第971話「とある音楽室」※

 カメラの画角調整、OK。万が一三脚が倒れても素顔が映らないように、いつもの仮面も着けている。背景にはカッコつけて揃えたレコード盤。ギターのコードはアンプに繋がって、そこからPCに向かっている。


「よし」


 全ての準備ができている。それを確認して、私は配信開始のボタンをクリックした。


「マイクテステス。ミネルヴァの音楽室へようこそ」


 ボリュームが問題ないのを確認しつつ、定型の挨拶を口にする。

 既に待機していたリスナーたちが雪崩のように飛び込んできて、「おつ」「枠乙」「私服たすかる」などと自由にコメントを打ち込んだ。それらにできるだけ応えつつも、彼らが一番待っていることを早々に始める。


「それじゃあ、駆けつけ一杯。『バニーホップ』でも聴いててね」


 弦を掻き鳴らす。軽快なテンポに合わせて喉を震わせる。指向性マイクがポップガード越しに私の声を広い、電子的な波に変換する。

 作曲生放送で初めて披露して数ヶ月。既に『バニーポップ』をカバーしてくれる歌い手も数多い。私よりもはるかに上手い彼女たちに勝てるのは、私が一番最初という点だけ。だから、こうやって集まって来てくれたファンを失望させないように、たとえ枠に人が集まるまでの前奏であっても心をこめて歌い切る。


「――というわけで、『バニーホップ』でした。そろそろ皆来たかしら? 遅れてる人いない?」


 弦を抑える。コメント欄には拍手のアイコンや「8888」といった文字列が滝のように流れている。彼らの期待に応えることができた気がして、少し胸が軽くなる。


「今日は毎週水曜日恒例の作曲回よ。と言っても、最近はスランプっぽいんだけど」


 謎の仮面シンガーソングライター、ミネルヴァ。彼女は毎週平日に配信を続けている。22時30分から24時までの1時間半。カメラをつけつつ、素顔は明かさず。それぞれの曜日には決まった内容の配信を、かれこれ10年くらい続けている。

 最近メジャーデビューを果たして新進気鋭の枕詞が付けられることも多いけど、実際はかなり長い間土の中で眠っていた。

 私はギターをスタンドに預け、画面に映し出した白い五線譜を睨む。毎週一曲、なにか作る。30秒もないジングルでも、5分以上の纏まった曲でも何でもいい。それが私のルーティンだ。けれど、最近は少し閉塞感を覚えている。最後に公開した『フォーチュン・シフォンケーキ』以降、もう2ヶ月ほどちゃんとした曲が作れていない。


「皆はどんな曲が聞きたい?」


 こう言う時はリスナーに頼るのが一番だ。軽く画面に向かって問いかけてみると、一瞬のラグを経て怒涛の如く曲のジャンルが流れ出す。ポップ、ジャズ、ダンス、ロック、ハードロック、エトセトラ。

 目立つジャンルに合わせてワンフレーズ爪弾いてみるけど、あんまり心に響かない。


「うーん、どうしようかな」


 曲の希望はなかなか途絶えない。ミネルヴァの音楽室も、ここ数年でかなり急成長した。視聴者数数百人程度だったのが、少しメディアに出た瞬間に爆発的に増えていた。

 以前は古参のユーザーのじゃれ合いに付き合ったり、新参を丁寧に迎えたりできていたけど、今はもうそんなことできない。「初見です」というコメントは、即座に数万円の有料コメントで押し流される。

 こっちの生活的にはありがたいのだけど、なんだかリスナーとの距離ができてしまったような気がして味気ない。

 適当にギターを掻き鳴らして、弾き慣れたメロディを奏でる。

 『バニーホップ』から『フォーチュン・シフォンケーキ』までの数曲、一見するとなんら関係性のない個々に独立した楽曲たち。実は、ここには私だけが知っているテーマがある。だから、このシリーズは割と苦労なく書けた。


「うー、そうだなぁ」


 そのテーマに沿うならば、まだ一曲書けるはずなんだけど……。それがなかなか難しい。白紙の楽譜を前にウンウンと唸っていても、なかなか書けないのだ。

 唸りながら悩んでいると、ひとつのコメントが目に入る。鮮やかな高額有料チャットの間に挟まれた、500円の有料チャット。


『AI:ラブソング、聞きたいです!』


「ぶっ! ご、ごめんっ!」


 コーヒーを飲んでいなくて助かった。高価な音響機材たちを濡らさずに済む。ここは現実で、濡れたら取り返しの付かないものも多いのだ。

 AIという名前は見覚えがない。最近見に来てくれた新参のリスナーか、もしくは今までコメントを打っていなかったいわゆるROM専と呼ばれるようなリスナーか。どちらにせよ、私が最近恋愛をテーマにした曲を作っていないことを知っている存在だ。


「ら、ラブソングかぁ」


 ラブソング、ラブソングねぇ。

 口の中でそのカタカナを転がす。

 十年前の、リスナーも少なくて場末の寂れた空き地みたいな空気だったチャンネルなら、恥ずかしくて聞き直せないような、歯の浮くセリフの並んだ即興曲も作れたんだけど。数万人分のスピーカーに伝わってしまう今は恥ずかしさが勝ってしまう。

