第975話「霧の都市」
シード02-スサノオ、またの名を〈ウェイド〉。霧深い森の中、轟音をあげる大瀑布の下流に築かれた二つ目の都市。その高い防御壁に開かれた穴を潜り、“黒鉄”は都市の中心に聳える白い塔を目指す。その地下にある広大なプラットホームに進入した壮麗な列車は、発車時と同じく滑らかに停車した。
「んーっ! すっごい楽しかったわ!」
ホームに降り立ったネヴァは両手を天に突き出して体を伸ばす。“黒鉄”の車内はタイプ-ゴーレムでもゆったりと過ごせるほど広々とした造りになっているから、窮屈だったわけではないだろう。
シャンパンやワインを何本も空けた彼女だったが、その表情は崩れ切っていない。仮想現実とはいえ飲み過ぎたら泥酔して最悪強制ログアウトもあるのだが、やはりかなりの酒豪だ。
「まだ始まったばかりだぞ?」
すでに満足感に浸っているネヴァに声を掛ける。まだまだ旅行は始まったばかり、旅のしおりは一ページ目だ。俺は乗務員のNPCに礼を言って、ネヴァと共に〈ウェイド〉の町へと繰り出す。
「〈ウェイド〉は木材の名産地なのよねぇ。瀑布で採れる“濡れ杉”なんかが、水属性武器の素材に使いやすいのよ」
「へぇ。確かに“濡れ杉”はよく売れたもんだ」
「地下坑道に出る原生生物なんかに効果的だからね」
街を歩きながら、ネヴァが俺の知らない生産職としての視点で色々な話をしてくれる。俺も〈伐採〉スキルを持っていた時期があるから、このフィールドで伐採に精を出していたことがあるが、切った木がどこへ行くかまでは気にしていなかった。
ネヴァは木材の買い付けにこの街の市場へよく足を運んでいるのだという。
「案外知らないのね。〈ウェイド〉は植物系素材がいっぱい集まるのよ」
「もしかして、研究所があるからか?」
「そういうこと。よく分かってるじゃない」
制御塔の隣に併設された、物々しい警備体制の敷かれた建物。地下に向かって現在も増設が続けられているそれが、〈植物型原始原生生物管理研究所〉である。
元々は俺が栽培した原始原生生物を収容し研究するために作られた施設だが、それによって他の栽培家からも危険な植物が続々と送られてくるようになった。今では収容している植物の種類もかなり多くなり、管理責任者であるウェイドや助手をしているコノハナサクヤもうれしい悲鳴を上げているはずだ。
この研究所では日夜、植物型原生生物に関する様々な研究が進められている。そのため、〈ウェイド〉は最先端の植物由来技術研究の一大拠点としても機能しているのだ。
「最近だと、新しいセルロース構造の高耐久軽量装甲なんかが開発されたりしてるの」
「俺は花を育てるところまでしかやらないからなぁ。みんなの役に立ってるなら、張り合いも出るってもんだ」
今まではただガーデニングの延長くらいの認識で面白そうな種を育てていたのだが、それが回り回って他の調査開拓員たちの役に立っている。そのことを知れて、少しモチベーションが上がった。
ネヴァ曰く、今まで武器や防具の生産における花形といえば金属加工系の
〈鍛治〉スキルだったのだが、ここにきて木材加工系の〈木工〉スキルにも注目が集まっている。鋼鉄製よりも軽量かつ高耐久、さらに安価な木刀なども、初心者向けに開発されているようだ。
「レッジの植物戎衣も研究されてるのよ」
「そうなのか?」
「貴方が取材を受け付けないから、ウチの工房に詰め掛けられてるのよ」
俺が栽培した植物や種瓶、植物戎衣などは基本的にネヴァの工房に販売を委託している。そのことで迷惑を掛けていると知って謝ると、「迷惑料も込みで儲けてるからいい」と一蹴された。
「っと、油断してるとつい生産話になってるな」
気がつけばネヴァが生産関係に頭を回している。これではせっかくのリフレッシュができない事に思い至り、俺は慌てて話題を変える。
「〈ウェイド〉で有名なもの、木材以外に何か知ってるか?」
「ええ? そうねぇ……。白樹は有名なんじゃない?」
「そりゃあまあ、ランドマークにはなってるかも知れないけどなぁ」
白樹は、この都市の設立にも関連する重要な存在だ。研究所はその樹を守るようにして建てられており、内部の庭園で今もその姿を見ることができる。俺も時々、白月にせがまれて樹の様子を見に来ている。
とはいえ、あれは未だに謎の多い存在でもある。なんでもレイラインに根を張って特殊なエネルギーを吸い上げているという話だが、それ以外はほとんど何も分かっていない。
「それ以外に何か」
「うーん、あんまり思いつかないわね」
