第954話「天翔ける黒龍」
〈奇竜の霧森〉のボス“饑渇のヴァーリテイン”は、森の中にある広大な骨塚を巣にしている。中央の凹んだすり鉢状の巣は、全て飽くなき食欲のままヴァーリテインが喰らい続けた哀れな獣の骨だ。
無数の首と黒く硬い剛毛を持つ異形の竜、ヴァーリテイン。それを初めて討伐したのは、〈大鷲の騎士団〉や〈
あれから数ヶ月の月日が経ち、レイド戦を経験してない新規プレイヤーも多く現れた。彼らが奇竜に挑むたびにその行動パターンや弱点属性が解析され、さまざまな状況における討伐データが蓄積していった。武器や防具も当時より遥かに強力かつ効果的なものが次々と開発され、今では〈鎧魚の瀑布〉を抜けたばかりの6人パーティでも十分に勝機を掴めるほどにまでなっている。
「おお、今日もやってますねー」
黒い森の中から巨大な竜が飛び出してくる。それは真っ直ぐに天に向かって放たれたそれは米粒ほどに小さくなり、やがて最高高度に到達するとゆっくりと落ちてくる。
「大体高度13,000ってところですかね」
「今の環境だと小手調べってところかしら」
かつては脅威を誇った奇竜、“饑渇のヴァーリテイン”だったが、いつからかその巨体をノックバック系テクニックのコンボで打ち上げ、その高度を競うバリテンチャレンジという遊びが普及していた。
ノックバック系テクニックを多く持つ打撃属性を得意とするレティやエイミーもその有名選手で、特にレティはヴァーリテインを無限の距離まで打ち上げたという殿堂入り記録を持っている。
その記録はいくつかのバグ技を複合させたということもあり、即座に運営から修正が入って今では再現することもできないが、今でも多くのプレイヤーたちによってコンボの研究が行われている。
数百トン級の巨体を打ち上げるなどなかなか馬鹿げた話だが、当初数センチ浮かせれば驚かれた頃と比べると、今では数kmが最低単位となっているのだから恐ろしい。
「バリテンチャレンジ、結構並んでますね」
巣の近くには有志が建てたフィールド建築物の小屋がある。ボス戦は順番待ちが生じることもあるため、その間のセーフハウスとして機能するものだ。そこに、巨大なハンマーやバットを携えたプレイヤーが10人ほど集まっていた。装備的にヴァーリテインの討伐を目的としたプレイヤーでもなさそうだし、Lettyの言ったようにバリテンチャレンジの参加者だろう。
「バリテンチャレンジはあくまで趣味なので、正当に討伐するつもりの人がいたらそっちが優先なんですよ」
「でも、私たちも遊びなんですよね。だったらバリテンチャレンジが終わってからでも」
「あの人たちは終わったらまた列に並び直して延々と打ち上げてるので。ちょっと交渉してきますね」
なんとか時間を稼ごうとするLettyの思惑を華麗にスルーして、レティはセーフハウスへ駆け寄る。流石に顔馴染みのようで、チャレンジ参加者も和やかな雰囲気で彼女を迎えていた。
「なんか、レティが他のプレイヤーと交流してるの見るのは新鮮だな」
俺の知らないプレイヤーたちと和気藹々と話しているレティを見ると、少しの驚きがある。
「もしかして嫉妬しちゃう?」
近くに寄ってきたラクトが、ニヤニヤと笑いながら言う。
「なんというか、雛の巣立ちを見守る親鳥の気持ちかな」
「……そっかぁ。まだまだ道のりは険しそうだね」
率直な感想を口にすると、ラクトはなぜか遠い目をしてため息をつく。何か変なことを言っただろうか。
そうこうしているうちにレティの方は話がついたのか、駆け足で戻ってくる。
「次の人がもう準備しちゃってたみたいなので、その人が終わったら入っていいみたいです。ていうか、レッジさんが戦うって聞いて、ぜひ見学したいと」
「見学って……。俺はバリテンチャレンジなんてしたことないぞ?」
いったいどういうふうに話を付けてきたのか分からないが、ともかく穏便に事は進むようだ。
「うぉっし、やるぜやるぜ!」
俺たちの前にバリテンチャレンジを行うのは、なんともワイルドな黒革のジャケットを着たタイプ-ゴーレムの男性だった。金髪のモヒカンに黒いサングラス、身長を遥かに超える、特大武器のバットを肩に載せて気合いを入れている。なんとなく〈闇鴉〉の連中に似てるなぁ。
「“壊し屋”の
「なるほど」
せっかくだからBRSのチャレンジを見学させてもらうことにする。隣でレティが色々解説してくれているのだが、あんまり理解できない。ランキング23位はすごいのか?
