第1110話「ワカメの献立」
海底街〈パルシェル〉の郊外に広がる一面のワカメ畑。堆積した栄養満点の土に根付き、高く長く茎を伸ばす、肉厚なワカメの森だ。
ワカメは呑鯨竜の消化液に耐える数少ない植物で、人魚たちの重要な食料供給源でもある。そんなわけで、ワカメ農業は〈パルシェル〉の重要な産業のひとつとなっていた。
「ギュグル、新しいワカメの様子はどうだ?」
ワカメ農園で収穫と手入れをしている人魚たちに挨拶をしながら向かったのは、厳重に真珠質の頑丈な壁で仕切られた実験区画だ。そこの扉を叩きながら声を掛けると、ドアに取り付けられた覗き窓が開き、人魚の目が現れる。
『順調だな。育成速度は元のワカメのの300倍だ』
実験区画の鍵が解除され、防護扉が開く。〈ダマスカス組合〉の建築課と人魚の建築士たちが共同で作り上げた実験区画の内部には、俺が備蓄部と共に開発している実験植物が栽培されていた。
備蓄長のギュグルは俺を迎え入れ、そのまま部屋の中に置かれた鉢を示す。そこに、猛烈な勢いで成長するワカメがあった。
「おお、すごいじゃないか」
ワカメの鉢は頑丈なガラス管の中に入っており、上部には電熱線が張られている。成長するワカメはその電熱線によって焼き切られ、再び成長を繰り返していくという仕組みだ。これなら際限なく大きくなっていくワカメも安全に保管できる。
『なが持ってぎだ種子は特別だ。あれには大変な力込めらぃでら』
グニョグニョと蠢くワカメを見ながらギュグルが言う。
今後の方針を定める会議の後、俺はこのワカメ畑の見学にやってきた。そして、栽培されているワカメに強いポテンシャルを感じて、手持ちの“蟒蛇蕺”との交配を進めたのだ。その準備としてクロウリたちにはこの実験区画を作ってもらい、人魚たちに選りすぐりの優秀な株を分けてもらった。
その結果完成したのが、“増殖する干乾しの波衣”という特別なワカメである。その第一号をナナミとミヤコに託して呑鯨竜の外へ放ったのが数日前のこと、すでにかなりの成果が出ているようだ。
「“蕺蟒蛇”は際限なく成長してしまう。しかし、あえて弱点となる核の部分を設定し、そこから伸びすぎると成長が止まるようにプログラムした。いやぁ、なんで最初っからこれを思いつかなかったかなぁ」
“増殖する干乾しの波衣”は“蕺蟒蛇”の弱点である凶暴性にある程度の手綱をかけることができた。それもこれも、人魚たちの育てたワカメにあった特殊な遺伝子のおかげである。
呑鯨竜の胃袋で育つワカメが普通のワカメであるはずがない。クロウリたちが提供してくれた大型の新型解析機械と、騎士団の熟練解析班の協力で、その詳細を把握することができた。どうやら、ここのワカメは原始原生生物に分類されるような強力な生命力を持つワカメだったのだ。
原始原生生物がもつ強化遺伝子は、生命の能力を活性化させる。それをうまく扱えば、自由にその性質を変えることができる。何度かの試行錯誤を繰り返し、俺はついに食糧難を解決する夢のワカメを完成させた。
食べても食べてもなくならない上、栄養満点、肉厚ジューシー。先の宴会でもこれの親となったワカメを使った料理を頂いたが、なかなか美味しかった。その味もしっかりと引き継いでいるので、ミートたち空きっ腹を抱えたマシラも喜んでくれるだろう。
「そろそろウェイドもワカメの供給体制を整え終わっただろうし、一度連絡とってみるか」
ナナミとミヤコにワカメの株を託した後、T-1に向けて報告書はしたためてある。以前から報連相ができないと文句を付けられていたからな。俺はやればできる男なのだ。
ともあれ、その報告書にはワカメを送ること、それを不足している食料リソースに当ててほしいということは書いてある。T-1なら、それを読んで有効に活用できるようウェイドたちに指示してくれていることだろう。
「よしよし、えーっと」
ここ数日、ワカメの品種改良を進めている間に〈パルシェル〉も大きく姿を変えつつあった。調査開拓員の拠点がさらに整備され、通信機に直接繋がなくても町中ならどこからでも外部にTELが送れるようになったのだ。
俺はフレンドリストを開き、ウェイドの名前をタップする。食糧難、ひいては調査開拓団壊滅の危機を救ったのだ。どんなふうに歓迎されるのか胸を躍らせながらコールを待っていたその時。
『レッジィィイイイ!!!』
「ぎっ!?」
飛び込んできたのは、憤怒の声だった。
━━━━━
謎の無限増殖ワカメが海を埋め尽くしたその日から、ウェイドたち管理者の激動が始まった。
まず行われたのはワカメの調査。そこで種の出所がレッジであるということと、原始原生生物に特有の強化遺伝子を多分に含んでいることが判明し、ウェイドが暫定的に管理責任者を押し付け――任命される。
ウェイドの指揮下で動き出した調査開拓員はワカメへ上陸し、探索を始めた。蠢くワカメの上を歩き、内部に危険がないかを調べるのだ。
同時に、〈採集〉スキルを持つ調査開拓員たちがワカメの除去作業を始める。しかし、その目論見は早々に崩れ去った。切っても切っても切りがないのだ。無限増殖ワカメは、文字通り無限に増殖していた。
『このワカメを、マシラに提供する食料とします』
