第1125話「謎めいた龍」
レティとトーカの攻撃は的確に空間を破壊した。それが意味するのは、無限に複製され続ける空間の漏出だ。傷口から流れ出す血液のように、風船から溢れ出す空気のように、レティたちが穿った空間の穴から無限の空間が流れ出す。
「うおおおおおおおっ!?」
「はえええええんっ!?」
レティとトーカの二人掛かりでも空間に開けられた穴はごく小さなものだった。しかし、それだけでも世界の法則を超越した大事件だ。俺たちのいる腸内どころか、呑鯨竜そのものが大きく揺れ動く。
立っていられないほどの振動のなか、俺たちは身を寄せ合って体を支える。
「さあ、飛び込みますよ!」
そんななか、アイだけは妙に元気でテンションが高い。彼女はぐいぐいと俺の腕を引っ張って穴の中へと引き込もうとしていた。
俺たちの目的は、この無限腸迷宮からの脱出だ。そのために無限複製の原理を解明し、打開しなければならない。そのために空間に穴を開けて、外から観測できるようにしたのだ。
「ええい、ままよ!」
アイと共に空間の風穴へと身を投じる。
「ま、待ってくださいよ!」
「私も!」
俺たちに続き、レティたちも次々と穴の中へと飛び込んでくる。
果たしてその中は、まるで嵐の海のような激流が渦巻く混沌の世界だった。
「うおおおおっ!」
腸壁らしき生々しい肉が無秩序に広がり、蠢いている。謎の黒い影が次々と飛来し消え去っていく。万華鏡のように次々と景色が変わり、そのたびに雷鳴の如き轟音が鳴り響く。
「アリエス、シフォン、ミカゲ!」
「任せなさい」
「ここなら――!」
「術式が全部、丸見え」
内部からは巧妙に隠蔽されていたものも、外から見れば開けっ広げだ。アリエスたちはそれぞれに眼を光らせて、そこに構築された術式の解析を試みる。唯一ここには霊術師だけがいないのだが、あまり問題はないらしい。あれはむしろ魂や死という概念に作用するものだとかで。詳しいことはよく分からないが。
「凄いわね。まるで芸術品だわ」
「全体が過不足なく組み上げられてるよ。これだけのものを一から構築するのは、わたしは絶対無理」
「呪術的要素はあんまりなさそう。ただ、この腸内で環境が循環するようにひとつの別世界概念を根本に置いてる」
無限複製空間の舞台裏を目の当たりにした三人は、異口同音にその術式の高度な構成を褒め称える。おそらくいまだ調査開拓員には到達し得ない次元にある高等技術がふんだんに使われているのだろう。
「それで、俺たちは外に出ることはできるのか?」
「ちょっと待ちなさいな。今考えてるところだから」
術式の解析には時間がかかる。それが未知なる高度な技術が使われているものであれば尚更だ。アリエスたちは真剣な表情で押し黙り、その完成された芸術品の一端を理解しようと思考を巡らせる。
「ここはたぶん……」
「善悪的運命論の天秤……」
かすかに漏れ聞こえる彼女たちの言葉はもはや理解不能のものだ。占術師や呪術師にしか通じないような専門用語を並べながら、頭の中を整理させている。
その間、俺はテントを建て始め、レティたちは周囲を見張る。次元の外とはいえ敵対する存在がいないとも限らないからな。というより、見たこともない動物的な何かが次々と現れては消えていく。
「ここは凄いところだな。こんな場所があったなんて」
ネヴァには一度、亜空間へ一時的に避難するテントというものを作ってもらったことがあるが、あれはあくまで次元の隙間へと数秒移動するだけだ。今回のこれは亜空間ではない異空間、俺たちの存在する次元を内包する上位次元の空間だ。
「この空間が存在することは、各地の情報記録保管庫やオモイカネ記録保管庫の資料から示唆されていたんです。例えば、開拓司令船アマテラスは時空間潜航航法という特殊な移動ができるらしいんですが、それを用いて惑星イザナギから惑星イザナミへ、更に数億年前から現在まで、空間的時間的移動をしてきたと」
