第1000話「進化の餓獣」
奴の名前は分からない。仮にキメラとする。
その体は少なくとも5種の原生生物の、損壊した屍を寄せ集めて構成されていた。
「まったく、一応健全なゲームのはずだろうに」
黒い靄と共に血や脂や肉片を振り撒きながら迫る巨体は、どこぞの攻めたゾンビゲームなんかに出てきそうな風貌だ。よくこんなものが審査を通過したものだといっそ感心してしまう。
キメラは顎の外れた口を開き、大雨の排水溝のようなゴボゴボと濁った咆哮を上げる。
「とりあえず爆破だ」
黒紫色の足が地面を踏む。その下に設置されていた円盤状の金属が踏み抜かれ、内部の信管を起動させた。瞬間的に爆炎が吹き上がり、狭い坑道内を走る。スキンを焦がすような熱風が吹き荒れ、粉塵と黒煙が視界を覆った。
特製の対大型原生生物地雷。その威力はボクスラスのエネミーであろうと無事では済まないほど。できればこれで体の半分くらい吹っ飛ばして、死なないまでも行動不能に陥ってくれると嬉しいのだが――。
「風牙流、一の技、『群狼』ッ!」
追撃と煙幕を晴らすのを兼ねて、槍を勢いよく突き込む。突風が坑道を吹き抜け、もうもうと入り乱れていた粉塵を掃き出す。
「うおっ!?」
煙幕の中から現れたのは、長い大腕だった。鋭利な黒爪が十も連なる禍々しいクレーンアームのようなそれが、俺を掴もうと飛び出す。
俺は慌てて後ろに飛び退き、紙一重でそれを避けた。
吹き飛ばされた粉塵の中から顕になったのは、体の半分が崩れ、大部分が焼け爛れたキメラだった。3秒前よりも更にグロテスクになった怪物に思わず目を剥く。
「冗談はよしてくれよ」
何より驚くのは、それほどの損傷を受けてなおキメラは動き続けていることだ。むしろ戦意は増しており、押しつぶすようなプレッシャーをこちらに掛けてきている。
俺が攻撃に出られない間にも、キメラは焼け爛れた体の断面をグチュグチュと泡立たせる。みるみるうちに明るいピンク色の肉が膨らみ、体組織を形成していく。ものの十数秒で、奴は元の肉団子へと再生した。
レティ、Letty、トーカと〈白鹿庵〉のアタッカーが束になっても倒しきれなかったのは、この異常な再生能力によるものか。全くもって、面倒な相手だ。
『ゴポッ、ゴボボッゴボッ』
歪に引き裂いたような口があざ笑うかのように引き攣る。漏れ出す水っぽい声が癪にさわった。
「『強制萌芽』“蟒蛇蕺”ッ!」
水脹れしたような体に種瓶を投げつける。キメラの表面で砕けたガラスの中から飛び出した緑の蔦は、瞬く間に肉の隙間に根を下ろし、水を吸い上げながら成長していく。
『ゴボボッ! ボボプッ!』
無尽蔵に水分を略奪する蕺によって、キメラの体は急速に痩せていく。悶え苦しみ、のたうち回る巨体に皺が増えていく。体全体に埋め込んだ目玉が一斉に俺を見る。その肉の一部が膨れ上がり、鋼鉄蚯蚓の体を流用した長い腕がこちらへ迫る。
だが、その腕にも急速に蟒蛇蕺が纏わりつき、蝕んでいく。
「なかなかエグいよなぁ」
開発した俺が言うのもなんだが、この種瓶はかなり強力だ。水場で使うと収集が付かない大惨事になるが、坑道のような乾燥した場所であれば原生生物にだけ纏わりつくから効果は覿面だ。
身体中の水分を全て吸い取るまで止まらないし、際限なく伸びる蔦は十重二十重に纏わりついて動きをきつく拘束してしまう。
「最初から使っとけばよかったな」
完全に蔦に包まれ、緑の球体となったキメラを眺める。レティたちの攻撃は効かなかったようだが、こうやって生かさず殺さず拘束してしまえばよかったらしい。
ゴポゴポという声が聞こえないのを確認して、俺は背後のテントを片付けようと振り向く。その瞬間、首筋を鋭く切り付けるような殺気に襲われた。
「っ!?」
