第1084話「大鯨の中の海」

「――うわああああああっ!?」

「べぎゃっ!?」


 巨大な呑鯨竜の体内を流されるまま奥へ進んだ俺たちは、二股に分かれた分岐点を経て、巨大な空間へと飛び出した。一瞬、高所から空中へ飛び出したかと思うと、重力に従って落下し、広大な水面に着水する。蒼氷船が大きく揺れ、レティは強かに顔面を甲板に打ちつけた。


「とりあえず助かったのかしら」


 ざぶんと波が高く上下しているが、それが体にかかっても溶ける様子はない。胃に繋がる管を選ばずに済んだらしいと判断し、俺たちはほっと胸を撫で下ろす。

 俺たちが出てきた穴からはとめどなく海水が流れ落ちてきている。内壁は薄い赤色の肉肉しいものだが、十分な広さがあって闇が周囲を包んでいるため、とても生物の体内であるとは思えない。


「そういえば、蟒蛇蕺はどうなったんですか?」

「ああ。……なんか、反応が消えてるな」


 レティに言われて思い出す。俺とシフォンを飲み込んでいた呑鯨竜に取り付いた蟒蛇蕺は、結局海に落ちたはずだ。しかし、それが増殖して海を枯らす様子はない。それどころか、所有者である俺がログを確認すると、“呑鯨竜に呑まれました”という謎の一文と共に反応が消えていた。


『呑鯨竜はなんでも食べる食いしん坊だからな! きっともう消化しちゃってるぞ』

「ええ……」


 ファイティングスピリットは蟒蛇蕺がこの呑鯨竜の胃に送られて溶かされてしまったと語る。飲み込んでから胃に辿り着くまでの間にもかなり成長していたはずだが、それでも呑鯨竜のスケールには及ばなかったらしい。


「それで、ここはいったい何処なんだ?」

『呑鯨竜の中だぞ!』


 それは知ってる、と少女の青髪を軽く叩く。わっしょい、と彼女は声を漏らして、さらに続けた。


『ここは呑鯨竜の貯蓄袋だぞ。本当は呑鯨竜が食べ物を蓄えておく器官なんだけど、この呑鯨竜は大きくなって使わなくなったから、ここに人魚の町を作ったんだぞ』

「貯蓄袋……人魚の町……」


 要は成体となった呑鯨竜には必要のない器官を借りているのだろうか。それにしても、人魚の町とはいったいどういったものなのか。いまだにファイティングスピリットの言葉にはよく分からないことが沢山ある。


「その人魚の町ってところに行けばいいのか?」

『わっしょい!』


 とりあえず、ここから出る方法も分からない以上、彼女の指示に従うべきだろう。ファイティングスピリットは無邪気な少女のようだが、旧統括管理者であり、相応の実力は今もあるはずだ。


「レティ、とりあえず人魚の町とやらを探そう」

「了解です! って、どんなふうに探したら良いんでしょうかね?」

「人魚っていうくらいだから、水中にあると思うんだけどなぁ」


 船縁に立ち、水面を見下ろす。しかし蒼氷船に取り付けたライトを差し向けてみても、黒々とした水中を見通すことはできない。

 水中探索の状況は、先ほどと比べてもはるかに悪いと言っていいだろう。


「どうします? またテントで沈みます?」

「はええっ!? や、やだよぉ」


 レティの提案にシフォンが強い拒絶を示す。テントで水中に沈んで、呑鯨竜に丸呑みにされたことがトラウマになっているらしい。

 まあ、そうでなくともテントを使った潜航は見送るつもりだった。この呑鯨竜の貯蓄袋の中に敵性存在がいないとも限らない。むしろ、今も水面下から虎視眈々と隙を窺っていると考えた方がいい。となると、テントの防御力は少しでも上げておきたかった。


「とりあえず、船で巡ってみよう。何か見つかるかもしれん。ミカゲ、偵察はできそうか?」

「……任せて」

「れ、レティも多少は夜目が効きますよ!」


 索敵技能を持つミカゲはボロボロの満身創痍だったが、何とか船に背を預けながら立ち上がる。タイプ-ライカンスロープのレティとLettyも、モデル-リンクスほどではないにせよ夜目が効く。彼女たちが頼みの綱だろう。


