第937話「戦いの勝者」
石畳が割れ、その下から槍を携えた男が現れた。彼はちらりとウェイドたちを一瞥すると、にやりと笑って腰のベルトから小さなガラス瓶を抜き取った。
無造作に背後へ投げられる。男が何事か呟くと、そのガラス瓶が細かな破片となって砕け、急速に緑の葉が広がった。
——パァン!
制御塔を覆う“音破る雨霰の鼓花”の激音が響く。しかし、その音波は男が広げた緑葉が全て受け止め、彼自身には一切の影響を及ぼさない。
男は身を翻し、石畳の上に着地する。それと同時に直径30cm程の金属円盤を取り出し、周囲にばら撒く。直後、瓦礫の中から飛び出してきた蜘蛛型の警備NPCたちが、その金属盤を踏み抜いて爆散した。
男はその末路を道退けることもなく、地面を蹴る。柱が折れ傾いたビルを脚力だけで駆け登り、高所を取る。強く壁を蹴って空へ飛び出し、周囲に小瓶を振り撒いた。彼の目が、ウェイドへ向く。その口がパクパクと動く。
——にげろ。
『っ! 全員、屋内へ!』
ウェイドの切羽詰まった声。彼女は困惑するT-2、T-3の胸倉を掴んで、勢いよく放り投げる。ハザードモード限定のパワーを遺憾なく発揮し、二人の少女をビルの壁を貫通させて内部に捩じ込んだ。
『えっ? ちょ、まっ——』
『せいっ!』
その勢いのまま、ウェイドはクナドの元へ走る。その真剣な表情に怯えるクナドを、一切の躊躇なく蹴り飛ばした。
『ぐえええええっ!?』
潰れたカエルのような悲鳴を上げ、クナドもビルの中へ吸い込まれていく。そして、ウェイド自身も揺れる石畳を蹴って、ビルの中へ飛び込む。
その直後、制御塔が鮮やかな赤の業火に包まれ、即座に凍結し、無数の落雷を呼び寄せ、数秒の間完全な真空状態となり、そして瓦礫だけが残った。
『え? は、え?』
あらゆる天変地異を数秒に凝縮したかのような光景に目を疑うクナド。ウェイドは彼女の肩を叩き、真剣な表情で言った。
『あの男は
『ええ……』
微笑の中にはっきりとした怒りを見せながら、ウェイドが手に力を込める。万力に肩を挟まれたような恐怖に、クナドが顔を青くする。
あの男はクナドが初めて出会った第一期団員である。まさかこれほどの力を持っているとは思わず驚いてしまったが、間違えていないはずだ。
「おーい、無事か?」
困惑するクナドたちの所へ、外から声が掛けられる。4人の前に現れたのは、やはり調査開拓員レッジその人であった。先ほどの異常な攻撃にも関わらず、彼は涼しい顔でウェイドたちの身を案じている。
『助けに来るのが遅いですね。私が最終兵器を使うまで待ってたんですか?』
「そもそもそんなデッカい太刀の存在からして知らないんだが……。ま、遅くなったのは謝るよ」
皮肉を交えたウェイドの文句に、レッジは困ったような笑みで応える。そんな2人のやり取りを、クナドは困惑して見つめていた。
『普通、管理者と調査開拓員ってもっとこう……』
『言いたいことは分かるわ。でも、ウェイドは管理者たちの中でも一番レッジとの付き合いが長いから。お互い気心知れた仲なのよ』
『はぁ……』
訳知り顔のT-3から解説を受け、クナドも曖昧に頷く。彼女も注ぎ込まれたデータの中に記録があったため、管理者とレッジの関係はある程度把握している。それでも、実際に目にすると違和感が大きかった。
「街のあちこちで他の調査開拓員が動いてる。警備NPCはそっちで抑えてるから、ウェイドたちは街の外へ」
『なるほど、分かりました。——三人とも走りますよ』
ウェイドが向き直り、クナドたちへ呼びかける。この好機を逃す手はない。管理者たちはレッジを先頭に据えて、ビルの外へと出る。
「レッジさーん!」
その時、塔の足元の亀裂から、新たな影が現れる。赤髪をなびかせたタイプ-ライカンスロープ、モデル-ラビットの少女。その姿も、クナドは見覚えがあった。
『レティ!』
「おおっ!? あ、もしかしてクナドさんですか? 可愛くなりましたね!」
三つ首の犬型機獣に跨ったレティは、クナドの姿を見てぱっと表情を明るくする。彼女の知るクナドはレッジのドローンに入っていた姿だけだったので、新鮮な驚きをもたらしたようだった。
「ウェイドさんたちも揃ってますね。ちょっと窮屈ですが、しもふりの背中に乗ってください」
器用に伏せの体勢に移るしもふりの背に、指揮官たちがよじ登る。下からウェイドが支え、上からレティが引っ張り上げて、タイプ-フェアリーとほぼ同じサイズの彼女たちが機獣の背に収まった。
「クナドさんも」
『え、ええ』
レティがクナドに手を伸ばし、彼女もそれを掴む。その時だった。
『レてィ、避ケて』
『っ!?』
空から一条の光線が放たれる。レティは咄嗟にしもふりの体側を蹴り、緊急回避を行う。即座にレッジが槍を投げ、ビルの影に隠れていたドローン型警備NPCを破壊した。
クナドは地面に転がるが、そんなことはどうでも良かった。彼女の目は驚愕に染まり、しもふりの足元に隠れていたおぞましい外見の少女を注視する。
『あ、ぁ……お前は!』
震える指でその少女を指差す。
クナドは彼女を知っていた。骨と皮だけの痩せこけ目の窪んだ、黒髪を散らばらせた姿。決して許してはならない存在。
『うああああっ!』
「ちょちょちょっ!? ま、待ってください!」
