第1037話「洞窟の奥の隠者」

 その洞窟は険しい斜面の中腹にあった。周囲には鼻をつくような異臭を発する何かが振り撒かれており、原生生物だけでなくコボルドの来訪すらも阻んでいるようだった。

 グルは先に話を付けてくると言い、俺たちを外に残して一人穴の中へと入っていった。


「うぅ……。どんな方が住んでらっしゃるんでしょうね」


 犬型ほどではないにせよ嗅覚が鋭いタイプ-ライカンスロープのレティは、やりにくそうな顔をしながら穴の中の様子を窺う。しかし、視覚に頼らない生活を送るコボルドの住居はとても暗い。結局、詳しいことは分からなかったようで、近くの岩に腰を下ろした。


「とりあえず、周りに警戒線は組んでおいたから。クリスティーナたちも休んでくれ」


 第一戦闘班が周囲の警戒をかって出てくれたが、マーカーを置いて罠を仕掛けておけば十分だろう。ついでにテントと焚き火も設置して安全な環境を構築していく。


「ありがとうございます。こう言う時はレッジさんが輝きますね」

「キャンプおじさんの面目躍如だな」


 フィールド上で安全を提供できるのは〈野営〉スキルの特権だ。いかに騎士団の精鋭と言えど、長時間神経を尖らせていると疲労も溜まる。そう言う時こそ俺の出番なのである。


「レッジさんが普通にテントを建ててるところ、久しぶりに見ましたね」

「そ、そんなことは……」


 レティに言われて記憶を遡る。ちゃんと山小屋テントとか建ててるから、一般キャンパーおじさんと言っても良いはずだ。


「一般キャンパーはボスクラスのエネミーの攻撃を真正面から跳ね返したりできないんですよ」

「そ、そんな……」


 なぜかアイまでレティの側に回って舌鋒鋭く指摘してくる。テントを建てただけなのに。


「それでレッジさん」

「なんだ?」

「このテント、初めて見るものですけど。また買ったんですか?」

「……」


 ニコニコと笑うレティの顔を直視できない。

 今回俺が建てたのは、携帯性と隠密性に重点を置いた新型のテントだ。一本のポールを立てて、それを支えに天幕を張るタイプのもので、重量はこれまでの大がかりなものと比べると無いようなものだ。濃緑色の天幕には偽装効果があり、周囲の景色に溶け込むことができる。

 テントには大きく分けてシンボル型とハイド型の2種類があり、前者は存在感を出すことで原生生物を退ける。その代わりに一定以上の強さや気性の荒さを持つ原生生物を逆に刺激してしまうこともある。ハイド型は気配を潜めることでそもそも見つからないようにする設計思想のテントだ。

 俺は今までシンボル型のテントを多用していたが、最近は重量制限の問題が大きく顕在化してきた。そのため、軽量なモデルの多いハイド型のテントにも手を出してみようと思って、ネヴァと色々話し合ったりアウトドアショップを巡ったりしていたのだ。


「レッジさん?」

「うわっ!?」


 心の中で長々と言い訳を考えていると、レティが至近距離まで迫っていた。


「別にレッジさんのポケットマネーで買ってるものに何か言ったりはしませんけど。あんまり無駄遣いしてるとまた借金ができちゃいますよ」

「そ、そうですね」


 実はちょっとネヴァにツケて貰っているというのは言わなくてもいい事実だろう。俺は内心で冷や汗を滝のように流しながらぎこちなく頷いた。


「私としては、以前見た立派なお屋敷のようなテントが好きですの」

「こういうテントの方がキャンプ感が出ていいと思うけどなー」


 〈紅楓楼〉の二人は岩に腰を下ろし、飲み物片手に言っている。館型テントは八雲に次ぐ重量級テントだから、もはや俺一人では持ち運べない。レティ、というよりしもふりに運搬してもらわなければならないので、テントと言えるかどうかも正直怪しいくらいなのだ。


