第1062話「覚醒する斑狐」

 アイによって奏でられた子守唄。暖かで心地よい環境がそれを有利にアシストしたことで、周囲に強烈な眠気が広がった。バタバタと倒れていく調査開拓員たち。たとえあらゆるバッドステータスに対して備えている重装盾兵であっても、睡眠には抗えない。これは生命であろうと機械人形であろうと必要な、本能レベルで刻まれた機能なのだから。


「……」


 静寂が戦場に満ちていた。『静寂の楽曲サイレント』による全くの無音ではなく、穏やかで平和そうな寝息がそこかしこから聞こえる、ゆったりとした時間だ。その中で一人、たった一人だけ立っている者がいる。他でもないアイである。

 彼女は意思を映さない瞳で周囲を見渡し、近くの調査開拓員にレイピアの先端を向ける。


「……っ!」


 そして、無言のまま彼の無防備な喉元を切り裂いた。

 吹き出す青い血液を浴びながら、アイは歩き出す。近くに倒れていた別の調査開拓員を見つけて、同じようにとどめを指す。

 深い眠りの中に落ちている調査開拓員たちは、隣で同胞が殺されても起きない。土を踏み締めるブーツの足音が近づいてきても、瞼を上げない。彼らはただ眠り、そしてさらに深い眠りへ誘われるのを待っていた。

 ――そのはずだった。


『ぅぅぅうううっぱっ!』

「っ!?」


 突如、轟くような大声が立ち上がる。大地が揺れ、大きなエネルギーが渦を巻く。

 淡々と調査開拓員を処理していたアイとレティが臨戦体勢を取る。しかしその顔には明確な困惑が見てとれた。この戦場の中に、彼女たちを害する存在はいないはずだった。調査開拓員どころか、機獣やペットまで深い眠りに落ちているのだ。攻略の要であるレッジとアストラ、そして輝月でさえも機能を停止させている。そんななかで動ける者など、いるはずがない。


『うぅぅぅ!』


 だが、それは現れた。

 見上げるほど巨大で、柔らかく美しい毛並みをして。白と黒のふわふわとした尻尾を揺らし、三角の耳をピンと張り。


『はええ……。どうなってるの、これ……』


 シフォンの体内で眠っていた、汚染術式によるコピープログラムが目を覚ました。

 巨大な狐は周囲を見渡し、困惑した様子で鼻を揺らす。彼女からしてみれば、突然宿主が深い眠りに落ちて、代わりに出てきてみれば荒れ果てた戦場で大量の調査開拓員たちが眠り込んでいるのだ。状況が何も分からず、困惑するしかない。


『あっ、レティ!』


 プログラムによるシフォン――偽シフォンは奇妙な状況の中で唯一頼れそうな存在を見つける。ほぼ全ての調査開拓員が地面に倒れて眠りこけているなか、立ち上がってハンマーを掲げているレティである。


『わたし、シフォン! 偽者の方だけど! 今ってどういう状況ぅほああああああっ!?』


 しかし悲しいことに、レティは今彼女の味方ではなく、また求める答えも出してはくれない。

 “竜の化身”レティと化したレティは、突如現れた半黒神獣汚染実体を敵性存在と判断した。彼女は思い切り鎚を振り上げると、警告もなく襲いかかる。

 様子のおかしい仲間の行動に偽シフォン狐は尻尾を膨らませて驚き、悲鳴をあげながら飛び上がった。全長が50メートルを優に越す巨体が跳ねれば、それだけでレティでもなかなか詰められないほどの距離が開く。

 偽シフォン狐は目を白黒させながらも、稼いだ距離を時間に変えて状況を分析する。


『よ、よく分かんないけど、対人戦PvPってことだね!』


 結局、何も分からなかったので状況に流されるまま動くことにした。


「『ラッシュスラッシュ』ッ!」

『はええええっ!? 何!? アイさんまで!?』


 レティと対峙して頭を低く下げたシフォンに、突如横から鋭い突撃が迫る。風圧だけで白い体毛が千切れる連撃に驚きながら、シフォンがそちらへ目を向ける。そして、容赦なく第二撃を叩き込もうとしてくるアイにビビり散らしていた。


『どっどっ、どうなってるの!? よく分かんないけど、やめて!』


 混乱が極まるシフォンは咄嗟に前足を出す。彼女が無造作に払った肉球が的確にアイを捉え、勢いよく叩き飛ばす。ビリヤードボールのように飛び出したアイは、体をくの字に曲げ、なだらかな丘の斜面にぶつかって転がった。