「一応、ドローンも飛ばしとくか」


 更に俺も索敵用のドローンを飛ばす。〈撮影〉スキルも運用条件に入っている、特殊な撮影機材を搭載したものだ。赤外線カメラなどを備えているし、多少は役に立つだろう。


「エイミーは襲撃に備えておいてくれ」

「分かったわ」

「お、おじちゃん。わたしは……?」

「シフォンは祈っておいてくれ」

「はええ……」


 占い師の幸運は身をもって知ったところだ。彼女が祈ってくれれば、いい感じにことが運ぶだろう。


「トーカは大丈夫か?」

「けほっ。だ、大丈夫です」


 先ほど立派な魚を吐き出したトーカは、まだ多少喉に違和感があるようだがよろよろと立ち上がる。


「ごきゅっ、ごきゅっ。ぷはっ! ――いつでも行けますよ!」


 彼女は懐から瓢箪を取り出して大きく煽る。中には何かの血が入っていたようで、額から伸びる二本の角が真紅に染まる。“血酔”状態となったトーカは活力を取り戻し、刀を握って背筋を伸ばした。


「よし、それじゃあラクト。とりあえず壁にそって進もう。全体の大きさを知っておきたい」

「りょーかい。じゃあ、世にも奇妙な遊覧船ツアーに出発! ってね」


 おどけた様子のラクトの声と共に、蒼氷船が走り出す。巨大な鯨の中にいるとは思えないほど波も落ち着き、静かな闇の中だ。ライトで照らす光が水面に反射しながら、少しだけ水の中へと溶けている。


「ファイティングスピリットはどのあたりに町があるか検討は付いてるのか?」


 波を割いて走る船の上で、風に髪を靡かせるファイティングスピリット。彼女の横顔は僅かに憂いを帯びているように見えた。しかし、気になって話しかけた俺の方へ振り向いた彼女の表情は、今までと同じ天真爛漫な笑顔だった。


『わっしょい! きっとどこかに監視塔が立ってるはずだぞ! 走ってれば、向こうから挨拶に来てくれる!』

「そうか。ならいいんだが」


 彼女が言うには、人魚たちは水面上から周囲を見下ろせるように監視塔を各地に建てているという。水面から突き出したそれを見つけることができれば、わざわざ潜水せずとも人魚と接触が図れるというわけだ。


「……見当たりませんねぇ」


 しかし、どれほど船を走らせてもそれらしいものは見つからない。ゆるく動く肉の壁に沿って進むも、それらしい痕跡が見つからないのだ。


「原生生物はいるみたいだけど、水上に飛び出してくるような奴はいないわね」


 船首から水面を見下ろしていたエイミーが言う。ミカゲやLettyたちがいくつかの魚影を見つけていたが、積極的に襲ってこようとするものはいない。どれもこれも、船の騒音に驚いて逃げていく。


「これだけ何もないというのも、不思議だわ」


 Lettyも船縁に寄りかかって訝しむ。状況はどう考えても何かが起こりそうな雰囲気を醸しているというのに、不気味なほど静かな時間だけが過ぎていく。

 何もないのに神経を張り詰め続けるというのも、心身が疲弊していく。俺たちの緊張が少し緩み、コーヒーでも淹れようかと考えたその時だった。


「きゃあっ!?」

「Letty!?」


 船縁にもたれていたLettyが悲鳴を上げる。

 驚いて振り向くと彼女の姿がない。代わりに下方からジャポンと水音がした。


「ミカゲ!」

「っ!」


 即座にミカゲが動き出し、糸を放つ。しかし、Lettyは暗い水の中に沈んだようで、それを掴む手はない。


「Letty! 大丈夫か!?」

『ほぎゃっ、た、たしゅけっ! げぽっ』


 TELを通じて安否を確認する。突然水中に落ちた彼女はパニックに陥っているようで、水を飲み込んでしまっている。船内が騒然となり、レティたちは武器を構える。


「全員警戒! 襲撃に備えろ!」


 俺はそう言って、船縁に足をかける。


「レッジさん!?」

「俺はLettyを助ける!」


 そう言って、俺は暗い水の中へ飛び込んだ。


━━━━━

Tips

◇呑鯨竜の貯蓄袋

 呑鯨竜が有する特殊な内蔵器官。十分な食料を得た呑鯨竜が、余剰分を保管しておく場所であり、内部で特殊な菌類を保有しており、その力を借りて食料が発酵する。これによって大量の食料を長期間に渡って保存することができる。


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