第1047話「底知れぬ鬼」
〈紅楓楼〉の光が最初に脱落し、客席からは悲喜交々の歓声が上がる。注目すべきなのは、彼女が直接対決を行っていたレティやメルに破れたのではなく、突如飛び込んできたアイによって倒されたと言う点だった。彼女のテクニックを使わない、純粋な剣技のみで圧倒した姿に客席は湧き上がり、彼女のレートが勢いよく上がっていく。
『さあ、光が脱落し残り5人となりました! この熾烈な争いを勝ち抜くのは一体誰なのか!?』
『今回は少し地形も悪かったですね。地上での戦いであれば、光さんも落ち着いて立ち回れたのでしょうが、高さのある祭壇の上となれば落下の危険もありますから』
『落下といえば先ほどアリエスによって突き落とされてしまったトーカも心配ですね。未だ死亡とはなっていませんが、現状はどのようになっているのでしょうか?』
実況者の意図を汲みカメラが切り替わる。ディスプレイに表示されたのは、祭壇の柱に刀を突きつけてぶら下がるトーカの姿だった。
「まだまだ、終わりませんよ!」
『なんとー!? トーカは未だ地に落ちてはいなかった! ギリギリのところでスタンが切れたのでしょうか! 彼女は柱に自慢の大太刀を突きつけてぶら下がっております!』
トーカは足を振って振り子のように体を回転させ、妖冥華の柄の上に立つ。そしてインベントリから小ぶりな脇差を取り出すと、それを腰に突き刺して上を見据えた。
『ここでトーカは武器を変えた! 普段使用している妖冥華は特大武器カテゴリに入る、刃渡り2メートルを超える規格外の大太刀ですが、持ち替えたのはごく普通の脇差のようですね!』
『とはいえおそらく刃渡り60cmほどのものでしょうから、脇差としては大きめですね。妖冥華と比べるとかなり間合いも重量も変わってきますが、トーカさんなら上手く扱うのでしょう』
得物を脇差に変えたトーカは、祭壇の柱に施された装飾を足がかりにして軽やかに登っていく。その身のこなしだけで軽戦士のプレイヤーたちからは称賛の拍手が上がるほどだった。
「お待たせしました。もう一度、仕切り直しと行きましょう」
「……思ったよりしぶといのねぇ」
祭壇の上に辿り着いたトーカは、そこでアリエスと再び対峙する。武器を変えて現れた彼女に、アリエスは呆れた様子で肩をすくめる。
「あまり実戦で“朱鬼丸”を使ったことはないので、そちらも対策はできていないのでは?」
アリエスの未来予測の仕組みを看破した上で、トーカは脇差を鞘から引き抜く。怪しく輝く赤い刃は、まるで血に濡れたかのようだ。
「あんまり私を見くびらないで。脳内シミュはただの趣味なんだから」
だが、アリエスが臆することはない。彼女は言い終えないうちに強く祭壇を蹴り、トーカの懐へと潜り込む。
彼女がトーカたちのことを徹底的に調べ上げるのは、それ自体が彼女にとっての娯楽だからだ。対戦相手である少女のことを隈なく調べ、脳内にそれを再現することで、本人に被害を及ばせず思う存分に楽しむことができる。過去数度のGMからの厳重注意の果てに彼女が生み出した、安心安全で合法的なストーキングである。
だから、それは彼女の強さの故ではない。“星詠”のアリエスの真骨頂は、その剣技にある。
「『スタースラッシュ』」
「『刃弾』ッ!」
甲高い音が二度続く。トーカの構えた朱鬼丸が、アリエスの滑らかな剣撃を弾いたものだ。
「『クイックステップ』『ダブルスラッシュ』」
それでもアリエスの攻撃は止まらない。彼女は華麗に踊るように体を旋回させ、再び剣で切りつける。湾曲した刀剣は二振り、故に二連撃は倍の四連撃となる。キキキキッ、と連続した硬質な音が響き、トーカは僅かに半歩下がる。
「防戦一方だとまた同じことよ」
「分かっていますよ」
双剣士最大の武器である、目にも止まらぬ高速連撃。アリエスのそれはまさしく星の瞬きの如く、次々と降り注ぐ。
視界を布で封じているトーカがそれを受け止めているだけでも規格外な戦いではあったが、それだけでは彼女は再び祭壇の縁まで押されてしまう。しかも、トーカはすでに朱鬼丸を鞘から抜いている。彼女が得意とする抜刀もまた、封じられているのだ。
「トーカァァ! 頑張ってくれ!!!」
「俺の全財産をお前に賭けてるんだ!」
客席から悲痛な叫びが噴き上がる。
トーカが妖冥華によって一命を取り留めた時、僅かに息を吹き返した博徒たちが、再び顔色を青くしていた。