咄嗟に“生弓矢”に矢をつがえるクナド。突然の凶行に驚きながら、慌ててレティがそれを止める。
「クナド、気持ちは分かるが今は抑えてくれ」
『レッジさんまで!? 放してください!』
レッジまでクナドを羽交締めにして、その動きを封じる。ハザードモード下の管理者機体であれば、レッジを投げ飛ばすことは容易だったが、彼女はそれをギリギリのところで堪えていた。
『レッジ、その方は?』
ウェイドの冷たい声。
レッジは彼女の方へ向き直り、言葉を選びつつ話した。
「イザナギという名前らしい。地下トンネルを進んでいた俺たちを助けてくれた。その前は、クナドの地下都市から脱出する時にも手を貸してくれたんだ』
『そんなこと言って! 絶対騙されてるんです!』
ぐるる、と番犬のように唸るクナド。ウェイドはそれを無視して、冷静にイザナギを観察した。
『あなたの目的を聞かせてください』
『ワたしは、命ヲ産む。地ニ命を満たス』
簡潔ではあるが、分かりにくい。しかし、ウェイドが更に質問を重ねようとしたその時、突如として制御塔の頂から大きな声が響き渡った。
『クハハハハハッ! 我輩をこの忌まわしき鋼鉄の匣に封じて勝った気になったか、愚か者どもめ! 我が暗黒の邪法を用いれば、このようなものを制御下に置くことなど、まさしく赤子の手を捻るが如く!』
『うあああああああっ!? その声はぁああああああっ!』
朗々と響き渡る少女の声に、今度こそクナドが弓を引く。放たれた光矢が無数に分裂し、塔の屋上へ次々と飛び上がった。
『ぬおおおおっ!? な、なんだコレは!? クッ、既に“機関”の連中までもが我輩の存在に気付いたと言うのか!?』
『死ね! 死んでその口を閉じろ! 喋るなぁああああああっ!』
『ぬぎゃっ!? ぽあっ!? ちょ、ちょっと辛いんだが!? 貴様何奴——って我が盟友〈
『知らねええええええええええ!!!!!!』
次々と放たれる光の矢は、周囲の建物を爆散させていく。しかし、標的は何だかんだと悲鳴を上げつつも確実にそれを避け、時には軌道を逸らし、塔の頂上から飛び降りてきた。
衝撃と共に土煙が舞い上がり、新たな少女が着地する。
『クハハハッ! やはり、その声に帯びたる“霊気”、間違えるはずもない! 姿形は違いに変わり、混乱しているようだな!』
『知らない知らない知らない! こんなやつ知らない!』
『そうはしゃぐでない、〈
『違うっつってんでしょ!!!!』
クナドは次々と矢を射る。しかし、それら全てがことごとく当たらない。
茶番のような光景だったが、冷静に考えるとその異常に気づく。
『ふむ、では姿を変えてやろう。さすれば其方も分かるだろう』
土煙の中、少女が言う。そうして、彼女のシルエットが歪んだ。
『我が名は〈
粉塵が風に流れる。現れたのは、黒衣の少女。厚手のトレンチコートを羽織り、左手にキツく白い包帯を巻きつけ、右手におどろおどろしい龍のタトゥーが描かれている。白いメッシュが一条入った黒髪の下に、眼帯を着けている。
そのあんまりにあんまりな姿に、レッジとレティは表情が崩れそうになるのを必死に堪える。
『ブラっクだーク、死ね』
『ぬおわあああっ!?』
突如現れたその少女に飛びかかるひとつの影。それは、明確な殺意を帯びたイザナギだった。しかし、完全な奇襲にも関わらず〈
『チッ、仕方ないわね。一時的に協力するわ!』
『な、なぜだ〈
そこへクナドも加勢する。〈
『全員、止まりなさいっ!』
それがウェイドが両手を猛烈な勢いで叩いた音と気づくのに、レッジでさえ少し時間を要した。それほど、巨大な音だったのだ。周囲はシンと静まり返り、怒気を露わにするウェイドに視線を向ける。
都市管理者は鬼面を浮かべ、黒龍イザナギ、〈
『人の管理都市でバチバチ馬鹿みたいに。どんだけリソースに損害が出ているのか分かってるんですか? 分かっててやってるなら馬鹿ですし、分かってないなら馬鹿ですよ。聞いてます? おい、こら?』
『ひっ』
『ぐぬぅ……』
『……』
押しつぶすような恐怖だった。ウェイドの凄みに、三人は小さく悲鳴を漏らすことしかできなかった。
『第零期だか統括管理者だか知りませんけどね? 今この場所は私の管理下にあるってことをはっきり分かってます? 分かってないですよね? 目ぇ逸らすな。こっち見ろ。この後の片付け誰がすると思ってんですか? 私ですよ? 巻き込まれただけなのに。どんだけ施設壊れてると思ってるんです?』
バチバチに怒っていた。
普段、管理者の良心と言われるほどの彼女が、バッチバチに怒っていた。
『黙ってないで、言うことあるでしょ? そんなのも分からないくらい馬鹿なんですか?』
ギロリ、とウェイドが睨む。
三人はわずかに目配せし、揃ってぺこりと頭を下げた。
『も、申し訳なかった……』
『すみません……』
『ごめンナさい』
━━━━━
Tips
◇ISCSによる敵性存在検証報告
術式的封印外殻にて拘束中の敵性存在、自称〈
その能力規模の概算から、開拓領域管理者以上の権限を持つ上位調査開拓団員であったと推測される。しかしながら、〈
〈
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