第970話「創作の苦悩」

『ふーん、ふふふーん♪』


 昼下がりの別荘で、カミルが上機嫌にグラスを拭きながら鼻歌なんて歌っている。町で買い出しを終えて戻ってきた俺にも気が付いていない様子である。彼女の歌声を聴くなんてそうある機会じゃない。俺はそっと抜き足差し足忍び足で倉庫へと向かう。


「いろいろ言ってたけど、嬉しいみたいだなぁ」


 第二十五回料理王決定戦が終わって数日。カミルの機嫌は随分とよいままだ。別荘の一画に設けられた彼女の自室には、その時に戴いた料理王トロフィーが飾られている。

 審査委員長のウェイドが出した結論は、カミルとミートソーススパゲティを作ったMr.ナポリタン氏のダブル優勝。そして、デラウマックス☆トシゾー氏の殿堂入りだった。

 トシゾーのワールドビュッフェは文句なしの最高評価だったはずだが、その中には彼以外の料理人も参加しており、何より本人が入賞を辞退したことでこのような措置となった。

 世間的にはMr.ナポリタンの優勝が一面に載り、続いてNPC初の快挙としてカミルの名前も広く知れ渡ることとなった。街中で声を掛けられる機会も増えたようで、今日は手が空いていた俺が代わりに買い出しに出かけていたのだ。

 ご機嫌なカミルの鼻歌は、どうやら巷で流行っているミネルヴァの曲のようだ。FPOの運営会社が使用契約を締結しているらしく、街中の店でBGMとして流れていることもある。


「ミネルヴァねぇ」


 若者を中心に熱狂的な人気を誇る新進気鋭の仮面歌手。その素顔は今まで一切明かされていない。ただその歌声だけで人々の胸を貫いた実力者だ。

 レティたちも知っているようで、リビングでよく新曲談義などに花を咲かせている。〈大鷲の騎士団〉副団長のアイもファンだと言っていた。


「そういえば、ネヴァもよくミネルヴァの曲を歌ってるな」


 倉庫の中にネヴァに納品するアイテムを見つけて思い出す。装備の製作やメンテナンスの時、彼女もよく鼻歌を歌っている。


「とりあえず、こっちはネヴァん所に送らんとな。――カミル、ちょっと出掛けて――あっ」

『――あ、あ、アンタ、一体いつから……!』


 工房へ運ぶアイテムをインベントリに入れて、リビングに向かって声を掛ける。しまったと思っても時すでに遅し。顔を真っ赤にしたカミルが、アワアワと口を動かしながら俺を睨む。


「いや、えっと、ついさっきだ! 鼻歌なんて聞いてないから――」

『聞いてるじゃないのよーー!!!』

「ぐわああああっ!?」



「なるほど、それで引っ掻き傷付けて来たのね」

「全く酷いもんだ。あとでアップデートセンターに行かないと」


 事情を聞き終えたネヴァは苦笑してコーヒーカップを傾ける。俺は赤い傷の走る頬をそっと撫でてため息をつく。いくら戦闘行為が禁止されているとはいえ、爪を立てて引っ掻かれればスキンも破れるらしい。


「ま、今回はレッジが悪いわね」

「そうなのか?」

「女の子の鼻歌を盗み聞くなんて、趣味が悪いもの」

「不本意だなぁ」


 帰って来たら気持ちよく歌ってたから、邪魔しないように静かにしてただけなのに。とりあえず、帰りに何か土産でも買っておこう。


「そういえば、ネヴァもミネルヴァ好きだよな」


 以前した話を思い出す。ネヴァも謎の仮面歌手ミネルヴァの大ファンなのだ。

 雑談をしっかり覚えていてナイス、と自賛したものの、何故かネヴァがむすっとした顔になる。


「そーよ、私もミネルヴァ様の大ファンよ」

「すごい棒読みだが」


 本当に大ファンなのかねぇ。よく歌ってるし、新曲もリリース直後からまるで何十回も熱心に練習をしていたかのように、滑らかに口ずさんでいるのだが。


「そうそう。俺もミネルヴァのCD買ったんだよ」

「CD? そんなの出してないと思うんだけど……」


 はっと思い出して口を開く。ネヴァは首を傾げてきょとんとする。数秒して、俺はあっと気がついた。


「今はCDとか言わないんだよな。レコード?」

「なんで退化してるのよ。オンラインストリーミングか、一応メモリーカードでも出してるわよ」

「そうそう。多分メモリーカードだな」


 俺の住んでるところはオンライン環境こそ整っているものの、勝手に何かダウンロードしたりアップロードしたりすると花山か桑名が飛んでくるからなぁ。七面倒くさい処理を踏んで、物品購入届を提出して、ミネルヴァの楽曲の入ったメモリーカードを揃えてもらったのだ。


