第1124話「平和な日」
『はー、最近はちょっと状況も落ち着いてきたのう』
〈老骨の遺跡島〉に巡回でやってきたT-1は、穏やかな波の寄せるビーチにチェアを並べて穏やかな陽気を浴びていた。傍には山積みされた稲荷寿司と、冷たいイナリティーがある。
竜闘祭によってソロボルの攻略法が判明したのち、調査開拓員たちによってその最適化が進められると共に島の開拓も本格的に始まった。T-1が巡回シフトに基づいてやってきた時には、島にはヤタガラスの線路も開通し過ごしやすく整備がなされていた。
「T-1ちゃん、おっさんがまた何かやらかすんじゃないのか?」
T-1に差し入れの稲荷寿司を持ってきた調査開拓員のひとりが不安そうに言う。現在も呑鯨竜の体内へ向かった先遣隊は活動中であり、地上からは彼らの様子が分かりにくい。T-1は余裕の顔をしているが、またいつ天変地異じみた変化が現れるのかもわからず、調査開拓員の間には不安が広がっていた。
『へーきじゃ、へーき。レッジには何かやる時はちゃんと前もって報告するように言っておるからの。何かある時はその前に一報入ることになっておる』
「ほんとかなぁ」
その調査開拓員はレッジとの直接的な関わりはなかったが、それでも彼の破天荒っぷりはよく知っている。だからこそ、T-1の気の抜けた様子がどうにも心配だった。
『それよりも、このおいなりさんは何じゃ?』
指揮官の興味は今後起こるかもしれない大災害よりも目先の稲荷寿司に向けられる。調査開拓員が持ってきた差し入れの方に向けられる。調査開拓員の方も気持ちを切り替え、自信に満ちた顔で言った。
「ソロボルへの捧げ物ってコンセプトで作ってみた稲荷寿司だよ。なんか神聖な感じがするように紅白で揃えて、中には海鮮を詰め込んでる」
『おほほっ! それはまた趣きがあって良いではないか。どれ、一つ頂くとしようかのう』
第二次〈万夜の宴〉においてT-1の巡回についてくる調査開拓員のなかには、彼のように自作の稲荷寿司を持ち込んでくる者も少なくない。彼らは創意工夫を凝らした稲荷寿司を彼女の品評してもらうことに意義を見出しているのだ。
T-1からすれば座して待つだけで無限に様々な稲荷寿司がやってくるということもあり、まさに夢のような時間である。
『これまで忙しくてなかなかおいなりさんも食べられなかったからのう。どれどれ……』
竜闘祭から始まり、呑鯨竜の出現、先遣隊の突入、マシラの暴動、“増殖する干乾しの波衣”の出現、マシラの暴動、オペレーション“アラガミ”の実施などなど、主にレッジに関連する様々な出来事が立て続けに勃発し、指揮官であるT-1も忙殺されていたのだ。ちなみにレッジ担当となっているウェイドなどはもはや瀕死の体で今は休暇を申請している。
久しぶりに調査開拓員が作った創作いなりが食べられるとなって、T-1は嬉しそうだ。受け取った包みを見下ろして口元を緩めている。
海鮮系の稲荷寿司は海洋フィールドの発見と共に珍しくなくなった。とはいえ、一口に海鮮と言ってもそこには技巧を凝らす余地のある懐の深さがあり、調査開拓員によって作り出す稲荷寿司は千差万別だ。
今回のそれはソロボルへの供物というコンセプトで作られたということで、お揚げが赤く着色されているものがある。普通のお揚げを白に見立て、紅白の縁起を担いだものだ。
これは見るからに運気が上がりそうだ。きっとここまで不運続きだった自分を労うものだろう。そんな思いに心を弾ませ、彼女は箸を手に取る。
『では! いただきまー』
不意に影が落ちる。眩しいほどの陽光が降り注いでいたビーチに、巨大な影がかかった。太陽に雲でもかかっただろうかと少し気になったが、T-1はそのまま稲荷寿司を口に運び――。
「T-1ちゃん、やばい! 呑鯨竜が空飛んでる!」
『は?』
それを味わうことができないまま、調査開拓員に手を引かれて緊急避難を開始した。
━━━━━
『はぁ、休暇なんていつぶりでしょうか。それも特殊開拓司令の真っ最中に許可が降りるとは。これも普段の行いの良さゆえでしょうかね』
シード02-ワダツミの瀟酒なショッピング街を歩くタイプ-フェアリーの少女がひとり。白いシンプルなワンピースを着て、足元は可愛らしいサンダルというラフな格好だ。長い銀髪を低いところでひと束にまとめて、うなじが涼しげに覗いている。目深に被ったつば広の麦わら帽子と大きなサングラスによって顔は隠れ、その正体までは分からない。
『とりあえず、ミズハノメにピックアップしてもらったおすすめのお店でも行ってみましょうか』
何を隠そう、彼女こそ日頃の心労によって疲労困憊になっていたところを同僚たちに同情され、特例的に休暇を与えられたシード02-スサノオの管理者ウェイドである。彼女は突然降って湧いた休暇を満喫するべく、自身の拠点であるシード02-スサノオを離れ、以前から興味のあった〈ミズハノメ〉の観光に乗り出していた。
『観光を敢行する! なんちゃって。ふふふっ』
