第1103話「軽はずみな発言」
『はー、平和やねぇ』
フィールド上に広げたベンチの上に腰を下ろし、温かい緑茶の入った湯呑みを手に置きながら、キヨウはおだやかな陽気に目を細める。
レッジたちが呑鯨竜の胃のなかで未知との遭遇を果たしている間も、第二次〈万夜の宴〉は進行している。キヨウたち管理者も事前に決められたスケジュール通りにフィールド各地を巡回し、そこで調査開拓員たちを激励していた。
激励と言っても、キヨウたちの業務は任務を斡旋し、話し相手になる程度のものだ。最前線から離れた〈奇竜の霧森〉に来ているプレイヤーはいわゆるエンジョイ勢が多いため、目の回るような忙しさにはならない。
「キヨウちゃん、ミスティックツリー伐採してきたよ」
『まあ、ほんまに? おおきにねぇ』
キヨウが〈奇竜の霧森〉に入ったことで、それについて来た調査開拓員たちがフィールドの開拓を促進させる。彼女がお茶を飲んでいる間にも、次々と森の木々が切り倒されていくのだ。
大型の
次々と納品されていくのは、霧森の固有種であるミスティックツリー。特殊な霧を生成し、周囲の動物たちの方向感覚を狂わせる厄介な能力を持つ樹木だ。かなり希少な種類の木であるが、木こりたちはそれを2,000本以上もまとめて持ってきた。
『助かるわぁ。これで調査開拓団も安泰やね』
「へへっ。キヨウちゃんのためならいくらでも伐採するからよ」
ぺこりと頭を下げるキヨウに、厳つい男たちは鼻下を擦って笑う。実力だけなら最前線で荒稼ぎしていてもいいくらいのものを持つ彼らがわざわざこんな場末で木を伐採しているのは、ひとえにキヨウに褒められるのが嬉しいからであった。
「しっかし、キヨウちゃんのところについてくる奴も少なくなったなぁ。どいつもこいつも最前線に行きやがって。愛はないのか」
木こりのひとりがキャンプの周囲を見渡して言う。キヨウの巡回キャンプの周囲には、それに付き従うファンたちがいる。しかし、その数はイベント開始当初と比べると如実に少なくなっていた。
大半のプレイヤーがより魅力的な褒賞品を用意していたアマツマラのところへ移ったり、竜闘祭や呑鯨竜と様々なイベントが立て続けに勃発している最前線へと集中してしまっているのだ。
熱心なキヨウファンである木こりは、そんな現状を嘆く。なんて薄情な奴らなのだと憤慨してすらいた。
『別に無理してあてに合わせてもらわんでもええんやで?』
しかし、キヨウはあまりそのことを気にしていない。彼女の目的は〈万夜の宴〉によって調査開拓活動が活発化することであり、自身のところへ人を集めることではないからだ。
管理者間で人気を争うようなこともしているが、あくまでそれはイベントを促進させる活動の一環であり、本筋ではない。キヨウとしては、調査開拓員がどこで何をしていようとあまり問題ではない。
「いいや、俺は一生キヨウちゃんについていくんだ!」
だが、そんな管理者の思惑が調査開拓員の希望と合致するわけではない。腕利きの木こりは自らの意思でここにいるのだ。
拳を握りしめて力説する男に、キヨウも嬉しいような恥ずかしいような、そんな笑みを浮かべる。
「しかし、キヨウちゃんからポイントで買えるアイテムは全部買っちまったんだよなぁ」
木こりの一人が悩ましげな声を漏らすのは、〈万夜の宴〉期間中の任務達成で獲得できる作戦成果ポイントの件だった。ポイントは各管理者ごとに用意された様々なアイテムと交換することができるのだが、彼らは当然のように全てのアイテムを交換し終わっていた。あとはポイントの使い道がなく、無駄に溜まり続けているだけである。
『それなら、他の管理者のとこへ行って来たらええと思うんやけど……』
「そんな浮気はできない!」
「俺たちは誠実にキヨウちゃんだけを推してるんだ!』
『はぁ……』
