第1069話「水底の歌声」

 蒼枯のソロボルとの戦闘は、思ったよりも呆気なく終わってしまった。“竜の化身”バフが強すぎたのか、軽く槍を払っただけで彼の体を切り落としてしまったのだ。ソロボルを負かして、彼に封印杭の情報を聞き出せればと思っていた俺は内心焦ったが、流石は第零期先行調査開拓団員といったところか、ソロボルは頭だけとなっても生きていた。

 しかし、その後どうしたものかと困っていると、白月がソロボルの前までやって来た。今まで我関せずといった様子で、ソロボル以上に傍観に徹していた彼が何やら鼻先をくっ付けると、ソロボルは急におとなしくなったのだ。


「で、今に至るわけで」

『訳がわかりませんよ!?』


 〈ミズハノメ〉のアップデートセンターで警備NPCに拘束されているレティにTELであらましを伝えると悲鳴が返ってきた。

 大人しくなったソロボルは俺を誘導するように海の中へと入って行った。白月がそれを追いかけようとしたので、俺もそれに続いたのだ。針蜘蛛に潜水機能を付けておいて助かった。


『とりあえず、状況は進んでるんですよね? レティをあんなメチャクチャにしたのに何の成果も得られないなんて、許しませんよ!』

「すまんすまん。まあ、これで何もないってことはないだろうから。ウェイドによろしく頼むよ」

『どうしてレティが!』


 再び悲鳴を上げるレティに別れを告げ、通話を切る。シフォンのこともあるし地上は大変だろうが、強く生きてほしい。

 意識を目の前に戻すと、ソロボルは首から下に新たな肉を再生させながらぐんぐんと潜水を続けていた。生命力がすごいのか、汚染などを受けていない神核実体のポテンシャルが凄まじいのか、彼は海の水を飲み込むほどに体を再生させている。


「……無限にソロボルの素材を量産できるかもしれんな」

『っ!?』


 ふと思ったことを呟くと、ソロボルが驚いた眼でこちらを見る。“針蜘蛛”の中で小さく呟いたことに反応されるとは思わず、俺まで驚いた。


『――mOうShIわKenA……。ごほん、申し訳ないが、あまり老体を痛めつけないでくれるとありがたいのだが』

「うおわっ!? こ、こいつ直接脳内に!?」


 直後、脳内に響くような声が伝わる。嗄れた老人のような声だが、それがソロボルのものだと直感で理解する。


『そこの仔の助けを借りて、お主との縁を結んだ。そなたらの言語はまだ完全に解しているわけではないが、意志の疎通はできているだろうか』

「全く問題なくて怖いくらいだよ。……零期組ってこんなこともできるのか?」


 俺たち一期団がコボルドやドワーフの言語の解読で困っているというのに、こんな短時間でここまで言語を習得されると立場がない。改めて思うが、第零期先行調査開拓団の能力は桁違いだ。


『誰もができる訳ではない。我には条件が揃っていただけだ』


 ソロボルはだんだんと暗くなる海中を泳ぎながら言う。

 俺がソロボルを倒したこと、白月が間を取り持ったこと、ソロボルが高位の団員であったことなどが理由として挙げられるらしい。本当にこれ、俺以外の奴がソロボルを倒していたらどうなっていたんだ……。


「まあ、それはいい。俺は第弐術式的隔離封印杭っていうのを探してるんだが……」

『分かっている。今から、そこへ案内しよう』

「話が早くて助かるよ」


 どうやら細々としたことは全部白月が伝えてくれているらしい。普段は寝てばかりいるが、彼も案外やるときはやるのである。


「いてっ!?」


 何が癪に触ったのか白月が鋭い後ろ蹴りで俺の脛を打つ。あまりの痛さに飛び上がると、彼はふんすと鼻を鳴らした。こいつ……。


『彼女は……』


 俺と白月が静かな攻防を繰り広げている間にも、ソロボルは話し始める。俺は白月を落ち着かせ、そちらへ耳を傾けた。


『彼女の名はエウルブ=ピュポイ。真名を〈絢爛たる闘争のファイティング祝祭の乙女スピリット〉という』

「お、おう……」


 この場にクナドがいなくて良かった。しかし、ソロボル的には真面目な名前らしく、ふざけている様子は一切感じられない。エウルブ=ピュポイ、第二開拓領界の統括管理者は正式にその名を掲げていたのだろう。


『彼女は水底の民を愛し、彼らを護ると決めた。それは、第二開拓領界のほぼ全てが限りなき大洋に占められているという事実も理由にはあるが、それ以上に彼女は彼らを愛していたのだ』

「水底の民……?」


 また重要そうなワードが飛び出してきた。俺は慌ててそれをメモする。


『水によって隔絶されていたからか、忌々しき龍の息吹はさほど影響を与えなかった。だが、それが流れ続ける限り、水が濁り、愛する民たちが苦しむのは必定であった。故に彼女は“運命に選ばれチルドレンオブし御子たちディスティニー”の卓に加わり、その身をもって彼らを護ると決めたのだ』