 しかし、私が下手に反応してしまったせいで、コメント欄がラブソングを要望するものに染まってしまう。


『ビックボーイ:ミネルヴァのラブソング、久しぶりに聞きたい!』

『蒲公英侯爵:「カートリッジハート」とかデータ売ってないからなぁ』


「うわーーー! やめてよ。それ黒歴史なんだから!」


 蒲公英侯爵は古参リスナーの一人。有料会員ナンバーも100番台。彼の言及した曲は、私が学生時代の失恋――と言うのも烏滸がましい自滅なのだけど――を元に、自棄になって作った曲だ。別に貴方以外にも男はたくさんいるわ、なんて気取りつつも未練タラタラで、正直コミュニティに置いている動画も削除したいくらい。


『ポッペンタン:知らん曲だ。URLほしい』

『ピピンポポン:マイリスの底の方にあるから。探せ』

『オンドゥル爺:いい曲だよ。厨二病経験者にはよく効く』


「わあああああっ! みんなひどい事言うわね!」


 なんとか会話を断ち切りたくて、ジャカジャカとギターを鳴らす。不協和音をマイクに注ぎ込むと、コメント欄にも悲鳴が溢れた。「鼓膜破れた」「スペア買ってくる」

「今日は静かだな」などと調子の良いコメントが並び始め、つい笑ってしまう。


「でも、ラブソングは最近作ってないのよね」

『UBB:ミネルヴァ、もう歳だもんね』

「ぶちのめすわよ。私は永遠の20歳なんだから」

『ひげまるめ:きっつ』

『コルティナ:うわぁ』


 遠慮容赦のないリスナーのコメントに声を荒げつつ、仮面の下では思わず笑ってしまう。すこし、以前の和気藹々とした懐かしい雰囲気が戻った気がしたのだ。


『AI:私、ミネルヴァさんに憧れて歌始めたんです! 「カートリッジハート」もとっても好きです!』


 AIさんから、今度は普通のコメント。ものすごい勢いで流れていってしまうのを、慌ててスクロールして捕える。

 私の歌を聞いて、自分も歌い始めたなんて。なんて嬉しいことだろう。彼か彼女かも分からないリスナーだけど、その真偽も定かではないコメントだけでじんわりと胸が熱くなる。

 当時有名だったシンガーソングライターに影響されて、訳もわからず妙ちきりんな曲を弾いていた頃を思い出す。

 今の私に、あの頃みたいに自由でエネルギッシュな曲が書けるだろうか。


「ラブソングかぁ。ちょっと考えてみるわね」


 AIさんのコメントに触発された。停滞してしまった時は、思い切ってアクセルを踏んでみるべきだ。


「ちなみに、AIさんは気になってる人とかいるの?」


 女の勘だけど、このAIさんは高校生くらいの若い女の子だと見た。であれば、クラスに気になっている男子の1ダースや2ダースはいるだろう。どうせなら彼女に合わせた曲にしてやろうと、ちょっと冗談混じりに聞いてみる。


『AI:年上の男の人で、面白いというか、すごい人がいて……』

「へぇ。年上ねぇ」


 うんうん。女子高生が年上の男に惹かれる気持ちも分かる。駅前でギターケースを広げている奴がカッコよく見えたものだ。いざ彼らの年齢を追い越してみると、また違った感情が湧いてきてしまうものだけど。


『AI:ネットでしか会ったことないんですけど。優しくて、かっこいいんです。あ、その人はいつも飄々としてるんですけど、やる時はやるっていうか。目立ちたくないって言いながら、困ってる時は助けてくれたり』

「うーん……?」


 急に長文になってきたAIさんのコメントに、首を捻る。なんか見覚えがあるようなないような、ていうか良く知っているような、知っていないような……。


『AI:でもその人は別のバンドに所属してて、立場上私がそっちに移籍するわけにもいかなくて。あ、そのおじさんはバンドのリーダーもしてるんです。それで、美人のメンバーが沢山いて。たぶん私のことは眼中にないっていうか』

『蒲公英侯爵:中年のバンドマンはやめた方がいいよ……』

『UUCCUU:典型的な地雷で草』

『ポップポップポップコーン:悪いこと言わんからやめとけ』


 AIさんは厄介な境遇にあるらしい。そのバンドマンはやめといた方がいいよ、と先人たちが諌めるも、彼女は「そういう人じゃないんです」「大丈夫です」と言って譲らない。


「うーん。でも年上の男性に焦がれる気持ちも分かるからね。ちょっと考えて――」


 ちょっと雲行きが怪しくなってきたので、軌道修正も兼ねてギターを鳴らす。ちょうどその時、手首の携帯がブルルと震えた。そっとディスプレイを見た私は、思わず声を出してしまう。


「えっ」


 「どうした」「何かあった?」「親フラ?」などとコメントが流れる。けれどそっちに反応している暇はなかった。

 手首の端末に表示されたのは、一件のメール。それは所属している事務所のマネージャーからのメッセージだった。


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To:ミネルヴァ

From:マネちゃん

 SRエンターテイメントミュージックから楽曲提供の依頼がありました。〈FrontierPlanetOnline〉というゲーム内で使用する楽曲を新規に書いて欲しいとのことです。

 使用するのは〈万夜の宴〉というイベントの大トリで――

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Tips

◇MyTube

 世界的な動画共有サービス。動画の投稿だけでなく、ライブ配信によるリスナーとの交流なども行える。

 イザナミ計画実行委員会はMyTubeを運営するHieroglyph社と包括的な利用契約を締結しており、FPO内からもブラウザウィンドウを用いてアクセスすることが可能です。

 Hieroglyph社によってライブ配信を円滑に行えるツールセットも提供されているため、気軽に調査開拓活動のライブ配信を行えます。詳しい配信サービスの利用については、公式ガイドブックの「配信の手引き」をご確認ください。


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