ウェイドがそう結論付けたのは、T-1が公開したレッジからのメッセージを受け取る前のことだった。
『そういうわけなので、今日からはお腹いっぱいご飯が食べられますよ』
『わーい!』
シード02-スサノオ〈ウェイド〉の隣に建てられた要塞、マシラ保護管理隔離拠点にて。ウェイドは変異し無尽蔵の食欲を持ったミートたちに向かって大々的に宣言した。
常態的な飢えに苦しんでいたミートたちは、その言葉に歓喜する。やっと腹一杯に食えると知り、毎日施設に多大な損害を与えていた暴動も収まった。
『本日は海藻サラダです。バイキング形式なので、自由に取ってくださいね』
『わーーいっ!』
一日目の献立は海藻サラダ。調査開拓員たちが集めた大量のワカメにドレッシングを混ぜただけではあるが、切迫していたマシラたちを落ち着かせるため急遽用意された料理である。
『飛び込めー!』
『並んで』
『ぴえっ』
大量の海藻サラダを積載したトラックへ殺到しそうになったミートたちは、施設の保安を任されているイザナギによって統率される。パチンパチンと尻尾を鞭のようにして地面に叩きつける彼女に脅されて、ミートたちは大人しく列を作ってサラダを受け取った。
いつもの配給であれば、マシラたちが素直に従うことは稀だ。列の後ろになればなるほど、取り分が減るからである。
しかし今回からはもうそんな心配をしなくていい。なぜなら、料理は無尽蔵にあるからだ。
『今日はいっぱい食べていいの!?』
『ええ。おかわりもいいよ』
『うまーい! うまーい!』
瞬く間にトラック3台分のサラダを食べ終えたミートは、おずおずと列に並び直す。それが許されたと知った時には、飛び跳ねて歓喜した。そして、その日はトラック37台ぶんの海藻サラダを完食した。
『今日の献立はワカメご飯です。並んでください』
『わーい!』
次の日の献立はワカメご飯だった。細かく刻んだワカメを大量の米とともに炊き上げたものである。使用する米は呑鯨竜のカレーを作った際にも使用された巨大米だった。
保護隔離施設内にある巨大な調理工場で次々と炊飯されるワカメご飯を、ミートたちは喜んで食べる。1杯10トンの山盛りごはんをもりもりと食べる。
この日、ミートは300トンのワカメご飯を完食した。
『今日の献立はめかぶご飯です。並んでください』
『わーい』
次の日はめかぶご飯だった。米は昨日と同じ巨大米を使い、ワカメの核を探しに潜水作戦を敢行した調査開拓員たちが多大な犠牲を払いながら手に入れたメカブが供された。
ネバネバとした食感はマシラたちの間でも好き嫌いが分かれたが、結局のところ彼らは食欲の権化である。苦手と言っていたマシラも200トンは食べた。ミートは300トン食べた。
『今日の献立はワカメの酢の物です。並んでください』
『わ、わーい』
この日は調理工場にワカメ専用の加工ラインが整備された。それにより、ワカメの加工がより迅速かつ効率的に行えるようになり、大量のワカメを酢の物にして供された。さらにそこには〈怪魚の海溝〉で水揚げされた水棲原生生物も混ざっていた。
鯨型マシラなどは、まさに鯨飲といった表現が似合うほどの勢いで500トンほどを平らげた。
『今日の献立はワカメステーキです。ワカメの味噌汁もありますよ』
『あ、あの!』
そしてその日、ついにミートが声をあげた。
『なんですか? おかわりもいいですよ?』
『そうじゃなくて、その。お肉が食べたいんだけど……』
『ステーキですよ?』
『たんぱくしつ!』
唸るミートに、ウェイドは内心で舌打ちをする。
初期から予想されていたことだが、ついにマシラたちがワカメ三昧の食事に飽きてきたのだ。一部の海洋生物的な外見をしているマシラたちはまだ落ち着いているが、陸生生物的なマシラは嫌気がさしているのを隠しもしない。
『おにく! おにく食べたい! おにくおにくおにく!』
『ええい、うるさいですね。お腹いっぱい食べられるだけマシだと思ってください!』
『いーやーだー! お肉食べたい!』
一度反旗を翻したミートたちは勢いづく。主にワカメが好物ではないマシラたちが中心となり、再び暴動が始まる。
『われわれはー! おにくをたべたーい!』
『にくをくわせろー!』
『われわれには食べる権利があるはずだー!』
『あるはずだー!』
警備NPCたちを次々と破壊しながら施設内を練り歩くマシラたち。結局、施設の平穏は数日で崩れた。
イザナギが翼を広げ爪を尖らせ、マシラたちを威嚇するが効果は芳しくない。間も無く、両者は正面衝突を果たし、それによって更に被害が広がっていく。
砂上の楼閣のごとく儚く崩れ去っていく秩序を見届けるウェイドの元にコールがかかる。その発信者は、レッジであった。
━━━━━
Tips
◇マシラ専用調理工場
〈マシラ保護隔離施設〉に建造された大規模な調理工場。大量の食材を迅速に扱える調理センターであり、マシラの食欲を満たすために稼働している。
機能はほぼ全て自動化されており、献立を登録すると自動で調理が行われる。
炊飯機能だけでも、一日最大200万トンの炊飯を行えるだけの能力を持つ。
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