反射的に身を屈め、真横に転がるようにして避ける。次の瞬間、俺が立っていたその場所に鋭い槍のようなものが突き込まれ、頑丈なテントの装甲が無惨にひしゃげた。
急拵えとはいえ、物自体はネヴァが自信を持って送り出した確かなものだ。それをたったの一突きで凹ませるとは。
「なっ!?」
驚きの声を漏らす間も無く、次々と同様の攻撃が迫り来る。
それは強靭な蔦を束ねた先に硬い黒爪を伸ばした異形の槍だった。
「こいつ、まさか――」
振り返ると、キメラがいた。
全身を包む蟒蛇蕺の蔦を無数の牙で食い破り、咀嚼している。肉と癒着した蔦が滑らかに動き、俺の胸を狙って突き込まれる。
「蟒蛇蕺を取り込んだのか!?」
にわかには信じがたい。しかし、目の前で確かにそうなっている。
蕺蟒蛇によって全身の水分を抜かれ、乾涸びながら拘束されたはずのキメラは、今や蕺蟒蛇を取り込み己の武器としている。しかも――。
「うおわあっ!?」
烈風が乱れる。鋭い風は切れ味を持ち、掠めた頬から青い血が滲む。
蔦を撚り合わせて作った槍と、モグラの黒爪。その二つを組み合わせた構えは、よく知っている。
「こいつ、〈風牙流〉まで!」
『ゴボポッ!』
耳障りな声が響き、同時に槍とナイフが突き出される。風を捉え、それを放つ。風は不可視の刃となって迫り、スキンを切り裂いていく。
その動き、その技は〈風牙流〉の一の技『群狼』に酷似、いやそれそのものだった。発動も早く前方扇状範囲技ということで使い勝手も良く、俺も最も多用しているからこそその厄介さはよく分かる。
次々と飛んでくる突きを避けながら、反撃の機会を窺う。だが、ちょこまかと動いて避ける俺に業を煮やしたのか、キメラが体を震わせて叫ぶ。
『ギュルボッ』
「ぐあっ!?」
しなる槍が途中で形状を変える。先端に肉の塊が膨れ上がり、重量を乗せて坑道の壁を叩く。硬い岩盤に亀裂が走り、坑道がグラグラと揺れる。
槍の次はハンマー。しかもそのダイナミックな振り方は、彼女のものだ。
薄く考えていたことが――あまり当たってほしくない予想が――当たっていた。
「レティの動き……!」
黒爪が滑らかに振り下ろされる。迷いのない太刀筋はトーカのそれに酷似していた。
ここまで来たら俺でもわかる。こいつは戦ってはいけない相手だった。攻撃を当てるほど、奴はそれを学習する。そして全てを取り込み、自分のものとする。
『ゴポポポッ!』
肉の腕が蠢き、蔦が伸びる。槍が、剣が、槌が、肉団子から次々と生えていた。黒い靄が吹き出し、坑道の中に充満していた。百の目玉がギョロギョロと動く。口からだらだらとよだれを垂らしながら、ギクシャクとした歪な笑みを浮かべている。
人形という規定に囚われない。故に冗談じみた動きをする。
「ちょっとこれは……まずいなぁ」
どれほど避けても、相手は際限なく体を変形させて次々と攻撃を繰り出してくる。しかも、俺の動きをその多すぎる目でしっかりと観察し、学習し、自身の動きに反映させていく。
ジリジリと真綿で首を絞められるように、俺は追い詰められていった。避け方を覚えられ、対策を取られる。奴は戦いの中で、破竹の勢いで成長を遂げていた。
濁った目が笑ったような気がした。
もはや、一分の隙もない。
一斉に突き込まれた無数の肉の武器が、俺の体に突き刺さる。逃げ場を封じられてしまえば、逃げることなどできるわけがない。四肢が潰され、喉が貫かれる。巨大な鋼鉄のハンマーが、八尺瓊勾玉を打ち砕いた。
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Tips
◇エネミー“Unknown”
〈アマツマラ地下坑道〉第二十八番大坑道深部にて確認された詳細不明の敵性存在。
現在、情報が不足しています。
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