第999話「黒い屍獣」
〈ホムスビ〉で休憩し、ついでに物資を補給した俺たちは、再び坑道の奥底へと潜って行った。トロッコに乗って行けるところまで行ったあと、そこから更に岩がゴロゴロと転がっている荒れ道を歩くのだ。俺は〈歩行〉スキルがあるおかげであまり負担に感じないが、そういった便利なスキルにレベルを割けないラクトやそもそもスキルの恩恵を得られないイザナギなどはすぐに疲労してしまう。
「イザナギ、大丈夫か?」
『うん。さっき休んだから』
細かく休憩を取りつつ進み、まめにイザナギたちの様子を窺う。疲労回復効果のあるスポーツドリンクなどはイザナギにもある程度効果はあるようで、彼女は健気に自分で歩き続けていた。
とはいえ、歩幅が小さいこともあり、彼女たちにとって坑道は過酷だ。俺はイザナギに手を伸ばし、体を支える。
「気をつけてな」
『うん』
イザナギも俺の手をぎゅっと握り、小さく頷く。口の端を結んで地面を注視しながら歩く。幸い、前方の敵はレティとトーカがブルドーザーのように薙ぎ倒しているし、後方はミカゲとシフォンが注意してくれている。近くにはエイミーとLettyが付いてくれているし、俺たちは限りなく安全だ。
「ほら、ラクトも」
「うええっ!?」
イザナギと繋いでいる方とは別の手をラクトに差し出す。彼女は目を丸くして俺の方を見上げてきた。
「ずっと歩いてるのもキツイだろ。エイミーには襲撃に備えてもらわないといけないし、俺を杖にしたら多少は楽だろ?」
「そ、それは……」
あわあわと顔を赤くして慌てるラクト。やはりかなり疲れは溜まっているらしい。
彼女はしばらく躊躇したのち、おずおずと俺の手を握ってきた。タイプ-ヒューマノイドとタイプ-ウェアリーでは手のひらの大きさにもかなり差があるため、俺の人差し指と中指を握り込むような形だ。
「両手に花で羨ましいわね」
「無防備になるんだから、しっかり守ってくれよ」
イザナギとラクトの手を引いていると、当然ながら両手が塞がる。まあ、背中の内臓サブアームを展開すれば戦えないわけでもないが、流石に二人を巻き込んで激しく動き回るわけにはいかない。
「レッジさんがどう言う人か、なんとなく分かってきましたよ」
「そりゃ良かった」
〈白鹿庵〉に加入してまだ日の浅いLettyも馴染んできてくれたようで何よりだ。
「れ、レッジ。やっぱりわたし一人で――わわっ!?」
「っと。足元注意しとけよ」
何やら言いかけたラクトが早速足元の石に躓く。彼女が転ばないように腕を引っ張り支える。
「うぅ……」
「ラクトも観念したら? どうせレッジは昔シフォンを連れて歩いた時のこととか考えてるだけだろうし」
「それが嫌なんだよ!」
ニヤニヤと笑うエイミーに、ラクトが何やら言い返している。
そういえば、昔は地元の祭りに志穂を連れて行ったりしていたなぁ。ラクトたちの背丈がその頃の彼女と同じくらいで、なるほど言われてみれば馴染みがある。リンゴ飴を買ってやったり、金魚掬いがしたいとせがまれたり。なんとか一匹取れた彼女の頭を撫でてやったことを思い出す。
「うひゃあっ!?」
「あ、すまんすまん。つい……」
思い出のまま、気が付いたらラクトの頭に手を乗せていた。驚きの声を上げる彼女に慌てて謝り、手を繋ぎ直す。
「わたしだっていい大人なんだからね? その辺わかってるの?」
「すまんすまん。ちょうどいい位置にあったから」
「まったく! レッジはまったく!」
ラクトは大層ご立腹の様子で頬を膨らせる。オフ会でリアルの彼女とも出会っているし、実際に年齢的にはレティよりも上であることは知っているのだが、どうしてもFPOでの小さな姿に印象が引っ張られてしまう。
『パパ』
話しながら歩いていると、突然イザナギが声を上げる。
「どうした?」
『あそこ、黒ミミズ』
どうやら、発見したらしい。
指を伸ばして示す彼女の視線の先、坑道から枝分かれした細い横穴がある。原生生物を虐殺していたレティとトーカを呼び戻し、シフォンにも呼びかける。
「ほんとだ。ちょろちょろ動いてるよ」
現状、黒ミミズを見ることができるのはイザナギと『占眼』を使用したシフォンだけだ。眼に怪しい紫色の光を帯びたシフォンが、イザナギの見つけた黒ミミズの存在を認める。
「とりあえず撮影してみるか」
俺は〈ホムスビ〉でインベントリに突っ込んできた複数の大型カメラを取り出し、三脚で安定させる。全てをケーブルで繋ぎ、『高精度撮影』を使ってみる。
「いくらでも雑魚が湧いてきますね!」
「雑魚がいくら集まろうと雑魚には違いありません」
「うへへへっ。レティさんのお手を煩わせるまでもないですよ!』
出力にしばらくの時間がかかるが、坑道の前後から集まってくる原生生物たちはレティ、トーカ、Letty、ミカゲ、エイミーと最強の布陣によって退けられているのでゆっくり作業ができる。
