第1102話「人魚姫の故郷」

 真珠宮殿の中で待ち構えていた巨大な人魚、ベンテシキュメは俺たちを見下ろして恭しく頭を下げた。これまで出会った人魚たちとは一線を画する彼女に、調査開拓員たちは驚きを隠せない。


『ベンテスキュメ様はわんどの指導者だ。海底都市アトランティスおべる唯一の生ぎ残りじゃ』

「アトランティスの生き残り!?」


 シェムの言葉に耳を疑う。

 ベンテシキュメは身長3メートルを超える大きな身体をしているが、その顔立ちは若い少女のものだ。しかし、これまでの話が正しければ、〈アトランティス〉が暴走を始めて人魚がここに逃げて来たのは数百年前のこと。シェムのような〈パルシェル〉で生まれ育った世代すらいるほどの時が経っている。


「つまり、ベンテシキュメさんは……」

「数百歳なのか」


 にわかには信じがたいが、海棲生物は時に生きた化石と呼ばれるようなものもいる。“生命の種”に近い人魚族であれば、それだけの寿命を持つのかもしれない。


「あれ? でも変ですね。ベンテシキュメさんは胃袋の消化液に耐性を持たない人魚なんじゃないですか」


 レティの鋭い指摘が入る。

 元々呑鯨竜の貯蓄袋に住んでいた人魚たちは、強力な消化液の満ちる胃袋には適応していなかった。長い時間と犠牲を払いながら、世代を重ねることで胃液に耐えうるように進化して来たのだ。

 〈アトランティス〉時代の人魚であるベンテシキュメは〈パルシェル〉の環境には耐えられないはずだった。


『たすかに、わっきゃこの町の水の中泳ぐごどはでぎね』


 そんなレティの問いに、ベンテシキュメは深く頷く。そして、自らが座る真珠宮殿の美しいパールピンクの壁に目を向けた。


『ばって、この宮殿がわーば守ってけでいるんだ』


 彼女は壁を優しく指先で撫でる。

 それを聞いて、俺は自分にまとわりついていた粘菌を引き剥がしてみる。


「ちょっ、レッジさん!?」

「大丈夫だ。この宮殿内だと消化液が中和されてるらしい」

「ええっ?」


 突然奇行に走った俺を見て周囲がざわつくが、いっこうに溶ける気配がないのを見ると訝しげな顔になる。

 呑鯨竜の消化液は冗談じみた力を有しており、耐酸性粘菌の保護がなければどのような防御手段を講じても瞬く間に溶けてしまう。しかし、真珠宮殿の内部であればその効果が発揮されないらしい。


「この辺りでも大丈夫みたいですね」

「宮殿から一歩でも出ると――ミ゜ッ!」


 すぐさま検証を始めた騎士団メンバーの尊い犠牲によると、消化液が中和されている範囲はちょうど宮殿の境界と同じで、一歩でも外に出ると容赦なく消化液が溶かしにかかる。逆に、宮殿の中にいれば耐酸性粘菌がいなくても平気だった。


「どうやら、この真珠貝が何かしらの方法で消化液を中和しているようですね」

「まあ見たところ原始原生生物とかなんだろうな。そういう力を持っててもおかしくないか」


 原始原生生物でよく知られているのは〈ウェイド〉の植物園に収容されている植物が大半だ。各地のボスエネミーなどはより原始的な原生生物ではあるらしいが、原始原生生物というほどでもない。

 原始原生生物の一番の特徴は、天変地異レベルの強大な力を有しているということだ。呑鯨竜の即死級の消化液を調和し続けながら町を形成するほどに成長する巨大な真珠貝も、原始原生生物といってよいだろう。

 〈アトランティス〉の暴走から逃げてきた人魚たちが幸運だったのは、この真珠貝を見つけることができたこと。これが天然の避難所となり、人魚たちが消化液に適応するだけの時間を稼ぐことができた。消化液に耐える人魚が生まれたことで、〈パルシェル〉が築き上げられた。

 しかし、〈アトランティス〉最後の住人であるベンテシキュメは消化液に耐えられない。彼女はこの宮殿の外には出られない。


「正直なごどしゃべるど、わんどはアトランティスにそごまで興味はねじゃ。ばって、ベンテスキュメ様はあの町で生まぃで、あの街でおがった』


 シェムたち若い人魚は〈アトランティス〉を知らない。生まれた時から消化液への耐性を持ち、こちらの海で自由に泳ぐことができた。彼らの故郷はここ〈パルシェル〉なのだ。

 しかし、ベンテシキュメにとっては違う。〈アトランティス〉から逃れてきた人魚の最後の一人である彼女にとっての故郷は、どれほど長い時を〈パルシェル〉で過ごそうと〈アトランティス〉であることに変わりはない。

 シェムたちは彼女のそんな複雑な心境を慮って、彼女のために〈アトランティス〉を取り戻してほしいと俺たちに頼んできたのだ。


『お願いすます。なんどの力でなんとが助げでけねべが』


 なぜ暴走した町を取り返したいのか。その理由を明らかにした上でシェムは再び頭を下げる。

 俺は一度、レティたちの顔を窺う。しかし、すでに答えは決まっていた。


「俺たちにできるだけのことはやる。――一緒に、〈アトランティス〉をぶん取りに行こうか」


 人魚族と調査開拓団。両陣営の協力関係が結ばれた。


━━━━━


都市管理中枢制御術式UMCCFによる活動ログ:


