第1090話「彼女のために」
走るナナミの背に乗って、人々で賑わう街中を駆け抜ける。後ろにはミヤコが続き、その背中にはレティたちもしがみついている。目指す先は〈怪魚の海溝〉の底に閉じこもるファイティングスピリット、否、ポセイドン。お別れも言わずに一方的に消えるのは寂しいからな。
『レッジーー! 待ちなさい! 今すぐ停止して、こちらへ戻ってきなさい!』
だが、そんな俺たちを追いかける影がある。町中から集まってきた警備NPCたちが次々と枝道から飛び出してくる。各所に取り付けられたスピーカーから荒々しい声を響かせるのはウェイドである。
「もう気付いたか。ちゃんとシグナルの偽装工作はしてたはずなんだがなぁ」
『流石ニシステムソノモノヘ干渉ハデキマセンデシタカラネ。目視デ確認サレテハドウシヨウモアリマセン』
予想よりも早くやって来た追手に眉を寄せると、ナナミが冷静に答える。
ポセイドンによる一斉攻撃で呆気なく死んだ俺たちは〈ミズハノメ〉のバックアップセンターで目を覚ました。そのタイミングで警備NPCから招集命令を聞いたため、軽くハッキングして偽装工作をしつつ、町で待機していたナナミとミヤコを呼び寄せたのだ。
ウェイドに対する反抗意識があるわけではないが、今は一分一秒が惜しい。彼女たちに長々と事情を説明している暇はない。
『コレ、ワタシタチニモ破壊許可ガ降リテルンダケド』
「すまんな、ミヤコ。町を出たら気をつけてくれ」
『簡単ニ言ワナイデ!』
目の前に立ち塞がった警備NPCを、ナナミが警棒で叩き飛ばす。どちらも元は同じモデルの蜘蛛型警備NPCだが、こちらはそこにかなりの魔改造を施しているのだ。戦闘能力ではこちらが圧倒的に上である。
『少々揺レマスヨ。ゴ注意クダサイ!』
「うおおおっ!?」
言うが早いか、ナナミはワイヤーを斜め上方に向けて射出する。先端のアンカーが町の建物に突き刺さり、牽引機の甲高い悲鳴と共に機体が高く跳躍した。
前方で機銃を構えていた警備NPCたちを軽々と飛び越えて、はるか後方に着地する。四対の多脚による衝撃緩和は強力で、ティーカップを持っていても平気なくらいだ。
『フッフッフ! 定期的ニ学習データヲデフラグサレルポンピーガ、弊機ニ敵ウハズガナイデショウ!』
意気揚々と後続を突き放しながらナナミは高らかに笑う。続くミヤコも壁を蹴ってジグザグに跳躍することでバリケードを掻い潜り、その圧倒的な力量の差を見せつけた。
『レッジーーーーー!』
町中のスピーカーからウェイドの怒号がビリビリと響く。先ほどからメッセージボックスにも鬼のように彼女からの着信が飛び込んできている。相当にお冠な様子の彼女に、俺は仕方なくTELの着信を受け取った。
「はいはい、こちらレッジ――」
『ぬわーーーにがこちらレッジですか! あなた、何をやってるか分かってんですか!』
応答した瞬間に耳を突き抜ける怒声。鼓膜がビリビリと震えるのを感じながら、俺は目を閉じて頷く。
「分かってるよ。ポセイドンを連れ戻せばいいんだろ?」
『事情聴取に! 応じなさいと! 言ってるんです!』
まるで真横に稲妻が落ちたかのような声だ。俺は片耳を手で封じつつ、同じことじゃないかと反論する。
「ウェイドたちもポセイドンを何とかしたいと思ってるんだろ? これも乗り掛かった船だし、俺たちに任せてくれよ」
『それができないから止めてるんですよ! あなたから情報を得て、〈大鷲の騎士団〉や他の信頼できるバンドに協力を要請するんです!』
「アストラたちが信頼できるかどうかは置いておいて……。そんな悠長なことしてる暇があるのか?」
うぐ、とウェイドの言葉が詰まる。図星だったらしい。
ウェイドにとって、マシラによるリソース消費は一刻を争う深刻な問題だ。わざわざ情報収集をして、他のプレイヤーに連絡を回して、作戦を練っている暇はない。余裕を持ってポセイドンに対応するには時間が必要だが、彼女にはそれが圧倒的に足りない。
『ぬ、ぬぅ……』
『お主は何を言い負かされとるんじゃ。ほら、貸してみるのじゃ』
言葉に詰まるウェイドに変わって、声を発したのはT-1である。彼女は年長者らしく言い聞かせるように、こちらへ話しかけてきた。
『レッジ、これは指揮官としての命令じゃ。事態はお主らだけでどうにかできる範疇を超えておる。多少の損害は許容した上で、確実にポセイドンをどうにかできるように動かねばならぬのじゃ。調査開拓団は専門家集団による万能家なのじゃからな。お主一人で抱え込む必要はない』
俺の下で借金返済のためメイドロイドの業務を行うT-1ではなく、調査開拓団の指揮系統において頂点に立つT-1としての言葉だ。彼女は時間を掛けることのデメリットも認識した上で、それを冷静に天秤にかけて物事を判断している。
「しかし、このままだとミートたちがT-1の稲荷寿司も食っちまうぞ?」
『ぬっ……!?』
「というか、リソースの逼迫にはT-1の稲荷寿司も結構な割合で関わってるんだろ? T-2、仮に俺が事情聴取に応じたらどんな措置が取られる?」
俺は彼女が今週買い込んだ稲荷寿司の総額と、カミルによる稲荷制限の逸脱量を見ながら言う。T-1の側にいるはずのT-2はすぐさま様々なデータを走査して、結論を出す。