「どう? おじちゃん」
「うーん、ダメだな。何にも映らん」
だが、撮影の甲斐もなく写真にはただの薄暗い坑道の壁しか映らない。試しに調査開拓用機会人形のカメラアイをクラックして視界の表示制限を解除してみるが、やはり黒ミミズと形容できるようなものは見つからない。
「よし、次の手だ。シフォン、見えてる黒ミミズをできるだけ詳細にスケッチしてみてくれ」
「はええ……。やっぱりやるの?」
カメラで映らない、肉眼でも見られない。となれば視認できる者に描いてもらうほかない。〈ホムスビ〉の売店で買ったスケッチブックを渡すと、シフォンは露骨に気の進まない表情になる。
「わたし、〈筆記〉スキル持ってないよ?」
「とりあえず姿が分かればいいんだ。ざっくり描いてみてくれ。それをT-1に送ったら何か進展するかもしれない」
「うぅ……」
初心者用のスケッチブックを使えば、〈筆記〉スキルがゼロでも絵は描ける。確かにスキルがあれば精密な模写もできるだろうが、そこまでの精度は求めていない。
「スクショ撮っても映らないんだから、仕方ないさ」
「うぅぅぅ……」
一応、シフォンが黒ミミズを視認できている状態でスクリーンショットも撮ってもらった。そっちにはしっかりと、なんの変哲もないただの坑道しか映っていなかった。そう簡単には姿は現さないというミミズの強い意志を感じた。
『パパ。イザナギも描く』
「そうか? じゃあよろしく頼むよ」
手を伸ばしてきたイザナギに、予備のスケッチブックを渡す。彼女はシフォンがペンで描き始めている様子を見ながらページを捲った。スケッチブックと一緒に買ったクレヨンを渡すと、早速白紙に塗り始める。
「昔やった写生大会を思い出すねぇ」
「ラクトもやったことあるのか」
「地元のお城とかね。わたしは絵心ないから全然上手くなかったけど」
シフォンとイザナギが描き進めている間、特にやることもなくラクトたちと話に花を咲かせる。写生大会とはまた懐かしい。絵とはあまり縁のない生活だったが、画板を抱えて歩くというのは仮想現実では得られない体験ということで、最近の学校教育でも積極的に取り入れられている。技術が発達するにしたがって、逆にそういった素朴な体験の価値が見出されているのだ。
「シフォンも美術の授業は受けてるんだろ?」
「中学の成績は悪かったし、高校は書道選択なの!」
唇を尖らせながらシフォンはペンを動かす。昔はよく俺がゲームをしている側で落書きして遊んでいたから、てっきり絵を描くのは今でも好きなのかと思っていたのだがそうではないらしい。
子供の成長は早いものだ。
「とりあえず描けたよ」
十分ほどかけて、シフォンが一枚の絵を描き上げる。恥ずかしそうにしながらこちらへスケッチブックを差し出してくる。
「ど、どう……? できるだけリアルに描いたつもりだけど」
「おお……」
シフォンのスケッチブックに描かれていたのは、坑道の風景。そして、枝道の方から漏れ出す細く黒い影。もやが滲んでいる様子が描かれている。
「上手いじゃないか。どんな感じかなんとなく分かるぞ」
「自信ないからどんなものかと思ったら。よく描けてるじゃない」
「うんうん。たぶん、わたしよりよっぽど上手いよ」
俺の背後からスケッチブックを覗き込んだエイミーとラクトも感心する出来栄えだ。確かにめちゃくちゃ美麗で精巧なイラストというわけではないが、シフォンらしい可愛らしさもありながらしっかりと光景が記述されている。
「そ、そうかなぁ? えへへ」
賞賛を受けたシフォンはもじもじと身をくねらせる。このまま練習すれば、きっともっと上手くなる。そう思うのは身内贔屓だろうか。
『パパ、できた』
そこへイザナギも手を挙げる。彼女は手のひらと頬をクレヨンで汚しながらも、達成感に満ちた顔でスケッチブックを持ってきた。
「どれどれ……。ううん?」
それを見た俺は思わず首を捻る。シフォンの絵と見比べてみるも、どうにも違和感がある。
「これ、おんなじ風景?」
「それにしてはちょっと……」
ラクトとエイミーも同じ感想を抱いたようだ。
イザナギの描いたスケッチブックは、そのほとんどが真っ黒に塗りつぶされていた。かろうじて坑道の柱なども見え隠れしているが、ほとんどが黒だ。シフォンのイラストと比べると、黒い物体の大きさが全く違う。
「シフォン、どう思う?」
「はええっ? こ、こんなに大きくないと思うけど……」
彼我を見比べたシフォンも戸惑いの表情だ。
簡単に言えば、シフォンとイザナギでは見えている黒ミミズの大きさか量にかなりの違いがあるかもしれない、ということだろう。
「イザナギ、本当に黒ミミズはこんなに大きいのか?」