『ガウ!』


 みんなで焚き火を囲んでいると、洞窟の方からグルが戻ってくる。


「無事みたいだな。話はついたのか?」

『グゥ』


 立ち上がって彼を迎える。グルは耳をピンと立てたまま、肯定の声を発した。しかし、それを聞いて早速穴の中へと向かおうとすると、彼は両腕を広げて道を阻んだ。


「グル?」

『グルゥゥゥ。ガウッ、バウワッ。ワッフワッフ』

「ええ……。また面倒だな」

『ガルゥ……』

「ま、仕方ないか」


 肩を落とし、俺は後ろへ振り返る。すると、アイたちのきょとんとした目がこちらに向いていた。


「な、なんだ?」

「なんだって聞きたいのはこちらなんですが……。レッジさん、翻訳機の電源入ってないですよ?」


 アイが俺の首にぶら下がっている翻訳機を指し示す。そのディスプレイは暗く、インジケーターも消えている。確かに、機能していないようだった。


「まあでも、多少は聞き取れるようになってきたからな」

「ええ……」


 みんなの驚く顔が、ドン引きの顔に変わる。


「グルが言葉だけで説明してくれてるのもあるし、アイの辞書とかも読ませて貰ってたからな。ある程度覚えて、あとは流れで」

「レッジさん〈解読〉スキルは持ってないですよね?」

「持ってないぞ?」


 レティの顔が引き攣る。

 俺としては、なんら判断材料がない状態で多少なりともコミュニケーションを取れていたレティの方が凄いと思うのだが。俺は翻訳機や辞書の内容を覚えた上で、会話しながらそれを参照しているだけなので、意味を類推しているわけじゃないからな。


「なんだかレッジさんには驚き疲れました……」

「それで、どうして我々は止められたんですか?」


 進まない話を進めるため、クリスティーナが口を開く。


「そうだそうだ。なんでも、ただでは会わせてもらえないみたいでな。何かしら手土産を持って来いと要求してるらしい」

「手土産、ですか?」


 怪訝な顔をする一同。

 向こうからしてみればアポなしで突然よく分からんロボットが押しかけて来たのだから、そんなことを言いたくなる気持ちもわからないではない。


「どんなものを要求されてるんですか?」

「50年生きた蝙蝠の肉とか、宝石ばかり食べた芋虫の胃液だとか。よく分からんものばっかりだ」


 おそらく任務の一環としてこれらのアイテムを集めなければならないのだろう。しかし、グルの口から伝え聞いたものはどれも抽象的で、よく分からない。そのため、一度〈クナド〉へ戻って調べようかと思ったのだ。

 しかし、それを聞いたアイがはっとする。彼女は大きく口を開けて、俺の方を指差した。


「れ、レッジさん!」

「俺?」

「クナドからの任務で倒して回ったレアエネミーのドロップアイテム!」

「あっ!」


 彼女に言われて気がつく。

 グル経由で洞窟の主が要求してきたのは、全て俺たちが倒したレアエネミーのドロップだ。当然、それらはきちんと回収している。


「まさかクナドは、ここまで想定してたのか……?」

「そんなことできるんですか?」


 信じがたいと眉を寄せるクリスティーナ。確かに、今要求されたものは、前もって知ることは難しいはずだ。しかし、クナドであれば――長くからこの地に佇んでいた彼女であれば、ある程度候補を絞ることもできたのでは。


「グル、これで通してもらえるか?」

『ガウッ!?』


 俺がインベントリからアイテムを取り出して渡すと、グルも驚いた様子だった。流石に彼も俺たちが前もってそれを集めていたとは思いもよらなかったのだろう。

 彼はそれを抱えて再び洞窟へと入る。そして、すぐに、勢いよく飛び出してきた。


『グワウッ!』

「よし!」


 彼はついて来いとただ一言吠えた。その意味はレティたちも察したのだろう。俺たちは勢いよく立ち上がると、先導するグルの背中を追って洞窟の中へと飛び込んだ。

 洞窟は内壁が滑らかに削られており、さまざまな匂いの塗料が塗りたくられている。奥に行くほど広くなっていく内部をランタンで照らすと、各所に生活の後が見てとれた。


「思ったより綺麗ですね」

「ちゃんと整理されてるな」


 持ち主が几帳面なのか、ゴミや食べ残しといったものは見当たらない。器用に作られた石の棚などもあり、そこに道具類がきっちりと収まっている。


『グワウッ!』


 先頭のグルが奥に向かって吠える。その声が反響し、やがて岩に染み込んで消えたその時、俺たちは一様に驚く。


「これは……」


 洞窟の最奥からゆっくりと現れたのは、豊かな白い体毛で身を包んだ、巨躯のコボルド。グルたちの族長よりもさらに強大な力を感じさせる、野生の凄みに溢れた獣だった。


『グルルル……』


 彼は金に輝く眼を開き、俺たちをしっかりと視認した。


━━━━━

Tips

◇地下言語辞書(改訂版)

 ドワーフ、コボルド、グレムリンが使用する言語について、地上語との翻訳のために纏められた辞書データ。地下言語翻訳機にインストールすることで機能する。

 オリジナル版から多少の改訂が行われている。

“これで多少は使いやすくなっただろ”――調査開拓員レッジ


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