第1081話「些細な問題」
『――はっ!』
『どうかしたの、T-1?』
期間限定稲荷寿司を黙々と食べていたT-1が突然顔を上げる。稲荷寿司から意識を外した彼女に驚いて、隣でぬいぐるみを抱いていたT-3は怪訝な顔を向けた。
『なにか、猛烈に嫌な予感がするのじゃ!』
ぱくり、と稲荷寿司を口に運びながらT-1が言う。T-3はきょとんとしながらも、一応念を入れて近くでバグデータトリップをキメていたT-2の肩を叩く。
『T-2、各地の様子を確認してくれる? 異常があったら報告してほしいの』
『お、おおお……。はっふっ!』
『T-2!』
軽く肩を叩いても、膨大なデータの海に沈んでいるT-2は反応しない。T-3は愛を込めて彼女の背中を強く叩いた。バシン、と乾いた音が響き、T-2がトリップから戻ってくる。
『T-2、何か異常は?』
『否定。これは調査開拓団規則を照らしても合法的なデータカートリッジであり――』
『あなたのバグデータカートリッジについては聞いてないわよ。各管理者に連絡を取って、異常がないか確認してちょうだい』
口早に捲し立てるT-2にげんなりしながらT-3が改めて指示を出す。データ処理と情報提供に特化した指揮官であるT-2は、彼女の指示を受けて動き出し、コンマ数秒という刹那ののちに再び首を横に振った。
『否定。各管理者、定点観測ポイント、および通信監視衛星群ツクヨミの各種観測データを確認したが、異常と認められるものは検出されなかった』
『そう、ならいいんだけど。T-1は稲荷寿司を食べるのを中断したのよ』
『それは異常。何があったのか確認する必要があると考える』
『そうよねぇ』
T-2、T-3の間で意見が一致する。二人は改めて、テーブルに稲荷寿司を山積みにして黙々とそれを食べているT-1へと向き直った。
『T-1、何か気付いたことがあったら言ってちょうだい』
『同意。あらゆる創作物において、初期での違和感を共有しないことによって窮地に陥る事象が確認される。トラブル回避のためにも説明を求める』
『むぐぅっ!?』
同格の二人に左右から詰められてはT-1も無碍にはできない。彼女は慌てて食べかけの稲荷寿司を押し込むと、しっかりと味わってから口を開いた。
『そんなに目くじらを立てるようなことでもないのじゃが……。ほら、ファイティングスピリットの件でのう』
『新しく発見された第弐術式的隔離封印杭の管理術式ですか?』
うむ、とT-1は頷き、稲荷寿司をひとつ摘む。
『彼女は現在、調査開拓員レッジと共に第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉第一域〈怪魚の海溝〉へ調査に向かっている。通信監視衛星群ツクヨミでも、彼女の現在地は正常に捕捉している』
T-2が各種衛星と通信を行い、ファイティングスピリットの現在地を確認する。彼女は深海に潜ってツクヨミの監視下から離れるということもなく、正常に活動していた。
『それはまあ、妾も常に確認しておるからの。とはいえ、レッジと一緒というのはなかなか……』
『言いたいことは分かるけど、ウェイドから提案された特別任務は私たちも承認してるわよ』
ファイティングスピリットがレッジたちと共に〈怪魚の海溝〉に出ているのは、ウェイドが提案した特別任務によるものだ。一時的には対策が立てられたとはいえ、将来的には再び逼迫が予想されるリソースの大幅な供給増強のため、新天地での調査を命じたのだ。
〈怪魚の海溝〉はファイティングスピリットにとって、文字通り庭のようなものだ。たとえ数千年の月日が経っていたとしても、彼女ほどあの海を知っている者は第一期調査開拓団にはいない。
『レッジとファイティングスピリットの行動に何か不安な点が?』
『さっき20分ほどレッジとシフォンの通信が途絶したくらいじゃが』
『まあ、それくらいなら……』
通信中継ポイントがまだ未整備であり、深海探索の必要性が予測される〈怪魚の海溝〉では、短時間の通信途絶は十分に考えられた。通信監視衛星群ツクヨミの目は一定以下の水深に潜ると届かなくなってしまうためだ。
そのため、レッジとシフォンの行方が分からなくなった時も、T-1たちはさほど驚くこともなかった。20分ほどで二人の反応があり、ステータスを見て無事であることも確認できたからだ。