『うん。最初はチョロチョロしてる。でも、ずっと見てると、どんどん大きくなる』
イザナギの言葉に更に疑問が深まる。彼女に問いを重ねてみると、最初はやはりシフォンと同じような光景だったらしい。しかし、絵を描くためにじっくりと見ているうちに、徐々にこれほどの規模になっていたという。
「今はどうだ?」
『もういない』
「いない?」
更にイザナギは不思議なことを言う。
シフォンに確認してみれば、彼女も驚きの目で周囲を見渡す。
「あれっ? さっきまでモニョモニョしてたのに」
少し目を離した隙に黒ミミズが消えてしまったらしい。狐に摘まれたような顔をして、俺たちは顔を見合わせる。その時だった。
「レッジさぁああああんっ!」
坑道の奥から切羽詰まった声が響く。何事かと立ち上がって見ると、血相を変えたレティとLettyとトーカが猛烈な勢いで駆けてきていた。
「どうした!?」
「な、なんか分かんないんですけど、分かんないんですけど!」
相当慌てているようで、彼女は支離滅裂な事を叫ぶ。彼女を補足するように、Lettyとトーカが続いて口を開く。
「切り捨てたはずの原生生物が一斉に蘇りました!」
「しかも何やら合体して、すごい化け物に!」
「はぁ?」
突拍子もない言葉に耳を疑う。だが、それを聞き直すよりも早く、レティたちの背後で轟音が響いた。
坑道の硬い岩盤を突き破って現れたのは、巨大な原生生物の塊だった。モグラ、ミミズ、コウモリ、トカゲ、その他様々な原生生物をぶつ切りにして一つに固めたような、グロテスクなキメラだ。それは身体中の眼を濁らせ、口から黒い靄を吐き出している。狂乱したような不安になる動きで、自壊しながら怒涛の勢いで迫ってくる。
「うおおおおっ!?」
「はえええっ!?」
俺たちは揃って驚愕の声をあげる。
エイミーとラクトの動きは迅速だった。分厚い氷壁がレティたちと謎のキメラの間に立ち上がり、更に巨大な障壁が蓋をする。直後に大きな衝突音が響き、氷壁に深い亀裂が走る。
「はあっ!? 結構硬めにしたつもりなんだけど!」
あっけなくヒビの入った氷壁に、ラクトが目を剥く。
圧力は急激に高まり、ものの数秒で氷は砕ける。次に立ちはだかる障壁も長くは保たないことが容易に想像できた。
あのレティたちが逃走を選んでいる時点で、あのキメラが只者ではないことは明白だった。
「イザナギ、逃げるぞ」
『うん』
イザナギとラクトを脇に抱え、走り出す。
「ええい、足止めだけでも!」
「巻き込まれるなよ!」
ラクトとエイミーが追加の壁を展開して、時間稼ぎをしてくれる。
その間にシフォンも逃げる準備を整え、レティたちも距離を稼ぐ。
「ミカゲ!」
「『錯落煙幕』ッ! 『茨の呪縛』ッ!」
後ろの警戒をしていたミカゲも駆けつけ、特殊な煙幕を展開する。更に行動阻害の呪いも投げつけ、キメラの動きを抑えようとする。
「っ!?」
しかし、黒い呪力で編まれた茨が歪なキメラに届いた瞬間、ミカゲは目を剥く。
キメラがバクリと大きく口を開き、その茨を喰ったのだ。
「さっきのは俺も見えた」
「なかなかヤバそうね……」
「逃げますよ!!!」
レティが叫ぶ。彼女は文字通り脱兎の如く走っていた。
俺たちもそれに続き、坑道を遡っていく。
「レッジ、他のプレイヤーのところにトレインしちゃうよ!」
俺に抱えられたままラクトが言う。
エネミーを引き付けたまま他のプレイヤーのもとへ飛び込み、押し付けたり轢き殺したりする行為はトレインと呼ばれ、悪質な行為とされる。場合によっては運営から処罰も下るものだ。
「クソッ! エイミー、ラクトとイザナギを!」
「ええっ? うわあっ!?」
俺は脇に抱えていた二人をエイミーに預ける。驚く彼女たちを急かしながら、自分はその場に立ち止まる。
「ギリギリ、間に合うか……?」
俺はインベントリからテントを取り出す。それの展開が完了するまで時間がかかる。猪突猛進の勢いで迫るキメラに間に合うか、ギリギリのところだがやるしかない。
「レッジさん!?」
「ここは俺に任せて、みんなは逃げろ! そんでもって、応援を呼んでくれ!」
レティたちに振り向く事なく叫ぶ。その間にもゆっくりとテントが展開されていく。
坑道の閉鎖空間で助かった。通路を蓋するように展開できれば、それで十分だ。かなり時間は短縮できる。
だが――。
「間に合わないか。仕方ない!」
テントの展開は遅く、キメラの侵攻は速い。
俺は覚悟を決めると組み立て途中のテントを飛び越え、化け物と直接対峙した。
━━━━━
Tips
◇スケッチブック
気軽に絵を描くことができる画用紙。1冊で20枚。〈筆記〉スキルがなくとも初心者用の画材を用いることで使用できる。
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