第1098話「こわい海の中」
潜水艦の腹から出てきた俺たちを見て、近くを泳いでいた人魚たちは驚いた顔になる。何か不思議なことでもあっただろうかと考えて、すぐに気付いた。今まで二本足で立っていた奴らが突然自分たちと同じ半人半魚の姿で現れたのだ。それはびっくりしても仕方がない。
「わっしょい!」
『ポポポッ』
とりあえず挨拶代わりにわっしょいと言っておけば、向こうもポポポと返してくれる。俺たちがついていくことは彼らにも伝わったようで、人魚は再び泳ぎ出した。
「レッジさん!」
「アストラか。大変なことになったな」
騎士団の戦艦の方から、人魚姿のアストラがやってくる。当初予定していた展開とは随分異なる現状に苦笑して言うと、彼は爽やかに笑って頷いた。
「さすがはレッジさんといった感じがして楽しいですよ」
「どういうことだ?」
彼が言っていることの意味はいまいち理解できなかったが、まあいいだろう。
「こ、こんにちは……」
「おお、アイも来てくれたんだな」
「副団長ですので」
アストラの背後から現れたのは、金魚のようなヒレを水中に広げたアイだった。水の中で流れるローズゴールドの髪によく似合っている。そして、彼女もわざわざ水着を用意してきたようで、恥ずかしそうに体をななめにしている。
「アイもそういうの着るんだなぁ」
「うぅ」
いつもは騎士団の副団長としての戦闘服くらいしか見たことがないため、水着姿で人魚になっているアイは物珍しい。思わずそんな言葉を漏らすと、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「似合ってるぞ。可愛い感じがする」
「うぐぐぐっ」
こう言う時は褒めるが吉と言うわけで率直な感想を伝えると、アイは複雑な表情で何やら唸った。タイプ-フェアリー向けの装備は全体的に可愛らしい雰囲気のものが多くて微笑ましいな。
「アイさんも気合い十分ですね」
「わたしが言うのもなんだけど、絶望的に水着映えしないシチュエーションだよねぇ」
レティたちもアイやアストラの水着姿に感嘆する。たしかに周囲の状況としては真っ暗な海に粘菌がふよふよと浮いているような光景で、常夏の南国ビーチとはいかないが、これもまた趣があっていいかもしれない。
俺がアストラたちと軽く話している間にも、騎士団の戦艦からは続々と人魚化したプレイヤーが飛び込んでくる。彼らは何やらハイテクそうな機械を片手に、近くを泳いでいた人魚たちに話しかけていた。二言三言言葉を交わして、何かを書き込み、機械を操作するというような動きを繰り返している。
「道すがら、人魚の言語――便宜上水中言語としますが、そちらの解読も行います。レティさんは心強いですが、辞書を作るのも大切ですから」
「分かった。助かるよ」
レティのおかげである程度人魚との意思疎通も図れるが、その正確性を担保するものはない。レティも厳密に彼らの言葉を理解しているとは言い難い上、今後も彼女に頼り切るというのも難しい。
そんなわけで、アストラは地下言語と同様に翻訳機や辞書を作成するための情報収集を早速始めてくれたようだった。
『ポッポッポッ!』
その時、突如これまでとは声色の違う人魚の叫びが水中に響いた。その瞬間、今まで和やかな雰囲気だった人魚たちに緊張が走る。彼らは手に持った武器を構え、油断なく周囲に目を向ける。前後左右だけでなく、足元にも警戒しているのは、三次元的な動きが強要される水中ならではだろう。
「おそらく警告の言葉だろう。何かしらの原生生物が襲ってくる可能性がある」
「総員、戦闘準備!」
アストラの号令で騎士たちが武器を構える。彼らが周囲に展開し、隊列を整えた直後、真下から猛烈な勢いで黒い影が迫ってきた。
『ポポッ!』
即座に人魚が銛を投げるが、わずかに逸れて避けられる。
「ぐわーーーっ!?」
その黒い影は大きく口を開けて、騎士団の一人を丸呑みにした。
「鬼殺し、死亡!」
「鑑定できました! 原生生物“ブラックロッククラッシャー”、大型の鯛です!」
「鯛ぃ!?」
団員一名の犠牲と引き換えに正体が判明する。滑らかに身を翻し再びこちらへ迫ってきた巨大な魚は、黒い鱗を持つ鯛だった。大きく開いた口から、鋭い歯が見える。名前の由来はあれで岩をも砕くからだろうか。
「『
即座に騎士団の機術師が詠唱を完了させる。放たれた雷球は大きく広がり、網の目を展開する。鯛はその網目を掻い潜ることができず、強烈な電流を流し込まれる。しかし――。
