第943話「謎の歌い手」

 俺がイザナギの世話役を命じられ、イザナギからはパパ判定を受け、色々と大変なことになってきたなかで、最前線では様々な方面で攻略が進んでいる。

 〈老骨の遺跡島〉は攻略が進み、ようやくボスを見つけるところまでやってきたらしいし、騎士団は〈窟獣の廃都〉探索にも力を入れている。イザナギの親判定を受けられなかったプレイヤーたちは血眼になって新たな汚染術式ホルダーを探しているし、〈白き深淵の神殿〉の管理者を探す特別任務も進んでいるという噂を聞く。

 以前までのように一箇所の問題を全員で当たるような攻略法ではなく、各々が好きな分野へ分散して攻略を進めているような形で、じわじわと版図を広げていっていた。


「そういうわけで、俺は【黒龍の解放】を進めないといけないらしいんだ」

「また面白い状況になってるわねぇ」


 〈スサノオ〉工業区画の片隅、ネヴァの工房にて。俺は装備類のメンテナンスも兼ねて彼女のもとを訪れていた。当然のごとくイザナギも付いてきていて、今は椅子に座ってネヴァがくれたお菓子をモグモグと食べている。

 傷ついた防具やドローンの修理を進める褐色肌の職人に近況を報告すると、彼女はクスクスと肩を震わせた。

 ウェイドから押しつけ、もとい受注させられた特別任務【黒龍の解放】の内容は、端的に言えばクナド以外の封印杭を見つけるというものだ。その過程で、他の汚染術式などの“黒龍の鱗”が見つかれば、それも回収する。

 とはいえ、“黒龍の鱗”は各地に散逸してしまっている。それを全て見つけると言うのは、なかなか骨の折れる仕事だろう。


「ネヴァ、なんかそういうの見つけるためのセンサーとか作れないか?」

「無理よ。私のこと便利な道具を何でも出してくれる人とでも思ってない?」


 最近ちょっとそんなふうに思ってました。生産職には生産職の苦しみがあるんだろうが、それは全然分からないしなぁ。オーダー投げてちょっと待てば、請求書と一緒に新しいアイテムが届くようなイメージだった。


「最近はレッジ以外からの依頼も立て込んできちゃって、大変なのよ」

「名工ってのも苦労してるんだなぁ」

「誰かさんが広告塔として目立ちすぎてるからね」


 ジト目を向けられ、肩をすくめる。俺がいくら有名になったとしても、実際にネヴァの作るものが認められなければここまで人気になってはいないだろう。つくづく、彼女がプレイを始めた初期の頃に出会えたのは幸運だったと思う。


「ネヴァは俺と違って、リアルもきっちり確保してるもんなぁ」


 24時間どころか数日ぶっ続けで仮想空間にいることも多い俺とは違い、ネヴァはスケジュールを厳格に守っている。FPOにログインしてくるのは平日は20時から22時までの2時間、土日でも19時から24時の5時間だけだ。仮想空間ではそれなりの体感時間となるとはいえ、きっちりしている。


「レッジみたいに暇じゃないのよ」

「俺だって一応やることはやってるんだぞ」


 セキュリティプログラムのクラッキング耐久試験とか、たまにそういう依頼が飛び込んでくるので頑張って突破したりとか。開発責任者の泣き声を聞きながら障壁を破っていくのは心苦しいが、結構いい金額払ってくれるのだ。

 あんまり他人のリアルを詮索するのは良くないと分かっているが、ネヴァもかなり付き合いの長い一人だ。レティやレングスたちの次ということで、最古参と言ってもいい。それでも、彼女の私生活についてはあまり分かっていない。


「レッジ、リアルだと脳だけ培養槽に浮いてる実験体とか言われてるのに」


 ネヴァが本気で驚いたような顔をする。まさか、彼女まで俺を無職だと思っていたのか? まあ、実際ほとんど無職みたいなもんなんだが……。


「誰だよ、そんな荒唐無稽な話を流布してるのは」

「レッジの考察スレよ」

「なんてものを……」


 おっさんの身辺を嗅ぎ回ったって、なにも楽しくないだろうに。


「ネヴァも考察スレとかあるのか?」

「あるわけないでしょ。一応、一般生産職なんだから」

「俺も一般人のはずなんだがなぁ」

「過去を顧みてから言いなさい」


 精一杯の抵抗は、修理の片手間に一蹴される。


「あ、そうだ。“緑の人々グリーンメン”に原始原生生物の遺伝子を配合する案なんだが、ちょっと目処が立ってきたんだよ」

「あなた、三秒前に自分で言ったこと忘れてない?」


 呆れた、と眉を上げるネヴァ。“緑の人々”はこの工房でも売ってるし、一般人でも改造くらいするだろうに。


『パパ、お菓子がなくなった』

「うん? もう食べ終わったのか」


 イザナギに呼ばれて振り返ると、彼女は空になった木の器を持ってこちらを見ていた。


「お菓子ならまだあったと思うけど」

「すまんな、本当に」

「いいのよ。あとで請求書に追加しとくから」


 ネヴァが立ち上がり、部屋の隅に置いてある小さなストレージを開く。


「ふーんふふーん♪ ふんふんふんっと」


 鼻歌など口ずさみながら、おかきの袋を取り出してイザナギの持つ器に載せる。


「ほら、お礼言うんだぞ」

『ありがとう、ネヴァ』

「いいのいいの。うーん、可愛いわねぇ」


 ぺこりと頭を下げるイザナギを、ネヴァは満面の笑みで優しく撫でる。外見はボロボロで痛々しい少女だが、素直な性格で純真だ。ネヴァも一発で彼女のことを気に入って、際限なくお菓子を食べさせ続けている。


