第1094話「野外調理」
呑鯨竜が潜んでいる珊瑚礁地帯は、俺たちが最初に訪れた時から大きく姿を変えていた。あれだけの巨体が動いたのだから、当然と言えば当然なのだが……。
「これはなかなか、凄いことになってるな」
「まるでデッカい隕石でも落ちてきたみたいですねぇ」
アンカーを下ろして停泊した潜水艦の甲板に出て、轟音と霞の舞い上がる大穴を見下ろす。ごうごうと猛烈な勢いで海水が流れ込んでいるが、未だにそれが埋まる様子は見えない。
呑鯨竜が潜んでいた珊瑚礁は根底から破壊され、巨大なクレーターのようになっていた。そして、その巨大な楕円形の穴のそばに、その空間をそっくりそのまま移したかのように巨大な島が現れている。否、あれは島ではない。黒黒とした体躯に巨大なヒレをつけた、巨大な鯨型の竜だ。
状況としては、海底に埋もれていた呑鯨竜が動き出しただけ。少し場所を移動しただけだが、たったそれだけで巨大な島が出来上がるのだからスケールが違う。
「上陸するの?」
「流石に原生生物はいないだろ。というか、俺たちの目標はあっちだからな」
ラクトの冗談混じりの問いかけに首を振る。そして指差すのは、ギザギザとビルのような大きさの歯が並ぶ大きな口である。俺たちは今から、あの奥に侵入しなければならない。
甲板から巨大生物の迫力に圧倒されていると、放っていたドローンが戻ってくる。プロペラの音を響かせながら帰ってきたドローンを回収し、記録した映像を確認する。偵察用ドローンには呑鯨竜の各所の様子を探らせていた。
「すきっ歯でも見つかれば良かったんだが、惚れ惚れするほど綺麗な歯並びしてるなぁ」
ドローンのデータカートリッジに記録されていた映像には、鉄壁の守りを見せる呑鯨竜の歯並びがあった。うんざりするほど巨大な図体をしているくせに、歯間は一分の隙間もない。
「レッジ、こっちは準備できたぞ」
やはり抜け道を探して忍び込むのは難しそうだ。そう結論付けたその時、軽やかな音と共に男が潜水艦に跳んできた。ゆるく着物を着崩し、腰に二振りの刀を佩いた日本男児は、〈紅楓楼〉のリーダー、カエデである。
「了解。じゃあ、早速始めるか」
第一関門、呑鯨竜の体内への侵入を果たすために考案した“おっ、こんなところに美味しそうな料理があるじゃん”大作戦。その主軸となるのが、〈紅楓楼〉に所属するあるメンバーであった。
「よーっし、それじゃあ料理を始めるよ!」
海水が流れ込む巨大なクレーターのすぐそばに築かれた巨大な仮設海上プラント。〈ダマスカス組合〉建築課が意地と根性と誇りを賭けて完成させた堅固な舞台には、大鍋が置かれている。それ一つで小さな一軒家程度はあろうかという巨大な鉄鍋で、メルたち火属性機術師たちによって猛烈に加熱されている。
そんな鉄鍋のフチに取り付けられた足場に立つのが、〈紅楓楼〉の料理番フゥであった。
彼女はいつもの装いをエプロンへと変え、その手に巨大な木ベラを持っている。そうして、高々と声を上げて舞台に立つプレイヤーたちに号令を出した。
「まずは根菜から茹でていくよ!」
「うぉおおおおっ!」
滑車が動き、巨大なカゴが運ばれる。水の張られた鍋の中に次々と投入されるのは、大量のジャガイモやニンジンといった野菜だ。綺麗に皮が剥かれ、下拵えのされた野菜が、豪快に投入されていく。
呑鯨竜の口を開けるための“おっ、こんなところに美味しそうな料理があるじゃん”大作戦とは、〈
「肉の用意をしろ!」
「うおおお、どんどん釣れぇい!」
〈怪魚の海溝〉の広大な海を、立派な船が縦横無尽に駆け回っている。彼らは次々と網を引き上げ、そこに掛かった大小様々な魚を取り込んでいく。頭に捻り鉢巻き、フィッシングウェアに防水ブーツと重装備の男たちは、〈ワダツミ〉を拠点とする漁協連の漁師だ。
一際大きな船に乗り、大音量を響かせているのは、かつて一緒に釣りをしたこともある生粋の釣り人、イソヲだ。
大きな底引網で魚群を一網打尽にする船があれば、船縁に並んだ漁師たちが長い竿で次々と立派な魚を一本釣りしていく船もある。中には捕鯨砲などを持ち出してちょっとした巨大ザメのような原生生物を狙う海の漢もいた。
「どんどん捌け! 捌いて鍋に突っ込め!」
漁船によって水揚げされた大量の海産物を、舞台で待ち構えていた解体師たちが次々と捌いていく。解体ナイフを一心不乱に振り回し、切り身を量産していくのだ。そうしてできた食材は鍋の中へと投げ込まれ、加熱されていく。
「隠し味にはチョコレート、コーヒー、ソース、ニンニク、デスソース、醤油、レッジ印の猛毒液、ヨーグルト、トマト、ハチミツだよ!」
「イエッサー!」
けたたましい音を奏でて〈ダマスカス組合〉の輸送機がやってくる。大鍋の直上で滞空した機体が、腹に抱える箱型コンテナの底部を開き、内部に満載していた数十トンのチョコレートを投下する。それが去ればすぐにまた別の輸送機がやって来て、今度は25メートルプールを満たすほどのコーヒーを注ぎ込む。
「なんというか、料理というより土木工事って感じだね」
特にやることのないラクトたちは、潜水艦の上に立ってフゥの仕事ぶりを見守っている。スケールが大きすぎて、もはや料理と言って良いのかどうかも分からないほどの大仕事だ。
「それで、これは何を作ってるの?」
