第989話「新曲と新事実」

 ヘッドセットを装着し、睡眠導入の特殊な電磁波によって意識を落とす。次に瞼を開いたときには、仮想現実世界だ。


「こんにちは、ミネルヴァさん。わざわざご足労いただきありがとうございます」

「ご足労もなにも、徒歩0秒でしょ」


 仮想現実とはいえ、惑星イザナミにやってきたわけではない。ここは私の所属する音楽レーベルの仮想事務所だ。一応、都内にも物理的なオフィスがあるらしいけど、大半の業務はこの仮想空間で行われる。その方が色々と便利なのだ。

 私の目の前にやって来てぺこりと頭を下げたスーツ姿の彼女は、担当マネージャーの美原さん。もうかなりの付き合いになるのに、未だに敬語が崩れたところを見ないビジネスウーマン。


「それで、進捗はいかがですか?」


 エントランスから侵入権限の制限された打ち合わせ用のプライベートルームへと切り替えながら、美原さんは単刀直入に聞いてきた。

 進捗――つまり、私がSRミュージックエンターテイメントからの依頼を受けて製作している楽曲について。

 SRミュージックエンターテイメントといえば、言わずと知れた清麗院グループの系列企業だ。そんな大企業からの直々のオファーを無碍にするような度胸も理由もない私は、それを二つ返事で引き受けた。……引き受けたはいいものの、思うように曲を書くことができないスランプに陥っていて、スケジュール的にもかなり切羽詰まっていたのだ。

 今回の打ち合わせも、なかなか音符を出せない私を見かねた美原さんがわざわざセッティングしてくれたものだ。いつもは画面越しのリモートミーティングばかりだったけど、流石に面と向かって話すとなると心構えも変わってくる。人間のコミュニケーションは言語的なものよりも非言語的なものの方が圧倒的に割合を占めていて、画面越しの会話ではそのほとんどが欠落してしまうという話もある。仮想現実だとしてもリアルボディスキャンで生成したアバターで話し合えば、何かしらの成果は出るだろうと彼女が考えてくれた。

 けれど、椅子に座って、コーヒーを取り出す美原さんに、私は得意満面の笑みでデータを送った。


「あら?」

「まだ荒削りですけど。書けました」


 メガネの奥の目を丸くする美原さん。いつもクールな表情を崩さない彼女のそんな反応を見て、私は少し嬉しくなった。


「三日前は絶望の袋小路といった様子でしたよね?」

「その後色々リフレッシュして、スランプ脱却したんです。二日で書きました」

「すごいですね……」


 美原さんは私がFPOをやっていることこそ知っているものの、自身はゲームを全くやらないらしく、どんなことをしているかまでは知らない。ましてや、私がそこでレッジと旅行をしていたことも分からないはずだ。

 この数日で見違えるような変化を見せる私に、彼女は奇妙な目を向けてきた。


「ですが……ラブソングですか」

「えっと、それは……」


 再び楽譜に目を落とした美原さんがぽつりとつぶやく。突っ込まれるだろうと思いつつも、あまり触れてほしくなかったところでつい口籠もる。

 今回書いた曲はラブソングだ。元々はそんなつもりはなかったのだけど、筆が進むままに書いていると、何故かこんなメロディが完成してしまった。

 ミネルヴァはメジャーデビューを果たしてから今まで、ラブソングを発表したことはない。数年前、ただの配信者でしかなかった頃に若気の至りで書き殴ったものが最後だ。


「だ、ダメですか……?」


 不安になって、指を絡ませながら聞く。美原さんは静かにじっくりと譜面を読んでいた。

 徹夜明けのテンションで譜面を放り投げたけど、今更になって恥ずかしくなってきた。なんか、ヤバい歌詞書いていた気がする。大丈夫だよね?


「――とてもいいです。ミネルヴァの新しい一面が垣間見えて、素敵な歌詞だと思います」


 顔を上げて開口一番、美原さんはそう言った。

 彼女の言葉を理解するのに、少しの時間を要する。体の硬直が解けたと同時に、私は思わず美原さんに飛びついていた。


「ありがとうございます!」


 柔らかな胸に飛び込んだ私を、美原さんは優しく受け止めてくれる。私の背中を優しく叩き、気持ちを落ち着かせてくれる。


「――ただ、これは少し直接的ですね。歌詞を読んだらすぐにレッジさんの事だと分かりますよ」

「んえっ?」


 美原さんの口から飛び出した言葉に、妙な声が飛び出す。

 彼女の言葉を理解するのに、少しの時間を要する。

 なんで美原さんがレッジのことを? あれ? ていうかもしかしてFPOやってる?

 ぽかんと口を開いて間抜け面を晒す私を見下ろして、美原さんは呆れた顔になる。


「私はあなたのマネージャーですよ。それくらい把握してるに決まってるじゃないですか」

「んええっ!?」


 今明かされる衝撃の事実に飛び上がる。

 わ、私は美原さんがFPOやってることなんてつゆほども知らなかったのに、彼女は一方的に私の正体を知っていたらしい。


「あっ、えっ、みっ、だっ」

「名もなき一般プレイヤーですよ。あなたみたいにトッププレイヤーとして活躍しているわけでも、レッジさんたちみたいにとんでもないことやってるわけじゃないです」

「ええええっ……」


 美原さんはいったい誰なのか、そんな事を聞きたくて出てきたぶつ切りの言葉を、彼女は的確に解読して答えてくれた。いや、答えになっていないのだけど。

 今度こそ顔から火を吹きそうなほど恥ずかしくなる。

 FPO内でのネヴァは、ミネルヴァとは全く違う性格だ。だからこそしがらみもなく自由にやっていたのに、まさかこんな身近に正体を知る人がいたなんて!


