第977話「幸せ菓子泥棒」

 シード02-スサノオ、中央制御塔二階。そこには働き口の見つからない上級NPCたちが収容されている高級機械人形格納庫が存在する。デリートを前にして自暴自棄になったNPCが脱走を図ることも度々発生するため、そこは厳しい警備体制が敷かれていた。

 そんなNPCにとっての監獄とでも言うべき施設の最奥に、最も警備が厳重であり、最も脱獄が頻発している檻房があった。


『クックック。この艶やかな黒の輝きは我輩にこそ相応しい……』

『美味しいわねぇ。こんなの、第零期の時はなかったから新鮮だわ』


 その檻房の中はいま、次々とドローンによって運び込まれる無数の洋菓子によって埋め尽くされていた。

 部屋の中央に座っているのは、手足に枷を付けた二人の少女。ブラックダークとクナドである。


『ここの食事はなんとも侘しいものだった。運命に選ばれし御子チルドレンオブデスティニーたる我々にそのような粗末な代物を差し出すとは。ここの管理者はまだ何も理解できていないようだ』


 “ジュエルルージュ”のチョコレートをぽいぽいと口に放り込みながら、ブラックダークが不満を呈する。

 T-1によって機械人形の体に押し込められた彼女たちは、他のNPCたちと同様に栄養を摂取する必要がある。そのため、彼らを拘束しているウェイドが定期的にエネルギーバーを支給しているのだが、二人はそれで満足しなかった。


『前の料理王決定戦だっけ? また、あれに参加したいわねぇ。わざわざ栄養補給をしないといけないなんて面倒な体だと思ったけど、美味しいものを食べるのは楽しいわ』


 ブラックダークの不満にクナドも賛同する。彼女は両手にたっぷりクリームの詰まったエクレアを持ちながら、先日行われた調査開拓員企画を思い出す。あれはほとんどブラックダークの暴走による結果だったが、そのおかげで飛び入り参加することができた。そこで彼女は食事の楽しさを知ったのだ。

 光と水さえあれば半永久的に活動が可能だった第零期先行調査開拓員の時代には知り得なかった快楽であった。


『しかしウェイドめ、我輩たちにこのような極上の美味を秘匿していたとは。我輩が十全の力を保っておれば、今頃この都市は灰塵に帰していたぞ』

『変なこと言わないでよ。そんなことしたらこれも食べられなくなるわよ』

『ぬ、それもそうだな。我輩は慈悲深き慈母のごとき心でこれを赦そう! ――ジ・ノブリスオブリージュ!』

『そのバグった言語機能だけなんとか直せないかしらねぇ……』


 かっこよく決めポーズで叫ぶブラックダークを、クナドは冷ややかな目で見る。とはいえ、ここは他に誰もいない監獄だ。羞恥心による殺戮の衝動に胸を掻きむしることはない。


『能力だけは一丁前なのよね。よく管理者直属のNPCをハックしたわね』


 外界から隔絶された檻房の中へ町中で買い漁ったスイーツを運んでくるのは、管理者が様々な用途に使うドローン型NPCであった。本来ならば管理者の手足となって働くはずの彼らを操っているのは、ブラックダークである。


『我輩の侵蝕能力を甘く見るなよ。フッ、この程度、赤子の手を捻るより簡単だ』

『本当にそうだからタチが悪いのよねぇ』


 シュークリームにかぶりつきながらクナドが嘆息する。

 黒龍イザナギの封印に際して力の大半を失い、更にT-1によって大幅な制限が掛けられてなお、ブラックダークの演算能力は強大だ。彼女に掛かれば、どれほど警備を頑丈にした監獄であっても、風通しのいい公園のようなものでしかない。

 彼女は看守として配置されている警備NPCのネットワークを通じてドローンステーションへとアクセスし、ドローンの制御権を奪取した。更に都市の取引システムにも介入し、次々と遠隔で洋菓子を買い占めていったのだ。


『そういえば、ちゃんと隠蔽はしてるの?』

『フッ、我輩を見くびるなよ〈淡き幻影の宝珠の乙女ファントムレディ〉。我が真名は一切明かしておらぬ』

『ならいいけど。ていうか、これの代金はどこから出てるの?』

『無論、ウェイドの財布からだ』


 ウェイドの財布というのはつまり、都市が管理している金融システムにハックしているということに他ならない。管理者によって経済を操作するための資金を、彼女は各地の洋菓子店へと流し込んでいた。


『美味い! 美味いぞ! なんという美味だ!』

『ほんと、美味しいわねぇ。このクリーム最高だわ!』


 砂糖をふんだんに使った洋菓子は美味いが、他人の金で食べるそれはもっと美味い。ということで二人は辛い監獄生活をひと時忘れて、至福の時間を過ごしていた。


『本当に、楽しそうですね』


 そこへ、氷よりも冷たい声が響き渡るまでは。


『アッ』

『ヒッ』


 大きな口を開けて菓子を食べていた二人が同時に硬直する。ギギギ、とぎこちない動きで視線を扉の方に向けると、ロックしていたはずのそれが大きく開け放たれていた。


『アッ……。スゥーッ』

『何を、やっているのですか?』


 戸口に立ち、美しい笑顔を浮かべるウェイドが尋ねる。

 ブラックダークとクナドは俯き、押し黙る。


『ぎ、偽装は完璧だったんじゃないの? なんでバレてるのよ?』


 クナドがブラックダークを肘で突き、予定と違う事態を追及する。ブラックダークは冷や汗を流しながら、ブンブンと首を振った。


『偽りのヴェールに穴は無かったはず。どうして管理者がこの完璧なる計画を知ったのか、我輩の研ぎ澄まされた思考でも分からない……』

『全く、本当に偽装は完璧でしたよ。わざわざダミーの売買記録まで作って、すっかり信じ込んでいました』


 ブラックダークの偽装は完璧だった。金融システムにまで入り込んだ彼女は、管理者へと届く全ての情報を統制し、自分たちの動きを完全に隠蔽していた。監獄の監視システムにもループするダミーを流して、変化なしを演出していた。彼女たちの凶行が露呈するはずがなかったのだ。


