第1105話「水中の盛宴」

 レティに連れられてやって来たのは、〈パルシェル〉の真珠宮殿に隣接した建物だった。町の中心にあるだけあって、公共施設のようなものらしく、広いホールで宴会の準備が進められていた。


「見てください! 美味しそうな食べ物がたくさんあるんですよ!」


 天井の高い室内に、ふわふわと料理が浮いている。水中で暮らす人魚たちの食文化にはスープなどの汁物はないようで、魚肉や海藻を使った一塊の料理ばかりだ。


「これは、なかなか面白い宴会だな」

「水中となると食事の光景も変わりますね。あれは魚卵でしょうか」


 天井からぶら下がるブドウのような房に近づき、よく見てみると、それが調理された大きな魚卵であることが分かる。茹でているのか、周囲の水温が少し高い。

 人魚族にとって床に立つという状態は必ずしもデフォルトではない。彼らは自由に泳げる尾鰭を持ち、直立するための足を持たないからだ。だから上下方向の空間的制約も緩く、階段や梯子がなくとも自由に行き来することができる。

 そんな特有の生活環境が、この会場に大きく反映されていた。


「しかし、胃袋の生態系で育った原生生物なんて食べても大丈夫なのか?」


 さっきカミルから忠告されたことを思い出す。ここは耐酸性粘菌の保護がなければ即死してしまうような過酷な環境だ。そんなところで育った原生生物が普通であるはずがない。

 人魚たちにとってはご馳走であっても、俺たち調査開拓員にとっては猛毒である可能性は拭いきれないのだ。


「その点は大丈夫だよ。私たちがしっかりと鑑定してるから」

「フゥ。本職が確認してるなら安心できるか」


 不安がる俺に声をかけて来たのは、〈紅楓楼〉の料理人フゥである。いつも背負っている大きな中華鍋を酸素ボンベに変えて、ポコポコと泡を漏らしながら泳いでくる。


『わんどの食い物口さ合うが心配だばって、このふとたぢに味見はすてもらったはんで、安全だど思うぞ』

「シェムも気にしててくれたのか。ありがとうな」


 準備を進める人魚たちの中からシェムがやってくる。彼らも同じ懸念を抱いていたらしく、フゥたち料理人に対して事前に声を掛けてくれていた。


『それに、こごで獲ぃる奴だげすか使ってねわげでね。たまに上がら降ってくる奴も捕まえでらんだ』

「上から降ってくる?」

『ああ』


 シェムは頷いて、上を指差す。ここは屋内だが、屋根を貫通して差し示されている先にあるのは、呑鯨竜の胃袋と食道が繋がる穴だろう。

 どうやら、シェムたち人魚は呑鯨竜が食った原生生物を胃袋の中で横取りして、自分たちの食料にしているらしい。


『なんどば見づげだのも、狩りの最中であったんだ。穴がら降ってくる奴らは水さ溶げでまるはんでな。ドロタマ投げで捕まえるんだ』

「げえっ。もしかして、俺たちも食料だと思って捕まえられたのか」


 どうして胃袋にやってきて、消化液に入る前に耐酸性粘菌の保護を受けられたのか疑問だったのだが、それが今解消された。人魚たちはあの耐酸性粘菌をドロタマと呼んでいるようで、外部から流れ込んできた原生生物にそれを投げつけて胃液から保護していたらしい。それが、彼らにとっての狩りなのだ。

 つまり、俺たちは胃袋に流れ込んでいくところを、食糧を待ち構えていたシェムたちに間違えて捕まえられたというわけだ。


「真相を聞いちゃうとなんだか反応に困りますね……」

「まあ、そのおかげで助かったんだからよかったんだよ」


 複雑な胸中で苦笑するレティたち。俺たちがもし機械人形ではなく第零期団のような有機外装を身につけた生物的な体だったなら、問答無用で襲い掛かられていたのかもしれない。

 フゥの言う通り、こうして平和的に話ができているのだから良しとするべきだろう。


「人魚は農業とか牧畜みたいなことはやってないのか?」


 宴会場に並ぶ(というより浮いている)料理はかなり多種多様なバリエーションがある。昆布巻きのような料理もあるし、巨大な魚の肝を使ったものもある。調理方法を見ても、火を使うようなものはないにせよ、茹でる、蒸す、煮込むといったことはできているように見える。

 そもそも、町の暮らしぶりを見てみても、かなり文化レベルは高い気がした。


『海藻の畑は町の端にある。家畜化でぎるような生ぎ物はいねはんで、肉は狩って集めるすかねが、なんぼでも向ごうがら来る』


 どうやら、海藻の栽培は行われているらしい。これは一度見学に行ってみたいものだ。せっかくなら、一株程度譲ってもらえるか交渉したい。カミルに渡せばきっと喜んでくれるだろう。

 逆に動物の方は家畜化できるほど柔なものがいないようだ。まあ、シェムたちと出会ってから〈パルシェル〉の監視塔に移動してくる道すがらも敵意マシマシで襲ってくるような奴らしかいなかったからな。地獄のような環境に住む原生生物は、修羅のような奴らばかりなのだろう。