俺たちの目の前で世紀末ファッションの男が次々とアンプルの薬液を飲んでいく。どうやら、この準備を既に始めていたため、中断はできなかったということらしい。
「そういえば、打ち上げたヴァーリテインを倒したりはしないのか?」
先ほど13kmほど打ち上げられたヴァーリテインは、巣に墜落して蹲っている。その時のチャレンジャーも特に倒すことなく巣から出てしまった。
「倒したらリポップ待ちがありますからね。基本的にタゲ切って脱出しますよ」
ヴァーリテインは延々打ち上げられ上、落下ダメージは自身の並外れた自然回復力でカバーするらしい。冷静に考えるとなかなかひどい仕打ちである。
「あんまり何回もやってると部位破壊が起きて重量とかバランスが変わってくるので、そうなったら全員でサクッと倒しますけどね」
「バリテンが何したって言うんだ……」
そのうち愛護団体的なところから怒られそうだ。まあ、ヴァーリテインは原生生物なので、開拓団的にはいくら倒しても問題ないのだろうが。
「ランクⅣエクステンドマッシブマッスルアンプル、ランクⅡオーバーブーストブルーブラッドアクティベートアンプル、ランクⅤノックブーストアンプル!」
BRSが取り出したのは、一升瓶サイズの巨大なアンプルだ。その中に入った粘度の高い薬液を極々と飲み干していくにつれて、彼の体に活力が漲っていく。
「普段アンプルは回復にしか使わないからなぁ。ああいうの見るのもなかなか珍しい」
「薬剤系は〈調剤〉スキルレベルに依存して効果量が変わりますからね。高レベルだったら、そんじょそこらの支援機術師じゃ太刀打ちできないほどのバフが掛かるらしいですけど」
〈調剤〉スキルを伸ばし、アンプルを積極的に使うことで各種ステータスを増強するスタイルをドーパーというらしい。随分な呼び方だが、実際薬漬けだし妥当かもしれない。
BRS氏は大量の薬液を飲み干しながら、太い腕にも注射器型アンプルをぶっ刺していく。俺たちにくっついてきたイザナギの教育上良くないかと一瞬脳裏を過ぎる。
「BRSさんは一発勝負ですからね。もうすぐに始まりますよ」
いよいよレティの言葉と共にBRSが竜の巣へ踏み入る。彼は何倍にも全身の筋肉を膨張させたかのような、異様な威圧感を纏ったまま、堂々とヴァーリテインの前に立つ。
散々いじめられていたヴァーリテインも、自身のテリトリーに侵入者があれば律儀に威嚇する。無数の頭が牙を剥いて唸り、黒炎がその隙間から漏れ出す。
「ふんっ」
BRSは特大バットを振りかぶり、迎撃の準備を整える。既にバフは完璧に整っているため、彼の動きはそこで止まった。
ヴァーリテインが怒りの咆哮を上げ、勢いよく突進する。
「あそこ、ギリギリなんですよ。一歩後ろに下がるとブレス攻撃になるので射程圏内に入る前にやられちゃいますし、逆に近づきすぎると力溜めの時間が足りないんです」
「結構細かいところも気にするんだな」
「最近はもうそういうところが記録の優劣を決めますからね」
レティの解説を受けている間にも、黒竜は勢いよくBRSへと迫る。大地が揺れ動き、足元も悪い中、彼はバットを振りかぶったまま、力を溜める。力を溜めれば溜めるほど、次に放つ攻撃の威力が上がる。だが、あまりに溜めすぎると攻撃を放つ間も無く被弾し、あっけなくやられてしまう。
これはチキンレースだった。
「——ここだぁあああああっ!」
竜と人が重なる直前、その刹那の隙間を掴み、BRSがバットを振り上げる。巨大な金属製バットの芯で竜の巨体を捉え、爆発的な衝撃を解放させて押し込む。
ヴァーリテインが悲鳴をあげて、宙へ浮く。豪風と共に斜め上方へと打ち出された竜は、穏やかに流れる雲を突き抜けて遥か彼方へ吹き飛んだ。
「おおっ! いい記録が出そうですよ!」
華麗なバッティングにレティが思わず立ち上がる。BRSは直後に怒濤の如く押し寄せる薬の副作用でのたうち回っているが、既に〈撮影〉スキルを持った記録係が測定を始めている。
「最頂点到達」
「落下確認」
「距離測定……」
距離計算が行われ、結果が宣言される。
「BRS、記録36,201メートル。ランキング21位更新です」
「おおおおっ!」
さっきの13kmを遥かに超える大記録に、セーフハウス内が沸き上がる。薬の反動でミイラのようにげっそりとしながらも、BRS氏はガタガタと震える腕でサムズアップを掲げた。
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Tips
◇ ランクⅣエクステンドマッシブマッスルアンプル
人口筋繊維の出力、耐久性、強靭性を一時的に著しく大きく上昇させる薬品。ブラックネイルモールの強肝臓やグランマッスルコングの爆心臓など、非常に滋養強壮効果の強い素材を多く使用している。一滴飲めば死人すら生き返ると言われるほどの強烈な効果と味を持つ。薬効が切れると死の淵を彷徨うほど強烈な副作用を受ける。
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