ネヴァは本当に普段から生産に関わること以外に手を伸ばしていなかったのだろう。早々に降参する彼女を見て、小さく肩をすくめる。
「〈ウェイド〉といったら、最近は洋菓子も有名なんだ」
「洋菓子……。ああ、なるほど」
彼女はようやく思い出したように手を叩く。
〈ウェイド〉は先日、T-1から直々に苦言が呈されたほど、他都市と比較しても砂糖の消費量が桁違いに多い。そこに管理者の意思が介在していることは疑いようもない事実だが、その流れに乗って菓子職人が多く店を始めているのもまた事実だった。
どこか西洋風の街並みにチョコレートやクリームの洋菓子は素直に溶け込むこともあり、都市の設立当初から洋菓子店は多い。定期的に製菓職人の繋がりで大規模なコンパも開かれているようで、最近は都市管理者らしき人影もそこに出没しているとかいないとか。
「ほら、これ見てくれ」
俺は用意していた地図を取り出す。各都市の観光名所などを紹介する旅行情報系バンドが出している雑誌の一ページで、〈ウェイド〉の全域が表示されている。
それを見てみると、商業区画を中心に無数のマークが記されている。
「ウェイドちゃんお墨付き名店情報?」
ページの上部にでかでかと記された題字を見て、ネヴァが首をかしげる。
「つまり、ウェイドがわざわざ出向いてそこのお菓子を楽しんだって店の情報だよ」
「彼女、こんなにたくさん回ってるの……」
ネヴァが呆れるのもよく分かる。マップ上のポイントは軽く100を超えていて、おそらく次の版が出ればまた増えるはずだ。ウェイドが自主的に都市内の洋菓子店を回るようになったのは最近の話らしいが、そのペースがなかなか早い。
なるほど砂糖の消費量が増えるわけだ、とネヴァは妙に納得した様子だった。
「つまり、ここに載ってるお店は管理者御用達ってことなのね」
「ま、そういうことだな」
都市管理者からのお墨付きというのは、俺が当初考えていた以上に重たいものらしい。というのも、彼女たち管理者は担当の都市に関することであれば、ありとあらゆる情報を掌握している。入ってくる物資、出ていく商品、消費されるリソース。どこの店舗の業績が良く、どこが悪いか。NPCからの評判はどのようなものか。管理者はそれらの膨大なデータを強力な演算能力に物を言わせて一気に分析し、正確な答えを弾き出す。
故に、ウェイドが直々に訪れる店というのは、例え創業から日が浅くとも品質が認められ、今後将来有望と判断された店なのだ。
「それじゃあ、このなかのどこかに連れてってくれるってこと?」
目を輝かせて、ネヴァが言う。
管理者お墨付きとなれば、その品質は確実だ。絶品スイーツとなれば、ネヴァも食べたくなるらしい。
しかし、俺はあえてあっさりと首を振る。驚くネヴァに向けて、温めていた事を話す。
「確かに管理者お墨付きは確実に名店だ。けど、だからこそ今から行ったらめちゃくちゃ並ぶ」
「そっか、確かにそうよね」
管理者お墨付きの情報はすぐに広まる。スイーツ愛好家だけでなく、ミーハーな調査開拓員や給料日を迎えたNPCなんかもこぞってその店に押し寄せる。全ての店が空間拡張複製装置などという高価極まりない設備を導入できているわけでもないため、大抵は店外に長蛇の列ができるほど混在している。
そのあたりは、事前のロケハンで既に確認していた。
せっかくのリフレッシュなのに、遅々として進まない列に並んで時間を浪費するのも勿体無いだろう。
「というわけで、あえてここに載ってない店を探そうと思ってるんだ」
「ここに載ってない店?」
不思議そうな顔をするネヴァに頷く。
「人に教えられて行くのは楽だが、自分で探すのも楽しいだろう?」
〈ウェイド〉にあるプレイヤーの店だけでも、千軒を軽く越える。入れ替わりも激しく、三日も経てば新たな店はいくらでも見つけることができるものだ。広い街の中に隠れた、未来の名店を探す旅というのも面白いだろう。
「そうね。なかなか私好みだわ」
ネヴァも俺の提案に乗ってくる。
「私も隠れた名店ってやつをやってるからね。見つけるのは任せてちょうだい」
「そういえばネヴァの工房もそういうコンセプトだったなぁ」
あまりに有名になり過ぎて忘れていたが、ネヴァの工房は奥まった路地裏にひっそりと構えている店だ。外から見ると窓のないビルにドアがあるだけで、とても店舗とは思えない。
彼女は自信満々にマップを広げると、早速隠れた名店のありそうな場所を探し始めた。
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