『ではなぜ!』


 ブラックダークが叫ぶ。

 ウェイドは冷めた瞳のまま、彼女に売買記録を送った。


『“深淵より出し暗黒の黒龍を滅殺したる黒衣の騎士ブラックナイト”さんが町の洋菓子を買い占めている、という通報が入ったので』

『は?』


 ウェイドの言葉に、クナドが目を丸くする。信じられない、と震えながらブラックダークを見る。


『あ、あんたまさか、匿名って――』

『完璧な偽名だろう!? “深淵より出し暗黒の黒龍を滅殺したる黒衣の騎士ブラックナイト”の正体が〈黒き闇を抱く者ブラックダーク〉であるとは、誰も予想だにしまい!』

『んなわけあるかバカーーーッ!』


 狼狽えるブラックダークにクナドは絶叫する。こいつに全てを任せていたのが間違いだったと、何度目かの後悔を噛み締める。


『つ、通報者は誰だ! 我輩に楯突くとは愚かな……!』

『言うわけないでしょう。それよりも、あなたは今、私と話す必要があります』


 ブラックダークの追及を跳ね除け、ウェイドが部屋の中に一歩踏み入れる。それだけで、二人は悲鳴を上げて竦み上がった。

 管理者は、輝くような笑みを浮かべていた。


『私の町の、私の大好きな洋菓子をこんなに食べて。おいしかったですか?』

『えっと、その……』

『美味しかったですか?』

『はひっ』


 この場において、どちらが強者であるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 ウェイドがにじりより、二人が後ずさる。しかしすぐに壁が二人の逃げ場を阻み、彼女たちは窮地に追い詰められた。


『ただでさえ砂糖の消費が増えすぎて、T-1から禁輸措置まで仄めかされていると言うのに。随分なタイミングで随分なことをしでかしてくれましたね。私の食べる分がなくなるんですよ』

『エッ。それって私欲なんじゃ――』

『は?』

『ぴえっ。す、すみませんなんでもないです』


 一瞬、ウェイドの瞳が獣のようになる。その明確な殺気にクナドたちは震え、恐怖に歯を打ち鳴らした。


『こ、こんな所にいられるか! 我輩は逃げるぞ!』

『ああっ!? この卑怯者!』


 辛抱堪らずブラックダークが逃げ出す。あまりにも突然のことで、その機敏さにウェイドも一瞬反応が遅れる。彼女の腕を掻い潜って、脱兎の如く駆け出すブラックダークは、一瞬勝ちを確信する。一時はどうなることかと思ったが、このまま脱走できればもはや枷すら外れるだろう。そうすれば、晴れて自由の身である。


『ぬおおおっ!』

「ほら、待て待て」

『グワーーーッ!?』


 だが、彼女の夢は儚く潰える。

 ドアの影からぬっと手が伸び、彼女の襟首を掴んだのだ。


『だ、誰だ! 離せ! この不敬者!』


 ジタバタと手足を動かして抵抗するブラックダークだが、その手はしっかりと握られて離れない。演算能力はともかく、機体性能としては調査開拓員と比べるとかなりひ弱なのである。


「ウェイド、これはどうしたらいいんだ?」

『そのまま捕まえておいてください』

「ええ……」


 ウェイドの指示を受けた男――レッジは困惑する。自身が通報したとはいえ、今回のウェイドはかなりのマジギレである。


『た、助けてくれぇ。わ、我輩もちょっとした出来心だったのだぁ』


 レッジの胸に縋りつき、プルプルと震えるブラックダーク。クナドも今にも泣きそうな顔をしていて、レッジはやりにくそうにしていた。


「ちゃんとおとなしくしてれば、ウェイドもそんな酷いことしないだろ。ほら、誤りな」


 レッジがそう言って、ブラックダークを床に下ろす。そして、彼が手を離した瞬間。


『はっ! 誰が謝るか!』


 これを好機と見たブラックダークがレッジの足の間をすり抜けて脱走する。先ほどの怯えた顔はどこへやら、勝利を確信した憎たらしい笑みを浮かべての疾走だった。

 しかし。


『ふぎゃっ!?』

「だから謝れって……。結構見え見えの罠にも引っかかるんだなぁ」


 檻房を出てすぐのところに仕掛けてあったワイヤートラップによって、ブラックダークが転倒する。レッジが彼女を確保し、ウェイドの元へと持っていった。


「まあ、この後のことは知らないけどな。誠意を見せたらウェイドも少しは優しくしてくれるだろ」

『私は優しいですからね。お二人が反省するまでとことん付き合って差し上げますよ』


 ニコニコと笑うウェイド。

 あっけなく拘束されてしまった二人は、恐怖の表情を浮かべてずるずると連れ去られていってしまうのだった。


━━━━━

Tips

◇商品売買システムの不具合に関して

 シード02-スサノオ管理者より通達。本日、午後13時22分から14時30分にかけて、大規模な商品売買システムの不具合が発生しました。現在、システムは正常に復旧しています。

 今回の不具合によって大量の商品発注を受けた調査開拓員は、管理者によって補填がなされます。万が一、補填対象であるにも関わらず補填を受けられなかった調査開拓員は、経済システム管理部門まで連絡してください。


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