隣で眺めていたエイミーが首を傾げる。鍋の中に流し込まれる食材で大体の見当はつくと思ったのだが、あまりにも大規模すぎて予想ができないようだ。
「ま、そのうち分かるさ」
「なんで引っ張るのよ」
俺はにやりと笑い、真相をぼかす。まだ、どんな料理になるかはいくつかの候補があるだろうからな。実際、ブックメーカーのサイトを見てみると、どんな料理ができるのかという賭けが始まっている。
「ていうか、わたしたちって元々ミートたちのごはんを探して来てるわけだよね。こんなに食材使っていいの?」
「げっ。あんまり迂闊なこと言わないでくれ。ウェイドに知られたら怒られるだろ」
「ええ……」
鋭いツッコミを入れてきたシフォンの言葉を慌てて阻む。これはあくまで投資なのだ。確かに大量の食材というリソースを使っているが、この作戦が功を奏せばこれ以上のリターンが返ってくる可能性も無きにしも非ずといったところなのだから。
「わっ! レッジさん、美味しそうな匂いがしてきましたよ!」
「おお。やっぱりスパイスを入れると一気に香りが出てくるな」
ぴくんと耳を揺らし、レティが敏感に反応する。タイプ-ライカンスロープの繊細な五感に少し遅れて、俺の鼻も香ばしい匂いを感じ始める。
フゥが木べらでかき混ぜる(と言っても鍋との大きさが違いすぎてほとんど効果はなさそうだが)ところへ、膨大な量のスパイスが投じられていた。香辛料とはよく言ったもので、かなり離れている潜水艦までその刺激的な匂いが漂ってくる。
「カレーかぁ。呑鯨竜ってカレー食べるの?」
すんすんと鼻を動かし、Lettyが首を傾げる。俺たちにとっては食欲をそそるいい匂いだが、呑鯨竜にとって必ずしもそうとは限らないと言いたいようだ。
「ま、大丈夫だろ」
「なんでそんな自信満々なんです?」
訝るLettyに胸を張る。
「カレーが嫌いなやつはそういないからな!」
「…………えっ、それだけ!?」
レティと同じ赤い瞳が大きく丸く見開かれる。それだけと言われても、それだけだ。カレーは誰だって大好物だろう。
「シフォンもカレー好きだったもんな」
「はえっ!? ま、まあ好きだけど……。もしかして、わたしと呑鯨竜が同列に扱われてる?」
納得がいかないとシフォンが頬を膨らませる。そうしている間にも、フゥは大鍋を煮立たせて大量のカレーを作っていく。その量は流石にレティも食べきれないだろう。総重量で数千トンという規格外、もはやカレーの海である。
「もちろん、米も用意してるぞ。炊き立てだ」
「ええ……」
連隊を組んで飛んでくる大型輸送機の一団。それが舞台に降ろしていくのは、小さなビルほどもある保温コンテナ。扉を開けると、炊き立てツヤツヤの白米が湯気と共に現れる。
「なんですかあのお米。粒が人と同じ大きさなんですが……」
遠目にみればただの白米だが、近くに立つプレイヤーと比べてその巨大さがよくわかる。
「マシラのリソース消費に対抗できるかと思って作ったメガライスって品種の米だ。炊き上げるのにかなり手間が掛かるが、味は美味いぞ」
「いつのまにそんなの作ってたんですか?」
「俺は用意しただけで、世話はカミルがほとんどやってくれたんだよ」
少し硬めに炊き上げたメガライスが、舞台の上に広げられる。〈ダマスカス組合〉が建築した海上プラントは、そのまま皿としても使えるようになっていた。
「よーっし、料理完成!」
ライスの準備ができると同時に、フゥがカレーを完成させる。周囲にはすでに強烈なカレーの香りが広がっており、俺たちも食欲を大いに刺激されていた。
「さあ、呑鯨竜! 久しぶりのごはんをどうぞ!」
フゥが声を張り上げる。
最後の問題は、Lettyの指摘した通り呑鯨竜がカレーに興味を示すかどうか。しかし、俺には一定の勝算があった。
「呑鯨竜の貯蓄袋もほとんど水だけだったからな。きっと、かなり腹が減ってるはずだ」
貯蓄袋という特殊な器官を備えることで、超長期にわたる絶食に耐えられる呑鯨竜。しかし、本来は食糧が詰まっているはずの袋には水だけが満たされ、その奥に町がぽつんと取り残されていた。
数千年、もしかしたら数万年という長い時間絶食に耐えてきた呑鯨竜に、スパイスの香りは刺激的だろう。
「さあ、口を開け」
「そーれっ!」
ダメ押しとばかりに風属性機術師たちが呑鯨竜に向かって風を送る。それはダメージを与えるほど強烈なものではなく、芳しい香りを彼の鼻先に届けるためのものだ。
そして――。
「おっ?」
「おおおっ!?」
「起きたぞぉぉおおおおおおっ!」
巨大な島が、揺れ動く。
閉じていた瞼が開き、金色に輝く瞳が巡る。そして、目の前に置かれた巨大な皿と、そこにこんもりと盛られた大量のカレーライスを見つけた。その匂いを感じ、その輝きを見て、忘れていた飢えを思い出す。
それは小さく身を捩り、大津波を引き起こしながら、ゆっくりと巨大な口を大きく広げた。
━━━━━
Tips
◇
〈料理〉〈野営〉任意の武器系スキル一種を条件とする複合ロール。フィールドでの屋外調理術を極める豪快な料理人。暖かく美味な料理は戦いで荒んだ心を癒す。
フィールド上で品質の良い料理が作れるようになる。戦闘調理術系統のテクニックの効果が大きくなる。
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