「なるほど。そういえばタイムスリップ的なことができないと第零期先行調査開拓団は送れないか」
そもそも、T-1たち指揮官が第零期先行調査開拓団の壊滅理由を知らないのは、彼らが活動していた期間をすっ飛ばして現代までタイムスリップしてきたからだという。おそらく、開拓司令船アマテラスはこの上位次元と基底次元を自由に行き来することができるのだろう。
使い古された例えだが、紙面上の二点間を最短距離で結ぶには、三次元空間で紙そのものを折りたたんで点を重ね合わせればいい。
「レッジ、大体目算がついたわよ」
「たぶんこれで安全に呑鯨竜の腸内から出られると思うよ!」
アリエスとシフォンが声を上げる。二人の間で話が纏まったようだ。
「よし、それじゃあ中に戻って――」
そう言いかけて、ふと気づく。
「あれ、穴はどこいった?」
「えっ?」
キョロキョロと周囲を見渡すも、穴が見当たらない。腸内と上位次元を繋ぐ、レティたちが開けてくれた穴だ。
「帰り道がないんだが」
「はええええっ!?」
シフォンの絶叫。その驚きは周囲にも波及する。
「お、落ち着いてくだしあ。まずはもう一度レティたちが穴を開けて――」
「待て待て。それで元の場所に戻れる保証はないだろ」
「じゃあどうするんですか!?」
騒然となるなか、俺は慌てて考える。空間に開けた穴が無くなったのは、俺たちが移動してしまったからか、自動的に修復されてしまったのか。もはやその痕跡を探すことさえできない。
周囲は無限複製された腸壁が広がる上位次元だ。どこまで行っても同じ場所だし、動かなくても違う場所にいる。ロープか何かで繋いでおくべきだったと後悔するが、時すでに遅しというものだ。
「どっどどどどどど、どうするんですか!?」
エンジンのように言葉を乱すレティが、俺たちの心情を表していた。このままでは腸迷宮から脱出するどころか、上位次元を延々と彷徨うことになる。
「とりあえず適当に穴を開ければ、どこかに繋がっているはずでは?」
「それで更に上位の次元に出たらどうするんだ」
基底次元に穴を開ければ、上位次元へとつながった。上位次元で穴を開ければ、更に上位の次元へと繋がってしまう可能性も拭えない。とにかく俺たちには次元に関する知識が足りない。
「はええええんっ」
シフォンが泣き始める。ちょっとこれはまずいことになってきた。
どうしたものかと思案していた、その時だった。
「レッジさん、あれ見てください!」
不意にレティがどこかを指差す。
目を凝らすと、腸壁が食い破られ、中から白い龍が顔を出していた。
「あれは……?」
「分からん。上位次元の存在かもしれないが」
西洋的な龍とでも言うべきか。肉の壁を広げて飛び出してきたそれは、巨大な白い翼を持っていた。太い四本の足を持ち、全身を白い鱗で覆っている。豊かな髭がたなびき、青い瞳がこちらを見ている。
それはゆっくりと泳ぐようにこちらへ近づいてくる。レティたちが咄嗟に武器を構えるが、不思議と敵意は感じなかった。
「あれはいったい……?」
「白い龍、どこかで聞いたような」
アイが首を捻るが、答えは出てこない。その間にも白龍はゆっくりと近づき、そして立ち止まる。
俺たちを静かに見下ろし、何か考えているようだった。周囲を見渡し、何か納得したようだった。そして、おもむろに前脚を上げる。その鋭い爪の先端から、青い光が迸る。
「ぐわああっ!」
「はべっ!?」
光の奔流に思わず目を閉じる。世界が揺れるような強い衝撃と共に、俺たちは吹き飛ばされる。何が何だか分からないまま、俺たちは次元の壁を突き破った。
「レッジさん、見てください!」
轟轟と耳元で風が猛るなか、レティの声がする。ゆっくりと目を開く。
「これ、は――ッ!」
俺たちは呑鯨竜の外にいた。そして、呑鯨竜それ自身も、海を飛び出していた。
眼下に広がるのは果てしない蒼海だ。そこを目指して、俺たちは落ちていた。
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