「なにっ!?」
もはや避ける素振りも見せず、鯛は強硬に網を突破する。その体を包む分厚い黒鱗が雷撃を阻んでいるようだった。
「『ウェーブスラッシュ』ッ!」
再び騎士団による攻撃。波濤の勢いで迫る斬撃が鯛を撫でるが、鱗の鎧がまたもや防ぐ。
「クソ、めちゃくちゃ硬い!」
「ハンマーもってこい!」
高い機術耐性と物理防御力に悲鳴が上がる。大盾を構えた重装盾兵が急いで壁を作ろうとするが、水中では効果的な陣形がなかなか組めない。
「水中戦はまだまだ研究の余地がありそうですね」
しばらく戦闘を注視していたアストラが、短い言葉をこぼしながら聖剣の柄に手を伸ばす。彼が鯛の襲撃に決着をつけようと動き出した、その時だった。
「てやややーーーーいっ!」
魚雷のように勢いよく飛び出していく赤い影。それはハンマーを鯛の横腹に叩き込む。防御力の高い相手を得意とする打撃属性、その強烈な一撃が鯛を吹き飛ばす。
「Letty!」
「任せてください! せぇえええいっ!」
くの字に折れ曲がって吹き飛んだ鯛の行き着く先には、レティと同じ姿をしたLettyが先回りしていた。彼女は溜めに溜めていた力を解放し、飛んでくる鯛を迎えうつ。ボゴン、と鈍く痛々しい音がして、黒い鱗が周囲に散らばる。鋭角に吹き飛んだ鯛は、まだ許されない。
「来たわね。『連鎖の拳』『俊穿拳』ッ!」
レティとLettyと共に作り上げる三角形の頂点で待ち構えるエイミー。ポキポキと指を鳴らしてニヤリと笑う彼女の、猛烈な連打が鯛の鱗を破壊する。
「てややーい!」
「せええいっ!」
「はああああっ!」
「てややーい!」
「せええいっ!」
「はああああっ!」
エイミーが返す先にいるのはレティ。テクニックのクールタイムを終えた彼女は再びハンマーを振ってLettyへと飛ばす。Lettyもまたエイミーへと飛ばし、エイミーはレティへ。〈白鹿庵〉が誇る三人の打撃戦士たちによるトライアングルアタック。相手は死ぬ。
「む、むごい……」
『ポポポ……』
水中だろうが関係ないと洗練されたチームワークを見せるレティたちに、騎士団員たちが悔しそうな顔をする。武器を掲げて戦意を高めていた人魚たちも、目を丸くしてその戦闘を見ていた。
「とりあえず、ここは友好的な奴らばかりってわけじゃなさそうだな」
「そうですね。周囲を警戒しつつ進みましょう」
『ポッ。ポポポ……』
アストラは騎士団員たちを死角ができないように配置し、周囲を監視させる。そうして何もなかったかのように泳ぎ出した俺たちを見て、先導役の人魚が何やら言いたげな顔をしていた。
「団長! 今度は下方から大量のクラゲの群が!」
「ぐわーーーっ!」
「範囲攻撃機術の準備を!」
鯛の迎撃が落ち着いた直後、再びまた別の原生生物がやってくる。暗い水底から現れたのは、青白く発光する幻想的なクラゲの群れだ。夥しい数のクラゲが、長い触腕を揺らしてこちらへやってくる。近くを泳いでいた調査開拓員が一人、バチバチと電流を流して爆発四散し、人魚たちが逃げ惑う。落ち着く暇もない展開にアストラが指示を送るが、騎士たちが動き出す前にクラゲの侵攻は押し返された。
「『
凍りついた真紅の血。恐ろしい血の氷が驟雨のごとく降り注ぐ。
クラゲの傘を破り、触腕を千切り、そのたびにHPを削ぎ落とす。
「珍しいな。変わり種の術式か?」
「ふふん。最近“血”のアーツチップを手に入れたんだよね。HPの割合ダメージと吸血効果があって、なかなか便利なんだよ。それにかっこいいでしょ?」
血の氷雨を降らせたラクトは誇らしげに胸を張る。彼女の扱うアーツはどれも青白い氷の姿をしていたから少し新鮮だが、なかなか凶悪な効果を持っているようだった。
『ポポッポ……』
千切れたクラゲの断片が水中に漂い、溶けた血で赤黒く染まった水を彩る。夜桜の舞い散る花弁のような幻想的な光景に息を飲んでいると、人魚たちがちょっとだけ遠くに離れていた。
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Tips
◇『
五つのアーツチップで構成される水属性攻性機術。広範囲に凍結した鋭い血の雨を振り撒き、多数の敵性存在にダメージを与える。対象の現在HPに対する8%の割合ダメージを与え、そのうちの3%を自身のLPに還元する。
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