第1101話「人魚の姫君」

 呑鯨竜の胃袋にある人魚たちの町〈パルシェル〉は、巨大な真珠貝を中心にしていた。監視塔や町の建物全てが真珠によって作られており、白く輝く美しい町だ。


「すごいですね……。こんな町があったなんて……」


 〈パルシェル〉の景観に調査開拓員たちは息を呑む。そんな彼らの反応に、シェムたち人魚族も鼻を高くしていた。


「〈アトランティス〉の暴走から逃れた人魚族が築いた町ですか。まさか、全て真珠でできているとは」

「こりゃあ建てるのに数百年は必要だろうな。よくこんなもんを作ったもんだ」


 町を見渡してアストラやクロウリも驚きを隠せない。特にクロウリは街全体を構成する真珠質に関心どころか畏怖の念すら抱いているようだった。


「素晴らしい宮殿ですの! ぜひ隅々まで見せていただきたいですの!」

「げぇっ!? おかっ、光さん!?」


 町の中央にある真珠宮殿が面前に現れた瞬間、後方から聞き覚えのある声がする。いち早く反応したレティは、調査開拓員たちの中から飛び出してきた金髪メイド服の少女に驚きの声をあげた。

 突如現れた〈紅楓楼〉のタンク、光は相変わらず重たそうな金色の特大盾を背負って、亀のようにバタバタと泳いでいる。いくら重量過多であろうと、水中であれば多少の〈水泳〉スキルがあれば泳ぐことができるのが、このゲームの不思議なところだ。


「〈紅楓楼〉も来てたのか」

「当然だろ。こんな面白そうなイベントを逃す手はない」


 光を追ってやって来たのはカエデ率いる〈紅楓楼〉の面々である。リーダーのカエデに声を掛けると、彼はちらりとトーカの方を見てから手を上げた。


「そもそも、フゥちゃんのおかげでここに入れたんですからね」

「そうそう。もっと感謝してもいいからね」


 モミジとフゥも潜水装備に身を包み、完全な体勢で現れる。

 呑鯨竜の体内に入るため、フゥにはかなり頑張ってもらった。だからてっきり、彼女たちは呑鯨竜の外で休んでいるものとばかり思っていたのだ。


「宮殿といえば私、私といえば宮殿。というわけであの宮殿もぜひ拝見したいですの!」

「ちょ、光さん。落ち着いてください。今大事な感じの時なんです」


 キラキラと目を輝かせる光をがっちりと掴み抑えるレティ。いつもはレティが突っ走る側なだけに、少し新鮮な光景だ。


『心配すねばって、今がら案内する』


 はしゃぎ回る光の様子を見て、シェムが苦笑する。

 そうして彼は再び泳ぎだす。向かう先はもちろん、町の中心にある宮殿だ。


『なんどにぜひ会ってもらいで人がいるんだ』

「会ってもらいたい人?」


 シェムの案内で〈パルシェル〉の街中を進む。監視塔から続く歩廊はそのまま広い通りへと姿を変えて、真珠宮殿まで一直線に繋がっている。そこを調査開拓員たちがぞろぞろと大名行列のごとく連なって移動していると、白い建物の影から人魚たちが興味深げに顔を覗かせる。

 時折、自分たちの魚体を触って何やら話し込んでいるのを見るに、俺たちの二股に分かれた足が物珍しいのだろう。もしくは、〈白鹿庵〉や一部のプレイヤーが青領巾を付けているせいで混乱してるかもしれない。


「おお、近くで見るとさらに大きいですね」


 町を進み、ついに真珠宮殿の足元へとやってくる。巨大な真珠貝が地面に埋まり、すり鉢状に凹んだ中心に、大きな真珠がある。周囲には武装した人魚たちがずらりと並んでおり、警備体制も万全を期しているようだった。

 やはり宮殿というだけあって、その中にはかなり重要な人物が待ち構えているのだろう。


『こっちだ』


 緊張感と期待感を胸に、シェムの後を追う。警備の人魚たちの油断のない視線を浴びながら、真珠の内部へと足を踏み入れる。


「おお……」


 真珠宮殿の中は、荘厳な空気に満ちていた。広くくり抜かれた真珠の内壁に、細やかな彫刻が彫り込まれている。泡の中で眠る町、突き出した砲塔、炎と雷……。それらの彫刻は、おそらく〈アトランティス〉が壊れた当時のことを記録しているものなのだろう。

 宮殿内は多層構造になっており、壁画のある回廊の内側に一回り小さな真珠が入っている。それでもビルのような大きさだが、その中に入るとより厳重な警備が敷かれていた。


『この奥だ』


 シェムが案内したのは、宮殿の最奥にある扉の前だ。両開きの重厚な扉は、それだけで内部にいる存在の高貴さを醸し出してくる。

 厳重に扉を守る衛士たちが、シェムの顔を見て通行を許可する。俺たちも意を決して、その中へと入った。


『――よぐぞいらっしゃった、白ぎ神の信奉者だぢよ』


 女性の声がする。

 扉の奥へと足を踏み入れた俺たちは、そろって呆然として足を止めた。

 部屋の中央には、海綿の敷き詰められた柔らかな玉座。そこに身を沈めてこちらを見下ろすのは、鮮やかな桃色の髪を水に広げる、美しい女性。柔らかな丸みを帯びた身体を薄い布で包み、髪には珊瑚の飾りを着けている。

 相変わらず翻訳機から流れ出す音声は訛りのきついものだが、彼女自身から発せられる声は透き通るように美しい。

 そして何より――彼女は巨大だった。


「でっ」


 レティが愕然として見上げていた。

 彼女の視線の先にあるのは、豊かな海を象徴するかのような豊満な胸。とはいえ、それだけではない。尾鰭を折りたたんで座っている今の状態でなお、3メートルを余裕で超える巨体であった。


『わんどの姫様、ベンテシキュメ様だ』


 シェムが彼女の名を伝える。

 ベンテシキュメは俺たちを見下ろし、長いまつげを伏せて恭しく頭を下げた。


━━━━━

Tips

◇真珠宮殿

 海底街〈パルシェル〉の中心にある巨大な真珠をくり抜いて築かれた宮殿。天然の真珠による建築物で、非常に硬く堅牢。

 内部には人魚族の姫が住まい、彼らを導く。


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