第1073話「果てしなき深海」

 〈老骨の遺跡島〉までは既にヤタガラスが開通し、苦も無く行き来できるようになった。とはいえ〈イヨノフタナ海域〉はいまだ手付かずの未踏領域である。そんな第三開拓領域の第一域〈怪魚の海溝〉にやって来た俺たちは、蒼氷船を浮かべて海に漕ぎ出していた。


「海洋フィールドって話は聞いてましたが、本当に島の一つも見当たりませんねぇ」


 レティが船首に立って周囲を見渡す。視界に映るのは果てしない水平線ばかりで、背後にある遺跡島の影以外には何もない。〈怪魚の海溝〉は水中がメインのフィールドとなっているためだろう。


「〈水泳〉スキルの需要が上がりそうですね。潜水装備とか潜水艇は既に売り切れが続出しているとか」


 トーカの言葉にもさもありなんという感想しか出てこない。〈ワダツミ〉と〈ミズハノメ〉の間に横たわる〈剣魚の碧海〉もかなり広い海洋フィールドだったが、こちらはその比ではないほどのスケールだ。なにせ、フィールドどころか開拓領域そのものが海なのだから。


「気の早いプレイヤーはもう進出してるみたいだが、成果は上がってるのか?」


 竜闘祭に参加していたプレイヤーは、その多くが既に〈怪魚の海溝〉への進行権を獲得している。俺たちが蒼氷船を浮かべて漕ぎ出した時には既に、海原にいくつかの船が漂っていた。


「小型の魚を釣り上げたという話なんかは聞きますね。エネミーは深い所に行かないといないのか、まだほとんど情報がないですが」


 今の時点でこの海に来ているプレイヤーは、騎士団のように気合いの入った攻略組か、年がら年中釣りに没頭している釣りバカかのどちらかだ。釣り人による釣果は掲示板などで誇らしげに公開されるが、攻略組はまだ情報公開を渋っているらしい。


「はええ。やっぱりこれ、深いところに潜らなきゃいけないの?」


 シフォンが船縁から頭を出して、海を覗き込む。濃い青色の水面は陽光を反射して、底を見通すことはできない。


『もちろん! 下に行けば行くほどでっかい奴が泳いでるんだぞ』


 有識者曰く、このフィールドは縦方向にも広がる複層的な構造があるらしい。浅い水深では小魚が、深い水深には大魚が泳いでいる。マシラの腹を満たすような大物を狙うならば、必然的に深く潜らねばならない。

 しかし、蒼氷船は沈降はともかく浮上はできないし、俺たちのうち〈水泳〉スキルを持っているのは行動系スキルを全て集めているミカゲだけ。潜水装備は持って来ているが、正直型落ちであるのは否めない。


「というわけで、今回は“驟雨”を使います」

「久しぶりに見たわね」


 取り出したるは複合式テント“八雲”の一角を担う高耐水性テント“驟雨”である。完全密閉によって漏水を防ぎ、深海の水圧にも耐えられる頑丈性もある。何より、以前〈大鷲の騎士団〉と共に行った深海探索でも活躍した実績がある。


「でも、今日はウィンチがありませんよ?」


 そう言うのは深海探索にも同行していたレティである。彼女の言った通り、あの時は騎士団が保有している船を使い、それに取り付けられていたウィンチを使ってテントを引き上げていた。しかし、蒼氷船にはそのような設備は一切搭載されていない。


「そうだな。だから、レティには期待してるぞ」

「はい?」


 きょとんと首を傾げるレティに、俺はインベントリから取り出したワイヤーを渡す。その先端をテントに取り付けたあたりで彼女も思惑を察したらしい。


「ま、まさか……。人力で引き上げろと!?」

「レティは腕力極振りだろ?」

「無理ですよ、流石に!」


 ウィンチがなければ人力ウィンチを用意すればいいじゃない。というわけで、紐をテントに取り付け、蒼氷船から引っ張ってもらう作戦を考えた。前回の深海探索ならともかく、今ならレティもかなりステータスが育っているため任せられるはずだ。


「当然、レティ一人に任せるつもりはない。Lettyとトーカとミカゲにも頼むよ」

「任せてください! 腕力極振りはレティさんだけの専売特許じゃないですからね」

「レティと比べれば力で劣りますが……。でも、水中では戦えないですし、妥当かもしれませんね」

「……分かった」


 〈白鹿庵〉で単純に力が強い順に牽引係を任命する。攻撃力が高い戦闘職は、イコールで腕力が強い。戦闘職が多い〈白鹿庵〉だからこそできる配役だ。


「と言うことは……」

「テントには俺、シフォンの二人が入ることになる」

「やっぱり!」


 レティ、Letty、トーカ、ミカゲの四人がワイヤーを引っ張り、ラクトとエイミーが蒼氷船の維持と防衛を担う。となれば残るシフォンがテントに入る役回りだ。


「お、おじちゃんとファイティングスピリットちゃんじゃダメなの?」

「俺はテントの維持があるから入るが、ファイティングスピリットを危険な目に合わせるわけにも行かないからなぁ」

「わたしはいいんだ……」


 シフォンが唇を尖らせるが、冷静に考えてもらいたい。そもそもファイティングスピリットはクナドと同格の重要参考人なのだ。本来ならばフィールドに出てくることも許されていない。彼女にはエイミーも居て比較的安全な船上からTELで指示を出してもらうに留める。


「それに、シフォンは勘がいいからな。視界が悪い水中でも何か見つけてくれるだろ」

「あんまり期待しないでよぉ」


 流石に俺一人で潜るのは効率の面でも難しい。誰か死角をカバーする人員が欲しかった。その点、シフォンはレイラインを辿ることもできるわけで、なかなか適役と言えるだろう。