「ミネルヴァが仕事ばかりで心身を病みそうになっていたとき、FPOに出会ったというのも知っています。むしろ、それがきっかけで元気になったあなたを見て、私も少し興味を覚えたんです」

「言ってくれれば案内したのに……」

「プライベートなところでビジネスパートナーと会いたくはないでしょう?」

「それとこれとは話が別でしょ……」


 ともかく、美原さんはとうの昔に私がネヴァとして調査開拓活動をしていたことを存じていたらしい。


「まさか、今回のオファーって」

「私が先方に持ちかけました」

「やっぱり!」


 なんでSRミュージックエンターテイメントが私の調査開拓活動を把握しているのか少し疑問だったのだ。美原さんにしか言っていないし、配信でも話したことはなかったから。


「とりあえず、歌詞はもう少しぼかした方がいいですね。“貴方の槍が私の心臓を貫いた、貴方の刃が私の服を切り裂いた”とか――」

「あああああっ!!! わ、分かってるわよ! 全部書き直す!」


 FPO民に真正面から突っ込まれるほど恥ずかしいことはない。私は慌てて歌詞を書いたテキストファイルを開き、直接的な表現を削除していく。

 FPOで実際に管理者たちが歌うとはいえ、ミネルヴァとネヴァの関係は誰も知らない。だからちょっと調子に乗っても良いかなって思っただけなのだ! そもそも、この歌詞は深夜のノリと勢いで書き殴った草稿だ。つまりここから推敲していくのが当然なのだ。だから、これで決定というわけではない。


「“流星が夜天をめぐり、火花と共に君に抱かれる”というところは、昨日の墜落事故のことですか?」

「ああああああああっっ!!!! なんで知ってるの!?」

「それはまあ、ディープ系の情報サイトで記事がすっぱ抜かれてましたので」

「はぁ!?」


 美原さんが見せてくれたのはFPO内でわざわざ雑誌という形でのみ販売されている俗物な週刊誌だった。私も知らない情報系バンドが書いているものらしく、アストラとケット・Cとメルによる三角関係やら、管理者姉妹の嫉妬入り乱れる話やら、いかにもな内容が並んでいる。そんな中に、墜落した騎士団の飛行機から私とレッジが脱出したことに関する記事も載っていた。


「美原さん、こういうの読むの……」

「ネヴァに関する記事はほとんど集めていると自負しています」

「優秀なマネージャーねぇ」


 真顔で答える美原さん。彼女はこんなキャラだっけ? と首を傾げる。私が珍しくラブソングなんて書いたのと同様に、彼女の知られざる一面も知ってしまった。


「これからもネヴァさんの前には現れないつもりですので、ご心配なく」

「それが心配なんだけど」


 これからFPOやるたびに誰が美原さんかビクビクしながら過ごすことになりそうだ。むしろ、正直に打ち明けてくれた方が気が楽まである。


「まあ、ミネルヴァが熱愛報道ですっぱ抜かれるのはやめてもらいたいですが、ネヴァとしてどう活動しようがこちらとしては何も言いませんので」

「どっどっ、どういうことですか」

「色々頑張ってください、ということです」


 美原さんの優しい笑顔。その言わんとすることを察して震える。


「いや、その、私は別に、レッジとそういう……」

「まだウジウジ言ってるんですか? それじゃあレティさんたちと一緒ですよ。兎が寝ている間に追い抜かないと」

「私は亀ってこと!?」

「せっかく付き合いが長くて一歩リードしてるんですから。〈白鹿庵〉の皆さんに差を見せつければいいじゃないですか」

「美原さん、結構詳しいわね」


 絶対この人がどのプレイヤーなのか、早急に解明しなければ。私はそう心に固く誓う。

 ひとり決意する私をよそに、美原さんは譜面を見て眉を上げる。


「曲のタイトル、これでいいんですか?」

「あっ。そ、そこはできれば変えたくないっていうか……」

「でもあからさまじゃないですか?」

「でも……」


 今回の楽曲のタイトル、とてもしっくり来ている。もはやこれ以外にはないとすら思っている。確かにあからさかかも知れないけれど。

 渋る私に、美原さんは熟考の末息を吐く。メガネの奥の瞳が優しく細められる。


「いいですよ。これでいきましょう」

「ほんと!?」

「ええ。ミネルヴァの想いが詰め込まれた楽曲ですから」


 彼女にそう言われて、私は思わず飛び上がる。

 飄々とした、掴みどころのない年上の男性。いろんな女の子たちから密かに想いを抱かれながらも、そのメッセージをするりと避けてしまう風来人。そんな彼のそばに居て、ずっとそんなつもりはないと思っていたのに。気づけば彼女も彼のことを見ていた。


「フォートレスハート」


 鉄壁の心を握らんと、果敢に攻め入る少女の物語。


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