第1126話「空からの落下」

「うわああああああっ!」


 異空間から脱出できたのはいいものの、今度は遥か上空だ。しかも呑鯨竜まで一緒に浮いている。俺たちは当然のように重力に捕まり、勢いよく自由落下を始めていた。


「お、下の方にウェイドたちが集まってるな」


 どれくらいの高さにいるのかは分からないが、下を眺める余裕が出てきた。広大な海洋は突然呑鯨竜の巨大な質量がなくなった影響で大きく渦巻いているが、その外縁にはいくつもの船舶が停泊している。そのなかの一隻に、ウェイドたち管理者が乗っている船もあった。

 甲板の上に立つ彼女は何やら紙袋を抱えながら、もう片方の手で拳を掲げながらこちらを見てなにか叫んでいる。


「ウェイド、ちょっと大変なことになったな」

『なにがちょっと大変なことですか! 人の休暇を何だと思ってるんですか!』


 TELを繋げると早口の怒声が飛び込んできた。

 そうか、ウェイドは今日休暇だったのか。だからいかにもオフといった感じの麦わら帽子姿なんだな。


「すまんすまん。ちょっと色々あって無限に続く呑鯨竜の腸内に入って、空間壊して上位次元に行った後、よく分からない謎の白い龍に助けてもらって帰ってきたんだが」

『何言ってるのか全然分かりません!』

「だよなぁ」


 そんなことを言っている間にも俺たちと呑鯨竜は海の方へと落ちていく。高所から落下した場合も着水すれば落下ダメージがかなり減衰されるし、呑鯨竜もこの程度できずつくほど柔な存在ではないだろう。

 この状況に対して、俺たちはそれほど焦っているわけではなかった。


「レッジさん、そろそろ呑鯨竜が着水しますよ」

「お、ほんとだな」

『呑気に言ってる場合ですか!!!』


 上から見下ろしているとウェイドたちの様子も分かりやすい。停泊しているように見えていた彼女たちの船は、実際には呑鯨竜の落下に押し潰されないよう全速前進で逃げているようだった。


「ちゃくすーい、今!」


 轟音と共に海が揺れる。

 波紋と呼ぶには大きすぎる波が立ち上がり、周囲へ広がった。海と呑鯨竜の腹との間で圧縮された空気が弾け、衝撃波が駆け抜ける。小型の船舶は吹き飛ばされ、ヨットや帆船が空を飛ぶ。

 そんな中でも管理者たちの乗り込んでいる船は巧みな操舵で波を乗り越え、なんとか沈まずに耐えていた。


「あの、レッジさん」

「どうした?」


 自由落下を続ける中、レティが何かに気付いた様子で口を開く。


「レティたちってもしかして、呑鯨竜の上に着地する感じになります?」

「うん? うん。……あっ」


 それはちょっとマズい。海面に着水するのならば大きく衝撃を減衰できるため無事に生き残れるだろうが、呑鯨竜の背中はまずい。あそこは硬い鱗がびっしりと体表を覆っているのだ。


「ウェイド、今から呑鯨竜の上にクッションか何か用意してくれないか?」

『できるわけないでしょう! 色々遅いですよ! 報連相をしっかりしなさいっていつも言ってるのに聞かないからです!』

「だよなああああっ!」


 俺たちに翼はない。回避することもできず、ただ急激に呑鯨竜の硬い背中が近づいてくるのを待つことしかできない。


「レッジさん!」


 その時、俺の腕が掴まれた。声を聞いて振り向くと、赤髪をたなびかせたアイがこちらを見ている。


「何か秘策でも?」

「上手くいくかは分かりませんが、ちょっとやってみたいことが」

「分かった。頼む」


 彼女は自信なさげだったが、俺は即答する。どうすることもできない以上、彼女に望みを懸けるしかない。アイは頷き、ひとつ頼み事をしてきた。


「その、し、しっかり抱きしめてください!」

「なんですとぉ!?」


 隣で聞いていたレティが耳をピンと張る。


「アイさん! なにどさくさに紛れて――」

「わ、私一人だとできないことなんです。これは仕方ないことなんです!」

「本当ですかぁ?」

「もう時間がない。とりあえず、固定すればいいんだな」


 胡乱な目をするレティは置いておいて、俺はアイの体を引き寄せる。彼女の華奢な体を掴んで、胸の前に固定する。


「これでいいか」

「だ、大丈夫です。それと……鼓膜破れたごめんなさい」

「えっ?」


 それはどういうことだと聞く前に、アイが大きく口を開ける。

 彼女は大量の空気を一息に吸い込み、そして吐き出した。


「『ブラストシャウト』ッ!」


 空気が放たれる。

 勢いよく下方に向けて吐き出された声が、厚い壁となって広がる。その圧力は凄まじく、その音量は俺たちの耳が一時的に機能停止するほどに莫大だった。彼女が大声を上げた瞬間、落下速度が緩くなった。下方に集中した大気の壁が俺たちを押し上げたのだ。


