第1122話「澄み渡る音色」
ドローンはいまだに飛び続けている。もう十以上の分岐を超えて来たはずだが、いまだにこちらへ戻ってはこない。嫌な予感を抱きつつ、俺はアイたちに希望を託す以外のことができない。
「それじゃあ、よろしく頼む」
「はい」
テントを支えるナナミの背に乗って、アイは硬い表情で頷く。
「大丈夫。アイの声を笑う奴はいないから」
「……そうですね。ありがとうございます」
彼女は歌うことを恥ずかしがっている。大声を出すことを拒んでいる。
けれど、今回ばかりは彼女のその力が大きな助けになる。
俺はアイの華奢な肩に手を置いて勇気づける。何度か深く呼吸を繰り返したのち、彼女は覚悟を決めた。
「――すぅっ」
大きく胸を膨らませる。レティとLettyが慌てて耳を塞いだ。
次の瞬間。
「――ァァァッ」
声が解き放たれる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
長く響く絶叫。轟き、響き、揺れ動く。
その声はどこまでも広がり、どこまでも突き抜けていく。そして長く続いたあと、唐突に途切れる。
まだビリビリと鼓膜が震えているような感覚に陥っていると、アイは目を閉じて神経を尖らせていた。耳を澄まし、微かな反響音を拾っている。エコーロケーションはここからが本番だ。
レティたちがアイを見守っている。少しでも音を立てれば、彼女の音響測位のノイズとなってしまうため、全員石像のように動かない。
そして、アイが目を開く。
「どうだ?」
「…………ダメですね」
しょんぼりと肩を落としてアイが言う。彼女は悔しそうな目でこちらを見上げ、申し訳ないと謝ってきた。
「腸壁が思ったよりも音を吸収してしまうみたいで。水も吸音材になっていますし……」
「なるほどなぁ。やっぱり難しいか」
「も、もう一度やらせてください!」
このままでは退けないとアイは拳を握りしめる。
「もっと高い音が出せれば、いける気がするんです」
「分かった。無理だけはしないでくれよ」
彼女の熱意はひしひしと感じる。〈大鷲の騎士団〉副団長として、ここは負けられない勝負所だと思っているようだ。
「行きます!」
彼女は何度か声を出して喉を調整し、もう一度挑む。
「ィィィイイイイイッ――――!!!」
今度はつんざくような高音。金切音とも言えそうなほどの、金属的な音だ。鋭く響くそれを、彼女は再び耳を澄まして捉えようとする。
だが、やはり浮かない顔で瞼を上げる。
「ダメです」
「何がネックなんだ」
「自分の声、ですね……。もう少し均一的な周波数で、ノイズを抑えた声を出せればいいんですが」
理想としているのはイルカの鳴き声のような音だと彼女は言う。あれを常に一定の声量、周波数で安定して出力できれば、腸迷宮の構造が捉えられると確信しているようだった。
しかし、人力でそれを出すというのは非常に難しい。例え歌の上手いアイであっても、一朝一夕にできることではない。
「アイちゃん、ちょっと良いかしら」
その時、意外なところから手があがる。
「ネヴァさん?」
動いたのは、静かに機械の調子を確かめていたネヴァだった。
「高音を出したい時は、ただ喉を締めるだけじゃダメなのよ。一度低い音を出してみて」
「えっ? ええと……。ヴォァアアアアアッ!」
ネヴァの指示を受けて、アイは戸惑いながらもそれに従う。出されたのは腹の底に響くような低音だ。流石、音域が広いな、と感心するも、ネヴァはそれに満足しない。
「もっと喉を開いて。体を地面に落とすようなイメージね。あとは……、カエルみたいな顔で」
「か、カエルですか!?」
突如始まったボイストレーニング。ネヴァの表情は至って真剣で、茶化している様子ではない。むしろ、しっかりとした体系に則った理論で説明している。だからこそ、アイも恥ずかしそうにしつつもそれに従う。
「私のお腹に手を当ててみて。そうそう。――ァアアアアアアア! っとこんな感じね」
「なるほど……」
途中、ネヴァも様々な声を出す。腹式呼吸の方法でも教えているのか、まさに手取り足取りといった様子で、全身の動かし方から丁寧に説明を施していく。
