して桟橋に降り立つ。Lettyやトーカたちも次々と下船する。


「レッジ、お願い」

「はいよ」


 タイプ-フェアリーのラクトは船縁を乗り越えられないため、俺が持ち上げてやる。


「蒼氷船の構造ってラクトの胸先三寸ですよね?」

「何のことかよく分かんないなぁ」


 桟橋に降りたレティたちが話している間に、俺もテントを撤去する。エイミーもアーツを解除して、ゆっくりと氷解していく蒼氷船から降りた。


「〈パルシェル〉への行き来もだいぶ楽になったな」

「そうですねぇ。よくこんな環境でこんな建物を作ったもんですよ」


 桟橋からは〈パルシェル〉の監視塔へと繋がっている。あそこから水面下に降りて、街に入るのだ。

 しかし、細長い監視塔にまとわりつくように金属の骨組みが構築され、大規模な人工構造物が展開されている。あれらは全て調査開拓員たちが作り上げたものだ。増設に増設を繰り返し、無秩序に増殖したそれは、九龍城のようにも見える。

 壮観に感嘆の息を漏らしながら、俺たちは監視塔へと入る。内部はしっかりエレベーターが整備されており、立っているだけで滑らかに下降していく。


「そういえばレッジさん。昨日のアップデートでハイパージャンプが対策されちゃいましたね」


 エレベーターの中で寿司詰めになり、レティが口を開く。そういえば昨日は定期アップデートの日だったか。リリースノートを見てみると、なるほど確かにハイパージャンプに対策が入っている。

 オブジェクトの隙間に強引に体の一部をめり込ませることで強い反発力を呼び、通常ではあり得ない機動をするハイパージャンプ。そもそも使いこなせるプレイヤーが少ないことと、対策の難しさからずっと放置されており、テクニックの一部とも認識されていたのだが、正式にバグだと宣言されたことになる。


「あれってオブジェクトの隙間を見つけないとダメなんだよね? その割にはレッジはどこでもハイジャンしてた気がするけど」


 足元に立っていたラクトがこちらを見上げて言う。

 ハイパージャンプの原理的には確かに正しいのだが、オブジェクトの隙間というのもピンキリなのだ。大きくて比較的めり込みやすい隙間というのはなかなか少ないのだが、小さくてめり込みにくい隙間というのは原理上どこにでも普遍的に存在している。


「そうだな。例えばこういうエレベーターのドアの隙間があるだろ。そこ自体は違うんだが、ここの角のあたりに爪先をぐっと――」

「えっ?」


 オブジェクトには絶対できてしまう隙間というものが存在する。大抵は面と面の交差点、つまりは角とかなのだが。軽く実演してみると、あっさり指先が減り込んでしまった。

 あれ、対策されてるんじゃなかったのか?


「ああ、なるほど。対策ってのは隙間を埋めるんじゃなくて、めり込んだ時の挙動を変えたんだな」


 指先に強い反発を感じず、メンテナンスの成果を実感する。めり込むのはもうどうしようもないから、強制的に排除するような働きを無くしたらしい。一応ゆるく押し返される感覚はあるが、これでハイパージャンプはできないな。


「けど、これあれだな」

「レッジさん? 何一人でぶつぶつ言ってるんですか?」

「いやぁ。この対策の仕方だと、何回もめり込ませてると……」


 グニグニと指先を動かしていると、不意にメキッと音がする。

 狭いエレベーターの中で、レティたちが押し黙る。


「あの、おじちゃん?」

「あー。すまん」


 青い顔をするシフォン。

 直後、ポーンと音がしてエレベーターが下に到着する。自動的に開く扉。その内側で無数に増幅された反発力が、一気に解放された。

 次の瞬間、監視塔の一つが轟音と共に崩れた。


━━━━━

Tips

◇不具合確認レポート

 先日のメンテナンスにおいて修正したオブジェクトを利用した異常跳躍に関して、新たな不具合が確認されました。めり込み時の強制排出力を低くした結果、オブジェクト内部で多重に反発が発生し、累乗的に増加してしまう現象が発生します。調査開拓員各位はオブジェクトへの干渉による大規模な破壊が発生しないよう注意してください。


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