『疑問。何が問題となっている?』
『ウーム、ちょっとなぁ』
なかなか言い出さないT-1に、T-2とT-3はムッとする。彼女たちはちらりと違いに視線を交わすと、軽く頷いて動き出す。
『ぬわっ!? な、なーにするんじゃ!?』
『教えるまで稲荷寿司は没収します』
『そもそもT-1がこんなに食べるから、リソースが逼迫しているのでは?』
『ぬわあああっ!?』
T-1の両腕をガッチリと掴み、テーブルから引き剥がす二人。その鬼のような所業に大きな悲鳴が上がるが、その程度で緩むような甘さはない。だんだんと離れていく稲荷寿司に、T-1はマジ泣きしながら叫んだ。恥も外聞もなく喚いた。
『わ、分かった、言うのじゃ! 上空からの簡易広域探査で、レッジ達のおる場所のデータが不明瞭だったのじゃ!』
『不明瞭とは?』
『ぬぅ、なんと言えば良いか……。そうじゃのう、実際に見てもらった方がよいか』
拘束から解放されたT-1はテーブルに駆け戻って稲荷寿司を食べる。そうして、二人の指揮官にも簡易広域探査によって得られたデータを公開した。
簡易広域探査とは、新たなフィールドが発見された際に通信監視衛星群ツクヨミによって行われる観測調査である。光学的、電磁的な調査によって、大雑把ながら俯瞰した地形データを取得し、調査開拓員による本格的な活動の足掛かりとするのだ。とはいえ、〈イヨノフタナ海域〉は広大な海洋フィールドであり、陸地は全体の0.01%にも満たないわずかなものである。水面下の調査はツクヨミでは限界があるということもあり、簡易広域探査の重要性は低く見積もられていた。
しかし、管理者であるT-1はそれをしないわけにもいかず、ざっと調査結果を確認していた。そして、レッジ達がいる広大な珊瑚礁のあたりで小さな違和感を抱いたのを思い出したのだ。
『これとこれは、異なる時間の同一地点を観測したものじゃ。珊瑚礁を中心とした長径60km、短径20km程度のエリアがあるじゃろう?』
『ありますね。楕円形、というよりは少し細長い形ですが……』
マップを確認し、T-3が頷く。珊瑚礁を中心として、少し温度の高いエリアが広がっていた。
『これが何か?』
『浅瀬じゃと思っとったんじゃが、時間を変えると若干位置も変わっておるんじゃよなぁ』
『……本当ですね』
指摘されて気付く程度の誤差ではあるが、大陸や地面そのものであれば大きすぎる変化だった。大陸棚や活断層の変化としては、劇的すぎる。
『ツクヨミの不調かとも思うんじゃが……』
『否定。定期セルフメンテナンスは全機問題なく実行した』
T-1の主張はT-2によって否定される。通信監視衛星群ツクヨミは定期的に自己修復が行われ、常に異常がないか監視されている。仮に修復不可能な損傷があった場合には大気圏へ突入して自己焼却を行い、新たなツクヨミ衛星が配属されるのだ。
ツクヨミに搭載された高精度の観測機器による誤差と考えるには、観測結果のズレは大きすぎるものであった。
『となると、この影はなんなんじゃ?』
マップ上に浮かび上がる、巨大な影。長径60kmにも及ぶそれの正体は、T-1たちであっても予測できない。
『ひとまず、現地の調査開拓員には警戒情報を通達しましょう。特に調査開拓員レッジとファイティングスピリットには――』
看過するには大きすぎる問題であると判断し、T-3が動き出す。
その時だった。
『ぬぁああっ!?』
突然、T-1が頓狂な声を上げる。T-2とT-3が驚いて振り返ったその時、二人の元にもウェイドから緊急通報が飛び込んだ。
『緊急事態です! レッジの――いえ、ファイティングスピリットと〈白鹿庵〉全員の反応が途絶! 同時に〈怪魚の海溝〉珊瑚礁地帯で大幅な地形変化が確認されました!』
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Tips
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3個セットで8,000ビット。期間限定、一日数量限定での販売。ご予約は受け付けておりません。
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