「タイプ-フェアリーは体も小さいから、高音はもっとすごいのが出せるはずよ。全身を震わせるんじゃなくて、お腹のぽこっとしたところを震わせる感じ。表面は全てフレームとして、膜を支えるの」
「あ、アアアア!」
「そうそう。良い感じ」
ネヴァの指導を受けて、アイの声は素人目にも良くなっていく。余分な力が抜け、筋を通すところは通し、骨格ができてきたとでも言うべきか。先ほどよりも力んでいる様子はないのに、声量は増えていた。
「ネヴァさん、慣れた感じですね」
「そうだな。リアルの本業かもしれん」
ネヴァとアイの邪魔をしないように、こっそり近づいてきたレティが囁く。二人は集中しているようで、様々な音を出しながら改善を進めている。ネヴァがあんな特技を持っているとは知らなかったが、思ったよりも驚きは小さかった。
「ま、彼女も鼻歌が上手いしな」
「なんですかそれ?」
ネヴァは作業中よく鼻歌を歌っているのだが、レティはあまりピンと来ていないらしい。そういえば、彼女が歌っているのは俺しかいない時くらいだったか。
「ネヴァもほら、ミネルヴァが好きなんだよ。よく歌ってる」
「へぇ。そうだったんですね!」
ミネルヴァはレティのような若者に人気の歌手だ。俺も彼女に影響されて色々聞いているが、なるほどなかなか上手い。ネヴァもよくミネルヴァの曲を歌っているし、なんなら新作もリリースされたその日のうちに歌っていたりするくらい、熱心なファンだ。
「そういえばアイもミネルヴァのファンらしいぞ」
「でしょうねぇ。アイさんくらいの女の子はみんな好きだと思いますよ。レティもですが!」
何やらこっちを覗き込みつつレティが言う。
ミネルヴァの人気は今の時代ちょっと珍しいくらいの勢いらしく、大抵の人に聞いてみても知っていた。桑名とか花山とか、その辺で話しかけた警備員とか。
「そういえば、今回のイベントのフィナーレもミネルヴァの未公開楽曲が使われるんだよね」
話を聞いて寄ってきたラクトが言う。たしかにそんな話もあったなぁ。なんだか色々とイベントが鮨詰めで、そっちに気を回す余裕がなかったのだが。というか、今回の〈万夜の宴〉はなんだかんだで途中経過の発表と一緒に行われるライブも見に行けていない。流石に呑鯨竜の体内でライブはやってくれないだろうしな。
とにかく第二次〈万夜の宴〉のフィナーレでミネルヴァの新曲が使われるということで、大きな話題も呼んでいる。あの大人気アーティストにここまでのことをさせるとは、FPOの運営はものすごいコネでも持っているのだろうか。
「よし、荒療治だけど結構出せるようになったと思うわよ」
「本当ですか?」
「もう一回やってみたら分かるわ」
俺たちが話している間に向こうも一通りのトレーニングが終わったらしい。ネヴァは何やら嬉しそうにアイには才能があるなどと誉めそやしている。そんな彼女の言葉で緊張もほぐれたのか、アイは再びこちらに目を向けてきた。
「レッジさん、もう一度やっても良いですか?」
「もちろん。よろしく頼むよ」
アイは頷き、何度か呼吸を繰り返す。
直立不動で呼吸を整え、精神を統一させる。
深く息を吐き出し、肺を空にする。
深く息を吸い込み、肺を膨らませる。
彼女の体が柔軟に動いていた。ぎこちなさが一切なくなり、自然体のまま素直に立っている。そこに何ら気負うものはなく、重圧も枷もない。
だから――。
「――――――――ッ」
その音色はどこまでも澄み渡っていた。
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Tips
◇スカイブルースカイ
大人気アーティスト、ミネルヴァの楽曲。広がる空に飛び立つ開放感を歌う、爽快な曲調が魅力的な一曲。悠々と翼を広げどこまでも飛翔する鳥のように、青い空の果てまで進めるように。
本楽曲はS-MUSICとの包括的利用許諾契約に含まれております。
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