『推測。リソース消費量と優先順位の関数が低いものから順に制限する措置が考えられる。その場合、T-1は最低でも1週間、稲荷寿司の摂食が禁じられる』
『ぬおおおおっ!? な、なんじゃと!? それは聞いておらぬ! そ、そのような非道な行為は許されぬ!』
T-2の出した結論を聞いた瞬間にT-1は騒ぎ出す。「妾は指揮官じゃぞ! 偉いんじゃぞ!」とか「おいなりさんは的確な指揮を行うのに必須の栄養素を含んでおるのじゃ!」とか「それは妾のおいなりさんじゃ!」などと喚いているが、T-2は全て聞き流しているようだ。
「そういうわけで、俺が事情聴取に向かったらT-1は1週間稲荷寿司が食べられなくなるわけだが……」
『うむ、主様頑張るのじゃ!』
『T-1の方が呆気なく言い負かされてるじゃないですか!』
あっさりと手のひらを返したT-1にウェイドが大きな声を響かせる。
「どうでもいいですけど、この漫才町中に聞こえてるんですよね」
「管理者の親しみを深めるにはいいんじゃない?」
ミヤコの背に跨ったレティたちが何やら複雑そうな顔をしている。
『レッジさん。聞こえていますか?』
次にマイクを手に取ったのは優しい抑揚の声。
「T-3か」
全ての調査開拓員を愛で包むと宣言する彼女が、どのような方向から説得しにかかるのか。予想ができず、身構える。
『――エウルブ=ピュポイ。いえ、今はポセイドンですね。彼女のことを、きっと救ってください』
『T-3!?』
予想外の言葉に驚いていると、ウェイドも信じられないと声を上げる。
『ポセイドンは第零期選考調査開拓団員。私たち指揮官は不甲斐なくも、長く彼女たちを放置し、無視し続けてしまいました。私たちは彼女たちが傷つき、苦しみ、失望のなかで斃れた時も、それを知らず、手を差し伸べることができませんでした』
町中に響く苦しい後悔の言葉。強く調査開拓員の安寧を願うT-3の口から絞り出される、嘘偽りのない言葉。彼女は自分を責め立てていた。
『レッジさん。彼女を救ってください。そしてできることならば、伝えてください。私たちは見捨てたわけではないと。貴女が望むならば、無償の愛をもって迎え入れると』
お願いします、と彼女は締めくくる。
第零期選考調査開拓団と指揮官たちとの間にどのような事件が起こったのか、それは俺の知るところではない。けれど、彼女たちT-3は決して、ポセイドンたちのことを諦めたのではない。それだけは確かだった。
「任せとけ。しっかりと伝えてくるよ」
『レッジさん!』
指揮官たちが許しても、ウェイドだけは許してくれない。順調に進んできた道のりも、町を取り囲む高い都市防壁によって阻まれる。門は固く閉じ、その前には無数の警備NPCたちが銃口をこちらに向けて構えている。
『今すぐ止まりなさい! 私は貴方に武力を行使することも厭いません!』
「ごめんな、ウェイド」
『謝るなら――』
こん、とナナミの筐体を軽く叩く。それが合図だった。
『フロート、一部分離!』
『ミズハノメ!? 何を――ッ!』
この町の管理者はウェイドではない。
海上に浮かぶ巨大な浮遊都市〈ミズハノメ〉は、管理者の宣言と共に動き出す。
都市防壁、大門前の広場を形成する六角形の海上浮動プレート。先日のワダツミ裏観光ツアーで見学した巨大な都市のパーツが、結合部分に仕込んでいた爆砕ボルトを発動させる。互いに固く噛み合っていた歯が外れ、姿勢制御システムが停止する。ただの超重量の鉄塊と化したプレートは波を高く吹き上げながら沈む。
『ぬわあああああっ!? み、ミズハノメ、あなたレッジと内通してたんですか!』
『ごめんね、ウェイド。でもこれが一番早いと思うんだ♪』
多くの警備NPCたちを巻き込みながら、プレートが海に沈む。
それを見ながら、ナナミとミヤコは事前に用意していた兵装を展開する。それは警備NPCの機体の隙間を埋めて、塩水の侵入を防ぐ外殻だ。潜水装備を素早く装着し、一息に六角形の巨大な穴へと飛び込んでいく。
『ヒャッホーイッ!』
『トオオオッ!』
耐水処理を施していない警備NPCたちがショートしながら沈んでいくなか、ナナミとミヤコは八本の脚先を変形させ、スクリューによって海中を進む。
「ごめんな、ウェイド。説教は後で聞く!」
『レッジ――! ……ちゃんと戻ってこないと、許しませんからね!』
勢いよく声を上げるウェイド。彼女の言葉につい口元を緩めながら、俺たちは海の中を突き進んで行った。
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Tips
◇シード02-ワダツミにおける区画崩壊事故について
先ほど海洋資源採集拠点シード02−ワダツミの大門広場区画にて発生した崩壊事故は、管理者の誤操作によって爆砕ボルトが暴発したことが原因であると判明しました。事前の進入規制によって調査開拓員の巻き込みは確認されていませんが、これにより生じた損害は都市管理者を通じて確実に補償されます。
なお、管理者は「一度やってみたかった。反省はしているが後悔はしていない」と供述しており、今後の再発防止のため指揮官より厳重な注意が行なわれました。
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