第982話「月が翳る頃」

 ヤタガラスが駅に到着し、〈老骨の遺跡島〉へと降り立った。


「ここもしっかりと見たことはないわねぇ」


 自然溢れる島を見渡し、ネヴァが腕を伸ばす。

 第二開拓領域の最前線〈老骨の遺跡島〉は、いくつもの朽ちた建造物が散在する謎に満ちたフィールドだ。木々が密集し、ツタが絡まりあっている密林は蒸し暑く、視界も悪い。生息する原生生物は機敏に木から木へと飛び回る者も多く、なかなかの強敵ばかりだ。


「あれが遺跡島の目玉ね」


 そう言ってネヴァが指差したのは、島の外周をぐるりと囲むようにトグロを巻いた、巨大な骨である。全長およそ8km、高さは24m。無数の肋骨が並び、そこに緑の侵蝕も広がっている、古い化石だ。

 〈老骨の遺跡島〉の名前の所以とも言われている巨大な原生生物の痕跡で、これを調査することを専門としているプレイヤーも数多い。現段階ではかつて存在した原始原生生物のものであろうと言われているが、それ以外の詳しいことは何も分かっていない。


「なかなか格好良いだろう?」

「そうね。迫力はあるわ」


 彼女をこの島に連れてきたのは、このファンタジックな絶景を見せたいがためだった。こればかりは写真で見せてもなかなか伝わらないものがある。世界すら狭く感じるほどの圧倒的な存在感に呑まれるような感覚は、実際に対峙しなければ得られない。


「あんなのが動いたら大変だろうな」

「変なこと言わないでよ。レッジが言うと洒落にならないわ」

「なんでだよ……」


 真面目な顔で忠言してくるネヴァに肩をすくめる。

 一時期はあの骨が何らかの条件で動き出し、ボスやレイドボスとして戦うことになるのではないか、という噂もあった。実際〈霊術〉スキルを使えばああいった骨だけの原生生物を使役することもできるからな。

 とはいえ、噂は噂のまま霧散してしまっている。あのような巨体が動き出せば、たとえ骨であろうと倒すのは苦労しそうだ。まさに骨を折るといったところか。


「レッジ、なんかしょうもないこと考えてるでしょ」

「そ、そんなことないぞ。ほら、あっちにキャンプがあるから行ってみよう」


 じっとりとした目を向けてきたネヴァから逃げるように、俺は駅の近くに広がっているキャンプ村へと移動する。有志のキャンパーたちが自然に集まって形成しているキャンプ村は、調査開拓活動の拠点となっている。出張鍛治職人や行商人なども集まり、ここだけで大抵の物資補給が事足りるようになっているのだ。


「いらっしゃい! 調査のお供にエナジーバーはいかが? 今なら抹茶生姜トマト味もあるよ!」

「武器の修理は任せろ! 修理剤はこっち持ちで、最低20kからだぞ!」


 夜の迫る時刻だと言うのに、キャンプ村は賑やかだ。調査を終え疲労困憊で戻ってきたパーティが大鍋のシチューで体を癒し、暗視スコープを着けた一団が意気揚々と密林の中へ消えていく。商品が高すぎるとクレームをつける客に、それなら〈ミズハノメ〉へ戻れとけんもほろろな対応を見せる商人もいる。


「ネヴァから見て、出張修理はどうなんだ?」

「どうって言われても、別に良いんじゃない? 設備に制限があるから、工房並みのメンテナンスは期待できないけど」


 鍛治職人や木工職人といった武装を手がける職人たちの中には、自らフィールドに出かけて、現地で破損した武器や防具を修理することを生業としている者もいる。出張修理師とも呼ばれる彼らは、こういった町に帰る時間すら惜しい攻略最前線などで心強い存在だった。

 とはいえ、現地での修理となると大型の設備は使えなかったり修理に必要な素材が満足に集められなかったりと制約も多い。それに、手間賃なども嵩むため、修理費は割高になる。俺やレティたちなんかは基本的にフィールドから帰ってきたタイミングでネヴァに点検を任せているから、彼らを利用したことはあまりない。


「出張修理だと自分の作ったもの以外も修理しないといけないんでしょ。それは結構難しいと思うわよ」


 同じ生産職として分かることもあるようで、ネヴァは折りたたみの椅子に座っている鍛治師を見て言う。出張修理師は依頼される武器や防具も千差万別だ。それら全てに対応しなければならないと考えると、なるほどまた違った苦労が見えてくる。


「よし、じゃあ行くか」


 キャンプ村を軽く巡った後、いよいよフィールドの奥へと足を向ける。


「本当に大丈夫よね?」

「任せろって。大船に乗った気持ちでいてくれればいいから」


 珍しく不安げなネヴァと共に、密林の中へと足を踏み入れる。ライトの灯りが煌々と照らされていたキャンプ村とは打って変わって、薄暗い闇の中だ。ランタンとランタンドローンの光を頼りに、俺はマップに予め記しておいたルートを進む。


「ひゃっ!?」

「うおっと。大丈夫か?」

「だ、大丈夫……。根っこに躓いただけ」


 ネヴァはかなりビクビクしていて、少し足を取られただけで俺の腕に自分の身を押し付けてくる。タイプ-ゴーレムのネヴァに寄りかかられると重量で押しつぶされそうな恐怖を覚えるのだが、それを馬鹿正直に伝えないくらいの分別は俺にもあった。


「俺の手……はちょっとまずいから、裾でも掴んでてくれ」

「そうするわ」


 片腕が塞がれると咄嗟の時に動けなくなる。ネヴァは俺の服を指先で摘んでついて来た。

 密林の奥地からはギャアギャアと鳥獣の声がひっきりなしに聞こえてくる。幸い、このフィールドに生息しているのはそのほとんどが猛獣系に分類される原生生物ばかりだ。ランタンの光と獣避けの匂い袋のおかげで、襲撃してくる奴はなかなかいない。


「うー。バーでお酒飲んで終わりでも良かったのに」

「それだけじゃあ物足りないだろ。良いもの見せてやるから」


 唇を尖らせるネヴァを宥めすかしながら、森の中を進む。倒木を乗り越え、ツタを掻き分け、奥へ奥へと進んでいくと、やがて少し開けた場所へ出る。


「わっ」


 ネヴァが声を上げる。

 そこにあったのは、島の入り口からもよく見えた巨大な骨だった。地中に半分埋まってなお、見上げるほど巨大な骨がそこにある。苔生しているところに、その歴史の長さを感じさせる太古の化石だ。


「大きいわね」

「間近で見るとまた違うだろ?」


 地面に突き刺さった肋骨の周囲にはいくつかのテントが建っている。化石を調査しているプレイヤーが拠点としているものだ。

 かなりの年月が経ってなお自重で崩壊することもないこの骸は、実際にかなりの頑丈さを誇る。調査開拓員たちが猛烈な攻撃を仕掛けてもなかなか壊れないため、サンプルも取れないほどだ。

 今も調査を続けているプレイヤーたちに軽く挨拶をして、肋骨に掛けられた梯子を登る。


「ほら、こっちだ」

「ま、待って。あんまり速く進まないでよ」


 一足先に肋骨の上に登り、ネヴァを待つ。彼女は慣れない様子ながらも、ゆっくり慎重に登り、四つん這いになりながらこちらへやってきた。


「背骨の方に行けば広いから安定するはずだ。そこまで頑張れ」

「うわぁ。た、高いわね……」


 下を見ながら、ネヴァはビクビクと声を震わせる。高所恐怖症というわけでもないらしいが、リアルだとこんなところに登るようなこともないだろうからな。FPOのフィールドに慣れていない人なら、大体このような反応になってもおかしくはない。

 ネヴァの手を取り、ゆっくり進む。蛇のような長大な骨の中央へと辿り着く頃には、彼女も少し慣れてきたようだ。


「ほっ。た、立てたわ!」


 俺の手を借りながら、彼女は立ち上がる。視点が高くなり、景色が広がったことに感動した様子で声を弾ませる。


「もう直ぐだな。ちょっと急ぐぞ」

「えっ? ひゃわあっ!?」


 ネヴァの手を引いて、背骨を駆け上る。向かう先は大きな蛇の頭蓋骨だ。トグロを巻いた体の先端で、天を見上げるように鼻先を空に向ける白い頭蓋骨は、島の中でも一際存在感を放っている。


「ちょ、ちょっとレッジ。何を――」

「こっちだ。足を踏み外さないように気をつけろ」


 時間を確認しながら、頭蓋骨の上まで登る。そこにはすでに、数人のプレイヤーが座っており、何かを待ち構えていた。


「ほら、ネヴァ」

「えっ?」


 戸惑うネヴァの肩を叩き、空を指差す。

 太陽と入れ替わりで現れた月がそこに浮かんでいる。そして、徐々に縁が欠けていく。


「月蝕?」

「ああ。ちょうど今日がそのタイミングだったみたいでな。ぜひネヴァに見てもらいたかったんだ」


 フィールドではあるが、この骨の上は原生生物の襲撃も少ない安全地帯だ。そのため、町の光を受けずに星々を観測できるスポットとして知られていた。頭蓋骨に集まってきた他のプレイヤーたちも、今回の月蝕を見るためにやってきたのだ。

 明るく輝く満月がじわりじわりと焦げていく。その様子を見て、パチパチと拍手も起こった。


「綺麗ね……」


 ネヴァもそれを見上げ、言葉をこぼす。その横顔を見れただけで、今回のツアーは大成功といって良いだろう。

 レティたちにもこの月を見せようとカメラを取り出したその時だった。


「うおっ!?」

「ひゃっ!?」


 突如、足元が揺れ始める。周囲のプレイヤーも驚きの声を上げるなか、揺れはどんどんと大きくなる。それが地震であることはすぐに分かった。


「ネヴァ!」

「あ、あわっ」


 パニックになっているネヴァの手を握って、頭蓋骨にしがみつく。ここから落ちたら俺もネヴァもただでは済まない。他のプレイヤーたちも互いに抱き合ったりして、体を固定していた。


「『野営地設置』ッ!」


 足元が悪いが、贅沢も言っていられない。俺はテントを展開し始める。


「レッジ、あれ!」


 上下左右に激震が続く中、ネヴァが声を上げる。彼女は海の方を指さしていた。


「なんだ、あれは……」


 黒々とした海面から、何かの影が現れた。波打つ長い体、ギラついた瞳。それはまるで、巨大な蛇のよう。そう、ちょうど、俺たちが立っているこの骨がそっくりそのまま重なるような――。


『警告、警告』

『〈老骨の遺跡島〉にて大規模な原生生物の活性化が観測されました』

『シード02-ワダツミ管理者により、当該地域で〈猛獣侵攻スタンピード〉が発生したと判断されました』

『〈老骨の遺跡島〉で活動中の非戦闘員は即時退避してください』

『警告、警告』

『〈猛獣侵攻スタンピード〉発生中の〈老骨の遺跡島〉にて、大規模な地震が発生しています』

『〈老骨の遺跡島〉で活動中の全調査開拓員は即時退避してください』


 けたたましく鳴り響くアラート。島の各地に配置されたフツノミタマが起動すると共に島中が騒がしくなる。


「猛獣侵攻!?」

「間が悪い……!」


 第二開拓領域は〈猛獣侵攻スタンピード〉が頻発するという話は有名だ。とはいえ、こんなタイミングで起こらなくてもいいだろうに。

 海から現れた巨大な蛇は、猛烈な勢いで島を取り囲む。その長さは途方もなく、〈老骨の遺跡島〉はすっぽりと囲まれてしまう。


「レッジ!」

「テントの中へ。他のみんなもこっちへ!」


 不安そうにしているネヴァを、立ち上がったテントの中に促す。怯えるプレイヤーたちにも呼びかけ、ひとまず彼らの安全を確保する。


「一体あれは何なんだ……?」


 揺れは激しく、波が荒立つ。慌てて島から離れる船は、蛇の体側に連なる無数の穴から吹き出した光によって爆発している。〈黒猪の牙島〉へ続くヤタガラスの線路は早々に破壊されてしまっていた。

 蛇が頭を持ち上げる。

 天に浮かぶ月を冠に、彼は俺たちを睥睨する。

 その口から放たれた咆哮が、密林の木々を薙ぎ倒した。


━━━━━

Tips

◇巨大な化石

 〈老骨の遺跡島〉に残る巨大な蛇に似た骨格の化石。非常に堅く、現在でも形を保ち続けている。

 その正体は未だ不明であり、調査開拓員各位による調査が期待されている。

 その頭蓋骨はまるで月を望むかのように天を見上げている。


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