「まあ今回はただの偵察だからな。情報収集がメインで、戦うことはないさ」

「ほんとかなぁ」


 訝るシフォンの背中を押して、“驟雨”の中に押し込んでいく。八角形のテントは定員2名の小さなサイズで、タイプ-ヒューマノイドの俺とタイプ-ライカンスロープのシフォンが入ると、もうラクトが入る余裕もなくなる。エイミーなら一人でも窮屈だろう。


「うぅ、このテントが棺桶に見えてきた」

「大丈夫だよ。死に戻ってもいいようにEBDCは作って来ただろ?」

「そういう問題じゃないよ!」


 不安を隠さないシフォンと俺を内部に入れて、テントの水密扉が閉じられる。いくつものハンドルで完全にロックしてしまえば、レティたちの声も聞こえない。


『通信感度良好。ここからはTELですね』

「問題なさそうだな。それじゃ、早速投げ入れてくれ」

『了解しました!』


 テントを囲むように、レティたち四人が配置につく。力自慢の戦闘職たちが、重たい金属テントを持ち上げる。


『わーっしょい! わーっしょい!』


 その様子を見たファイティングスピリットが楽しげに両手を挙げて飛び跳ねている。そんな声もあって、まるで神輿の中に乗り込んだかのようだ。


「お願いしますお願いします。どうか無事に生きて帰れますように!」


 シフォンはぎゅっと目を閉じて、一心不乱に祈っている。耳はぺたりと伏せて、尻尾も心なしか萎れているようだ。見かねて軽く髪を撫でてやると、少しだけ落ち着きを取り戻す。


「大丈夫だよ。任せとけ」

「おじちゃん……」


 テントが海に投げ込まれる。グラグラと揺れながらも、すぐにワイヤーが引っ張られて体勢が安定する。テントの底部からもワイヤーを延ばして、先端に錘を取り付けているのだ。


「レティ、とりあえず水深30メートルくらいまで沈めてくれ」

『わかりましたー』


 ひとまず漏水する様子はないため、小手調べも兼ねて沈降していく。レティたちの持つワイヤーにメモリを刻んでいるため、そちらで水深を測ることができる。


「ふわぁ……、綺麗!」

「役得ってやつだな。写真も撮っとこう」


 水面から差し込む光の帯がブルーの世界を彩る。熱帯らしい鮮やかな色彩の魚たちが優雅に泳ぎ、時には亀やイルカといった魚以外の水棲生物も現れる。その幻想的な光景に、シフォンの不安も吹き飛んだらしい。

 目を輝かせて窓に食いつく彼女に少し安心しながら、俺もカメラのレンズを外に向ける。こんな風景、いくら撮ってもいいからな。あとでカミルたちにも自慢してやろう。


『そちら、状況はどうですか?』


 水深30メートル地点に着いたのか、レティから通信が入る。

 テントの各種ステータスも問題なく、センサーにも異常は見られない。ひとまず、順調に進んでいると考えていいだろう。


「問題ない。そのまま沈降を続けてくれ」

『はいはーい!』


 再びテントが沈み始める。


「そろそろ暗くなってくるかな。『点火』」


 テントに取り付けていた照明を灯し、闇を払う。周囲を広く照らす光に驚いて、魚群が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 テントそのものの重量もあり、沈降は順調だ。レティから定期的にアナウンスがあり、100メートル、200メートルと水深を増していく。しかし、いまだに海底は見えず、周囲に目印となるような地形も見当たらないため、だんだんと感覚が麻痺していく。


「うー、今登ってないよね? 降ってるよね?」

「そのはずだぞ。あんまり実感も湧かなくなって来たけどな」


 変わり映えのしない、ほとんど黒に塗りつぶされた世界に入る。シフォンも窓の外を眺めているが、外の風景よりもガラスに映る自分の顔の方が鮮明だ。

 カメラを暗視モードに切り替えて眺めると、モノクロの画面に映る原生生物のサイズが大きくなっていることに気付く。ファイティングスピリットの言葉通り、深くへいくほどに原生生物が大きくなっているようだ。


「クジラみたいな奴が獲れれば、ミートたちも喜ぶんだろうけどなぁ」

「こんなところで出会いたくないよぉ」


 ぶんぶんと首を振るシフォン。とはいえ、どれくらいの水深でどれくらいのサイズの原生生物が現れるのかも重要な情報だ。漏らさず記録しながら、底へ底へと沈んでいく。

 順調に、安定して、下降する。

 その時だった。


「はえええええっ!?」

「シフォン! 掴まれ!!」


 突如、テントが大きく揺れる。何か岩礁にでもぶつかったかと思ったが、そんなものは周囲にはない。ではなにか。


『レッジさん! すごい勢いで引っ張られてるみたいですが、無事ですか!?』


 レティからの驚きと混乱の入り混じった声。窓の外、照明の光が何かを照らす。白いそれは、俺たちの頭ほどもある巨大な歯のようだ。


「おおおおおおおおおじちゃんっ! これってもしかして……!」

「そうだな……」


 グラグラと揺れるテント。シフォンが俺の腰にしがみつきながら、脳裏に浮かんだ想像を口にする。


「わたしたち、魚に食べられちゃってる!?」


━━━━━

Tips

◇〈怪魚の海溝〉

 第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉の第一域。広大で底知れぬ海洋の玄関口。ここより先に陸地はない。

 浅海には小型の魚類が生息しているが、深海に向かうほどより強大で獰猛な大型原生生物が現れる。


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