 忌々しき龍、おそらく総司令現地代理こと黒龍イザナギのことだろう。黒龍イザナギによって汚染術式が生み出され、第一開拓領界を治めていた白神獣と呼ばれる第零期団の調査開拓員たちは壊滅した。彼らによって支援を受けていた、〈白き光を放つ者ホーリーレイ〉と呼ばれる文明と共に。

 黒龍イザナギが汚染術式を流し始めたのは第一開拓領界だったが、隣接する第二開拓領界も他人事ではいられなかった。そのため、第一開拓領界の統括管理者であったクナドと結託し、黒龍を封印するため自らを杭へと変えたのだ。

 黒龍イザナギの強大すぎる力は、八つに分割されてそれぞれの杭に封じられている。いま、イザナギとしてウェイドたちと共にいる少女は、その小さな欠片に過ぎない。


「封印を解いてもいいのか?」


 俺の目的は封印杭を呼び覚まし、その戒めを解くことだ。そこに封じられた黒龍イザナギの力を解放し、少女イザナギの力を増大させる。それによって、ミート……マシラたちへの対抗手段とする。

 やっていることは、ソロボルからすれば歓迎できるものではないだろう。エウルブ=ピュポイがその命を投じて行ったことを無碍にする行為だ。

 しかし、彼は了承する。


『それが定めならば。お主はコシュアの縁を結ぶ者。であれば、目覚めの時が来たということ』


 よく分からないが、納得してくれているらしい。ならば、後は進むだけだ。


『水底へ射す白き光は、全て彼らの下から授けられる。故に、彼らはその名を冠した。広がる海の深きところの闇さえ払う眩い光が、彼女のための標となろう』


 ソロボルは今や、元よりも長く立派な体躯だった。鱗を立ち上げ、光の帯を広げながら優雅に泳ぐ。もはや光も届かない深海で、彼は幻想的な姿を見せていた。

 これこそが彼の真の姿なのだろう。陸上に上がってきていたのは、あくまで祝祭を見届けるため。海中というフィールドで、彼に勝てるとは微塵も思えない。こここそが彼の領域だ。


『光を宿す者よ、白き神の末裔を伴う者よ。其方の力を借りよう。その身を投じ、海の深淵よりも深き眠りについた姫を目覚めとなってくれ』


 光の衣を纏った竜がこちらを見る。鮮やかに輝く金の瞳が俺を射抜く。

 いつの間にか、深い海溝の底へとやって来ていた。

 周囲の光景を見て、すぐに気がつく。なぜ、祝祭が長く途切れていたのか。なぜ、竜は祝祭を見届けることをやめたのか。


「ずっと、ここにいたのか」


 海溝の切り立った壁を削る跡。それはちょうど、身を丸めた竜が収まるほどのものだ。竜が護る聖域の中心に、聳え立つ黒い塔があった。表面を走る青い光のラインが、それがまだ眠り続けていることを示している。


「これが、第弐隔離封印杭……」


 かつてエウルブ=ピュポイと呼ばれ、その名を〈絢爛たる闘争のファイティング祝祭の乙女スピリット〉と改めた、統括管理者の眠る場所。

 俺が海底に足を付けると、沈澱していた砂が舞い上がる。ゆっくりと近づくと、微かに歌が聞こえた。


「これは……?」

『彼女の歌だ。眠りながら、歌い続けている。水底の民たちが、己の不在でも絶望しないようにと』


 どこまでも透き通った歌声だ。水の中に染み渡り、それでいて力強く鼓舞してくる。だが、その声は小さく、か細い。長い眠りを続けながら、歌い続けるということがどれほどの負担となっているのか、俺には分からない。しかし、彼女が限界に達しつつあることだけは分かった。


「――『外装分離』」


 巨大な増設パーツをパージする。針蜘蛛の胸部から飛び出した俺は、最低限の防護シェルが水圧に耐えてくれたことに感謝しつつ、塔の足元へと向かった。俺が近づくと、迎え入れるように扉が開く。二重扉をくぐると、そこには空気があった。


「さあ、迎えにきたぞ」


 塔の中心で眠るのは、黒いモノリスとなった統括管理者だ。


━━━━━

Tips

◇エウルブ=ロボロス

 第零期先行調査開拓団、第弐開拓領界、第一開拓領域管理者。広範囲にわたる海洋フィールドの生態系形成管理責任者を務める巨竜。その光帯が暗き深淵を照らし、渦が循環を促す。

 海中の自然的基幹機能を支える大役を担うため、通常よりもはるかに強力な神核実体および有機外装を有する。その能力は強大で、場合によっては海棲生物を“リセット”することも可能。

“深淵を巡る竜。その渚に数多の命を揺籃し、彼らの輝きを見届ける”


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