「ぁああああああああああああっ!」


 アイはクールタイムが終わり次第、次々と『ブラストシャウト』を放つ。

 本来ならば大声の圧力で原生生物を吹き飛ばすテクニックなんだろうが、彼女はそれを下方に向かって放つことで、エアークッションを作り出していた。

 けれど、空気だけでは全ての衝撃を抑えきれない。まだ俺たちの落下速度は速すぎる。


「――『吊り下がるハンギング大きな氷壁ラージアイスウォール』!」


 その時、突如巨大な氷の壁が真下に現れた。


「『ブラストシャウト』ッ!」


 放たれる大声が、その壁に衝突する。先ほどよりも強い減速がかかった。


「ラクト! ナイスだ!」

「ふふん。わたしのこと忘れちゃダメだよ」

「助かります!」


 氷の壁を出現させたのは、誰であろうラクトである。

 彼女が次々と壁を生成し、アイが爆音をそこにぶち当てる。クッション効果はさらに高まり、急激にブレーキがかかる。


「これで〈受身〉スキルがある人は十分生存可能だと思います!」


 十分な減速がかかり、レティが歓声を上げる。衝撃を受け流すことに特化した〈受身〉スキルは前衛職の定番だが、それをうまく使えば高所からの落下でも無傷で済む。

 ちなみに、受け身が一番上手いのはシフォンである。彼女はすでに体を垂直に立てた棒のようにして呑鯨竜に突っ込み、その直前に体を丸めて華麗な着地を決めている。

 そして、俺は〈受身〉スキルを持っていない高所からの落下に最も弱い存在である。


「レッジさん、私のこと離さないでくださいね」


 けれど、俺の側にはアイがいる。

 彼女はかっこいいことを言って、こちらの腕をぎゅっと握りしめた。


「『エアリアルステップ』ッ!」


 ゆっくりと落ちていくなか、彼女がおもむろに足を突き出す。彼女のつま先が空中を蹴った。


「れ、レティもそれできるんですけど!」

「私もできますよ」


 次々と対抗意識を燃やしたレティとトーカたちも同じく空中を蹴る。

 竜闘祭の時にも見たが、案外空中を駆けるテクニックというのは色々と存在するようで、速度さえどうにかなってしまえば安全に着地できる手段はいくらでもあるらしい。


「っとと。大丈夫ですか?」

「ああ。おかげで助かったよ」


 ふわりと安全に呑鯨竜の背中に着地し、アイから腕を解く。彼女のおかげで何らダメージを受けることなく、軟着陸することができた。


「いええええい!」


 遅れてパラシュートを開いたルナがやってくる。タルトたちは翼を広げて飛んでいる巨大化したしょこらの足に掴まっているし、随分と余裕そうだ。


「きゃああああっ! うわっ! ちょっ、きゃっ!?」


 自由落下で落ちてきたネヴァは、下で待ち構えていたエイミーの弾む障壁で受け止められる。ぽよんぽよんと跳ねているが、あれはあれで楽しそうだ。


「なんとか全員無事に着地できたか」


 あたりを見渡して欠員がいないのを確認する。一時はどうなることかと思ったが、なんとかなったな。

 よしよしと満足げに頷いていると、不意に影が落ちてくる。


「うん?」

『ウワーーーー!!』

『避ケナサイ! 退キナサイ!』

「うわあああっ!?」


 最後に少し遅れてナナミとミヤコが落ちてくる。タイプ-ゴーレムを遥かに超える重量を誇る金属塊の二機を受け止められる術はない。

 俺たちが慌てて避けた直後、二人は勢いよく呑鯨竜の背中に墜落した。


━━━━━

Tips

◇『ブラストシャウト』

 〈歌唱〉スキルレベル40、〈戦闘技能〉スキルレベル45のテクニック。凄まじい声量で周囲の敵を威圧しつつ、圧縮した空気を放つことで吹き飛ばす。ダメージは与えられないが、聴覚の鋭い対象の場合は失神させることも可能。

“その大声は突風の如く。ことごとくを薙ぎ倒す”


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