「ひとつ、言っておきましょう」
絶え間ない連撃を凌ぎつつ、トーカは落ち着いた口調で言う。
「私が妖冥華を使うのは、面白いからです」
リアルにおいて、妖冥華のような規格外の大太刀を振り回すのは難しい。重量的な問題だけでなく、それを振るう機会がないというのも大きな理由だ。そもそも、それほど巨大な刀剣となると、トーカの小遣いで買えるような代物でもない。一応、天眼流の思想としてあのレベルの重量物を扱うこともあるが、その場合は棍棒のように重さそのものを武器とすることが多い。
トーカが妖冥華を扱うのは、現実では味わえない剣の扱いが楽しめるから。ただそれだけである。
「ですので――」
トーカがアリエスの剣を弾く。違っていたのは、その瞬間に彼女が刀を順手に持ち替えたことだ。その刹那の合間に、トーカの纏う静かな空気が乱れる。アリエスは焦げ付くような殺気を感じて、反射的に後方へ飛び退く。
その動きができただけで、アリエスが鋭敏な感覚を持っていることが分かる。だが、それだけでは足りないのだ。
「こちらの方が、私は強いですよ」
「なっ――!?」
距離をとった。
そのはずだった。
しかし、アリエスの目の前に彼女がいた。ツノを真紅に染めて、口元を艶やかに曲げて。その見惚れてしまうほどの美しい顔を、無粋な覆面で隠して。
なぜ、とアリエスが疑問に思う余裕もなかった。
「せいっ!」
張り上げられる声。同時にアリエスのLPが大きく削れる。
気がついたのは、彼女の右腕が肩口から滑らかに切り取られていたからだ。
「調査開拓用機械人形の関節部は人間に良く似ていますからね。上手く刃を通してやればさほど力を込めずとも外れてくれます」
「何を、言って――」
「人の体ほど、切りやすいものはない」
刀の速度は妖冥華のそれとは比較にならない。軽量かつ小型の刃は、視認することすら難しい。
アリエスの右肩が熱を帯び、部位損傷の警告アラートが鳴り響く。
トーカは赤い刃に青い血を滴らせ、アリエスを見ていた。瞳を覆面が隠しているにも関わらず、アリエスはその鋭い視線を痛いほどに感じていた。
「別者じゃないの……」
思わずつぶやく。その声には悔しげなものが混じっていた。
彼女が入念に観察をしていたトーカの姿は、ただの一側面でしかなかった。本来の彼女は、アリエスが組み上げた仮想のトーカとは比較にならないほど、ただ純粋な武人であった。
「底が推し量ることができるほど、浅い人間だったつもりはありませんよ」
「そうね……。ごめんなさい」
片腕のまま、アリエスは反省する。
トーカの全てを知ったつもりだったが、ただ浅瀬で足を浸して遊んでいただけだ。
底知れぬ彼女の強さに圧倒される。アリエスはそんな経験に、思わず笑みを浮かべてしまう。
「もっと教えてちょうだい。トーカちゃんのこと、全部知りたいわ♡」
たんっ、と床を蹴る音。
次の瞬間、アリエスの間近にトーカの顔が迫る。彼女の熱い吐息が耳に掛かり、アリエスは状況も忘れて身悶える。トーカは口元をアリエスの耳に近づけて囁く。
「お断りします」
深く突き刺さる赤い刃。それはアリエスの八尺瓊勾玉を破壊する。
一点の急所を狙った刺突は、アリエスが繰り出した無数の斬撃に勝る。アリエスの潤沢なLPは底の抜けた桶のように減り、やがて尽きる。
「――私のことを全て知るのは、あの人だけですから」
そのつぶやきをアリエスが聞くことはない。彼女の意識はブラックアウトし、数秒後には最寄りのバックアップセンターへと転送される。
崩れ落ちるアリエスの機体を抱き抱え、ゆっくりと祭壇に横たわらせながら、トーカは客席へと目を向ける。そこでは、仲間たちに囲まれた男が盛大な拍手を送っていた。
━━━━━
Tips
◇朱鬼丸
ワキザシカテゴリの刀剣。刃渡り60cmほどの細い刀身で、扱いやすい。上質精錬赤白黒72.11.17合金を使用しており、重量と硬度を高いレベルで実現している。更に刀身は鬼蜘蛛の血に30日浸して鍛える手法が用いられており、その赤く輝く刃は敵の生気も奪い取ると言われる。
攻撃時、ダメージの15%を自身のLPに還元する。“血酔”状態に応じて、攻撃力が最大20%上昇。また、LP還元効果が最大20%まで上昇。
“どこまでも渇きを知らぬ大鬼は、血を求めて荒れ狂う。”
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます