第980話「女子会談義」

 レッジとネヴァが慰安旅行を楽しんでいる頃。極超音速機が猛烈な速度で飛び越していったシード01-ワダツミにある〈白鹿庵〉の別荘には、レティたちが揃っていた。


「あれ? レッジさん今日はどこかにお出かけですか?」


 リアルでの用事を終えてログインしてきたレティは、室内を見渡して首を傾げる。いつもならば、彼女がログインしている頃にはすでにレッジもいる。しかし今日は農園にも彼の気配もなく、珍しいこともあるものだとレティは耳を揺らした。


「なんかネヴァのところに行ってるらしいわよ」


 代わりにそう答えたのは、テーブルに雑誌を広げていたエイミーだった。彼女の隣にはラクトが座り、〈ウェイド〉の植物園で新たに追加されたパズルの練習問題を解いていた。畳の方にはトーカが座り、刀の手入れをしているし、ミカゲは忍具を並べて悦に入っている。


「あ、レティも来たんだね」

「シフォン。レッジさんだけがいないっていうのもちょっと新鮮ですねぇ」


 倉庫からシフォンが現れ、〈白鹿庵〉のほぼ全員が一堂に会する。レッジだけが不在という状況はそこそこ珍しく、レティはぱちぱちと目を瞬かせる。


「〈万夜の宴〉で何か準備してるのかしら?」


 雑誌を畳み、レティの方へ向き直りながらエイミーが言う。


「うーん。第二回からは正式に主催が運営に移管しましたし、レティたちがやることってそんなに無いと思うんですけどね」


 レッジと共に“翼の砦”での事前打ち合わせに参加していたレティは眉を寄せる。

 とはいえ、ネヴァはレッジだけでなく〈白鹿庵〉の全員と付き合いの深い専属職人だ。イベント絡みでなくとも、次の装備に関する相談などは彼女たちもよく行っている。


『あら、揃ってるわね』


 レティたちが話していると、裏口からカミルがやってくる。抱えているカゴには新鮮な野菜が山盛りになっており、彼女が農園帰りであることを示している。


「カミル、紅茶淹れてもらってもいいですか? アイスで」

「あ、じゃあ私も。レモンティーにしてほしいな」

「うー、わたしはコーヒーが飲みたいです。ミルクと砂糖をたっぷりめで」


 レティが飲み物を注文すると、ラクトとシフォンがそれに続く。カミルはひとつ頷くと、カゴを抱えたままキッチンに消えていった。


「今日はフィールドに出かけないの?」


 ソファに腰を下ろすレティを見て、エイミーが珍しげな目をする。

 レティと言えばログインしたらすぐに別荘を飛び出して、フィールドでひとしきり暴れるのが日課だった。バリテンチャレンジも自分の記録を塗り替えようと、連日のように通っている。

 けれど、今日の彼女は少し違って、エイミーの問いかけに肩をすくめて答えた。


「今日はちょっと疲れちゃって」

「レティが? 珍しいですね」


 刀を打ち粉で叩いていたトーカの容赦ない言葉に、レティは唇を尖らせる。


「レティだってたまには疲れますよ。ドレス着て、年上のおじさんと握手しまくって。もうふらふらですよ」

「お嬢様も大変ねぇ」


 一度オフ会を経験して以降、別荘のようなプライバシーの守られた空間では彼女たちも少しずつリアルの生活を話題に挙げていた。

 現実では超がつくほどの令嬢であるレティの一般人とは乖離した苦労話に、ラクトたちは苦笑いしか返せない。


「リアルでも体力付けたらいいのよ。筋トレすれば全てが解決するわよ」

「そうですよ。日々鍛錬しておけば、七日程度の絶食はどうってことありません」

「フィジカル勢にはこの悩みが分からないんですよ」


 ムキムキと腕を曲げて見せるエイミーや、真面目な顔で突拍子もないことを言うトーカに、レティは大きなため息をつく。


「そういえば、レティって清麗卒だよね?」


 そんなレティに、助けを求める声が届く。

 期待に満ちた瞳を向けるのは、甘いコーヒーをお供に悪戦苦闘しているシフォンだった。


「そうですけど、どうかしたんですか?」

「課題が全然終わらなくてヤバいの」


 げっそりとした顔でシフォンが言う。彼女の開くウィンドウには、難解な数式がツラツラと並んでいた。


「課題があるならFPOやってる暇ないんじゃない?」

「課題があるからFPOやってるの! ここなら現実の何倍も時間が使えるからね」


 最近の若者は、とでも言いたげなエイミーにシフォンが言い返す。

 感覚が加速されている仮想現実の特性は、何もゲームの専売特許というわけではない。むしろ、この技術はもともと軍事などの分野で効率的に技能習熟を進めるために開発されているという話もある。なのでゲームの中で数学の課題を解くのは理にかなっているのだ、とシフォンは力説した。


「どれどれ。うわぁ、今の子ってこんなに難しいことやってるの?」


 シフォンのウィンドウを覗いたエイミーが目を丸くする。義務教育から離れて久しい彼女の目には、もはや暗号か異星の言語か落書きにしか見えない記号の羅列である。


「私の学校よりもずっと進んでますね……」


 刀を置いてやって来たトーカも唸る。


「清麗は文武両道を謳ってますからねぇ」


 唯一レティだけが懐かしそうな顔で言う。彼女もシフォンと同じ高校に籍を置き、そして無事に卒業した身である。


「ここはこの公式を使うんですよ。あと、この答え間違ってます。途中式の……ここですね」

「はえっ!? うわ、ほんとだ!?」


 シフォンの肩越しに間違いを指摘する。見返したシフォンは、その指摘が合っていることに気付いて驚いた。

 そんなやりとりを見ていた、エイミーとトーカの二人は揃って意外そうな顔をする。


「……レティって頭いいの?」

「失礼ですね!? 一応清麗卒ですからね?」


 ぷんぷんと立腹するレティ。エイミーたちは、普段の行いを省みてから言えと言いたげな顔をしていた。

 調査開拓員レティの普段の所業を見ていると、腕力だけで万事を突破してきた歴戦の脳筋のようにしか見えないが、彼女もなんだかんだと言って才女なのである。


「レティ、問5の2から4まで間違えてるよ」

「うええ? はっ、ほ、本当ですね」


 しかし、誇らしげに胸を張るレティにラクトから指摘が入る。そんなまさかと確認したレティは、実際に間違えている箇所を見つけて膝から崩れ落ちた。


「そんな……。ラクトもよく分かりましたね」

「チラッと見えたからねぇ」


 〈白鹿庵〉で誰が一番賢いかと問われれば、誰もが満場一致でラクトを指し示す。今も複雑なパズルを高速で解きながら、ちらりと目の端に映った一瞬でシフォンとレティのミスを見つけて見せたのだ。


「やっぱり、みんな凄い人たちだよね」


 レティたちを見渡しながら、シフォンがため息をつく。その言葉の裏には「それに比べて自分は」という思いが透けて見えた。


「わたしはただの事務員だよ?」

「ほんとかなぁ?」


 否定するラクトだったが、彼女の住むマンションを知るエイミーは懐疑的な目を向ける。


「〈白鹿庵〉は私以外みんな規格外な人たちですからね。シフォンも凄く優秀な能力を持っていますよ」

「トーカがそれを言うの?」


 励ますつもりだったトーカだが、シフォンに困った顔をされる。

 不穏な空気の流れるリビング。そこへ、キッチンから声が放たれた。


『アンタたちは揃いも揃って変人の自覚が足りないのよ。自分だけは普通だともんな思ってるでしょ?』


 呆れた顔を見せるのは、キッチンで作業をしていたカミルである。


「そ、そんな……。レティは普通ですよ?」

「普通なのは私でしょ」

「一番普通なのは私ですね」


 カミルの言葉を受けて、一同に衝撃が走る。そのあまりに唖然とした顔に、カミルの方が目を剥いたほどである。


『ちなみに一番ぶっ飛んでるのは?』

「それはレッジさんですね」

「レッジ以外にいないねぇ」

「おじちゃんでしょ」


 そこの意見は一致するんだな、とカミルは少し感心した。


『ちなみに、レッジと一番相性がいいのは誰なの?』


 カミルが軽い気持ちで放った言葉。

 小さな小石だと思っていたそれは、彼女たちに大きな緊張を走らせる。にわかに張り詰める空気に、カミルがたじろぐ。


「それはもちろん、レティですよね。なんてったって、付き合いが一番長いですから!」

「レッジの能力と一番シナジーがあるのは機術師だと思うけど?」

「攻守が一体となってこそ完成系と言えるのでは?」

「り、臨機応変に対応できるのは強みだと思うんだけど……」

「レッジは動きが突飛なのよね。それに合わせられるのは大事だと思うわよ」


 一斉に言葉を並べ始めるレティたち。彼女たちの声は混ざり合い、それぞれを聞き分けることも困難だった。

 自分がどれほどレッジとのチームワークを発揮できるかを力説する彼女たちを側から見ていたミカゲは、冷めた目をしていた。


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Tips

◇ホットミルクコーヒー

 たっぷりのミルクと砂糖の甘さが優しいコーヒー飲料。温かさが身に染みて、心の底からリラックス。

 飲むと集中力を高める。詠唱継続率が上昇。


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