第1079話「追い立てる海竜」

 水の中から飛び出してきたのは、見上げるほど大きな鯨であった。それは驚愕するラクトたちに影を落とし、冷たい飛沫を振り撒く。頭頂部に深々と氷柱が突き刺さり、その双眸は明らかな怒りの色を帯びていた。


「『耐え凌ぐ滑らかな三重障壁』ッ!」


 甲板へ飛び上がって来たエイミーが、咄嗟に防御機術を発動させる。三つに重なった半透明の障壁がドーム状に蒼氷船を包み込み、間一髪のところで鯨のボディプレスを受け止めた。

 大量の海水が潤滑剤となり、鯨の巨体は障壁を滑って落ちていく。


「っぶなぁ……。ちょっとラクト、びっくりするじゃない」

「わたしだってびっくりしたよ!」


 三重障壁のうち一枚が完全に破壊され、二枚目にも亀裂が走っている。なんとかその重量に耐え切れたことに胸を撫で下ろしながら、エイミーはラクトに文句をつける。あの鯨にはしっかりとラクトの目印が付いているのだから、当然の流れではあった。

 しかし、ラクトも本意ではないと強く主張する。彼女からすれば、ファイティングスピリットの要望を受けてアーツを打ったら、たまたま当たってしまっただけなのだ。


「でも、どうしてこんなところにあんな大きな鯨が?」


 そう言うのは、全身を濡らしてぐったりとしながら甲板に登ってきたLettyである。それを聞いてラクトたちもはっとする。この辺りは広大な珊瑚礁の広がる浅い海で、あのような鯨が泳げる余裕がない。であれば、あの鯨はどこからやって来たのか……。


「あっ! あそこ!」


 海面を見渡したラクトがそれを見つける。船縁から身を乗り出した彼女の指し示す先に、濁った水が広がっている。


「珊瑚礁を突き破って出てきたの!?」

「そうみたい。なんてタイミングの悪い……」


 つまり鯨からしてみれば、たまたま珊瑚礁の内部にある空間から飛び出したちょうどその時に、上から氷柱が降ってきたということだ。あまりにも間が悪い動きに、ラクトたちも思わず憐憫の情を抱く。

 とはいえ、敵対してしまった以上はどうすることもできない。向こうは明確な敵意を抱いてぐるぐると蒼氷船の周囲を巡っている。今にも襲いかかりそうな巨大な存在に、エイミーも身構える。レッジのテントによるバフがない今、何度もボディプレスを受けるといずれ耐え切れなくなってしまう。その前にこちらから攻めるべきか、と拳を握りしめた。その時だった。


「待てぇええええいっ!」

「レティ!?」


 濁った水の中から、勢いよく飛び出してくる人影。その正体を認めたエイミーは思わず声を上げる。

 鯨を追って現れたのは、禍々しい機械部品を違法建築のように膨らませた巨大な機械鎚を携えたレティであった。耳を立てて、赤いフィンを使って泳ぐ彼女は〈水泳〉スキルを持っていないとは思えないほどの機動力で鯨を追跡する。レティがハンマーを振り下ろすたび、大規模な爆発が起きて珊瑚礁に大穴が開いた。


「もしかして、レティがこの鯨を追い立ててたの?」

「そうみたいね。まったく、何やってるんだか」


 穴の中からはトーカとミカゲも続々と現れる。二人もレティの背中を追って、次々と鯨へ攻撃を仕掛けていた。


『ラクトたちは参加しなくて良いのか?』


 ラクトたちが鯨を追い立てる三人を見ていると、ファイティングスピリットが首を傾げる。


「まあ、わたしたちはレッジの帰りを待ってるだけだしねぇ」

「餅は餅屋ってことで」

「あれ? でも、レッジさんたちが食べられたのって……」


 苦笑して肩をすくめるラクトとエイミー。しかしそこで、Lettyが何かに気付く。

 確か、レッジとシフォンがテントごと飲み込まれたのは、呑鯨竜という原生生物だったはずだ。目の前を泳ぐ鯨は竜のようには見えないが――。


「えっ!? も、もしかしてアレが呑鯨竜!?」

『そうだよ? レッジとシフォンの反応もあるし』


 ファイティングスピリットの言葉に飛び上がりながら、ラクトたちは慌てて八咫鏡を確認する。そうすると、確かにレッジたちの現在地があの鯨と重なって表示されていた。


「それを早く言ってよ!」

『ええー?』


 ただの原生生物であればレティたちに任せておくが、そこにレッジたちがいるとなれば話が変わる。ラクトとエイミーは素早く視線を交わし、勢いよく蒼氷船を動かした。


「レティ! 助太刀するよ!」

「ラクト!? あの頭に刺さってるのはラクトのアーツでしたか」


 船首からラクトが叫ぶと、レティも彼女たちの存在に気がつく。あまり余裕はないようで、フィンを動かして鯨を追っている。


「あの鯨にレッジさんが!」

「分かってる! なんとか誘導してみる!」

「お願いします!」


 レティとラクトもこれまで様々な戦いを共にしてきた。多くの言葉を交わさずとも、お互いの動きは理解している。

 ラクトは周辺のマップを確認しながら、次々と氷柱を落としていく。それは呑鯨竜に直接傷を与えることはないが、間近に落ちることでその進路を少しずつ誘導する。


「うおおおっ! レッジさんを返してもらいますよ!」


 その先に待ち構えるのが、レティである。十分に力を蓄え、体勢を整えた彼女が、渾身の一撃を解き放つ。


「咬砕流、七の技――『揺レ響ク髑髏』ッ!」


 大海が割れる。その線上を泳いでいた呑鯨竜の全身に、波濤の如き衝撃が駆け巡る。その一撃は竜の骨を砕き、肉をすり潰す。硬い表皮を貫通し、浸透する衝撃だ。体の内側を混ぜ返されたような痛みに、呑鯨竜は吠える。

 そして――。


「やっと開いたか!」


 その大きく開いた口の中から、蠢く緑の蔦が勢いよく吹き出した。


━━━━━

Tips

◇『耐え凌ぐ滑らかな三重障壁』

 四つのアーツチップからなる防御機術。硬質で表面の滑らかな障壁を三重に展開する。障壁には歯が立たず、爪も掛からない。滑りやすい形状になっているため、攻撃を効率よく受け流すことができる。


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