第988話「弾む気持ち」

 騎士団の情報収集戦闘部隊の第三陣を見送り、アイと共に行っていた音響調査にも一区切りがつく。第三陣にはアイの要請で音響機材を積み込んだ車両も同行したとのことで、彼らによって俺の立てたいくつかの仮説も検証されることだろう。

 テント村自体も騎士団による設営があらかた完了し、大型輸送機も物資ではなく人員を中心に運び始めていた。

 流石に今回の初接敵で“滄浪のソロボル”を討伐することはできないというのが大勢の見方のようで、現場も今回は情報収集に徹している。猛獣侵攻スタンピードもすっかり落ち着き、周囲の緊張も適度にほぐれているように見えた。


「レッジ」


 休憩室でコーヒーを片手に休んでいると、開いているドアが控えめに叩かれる。振り返ると、ネヴァがそこに立っていた。


「ネヴァか。そっちもお疲れさん」


 コーヒーを淹れて、席に促す。彼女もついさっきまで遺跡島を東奔西走していた。そのおかげでフツノミタマも八割以上が機能を回復させ、順調にソロボルへ弾頭を打ち込んでいる。

 修理部隊の活動もひと段落して、ようやく休む暇ができたのだろう。彼女はコーヒーカップを持ち上げると、冷えた体を温める。


「すまんな。せっかくのオフだったのに」


 元々この島に来たのは綺麗な月蝕を見るためだった。毎日働きづめの彼女の息抜きのためだったというのに、結局彼女は八面六臂の活躍をしてしまっている。


「レッジが謝ることじゃないでしょ。ま、レッジと一緒にいれば何かしら起きるとは思ってたけど」

「ええ……」


 クスクスと笑うネヴァ。そんな、人を疫病神みたいに……。


「戦場鍛治師の真似事なんてしたことなかったし、新鮮で楽しかったわよ」

「それならよかったんだが」


 ネヴァの表情はさっぱりとしていて、疲労の色こそ滲んでいるものの不機嫌な様子はない。本人がそう言っているのなら、ことさら謝り続けるのも失礼だろう。


「そ、それでね……」


 ネヴァが改まった様子で膝をこちらに向ける。彼女はコーヒーをテーブルに置き、俺にまっすぐ視線を向けてきた。


「なんだ?」

「ええっと、その……」


 もしかして、本当は怒っているのだろうか?

 ネヴァは何と言おうか悩んでいるのか、口の中で舌を動かす。よく見ると顔も薄赤くなっているし、眉間に皺も寄っている。やっぱり、こんな事態に巻き込まれて怒って――?


「あっ! そのっ! そ、そろそろログアウトする時間で!」

「ええええっ!?」


 ネヴァが大きな声で叫んだ瞬間、休憩室のドアの影から人が転がり込んでくる。ぎょっとして見てみれば、戦場鍛治師のカナとその相方であるユーマ、さらにネヴァと行動を共にしていた修理部隊の面々だ。

 彼らも自由になったはずなのに誰一人休憩室に来ないと思ったら……。なんで廊下で待ってたんだ?


「ネヴァさん! ほんとにそれでいいんですか!?」

「む、無茶言わないでよぉ」


 困惑する俺を放って、ネヴァはカナと何やら話し込んでいる。ホルドたちの生温い目が何故か突き刺さる。俺は何かまずいことをしたのだろうか。

 しかし、よくよく考えてみれば確かに時間も巡っている。ネヴァは規則正しい生活をしているし、そろそろログアウトしないといけないのだろう。


「そういうことなら、俺も帰るか」

「えっ? い、いいの?」


 空のカップを消して立ち上がると、ネヴァが驚いた顔でこちらを見る。


「いいも何も、ネヴァを連れてきたのは俺だろ。最優先はネヴァだよ」

「そ、そう? 最優先……」


 こほん、と空咳をしてネヴァが立ち上がる。


「そう言うことなら、送ってもらおうかしら」

「よろこんで」


 そもそも今回のソロボル出現はかなりイレギュラーなことだし、最後まで付き合う必要もない。あとはアストラたちに任せておけばいいだろう。

 帰りの足にヤタガラスは使えないため、アストラに輸送機の手配を頼みに行く。


「すまない、今日はこの辺で引き上げさせてもらいたい」

「分かりました。もう遅い時間ですしね」


 指揮所で忙しくしているアストラは、嫌な顔ひとつせずに快諾してくれる。爽やかな笑顔を浮かべる彼に感謝して、洋館自体はそのまま置いておくことにする。俺の管理下を外れると回復効果などはなくなるが、建物としてはそのまま残しておいた方が何かと便利だろう。


「“リトルスター”の同型機で、〈スサノオ〉まで送りますよ」

「本当か? それは助かる」


 アストラは気前よく、騎士団が保有している極超音速機まで手配してくれた。彼に感謝しつつ仮設滑走路へと向かうと、輸送機の荷下ろしを監督していたアイと出会った。


「アイ、俺たちはそろそろ帰るよ」

「そうですか。ああ、もうこんな時間なんですね」


 アイはそこで初めて時間を見たようで、驚いた顔になる。


「レッジさんのおかげで初期対応がスムーズに進みました。ネヴァさんも、ありがとうございます」

「私は何もしてないわよ。戦場鍛治師のカナが良い腕してるから、彼女を労ってあげて」

「分かりました。――また、そのうちソロボルの討伐作戦も実施すると思いますので、その時はよろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ」


 アイと別れ、やって来たリトルスターへ乗り込む。騎士団のパイロットは既に行き先まで指示されており、スムーズに滑走路を走り出し、やがてふわりと飛び上がる。

 遺跡島を取り囲むソロボルの長大な体を飛び越え、次々と放たれる光線を掻い潜り、安全圏へと脱する。


「ねぇ、レッジ」


 夜の海と光を放つ島々を眼下に、ネヴァが口を開く。


「今日はありがとう。楽しかったわ」

「そうか? なら良かったよ」


 色々と予期せぬ出来事も多かったが、彼女がそう言ってくれるのなら成功だ。


「スランプは打破できそうか?」

「そうね……。分からないけど、できると思うわ」


 キャノピーに映る彼女の横顔は柔らかい笑みを湛えている。

 音すらも置き去りにした狭い機体の中で、彼女の楽しげなハミングが聞こえる。

 今日も、彼女はミネルヴァのメロディを口ずさんでいた。


「あー、すみません。お二人ともパラシュートの用意してもらっていいっすか?」

「えっ?」

「あ、大丈夫っす! 一応の用意なんで。ほんとに使うことは5回に1回くらいしかないんで!」

「えっ?」

「あっ」

「えっ!?」


 夜の空に一筋の光が走る。一度大きな花を開かせ、それは鮮やかな炎を広げる。

 俺とネヴァと騎士団のパイロットは、緊急脱出装置によって空へ飛び出し、悲鳴を上げて〈スサノオ〉近くの森へと落ちていくのだった。


━━━━━

Tips

◇緊急脱出パラシュート

 〈ダマスカス組合〉によって開発された緊急時の使用を想定したパラシュート。試験飛行機などのパイロットが使用するため、安全性は高い。何度も改良が重ねられており、現在は127世代目。無数の屍を乗り越えてきたその信頼性は高い。


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