管理者が当初想定していたのは、特定の管理者からポイントで全てのアイテムを交換し終えたら、別の管理者の元へ移るという動きだった。しかし、彼らのような熱心な一部の調査開拓員は、使い道のないポイントを延々と稼ぎ続けている。
任務をこなしてポイントを稼ぎ続けること自体は、管理者としては歓迎すべきことである。しかし、そのポイントの使い道がないというのは、正当な報酬が用意できていないということで、キヨウも心苦しく思っていた。
仮に彼女が素直にその心情を吐露したとしても、彼らは問題ないと即答するだけ、というのもまたかえって気を遣ってしまう。
『ねえ、あんさんがた』
キヨウは少し思案顔になり、ベンチから飛び降りる。
木々が薙ぎ倒され、開けた森の中に差し込む陽気にぐっと体を伸ばしながら、彼女はかねてから温めていたアイディアを口にする。
『実は、作戦成果ポイント引き換えリストのアイテムを全部交換し終えた調査開拓員向けに、新しい報酬を用意しようとおもてるんよ。いくつか案があるんやけど、聞いてもらってもいい?』
「あ、新しい報酬!?」
「そんな、俺たちは報酬目的で働いていたわけじゃ……。しかし、新しい報酬とは」
「気にならないわけじゃないな」
そっと口元に手を当てて内緒話でもするかのように囁くキヨウ。彼女の声にぶるぶると震えながら、男たちは予期せぬ展開に浮き足立つ。
興味津々と目を光らせる彼らに、キヨウは微笑んで顔を近づける。
『いまのとこ、あてが考えてるのはな……』
「はぅっ」
キヨウの吐息が耳元に触れ、厳つい男が声を上げる。せっかくの貴重なASMRに雑音が混じってしまった他の男が、反射的に声をあげた男の足を踏み潰した。
森の中に絶叫が響き、仕切り直される。
『……一定期間、管理者の衣装を好きに変えられる権利とか。どうやろ?』
「なっ――!?」
キヨウからの提案に衝撃が走る。周囲で聞き耳を立てていた他のプレイヤーたちも思わず立ち上がる。
「ケモミミナースロリっ子キヨウちゃんが見られるって……コト!?」
「待て待て。白無垢着てくれるだけでいいんだ」
「やっぱりここは王道を行くビキニアーマーをだな」
「ええい、こうしちゃいられん。キヨウちゃん、ありったけの任務を俺に!」
それぞれが夢想していたキヨウの姿を口にしながら、調査開拓員たちはキヨウに殺到する。
単なる思いつきを話しただけだったキヨウは、そんな彼らの反応の大きさに驚きを隠せないでいた。
彼女としては、ただの軽はずみな思いつきだったのだ。彼女が管理するシード03-スサノオ〈キヨウ〉は周辺に広がる〈角馬の丘陵〉で良質な綿花が取れることから、織布業が盛んである。〈キヨウ〉のトレードマークとも言える和風の衣装をはじめ、様々に工夫を凝らした装備を販売する服飾職人たちが集まっている。そんな町の様子を見ていたため、自分でも少し衣装を変えることに興味を持っていた。
なにせ、管理者はなんの変哲も面白みもない、シンプルなワンピースしか着れないのだから。
『あの、ちょっと。これはまだあてが考えとるだけで……。決まったわけじゃないんやけど……』
困ったように弁明するキヨウのか細い声は、彼らに届くこともなかった。
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Tips
◇ミスティックツリー
〈奇竜の霧森〉に根付く希少な樹木。特殊な幻惑作用のある霧を生成し、周囲の原生生物を遠ざける。調査開拓用機械人形も近づくだけで各種センサーに異常をきたし、“混乱”の状態異常が発生する。また、25%の確率でダメージを無効化する。
“迷いの森の奥地に隠れる神秘的な木。その内に宿す力は、多くのものを惑わせる。”
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