第1082話「海を呑む」

 “蟒蛇蕺”が海水面に触れた、その時だった。

 海が大きく揺れうごき、波が高く隆起した。

 広大な珊瑚礁が轟音と共にひび割れ砕けた。

 そして――。


「うわあああああっ!?」

「レティ!」


 渦巻く激流の中、目を回して流されるレティを見つける。“驟雨”を解除して彼女の方へ手を伸ばすも、水に揉まれて離れてしまう。


「レッジさーーーんっ! わぷっ!?」

「あんまり喋るな! 呼吸に専念しろ!」


 離散と合流を繰り返しながら、俺たちはなんとか波を乗りこなそうと四苦八苦する。荒々しく泡立つ波の間からは、転覆しそうな蒼氷船やそれにしがみつくLettyたちの姿が見える。


「おじちゃん! こっち!」

「シフォン!?」


 酸素が底をつき、LPの減少が始まる。〈水泳〉スキルのない俺では、この荒波に耐えきれない。そのまま沈むかと思ったその時、突如腕を掴まれる。下がりかけた瞼を上げると、そこには氷の板に足を下ろしたシフォンがいた。


「このまま行くからね、舌噛まないで」

「うおおっ!?」


 細長い楕円形の氷板をサーフボードのように乗りこなし、シフォンは巧みに波の上を滑る。俺の体を軽々と片腕で抱えて、尻尾でバランスを取りながら、大きく渦巻く水の中心へと向かう。


「レティ! こっちだよ!」

「うびゃっ!? シフォン、何やって――」

「いいからほら、掴まって!」

「助かりました!」


 シフォンは瞬く間にレティの元へと向かうと、彼女も引き上げる。俺とレティの二人を抱えて平気な顔をしているあたり、彼女も一端の戦闘職として力を付けている。

 シフォンは俺とレティを抱えたまま蒼氷船へと向かう。ラクトが何とか転覆しないように体勢を維持している船の甲板に、投げ込まれるようにしてたどり着く。


「レッジ、無事で何よりだよ」

「状況が全く無事じゃないんだが。とりあえず、テントを展開するぞ」

「お願い!」


 甲板から立ち上がる前にテントを立て始める。大波が大波に飲み込まれるような混沌とした海の中でなんとか形を保っている船を覆うように、強化装甲が次々と展開されていく。猛烈な勢いでLPを消費し、アンプルによってどうにか命脈を繋いでいたラクトにもテントのバフが掛かる。急速な勢いでLPが回復していき、彼女はさらに大規模なアーツを使えるようになった。


「ひょわあああっ!? レティさん、無事でしたか!」

「なんとか、ですけどね。Lettyもありがとうございます」

「うへへへ。レティさんに褒められちゃった……。っと、それよりもこれはどうなってるんですか?」

「分かりませんよぉ」


 船縁にしがみついていたLettyも元気そうだ。揺れに乗じてレティの方へ移動して、彼女の腰にしがみついている。


「シフォン、トーカたちも頼む」

「任せて!」


 蒼氷船にテントが展開され、ひとまずの安定を確保できた。シフォンは再びサーフボードに乗って甲板から飛び出すと、迫り上がってきた波を滑ってトーカ達を救出しに行った。


「レッジさん、これはいったい?」

「俺にもよく分からん。ファイティングスピリットはどこにいるんだ?」


 でかい鯨に飲み込まれて、仕方なく“蟒蛇蕺”を使ったと思ったらこんな状況になったのだ。俺とシフォンは何も理解できていないまま、場当たり的に行動している。

 唯一頼みの綱となりそうなファイティングスピリットを探すと、ラクトによって船室(という名の氷室)に押し込められていた。


『わはははっ! わっしょいわっしょい! 盛り上がってきたぞ!』

「お楽しみのところ悪いが、今どういう状況なのか教えてくれないか」


 氷に囲まれた部屋の中でぴょんぴょんと飛び跳ねている少女に話しかけると、水をさされた彼女はむっとしながら教えてくれた。


『どういう状況って、ボクはみんなのために案内してるだけだぞ?』

「案内ねぇ。俺たちはどこに連れて行かれてるんだ?」

『人魚の町だぞ!』

「……人魚の町?」


 聞き馴染みのない言葉に、首を傾げる。

 俺がファイティングスピリットに頼んだのは、ミートたちマシラの腹を満たすだけの食料を獲れる場所への案内だ。人魚の町とやらに心当たりはない。


「というか、今のこの状況はなんなの? この大波は?」


 ラクトが操船しながら問い掛ける。

 突如として珊瑚礁が崩壊し、大波が立ち上がったのだ。しかも、何やら地の底へと吸い込まれているような気がする。事実、俺たちの周囲には高い壁が立ち上がっていた。


『今から呑鯨竜の中に行くんだぞ! そうしたら、人魚の町があるんだぞ!』

「ううん……?」

「呑鯨竜って、レッジたちを飲み込んでた奴なんじゃ?」


 ファイティングスピリットの元々の言語能力が拙いのか、まだ第一期団の言語に慣れていないからなのか、彼女の言葉は分かりにくい。

 どうやら、俺とシフォンを飲み込んでいた鯨のような原生生物が呑鯨竜と言うらしいが……。


『あれは呑鯨竜の子供だぞ。今ボクたちを飲み込んでるのは、大人だぞ!』

「えええっ!?」


 まっすぐな声で言われた事実に、レティたちは驚きの声を上げる。

 にわかには信じがたいものだった。

 俺とシフォンを飲み込んだ鯨は全長50メートルをゆうに超えている。あれが子供とは。そして、今俺たちは――。


「つまりここは、鯨の口の中ということですか?」

『そうだぞ!』


 無邪気に笑いながらファイティングスピリットが頷く。

 その時、周囲に立ち上がっていた壁が急激に幅を狭め、直上にあった青い空が小さくなる。


「うわああああっ!?」


 激流は勢いを増し、俺たちは蒼氷船ごと深い喉奥へと誘われる。

 俺たちは、まるで島のように巨大な鯨の体内へと滑り込んだ。


━━━━━

Tips

◇呑鯨竜

 〈怪魚の海溝〉に生息する非常に巨大な海棲原生生物。鯨に似た外見をしているが、太い牙を持ち、大型の怪獣類も捕食する旺盛な食欲を持つ。長い年月をかけて成長し、成体となれば一つの島を背に載せるほどとなる。故に成体はあまり動かなくなるが、同胞が傷付けられたり、自身の周囲に強い危険を感じた場合には天変地異のごとき激しい動きで抵抗する。


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