『はええっ!? だ、大丈夫? 生きてる?』


 何も知らないシフォンが悲鳴を上げるなか、レティが肉薄する。


『はえええええっ!?』


 シフォンは咄嗟に身を翻し、ふわふわの尻尾を彼女に向ける。ふわふわ故に当たり判定の大きな尻尾がレティを払い飛ばす。


『な、なんでこんなカオスになってるのぉ? ていうかあのデッカい蛇なに!?』


 “竜の化身”となり超強化されたアイとレティを吹き飛ばしたシフォンは、そこで初めて戦場を取り囲む長大な竜の存在に気付く。

 ソロボルは自身のとぐろの中で行われる目まぐるしい闘争に満足していた。そして、新たに現れた謎の巨大狐に更に興奮を高めていた。予想だにしない展開こそ戦いの華である。神にも分からぬ奇跡が起きるからこそ、面白い。三人の化身を用意しただけのことはあった。彼は傍観者に徹しながら、己の采配に満足していた。


『うわあああっ!? ちょ、シフォン、早く起きて!』


 丘の中に頭から突っ込んだアイが起き上がる。同時に、レティもまたしぶとく立ち上がる。“竜の化身”と化した二人にとって、この程度の傷は瞬く間に癒えるものでしかない。


『うぅぅ。おじちゃんはいないの!? あっ、もしかしてあのデッカい鹿頭のロボット、あれ?』


 猛然と迫るレティとアイ。二人の脅威に怯えながら、シフォン狐は突破口を探す。そうして目についたのは、戦場の中央で膝を突く鹿頭の巨大な人型ロボットであった。あんなトンチキな見た目のロボットを作るのは、どうせレッジであろう。偽シフォンは、シフォンとの語らいのなかでそれを学習していた。つまり、あの鹿ロボットに何かしら接触すれば、何とかなるかもしれない。

 偽シフォンはそんな曖昧な予測のもとで動き出す。彼女が四足で駆ければ、たとえタイプ-ライカンスロープのレティでさえも追いつけない。


『ふおおおおおっ!』


 レティの攻撃を華麗に避ける。アイの衝撃波を回避する。シフォンのデータをコピーした偽者であっても、その超人的な回避能力は健在であった。

 次々と繰り出される破壊的な攻撃を、シフォンは細やかなジグザグに動くことで避けていく。時折フェイントも交えながら、レティとアイが予測できない動きで回避する。


『ぬぬぬっ! ぽんっ!』


 偽シフォンに調査開拓員としてのテクニックやアーツは使えない。しかし、龍脈と接続し、莫大な力を得た彼女は、黒神獣としての力をわずかながら発揮することができた。

 彼女が気合いと共に声を上げると、突然地面が隆起する。太い岩の槍が次々と迫り出し、レティたちの足元を狙う。彼女たちは難なくそれを回避するが、その分だけシフォンとの距離が離れる。


『レッジさーん!』


 シフォンは四肢に力をこめ、大地を蹴る。勢いよく跳躍し、そのまま鹿頭のロボットへと迫る。


『起きてっ!』


 くるん、と空中で華麗な宙返り。そして決めた、テールアタック。

 2本の尻尾による強烈な連撃が、輝月の頭部へと叩き込まれる。縦方向からの衝撃を受けた巨大ロボットはバランスを崩して倒れる。


『ほあああっ!? や、やばいかも!?』


 シフォンはガラガラと崩れる輝月に顔を真っ青にする。巨大な金属塊だと思って思い切り叩いたが、予想よりも遥かに脆かった。全身に纏っている装甲もバラバラと散乱し、土煙がもうもうと舞い上がる。


『ご、ごめんなさい! はえええ……!』


 シフォンは涙目になりながらなんとか輝月を組み直そうとする。しかしプニプニでピンク色をした肉球ではどう足掻いても元には戻せない。白い鉄の残骸が余計に散らかるだけだ。

 耳をぺたりと倒してクゥクゥと鼻を鳴らす狐の背後に、二人が迫る。

 ――その時だった。


「おはよう、シフォン! 助かった!」


 瓦礫の下から声がする。

 それを聞いた瞬間、シフォンは耳をピンと立ててヒゲを震わせた。

 彼が目を覚ましたこと、彼が生きていたこと、そして、自分のことを分かってくれたこと。溢れ出す感情に押し流されそうなシフォンの足元で、瓦礫が勢いよく爆発する。


「ここからは、任せてくれ」


 現れたのはレッジであった。

 ただし、その下半身は鋼鉄の蜘蛛のようになっていて、腕が十二本に増えていて、なんなら翼のようなものまで生やしているが。

 ――とにかく、少なくとも頭部パーツだけは間違いなく、彼であった。


━━━━━

Tips

◇偽魂覚醒

 汚染術式によるウィルスプログラムの影響で生み出されたダミーモジュールと平和的融合を果たした調査開拓員に見られる現象。調査開拓員が何らかの要因で意識を喪失した際に、ダミーモジュールが顕在化する。ダミーモジュールはレイラインとの接続を要するため、出現位置によってその存在明確性は大きく揺らぐ。

 偽魂覚醒時、意識喪失中の調査開拓員は魂への侵蝕を受ける。一定の侵蝕を受けることで“消魂”状態となる。


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