第1074話「かかった大魚」
テントの外に取り付けたライトが照らすのは赤い口腔。ずらりと並んだ大きな歯ががっちりと噛み合って隙間もない。幸いと言うべきか、レティたちが握っているワイヤーが繋がっているため、嚥下されることはない。
「はえええええっ! もうだめだよぉ。おしまいだよぉ」
「落ち着けって。まだなんとかなるかもしれん」
俺にがっちりと抱きついて泣いているシフォンの背中を撫でて落ち着かせる。ワイヤーが千切れたのならともかく、この状態であれば死ぬことはないだろう。テントも頑丈で、噛み潰される心配もしなくてよさそうだしな。
「レティ。こっちは何かでかい海棲生物に喰われた。無事だが脱出できるかどうかは分からん」
『えええっ!?』
ひとまず船上のレティたちに現状を伝える。驚いた彼女は今にも飛び込みそうな勢いだったが、エイミーたちがそれを抑えつけた。
『生身じゃレッジのところまで潜れないでしょ』
『とりあえず、船上から引き上げられるか試してみるよ』
「よろしく頼む。こっちも何かできないか考える」
船の上のことはラクトたちに任せるとして、俺たちもただ待っているわけにもいかない。
「シフォン。テントの外に攻撃ってできるか?」
「はええっ? う、うーん……アーツは射線が通ってないとダメだし、タロットは効果が不安定だし……」
「やっぱり難しいか」
アーツも占術も遠距離攻撃ではあるが、壁越しに攻撃を放てるほど便利なものでもない。密閉されたテント内からは手が出せないと考えたほうがいいだろう。
「それこそ、おじちゃんがテントにアセットを付けて攻撃した方がいいと思うけど」
「それができれば苦労はしないんだよなぁ。機銃や鋼糸は流石に水中じゃ使えん」
「それもそっかぁ」
テントに罠を取り付けることはできるが、深海でそれを発動させるのは難しい。機雷みたいな水中専用罠も存在は知っているが、あいにく持っていない。あれも第三開拓領域開放の影響で価格が高騰しているのだ。
ただでさえ竜闘祭の負債が山積みになっているのに、そんなものを買う余裕などない。
「そうだ、シフォンが妖狐になれば」
「はえええっ!? む、無理だよ!」
あの時と同様に巨大狐フォームになれば強引に脱出できるのではと考えたが、即座に拒否される。よくよく考えてみれば、やっぱり深海という環境でそれは厳しい。
結局、色々思索を巡らせても、良いアイディアは出てこなかった。
「……仕方ない」
レティたちも懸命に引っ張ってくれているようだが、そちらも功を奏していない。俺たちを飲み込んだ犯人は、今も悠々と深い海の中を泳いでいる。俺が覚悟を決めると、シフォンがはっとこちらを見る。何か名案が思いついたのかと思ったらしい。
「押してダメなら、引いてみろだな」
「はえっ? ――はええええっ!?」
ワイヤーを繋いでいたジョイントに仕込んでいた爆砕ボルトを起動する。弾け飛んだワイヤーが大きな歯の隙間を滑って魚の口外へと飛び出す。
「何やってるのおじちゃん!?」
「いやぁ。ここまで来たら奥まで入ろうかと」
「どうしてそんな発想になるの!?」
「どうせ死んでもペナルティは少ないからなぁ」
俺の胸ぐらを掴む勢いで捲し立てるシフォン。彼女の剣幕とは裏腹に、テントが大きく揺れる。魚が舌を動かし、テントを喉の奥へと運んでいく。
「はえええええんっ!」
「しっかり掴まっとけよ!」
ぬるん、と口腔を滑り、肉に揉まれながら喉奥へと滑りおちる。蠕動する長い管の中を進み、俺たちを乗せたテントは巨大な胃の中へと飛び込んだ。
━━━━━
「うおおおおおっ! 待っててくださいレッジさん、必ず助けますからね!!」
「そーれっ! そーれっ!」
船上ではレティたちがワイヤーを腰に回してがっちりと握り、懸命に引っ張っていた。しかし、水深200メートルを超えた海の奥に沈み、謎の巨大魚に喰われたレッジたちを釣り上げることはできない。ワイヤー自体も重みを増し、海流の煽りを受けて大きく動くのだ。
「レティ、船が傾くよ!」
「そっちはなんとかして下さい!」
蒼氷船は水面に引き寄せられて深く傾き、今にも転覆しそうだった。ラクトは顔を真っ青にして船の構造を組み換え、船側から支えとなる浮きを展開する。双胴船のような形を取り、なんとか転覆だけは避けるのだ。
「ぬぬぬぬぬっ!」
「うおおおおっ!」
レティ、Letty、トーカ、ミカゲ。力自慢の戦闘職たちが一心不乱にワイヤーを引っ張る。しかし、まるで星に固定されたかのように頑として動かない。その上で、むしろ彼女たちを引っ張るように右へ左へと動き回るのだ。
圧倒的に力に差があった。
『わっしょい! わっしょい!』
〈
「ふぬぅぅぅぅっ!」
ともかく、早くレッジたちを引き上げなければならない。
レティがLettyたちと視線を交わし、力を合わせてワイヤーを引く。丁度その時だった。
「きゃぁっ!?」
突如、ワイヤーの先に感じていた重みが消える。抵抗がなくなり、体重を後ろに傾けていたレティたちは勢いよく転倒する。
「レティ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……。それより、レッジさんたちは!?」
ラクトが慌ててアンプルを用意するが、レティはそれを断る。頭とお尻を打ちつけたくらいで、LPが減るようなダメージは受けていない。それよりも気掛かりだったのは、ワイヤーの先にあるものだ。
「……ダメみたいね」
エイミーがワイヤーを手繰り寄せる。今までの緊張が嘘のように、それはするすると甲板へ引き上げられる。
そして最後に現れたのは、爆発でねじ切れた金属部品であった。
「そんな、レッジさん……」
「シフォン、大丈夫かしら」
船縁から身を乗り出して、レティたちは広い海を覗き込む。
光の届かない海の底は、彼女たちには見通すこともできない。レッジたちの痕跡どころか、彼らを飲み込んだ原生生物の姿すらわからない。
「どうしたら……」
途方に暮れるレティ。ぼんやりと立ち尽くす彼女は、ふとメッセージボックスに新着通知があるのを見つける。差出人はレッジである。
「レッジさん!?」
レティは勢いよく我に帰り、慌ててメッセージを開く。そこに添付されていたのは、数枚の画像データであった。おそらく、レッジが今撮ったばかりのものなのだろう。薄暗いが、ライトの光を受けて生々しい肉の壁が映し出されている。
「ファイティングスピリットさん!」
『なにー?』
「こ、この写真から何か分かることはありますか!」
レティは青髪の少女の元へと向かい、レッジが送ってきた写真を彼女に見せる。突然そんなものを見せられたファイティングスピリットは驚きながらもじっくりとそれを見つめ、すぐにはっと目を開いた。
『おー、知ってるぞ! 呑鯨竜だな!』
「その原生生物について、知っていることを全部教えて下さい!」
『おわわっ!?』
ファイティングスピリットの肩をがっちりと掴み、顔を近づけるレティ。彼女に気圧されながらも、ファイティングスピリットは語り出した。
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Tips
◇爆砕ボルト
爆薬を内部に仕込んだ特殊なボルト。緊急的に分離する必要のある構造などに使用される。使い捨て前提であるため費用対効果は低いが、かっこいい。
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