「ふんふふーん♪ ふふんふふーん♪」

「ネヴァはよく鼻歌うたってるよな」

「そう? あんまり気にしたことないけど」


 彼女は意外そうに言うが、実際作業中は鼻歌がよく聞こえる。それも、結構うまい。


「その歌も聞いたことある気がするんだよなぁ」

「えっ。そ、そうなの?」


 レッジも音楽とか聞くんだ、と目を開くネヴァ。なんか、失礼じゃないか? 俺だってちゃんと流行の音楽くらいしっかり押さえている。


「ああ。レティとかラクトが歌ってるのを聞いたことがある」

「あっそ。二人とも若そうだもんね」


 どこで聞いたのか思い出して言うと、一瞬でネヴァの顔が白ける。そんな酷いこと言ってないはずなのになぁ……。

 しかし、そのメロディをいろんなところで聞くのは事実だ。基本的に深い地中に埋められてる俺でも、ネットラジオなんかで流れているのを聞くことがある。となると、地上ではずいぶん流行っているんだろう。


「ネヴァもミネルヴァ好きなのか?」

「んえっ!? え、えー……。まあ、そうね。うん」


 曲の歌い手の名前を何とか思い出す。ネヴァに告げると、珍しく歯切れの悪い返答が返ってきた。

 新進気鋭の人気歌手ミネルヴァ。動画投稿サイトで突如隆盛の如く現れ、若い女性たちの人気を集めた。現在もその素顔を出すことはなく、謎めいたシンガーソングライターとして活躍している。——と、レティたちが話していたのを聞いたことがある。


「レッジはどうなの? ミネルヴァの曲」

「いいんじゃないか?」


 そう答えると、なぜかネヴァが不機嫌になる。

 ただのおっさんに、若い女の子に人気な歌手の曲に対する感想を求めないでほしい。


「もっとこう、あるでしょ。可愛いとか、綺麗とか、美人とか」

「ミネルヴァって覆面歌手なんだろ……」

「声の印象で!」

「ええ……。そうだなぁ」


 なんか、今日のネヴァはグイグイ来るなぁ。ここでいい感じにミネルヴァを誉められたら、ちょっと修理代金まけてくれたりしないかな。


「透き通った歌声で、歌詞も女子が共感できる、等身大の……」

「レッジ、コピーライターとか絶対できないわね」

「分かってるよ」


 感想を聞いといて酷い言い草である。


「まあでも、ミネルヴァは本当に歌うのが好きなんだろ。曲に対して真摯に向き合って、ずっと全力を注いでるのがよく分かる。個人的には、そういう人の歌声は何時間聞いたって飽きない」

「ふ、ふーん。なるほどね。そっか……」

「なんでネヴァまで恥ずかしそうなんだよ」


 人に言わせておいて、ネヴァは視線を逸らして修理作業に戻る。一人で突っ走ったみたいな空気に、こっちが恥ずかしくなる。


「もしかして、ネヴァ」

「なっ、なに? 違うけど!」

「いや、まだ言ってないんだが……。ネヴァってミネルヴァ——」

「ちちちっ!? ちがっ——」

「——の大ファンなんだな?」


 いやぁ、我ながらなぜこんな簡単なことに気付かなかったのか。よくよく聞けば、ネヴァのFPO内での音声はミネルヴァの歌声によく似せてある。ここまで繊細に調整しようと思ったらなかなか大変だろうに。俺なんか、調整機能があることすら知らずに地声のままだ。

 いつも鼻歌でミネルヴァの曲を歌っているのも、それを一番よく聞いているからなんだろうな。確かに、音楽活動に打ち込むミネルヴァの姿は、生産活動に熱中するネヴァの姿にも重なる。

 ネヴァはやっぱり、ミネルヴァのことが大好きなんだろうな。


「……そうよ。そうそう。私ミネルヴァの大ファン」

「だろう? あまり俺を見くびるなよ」

「はいはい」


 なぜか急激にネヴァが落ち着いてしまった。黙っていろと言わんばかりに話を打ち切り、ネヴァは静かに作業を続ける。


『……パパも食べる?』

「ああ、うん」


 いつの間にか側にいたイザナギが、おかきをひとつ掌に載せてくれる。塩気のあるサクサクとしたそれを噛みながら、どうしたものかと考える。


「人の心って難しいな」

『心ってなに?』


 静かな工房に、俺とイザナギがおかきを食べる音だけが響いた。


━━━━━

Tips

◇鏡月堂のおかき

 和菓子専門バンド“鏡月堂”の定番商品。米と油に拘ったサクサクのおかきを、〈剣魚の碧海〉深部の海水から採れたミネラルたっぷりの塩でシンプルに味付けした一品。

 昔懐かしく、ほっとするなか、少しの高級感を。


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