「カードのことCDって言う人、久しぶりに見たわ……」

「おっさんなんだから仕方ないだろ」


 昔はゲーム機のことを全てプレヌテと呼んでいる親に辟易したもんだが、実際その年になってみるとその感覚が痛いほど分かってしまうものなのだ。


「そ、それで?」

「何が?」


 何やら期待の籠った視線をこちらに向けてくるネヴァ。その真意を測れず首を傾げると、彼女はやきもきした顔で言った。


「どの曲がお気に入りなの?」

「ええっ? そうだなぁ」


 作業の傍らで聞いているとはいえ、まだ全曲聴きこめた訳じゃない。そう言うも、ネヴァは暫定一位でもいいから教えろと迫ってくる。


「『バニーホップ』とか。最近の曲だとなかなかいいんじゃないか?」

「なるほど……。まあ、レッジだしそうなるのかな」

「ええ……」


 なんだその生暖かい視線は。

 ただでさえミネルヴァは曲の発表がかなりハイペースなのだ。ここ数ヶ月でも、五曲以上を連発している。


「『Fairy under the icicle』は?」

「あれもいい曲だなぁ。最初は落ち着いた曲調の静かな曲なのに、後半に行くほど激しくなっていく感じがよかった」

「『一閃乙女』とか、『影の少年』」

「和風な曲も新鮮で良かった。快活な感じとちょっとダークな感じを歌い分けられるのは流石だと思ったよ」

「『転がる石と鋼の心』も最近書いた曲だけど」

「リズムが複雑で何度か聴き込まないとよく分からなかったな。分かったらハイテンポでテンションの上がる曲で、楽しかったけど」

「あとは――」


 ネヴァが挙げていった曲は、ここ最近リリースしたものばかりだ。新曲から順に聞いていて良かった。どの曲もとても身近に感じられて良かったものばっかりだ。

 しかし、ミネルヴァの最新曲も良かった。とある少女がひょんな事からマフィアに入って、その中で紆余曲折ありながら成長していくというストーリーの曲なのだが……。なんというタイトルだったか。


「ああ、『フォーチュン・シフォンケーキ』だ」

「んぐっ。し、しっかり最新作も追ってるのね」

「聞けば聞くほどなんか親近感が湧いちゃってなぁ。ま、俺みたいなおっさんの心に響くなんて、ミネルヴァも思ってないだろうけど」

「そうねぇー」


 『フォーチュン・シフォンケーキ』はまだCD――じゃなくてメモリカードとして販売されていない。ミネルヴァがつい数日前、動画投稿サイトに公開したものだ。俺もタイミングが合って公開直後に聞くことができたのだが、一時間も経っていないのに百万再生を軽く超えていて驚いた記憶がある。


「ミネルヴァみたいに曲を作れたら、楽しいのかねぇ」

「……どうでしょうねぇ。産みの苦しみっていうのもあると思うわよ」


 何気なく言った言葉に、ネヴァは実感の籠った声で言う。彼女も生産職としてFPOでその名をよく知られている身だ。共感する部分も多いのだろう。


「ねえ、レッジ」


 俺の企画書に目を落としながら、ネヴァがこちらに声を掛けてくる。


「――もし、レッジがミネルヴァなら、次はどんな曲作りたい?」

「ええ? なんだろうな」


 難しい質問だ。俺はミネルヴァじゃないし、そもそも音楽の素養もない。どんな曲と言われても、ぱっと思いつくこともない。

 俺はミネルヴァの曲をざっと思い返してみる。彼女の曲は多種多様だ。『バニーホップ』では少女が不思議な世界を旅する楽しさを歌い、『一閃乙女』と『影の少年』では熱烈で過激な戦乱の時代を二つの視点で描いている。


「そうだなぁ。ラブソングとか?」

「ブフォッ!?」

「うおわっ!?」


 何気なくこぼした言葉に、ネヴァはコーヒーを噴き出す。慌てる俺とネヴァに、すかさずメイドロイドのユアがモップとバケツを持って飛んでくる。


『任せてください! 私が片付けますうわあああっ!?』

「きゃああっ!?」


 張り切るメイドロイドの少女は、勢いよくメイド服の裾を踏んづけてすっ転ぶ。バケツが空を飛び、俺とネヴァは揃ってびっしょり濡れ鼠となったのだった。


━━━━━

Tips

◇『バニーホップ』

 新進気鋭の仮面歌手ミネルヴァによる楽曲。

 不思議な世界に迷い込んだ少女が、さまざまな出会いと共に旅に繰り出す珍道中を描いたポップな作品。

 各地のミュージックショップにてFPO内で楽しめる楽譜や楽曲データも販売中。


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