『ああ、でも貝はおがれでるだ。あんまり動がねす、飼ってらどいうほどのものでもねが』


 思い出した様子でシェムが付け加える。なんと、この消化液の海で暮らす貝類もいるらしい。

 そういえば〈パルシェル〉もバカでかい真珠貝を中心にした町だったと思い直しつつ、その貝牧場にも興味が湧く。彼らの水中食糧生産技術を学ぶことができれば、ミートたちの胃袋を満たすこともできるかもしれない。


『シェムさん、宴会の準備がでぎだよ』

『おう、分がった。……そいだば皆さん、大すたもでなすもでぎねが、好ぎに飲み食いすてけ』


 シェムと話し込んでいるうちに、着々と進んでいた宴会の準備が完了した。仲間の人魚に手を挙げて応えたシェムは、ニコニコと笑って俺たちを促す。


「わーい! ありがとうございます!」

「ちょ、レティ!」


 真っ先に飛び出して行ったのはレティである。彼女は早速一番近いところから料理に手を伸ばし、躊躇なく口に運ぶ。あまりに素早い動きにラクトたちの反応も遅れるが、彼女は「ん〜〜〜!」と声をあげて目を細める。


「美味しいですよ、レッジさん!」


 レティが食べているのは、子持ち昆布のサンドウィッチのような料理だ。パンはないようだから、パンのような何か、なのだろうが。ともかく、レティは美味しそうにそれを食べている。

 勇気あるファーストペンギンとなったレティのおかげで、身構えていた他の調査開拓員たちの警戒心も消える。彼らも思い思いの料理へと泳いでいき、食事を楽しみ始めた。


「うーん。これってタッパーか何かを使えば持って帰れるのか?」

「おじちゃん! 恥ずかしいからやめて!」


 珍しい人魚料理だ。できればウェイドやカミルにも土産として持って帰りたい。しかし、そんな俺の声を聞いたシフォンが目を吊り上げて止めてくる。美味しいものはみんなに共有したほうがいいと思うんだけどなぁ。


「うーん、水中での料理はやっぱり参考になるなぁ。今後も水中戦闘は多いだろうし、色々勉強しないと」


 フゥはフゥで、人魚料理を熱心に観察している。

 陸上であれば弁当やレーションといった携行食や、野外調理で温かい料理を食べることもできるが、水中ではそうもいかない。人魚料理を参考にすることで、水中フィールドでの携行食を開発できるかもしれなかった。


「美味しいですの! この料理、ぜひリアルでも食べてみたいですの!」

「それいいですねぇ」


 フゥが勉強しているかと思えば、同じ〈紅楓楼〉の光はレティと並んで食事に没頭している。食べ方こそ上品だが、そのペースと量が尋常ではない。レティに勝るとも劣らない食欲だ。


「れ、レティさん! 私もご相伴に預かりたいです!」

「もちろん。Lettyも一緒に食べましょう。この大魔王ダコのボイルステーキも美味しいですよ」

「うへっ」


 Lettyもバタバタと泳ぎながらレティについて行っているが、あの柱みたいなタコ足を食べられるのだろうか。

 俺は近くに漂っていた魚卵のゼリーを手に取り、口に運ぶ。パチンと割れる薄い皮の中から溢れ出すジューシーなゼリーがとても濃厚な海の味がして、とても美味しい。見た目も薄く青みがかっていて透き通った宝石のようで、見た目にも美しい。


「シェムさん、海藻の稲荷寿司とかはないのかな?」

『はぁ?』


 シフォンはシフォンでシェムを困らせている。水中でも食べられる稲荷寿司は、そのうちT-1の任務を受けた誰かが作るだろ。


「ハンバーガーとかポテトでもいいんだけど」

『はぁ……?』

「シフォン、あんまり困らせるんじゃない」


 水に濡れたハンバーガーとか嫌じゃないのか。人魚料理をそのまま楽しむというのも、大切なことだろう。


「レッジ、レッジ、このジェラート美味しいよ」

「ん? おお、美味しそうだな」


 尾鰭を振って泳いできたラクトが手に持っていたのは、美しい淡い色をしたジェラートだった。水の中でも溶けださずに形を保っているが、スプーンで一口もらうと舌の上でさらりと溶けて甘みが広がる。

 地上で食べるのとはまた違う趣のあるデザートだ。


「あっちにはケーキもあったわよ。ほんと、どれも美味しそうで困っちゃうわ」


 エイミーたちもそれぞれ好きに楽しんでいるらしい。

 ここでしか味わえない珍しい料理の数々は、調査開拓員たちの人気を博していた。人魚たち自身も同じ料理を楽しんでいて、中には調査開拓員と楽しげに話しているグループも見られる。

 料理を通じて、両者の距離が縮まっていくのを感じられた。


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Tips

◇オッポチョレッペのポポピコ〜ぺぺップパプラのプイポイ風〜

 オッポチョレッペのポポピコをポッポしてピロプラした料理。ペペップパプラのプイポイのようにオッポチョレッペを仕上げている。見た目にも美しい、人魚族の定番の宴会料理のひとつ。

“本物のペペップパプラのプイポイをポッポするのはながなが大変だはんでな。ばって、オッポチョレッペでもめす、こっちの方好ぎだってしゃべるやづも多ぇくれだ。アトランティスじゃあペペップパプラポッポする前さペケプンプンすちゃーってしゃべるはんで、豪勢なもんだ”――人魚族の料理長


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