第1123話「食い破る蟲」

 澄み渡るアイの声。それはどこまでも透明で、濁りのない水のような音色だった。声はどこまでも遠く響き渡り、そして漣も立てずに消えてゆく。薄く薄く広がりながら、はるか彼方へと波及していく。

 彼女は目を閉じ、耳を傾けていた。俺たちもまた、その調べに集中していた。


「……」


 やがて、アイがゆっくりと目を開く。


「大丈夫、ですか?」


 戸惑いの表情を浮かべてレティが聞いた。

 アイの放った声は、これまでのそれとは何もかもが違っていた。何よりも違っていたのは、その透明感だ。彼女の声は広がり、そして溶けるように消えてしまった。音の反響を聴いて構造を把握するエコーロケーションにおいては、これがどのような結果に繋がるのか、俺たちには分からなかった。

 けれど、懸念を抱く俺たちに対して、アイは笑みで答えた。


「分かりました。この迷宮の謎が」


 そう言って、彼女は動き出す。俺たちも彼女に続いて、テントを片付けて移動を始めた。


「それで、何が分かったんだ」


 ナナミの背に乗って、パールシャークを駆るアイの隣を並走する。彼女は軽やかに飛沫を上げながら話し始めた。


「呑鯨竜の体内は、異空間になっているんです!」

「異空間?」


 突拍子もない言葉だが、アイは確信を持って言っていた。それだけに俺たちもそれを即座には否定できない。


「あの声は、声の反射ではなくて消失で構造を把握しようと思って出したんです。何かに当たらないかぎりはどこまでも伸びるような声を。それで、真横に向かった声はすぐに左右の壁にぶつかって消えましたし、僅かにでも角度がついた声も同様でした。ただし、真っ直ぐ前方に響いた声だけは、読み通りどこまでもどこまでも響いていきました」

「もうそこからちょっと理解ができないんですが……。まあ、続けてください」


 レティが頭の痛そうな顔をしつつ先へ促す。アイは頷き、更に説明を重ねていく。


「つまり、この呑鯨竜の腸内は無限に続くループ空間なんですよ」

「しかし、それだとドローンが戻ってこない辻褄が合わないんじゃないか?」


 アイがボイストレーニングを受けている間も、ドローンは飛び続けている。相変わらず反応は返ってきているから生きてはいるようだが、ループの終端にきて振り出しに戻る様子はない。


「無限に続く、ループ空間なんですよ」


 俺の方を見て、アイは言葉に含みを持たせて言う。

 ちょうどその時、俺たちは腸の中にある分岐点へと辿り着いた。アイは三つに分かれた穴の前に立ち、両手を広げる。


「腸管と、その先にある分岐点。それをひとセットとして分岐点の先にも全く同じ空間が続いているんです。進めば進むほど、同じ空間が3倍に増えていくんです」


 無限に枝分かれする樹形図。それはごく単純な腸の構造を一単位として、複製する形で存在しているのだという。したがって呑鯨竜の腸は無限に続き、果てがない。胃で徹底的に溶かされた食料は、無限に広がる迷宮で全てが吸収されていく。


「そんな……。それじゃあレティたちはどうしたら」


 アイの語った迷宮の真相に、レティが愕然とする。分岐が無限に続くのであれば、その先にゴールはない。永遠にこの奇妙な空間を彷徨い続けることになる。

 けれど、アイはそんなことはないと首を振る。


「大丈夫です。前進する限り私たちは三倍に増えていく空間を彷徨うことになりますが、後ろに下がれば三分の一ずつ空間も収束していきます。どの穴を選んだか、というのを気にする必要はありません」

「そうは言っても、最初のほうはかなり流れが急だぞ。それに逆らって胃まで戻るのは骨が折れる」

「そうですね。そちらは、兄貴――アストラが水門を完成させるまで待つとして。我々は無限の先へ行ってみませんか?」


 アイはそう言って、挑戦的な表情になる。彼女の声に興味を示したのはレティたちだ。彼女は耳をピンと立てて、アイの元へと集まる。


「おもしろそうですね。どういうことですか?」

「おそらく、この空間が無限に複製される現象は、何かしらの三術的要素によるものです。なので、ミカゲさんやアリエスさんに調べてもらおうかとも思ったんですが」


 無限ループという現象はそう簡単に起こせるようなものではない。だからこそ、呑鯨竜には何か重大な秘密が眠っているとアイは考えた。この空間複製の謎を解くために、ミカゲのような三術系スキル保持者が調査するというのも一つの手ではあるものの、彼女はそれを遠回りであると判断したらしい。


「やっぱり、一度外に出てそこから観察した方がいいと思うんですよ」


 そう言って、視線の先に捉えるのはレティたち。それだけで当人たちも何を求められているのかは理解した。


「なるほど……。アイさんもちょっとレッジさんに似てきましたね」

「どういうことだよ」


 レティの言葉に説明を要求するが、あえなく一蹴されてしまう。


「レティさんたちのテクニックは壊れないものを壊すことができるという特別な力があります。――それなら、空間そのものを壊すこともできるのでは?」


 アイの指摘を受けて、レティはハンマーを構える。同時に、トーカが刀を握り、準備を整えた。彼女たちの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。


「この空間を、破壊してください」


 アイが指し示したのは、何もない空中。けれどそこには、“空間”という破壊不可能なものが存在する。


「『時空間波状歪曲式破壊技法』」

「『時空間線状断裂式切断技法』」


 レティとトーカの周囲が歪む。

 彼女たちの破壊と切断の力が、呑鯨竜の腹を食い破る


━━━━━

Tips

◇無限複製空間整列結合理論

 [閲覧権限がありません]によって提唱された空間構造構築理論。11次元空間に鎖型連相2型術式を拡張し[閲覧権限がありません]の根源的存在意義を複製することにより、指定空間の無限複製および空間整列と結合を行い、限りない資源の増幅とリソース枯渇問題の回避を解決する。

 [閲覧権限がありません]によって実験体[閲覧権限がありません]に外科的手術を用いて実装され、[閲覧権限がありません]計画の土台となっている。


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