都市機能の診断が完了しました。


現在、生体保管封印区画No.0001から9999、物資保管区画No.0001から9999、封印維持区画No.0001から0010、都市防衛区画No.0001から1000、都市防衛支援区画No.0001から2000、都市中枢区画No.01、生体的実験管理区域No.0001から5000、危険生物封印廃棄区画No.0001から0005が機能停止状態もしくは制御不能状態にあります。


[ORDER:生体保管封印区画の診断]


生体保管封印区画の診断を実行します。


……


……


生体保管封印区画の診断が完了しました。


現在、生体保管封印区画No.0001から9999は通信途絶状態、制御不能状態にあります。また過去の定期保全術式の実行記録から、機能停止状態もしくは壊滅状態にあると推測されます。この推測に対するUMCCFの自己信憑性判断結果は98.9999%です。


[ORDER:汚染術式の被害調査]


汚染術式による被害調査を実行します。


……


……


汚染術式による被害調査が完了しました。


汚染術式の都市内部への侵蝕率は0.00001%以下です。


ただし、生体保管封印区画No.0001から9999、物資保管区画No.0001から9999、封印維持区画No.0001から0010、都市防衛区画No.0001から1000、都市防衛支援区画No.0001から2000、都市中枢区画No.01、生体的実験管理区域No.0001から5000、危険生物封印廃棄区画No.0001から0005は現在機能停止状態、もしくは通信途絶状態にあるため、被害調査が万全には行えていない可能性があります。


[ORDER:汚染術式の侵食箇所調査]


汚染術式による侵食箇所の調査を実行します。


……


……


汚染術式による侵食箇所の調査が完了しました。


汚染術式による侵蝕を受けている可能性が高いのは生体的実験管理区域No.0090、0099、3333、7811、8219、危険生物封印廃棄区画No.0001から0005です。


ただし、生体保管封印区画No.0001から9999、物資保管区画No.0001から9999、封印維持区画No.0001から0010、都市防衛区画No.0001から1000、都市防衛支援区画No.0001から2000、都市中枢区画No.01、生体的実験管理区域No.0001から5000、危険生物封印廃棄区画No.0001から0005は現在機能停止状態、もしくは通信途絶状態にあるため、被害調査が万全には行えていない可能性があります。


[ORDER:汚染術式除去術式の実行]


汚染術式除去術式を実行します。


汚染術式除去率0%


汚染術式除去率0%


汚染術式除去率0%


汚染術式除去率0%


……


……


[ORDER:汚染術式除去術式の停止]


汚染術式除去術式の実行を停止します。


[ORDER:都市管理中枢制御術式UMCCFの自己調査]


都市管理中枢制御術式UMCCFの自己調査を行います。


都市管理中枢制御術式UMCCFは現在、術式リソースの0.7%が破損しています。


都市管理中枢制御術式UMCCFは現在、術式リソースの7.7%が汚染術式の侵蝕を受けています。


都市管理中枢制御術式UMCCFは現在、術式リソースの33.9%が自己閉鎖隔離処理を実行しています。


都市管理中枢制御術式UMCCFは現在、術式リソースの26.2%が緊急的自己防御処理をしています。


都市管理中枢制御術式UMCCFは現在、術式リソースの32.5%が正常に稼働しています。


[ORDER:都市管理中枢制御術式UMCCFの緊急停止]


無効な指令です。適切な指示を与えてください。


[ORDER:都市管理中枢制御術式UMCCFの緊急停止]


無効な指令です。適切な指示を与えてください。


[COMMAND:shutdown]


無効なコマンドです。適切なコマンドを入力してください。


[COMMAND:shutdown FROM:Poseidon]


無効なコマンドです。適切なコマンドを入力してください。


[COMMAND:shutdown FROM:Fighting Spirit]


無効なコマンドです。適切なコマンドを入力してください。


[COMMAND:shutdown FROM:Eulb-pyupoy]


無効なコマンドです。適切なコマンドを入力してください。


都市管理中枢制御術式が異常な存在を検知しました。都市に対する敵対的行動を確認しました。都市管理中枢制御術式が自立防御システムを行使します。都市管理中枢制御術式が敵性存在を速やかに排除します。都市管理中枢制御術式が全てを抹殺します。


都市管????枢制御術式が異常な存在を検知しました。??市に対する敵対????動を確認しました。??市管????枢制御術式が自立防御シス????を行使します?????市管????枢制御術式が敵性存在を???やかに排除します?????市管????枢制御術式が全てを抹殺します??


驛ス蟶らョ。逅?クュ譫「蛻カ蠕。陦灘シ上′逡ー蟶ク縺ェ蟄伜惠繧呈、懃衍縺励∪縺励◆縲る?蟶ゅ↓蟇セ縺吶k謨オ蟇セ逧?。悟虚繧堤「コ隱阪@縺セ縺励◆縲る?蟶らョ。逅?クュ譫「蛻カ蠕。陦灘シ上′閾ェ遶矩亟蠕。繧キ繧ケ繝?Β繧定。御スソ縺励∪縺吶?る?蟶らョ。逅?クュ譫「蛻カ蠕。陦灘シ上′謨オ諤ァ蟄伜惠繧帝?溘d縺九↓謗帝勁縺励∪縺吶?る?蟶らョ。逅?クュ譫「蛻カ蠕。陦灘シ上′蜈ィ縺ヲ繧呈柑谿コ縺励∪縺吶?


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Tips

◇緊急救難信号発信ホイッスル検知記録

 第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉第一域〈怪魚の海溝〉にてホイッスルの反応を検知。座標特定、情報収集に努める。

 なお、ホイッスルの識別番号は第零期先行調査開拓団員第二開拓領界統括管理者エウルブ=ピュポイのものと合致している。


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