あまりにも油断しまくった彼女はどうしようもない事を呟きつつ、軽やかな足取りで人の多い街中を堂々と歩く。今の彼女は完璧な変装をしている上、〈鑑定〉スキルレベル90でも看破できない高度な情報偽装を行なっている。そのため、道行く人々もまさか管理者が歩いているとは思わない。
『ありました、ここですね』
〈ミズハノメ〉は海洋資源採集拠点という施設であり、地上前衛拠点スサノオと比べれば規模も小さい。とはいえ、海洋のど真ん中に位置するという立地を活かした観光業にも力を入れており、商業区画は〈ウェイド〉のそれに勝るとも劣らない賑わいを見せていた。
今回、ウェイドがミズハノメに薦められてやって来たのは、〈水鈴〉という喫茶店である。表に立った時からすでに香ばしい香りが漂い、ウェイドの鼻先をくすぐる。期待に胸を膨らませながらドアを開けると、目の前にずらりと多種多様なベーグルの並んだショーケースが現れた。
『わぁっ。これは美味しそうですね』
〈水鈴〉は焼きたてのベーグルが有名な店である。ハムやチーズを挟んだオカズ系からクリームやジャムを挟んだスイーツ系、中には醤油豚骨ニンニクマシマシ味という一風変わりすぎたものまで、目移りしてしまうほどの種類がずらりと並べられている。
『いらっしゃいませ! ご自由に選んでください。季節の限定品もございますよ』
来店を察知した上級NPCの店員がやってきて、商品の案内をする。常設の定番メニューだけでも20を超える種類があるが、期間限定、数量限定といった特別なものを合わせると更にラインナップは豊かになる。
ウェイドは悩ましげにショーケースに顔を近づけ、小さく唸る。管理者権限で全部一つずつ買って食べることもできるのだが、それでは面白くない。限られた予算や制約のなかで一番の組み合わせを選ぶことが楽しいのだ。
『では、テリヤキWベーコンチーズと抹茶シナモンもちもち明太子を』
『かしこまりました。ご一緒にお飲み物はいかがですか?』
『そうですね……。では紫芋生クリームカスタードシェイクにイチゴとブルーベリーのトッピングで』
『かしこまりました! では、お席までお持ちしますのでお好きな席でお待ちください!』
注文を終えたウェイドは店内をぐるりと見渡す。落ち着いたウッディなテイストの内装に、ゆったりとした曲調のBGM。かすかに聞こえる波の音も心を安らかにさせてくれる。客層も穏やかで、ここ最近の荒波に揉まれて疲れ切った心を癒す邪魔にはならない。
しかし、少し静かすぎるような気もする。どうしたものかと悩み、彼女はふと思い出す。そういえば、通りに面したウッドデッキがあったはずだ。探してみると確かに外へ向かう扉が開放されており、そこにもテーブルが並んでいた。
あそこで食事を楽しむのも、程よく騒がしくていいかもしれない。そう考えて、彼女はウッドデッキに出る。
『いいですね。暖かいし、そこまで人目も気になりません』
今日は日差しの良い晴天だ。屋内にいるのは少しもったいない。ウッドデッキはしっかりとした柵で外とも隔てられているため、そこまで往来の目も気にならない。ウェイドはすっかり気に入って、椅子に腰を落ち着ける。
『お待たせしました! テリヤキWベーコンチーズベーグルと、抹茶シナモンもちもち明太子ベーグル。それと紫芋生クリームカスタードシェイクのイチゴとブルーベリートッピングです!』
席についてすぐ、注文した商品がやってくる。ベーグルサンドウィッチにしてはかなりボリュームのある一品で、思わずウェイドも興奮の声を漏らす。一緒に頼んだドリンクも山のように生クリームとカスタードがそびえており、迫力満点だ。
焼きたてのベーグルはふわふわで、いかにも美味そうだ。これは今すぐ食べなければ罪である。ウェイドはさっそくテリヤキWベーコンチーズベーグルを小さな手でしっかりと掴み、大きく口を開く。
『いただきまー』
その瞬間、町中にけたたましい警報音が鳴り響き、管理者専用回線に緊急出動の指令が流れる。〈ミズハノメ〉の各所から次々と警備NPCが飛び出し、穏やかだった商業区画も騒然となる。
『……』
ウェイドはまだ一口もつけていない焼きたてのベーグルを悲しい目で見る。サイレンは唸りを上げて、管理者専用回線もひっきりなしに動いている。商業区画に立ち並ぶ店々が次々とシャッターを下ろしていく。
『お、お客様、避難を――』
『あの、これ、お持ち帰りで……』
ウェイドはきゅっと唇を噛みながら、焼きたてほかほかのベーグルを店員に差し出した。
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Tips
◇テリヤキWベーコンチーズベーグル
シード02-ワダツミ商業区画に存在する喫茶店〈水鈴〉の人気商品。焼きたてのベーグルに照り焼きチキンと厚切りベーコン2枚、たっぷりのチーズとレタスとトマトを挟んだボリュームたっぷりのベーグルサンド。同店で一二を争う人気商品であり、開店当初から存在する定番商品でもある。
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