第935話「飼い主と犬」
制御塔の屋上へ登ったウェイドは目を疑った。塔を中心に放射状に伸びる都市の大通りが瓦礫と化して、その下から激しい炎を噴き上げているのだ。
『これは……』
同じく、T-2を背中に背負ったT-3も絶句している。西洋的で緑と水路のせせらぎが美しい瀟洒な街並みが、まるで地獄かと見紛うような惨状を呈している。激しい揺れはいまだ続き、堅牢を誇るベースラインの重要施設も次々と崩れていく。
呆然と立ち尽くしていたウェイドは、頬をさっと撫でるような微かな感触にはっと目を開く。
『T-3、飛び降りますよ!』
『えっ、ええっ? 分かったわ』
切羽詰まった表情で、ウェイドは躊躇なく屋上の縁を囲む柵を飛び越える。彼女を追って、T-3も慌てて走り出した。
『きゃあっ!?』
二人が屋上から飛び出した直後、激しい雷光が迸る。続けて耳を劈く雷号が間近で響き、白い塔の壁面を黒く焦がした。いつの間にか都市上空には暗澹とした雲が厚く覆いかぶさり、雷鳴は至る所から鳴り響く。
機械人形であり、スタンドアロン状態となっているウェイドたちにとって強烈な雷撃は点滴だ。回路が破壊さてしまえば、全てが終わりである。
『い、いったい何が起こってるの!?』
ウェイドが抱える金属筐体が、戸惑いのランプを明滅させる。しかし、ウェイドもT-3たちもそれに答えるほどの余裕はなかった。
ゴン、と重たい音を立てて二人が地面に着地する。管理者用の機体は通常の機械人形と比べて遥かに頑丈に設計されているため、塔の屋上から重量物を抱えた状態で飛び降りたとしてもビクともしない。とはいえ、地面の方は彼女たちの荷重に耐えきれず、足元には小さなクレーターができていた。
『管理者機体ってすごく重いのね……』
放射状にひび割れた地面をカメラに捉え、クナドが怯えたように言う。
『高耐久な希少金属をふんだんに使用していますからね。私一人で、一般的なタイプ-ゴーレム機体の2倍程度でしょうか』
『ひええ……』
そんな無駄話をしつつも、ウェイドは足を止めない。彼女はT-3を引き連れて、ベースラインの一角にあるアップデートセンターへと向かった。
『これは……、急ぎましょう』
アップデートセンターもまた、大地震と豪雷、地割れから噴き出す炎に晒され、半壊していた。ウェイドは急いで駆け込み、壁に取り付けられたコンソールパネルを力づくで剥がす。
バチバチと電流が走り、配線が千切れる。複雑な内部基盤を眺めたウェイドは、すぐに手を伸ばしてケーブル類を操作し始めた。
『な、何やってるの?』
『アップデートセンターの基幹システムを物理的にいじってるの。まずはネットワークから遮断して、その後にスタンドアロンでシステムを再起動すれば——』
T-3が床に置かれたクナドに、ウェイドの行動を説明する。
アップデートセンターの照明が一斉に落ちて、一瞬室内は真っ暗になる。直後、再びシステムが復旧し、今度は赤い光が照らし出した。
『〈
『なるほど。やってることは滅茶苦茶ですけど、理解しました』
クナドの目の前でウェイドはなおも作業を続ける。ネットワークから外れた彼女は、オフラインで都市施設を制御することができない。それでも、管理者としてコンソールの裏にある基盤を物理的に操作するのは問題なくできる。
次々とアップデートセンターの機能が復旧を果たし、ずらりと並んだガラス管が動き出す。
『T-3、クナドをこちらに』
『はいはーい』
『ええっ!? ちょ、何を——あふんっ!』
ウェイドが基盤から伸ばしたケーブルをクナドの筐体背面にあるポートへ繋ぐ。クナドは身体が溶けるような奇妙な感覚を覚え、次の瞬間には視界が別の場所に移っていた。
『感覚同期、動作最適化、その他もろもろ全て進行しつつ、データ移行が終了し次第ロック解除します』
ウェイドの言葉と共に、クナドの視界端に映っていたプログレスバーが青く染まりきる。ガラス管が下がり、青緑の粘液と共に沈んでいたクナドは外気に触れる。
『ぷはっ!? こ、これはいったい——って私シャベッタァアアアア!?』
『落ち着いてください。ひとまず貴方を管理者機体にコンバートしました。ひとまず思念術式のコピーデータを移しただけで、オリジナルはこちらのデータカートリッジにありますから、自分で守ってください』
戸惑うクナド(管理者のすがた)にウェイドが青いデータカートリッジを渡す。鏡面仕上げのそれに映ったクナドの外見は、透き通ったエメラルドグリーンの長髪の儚げな少女だった。
『この機体は?』
『いつか投下されるであろう、新たなシードの管理者のために用意していたものです。大切に使ってくださいね』
ウェイドは忙しなく歩き回りながら言い、施設の壁を睨みつける。そうして、おもむろに拳を振り上げたかと思うと、勢いよく壁を叩き割った。
『ほわっ!?』
『ありましたね。——ふっ!』
露わになったのはアップデートセンターの壁内に隠されていた配線。その中に埋もれるようにして、大ぶりなレバーがあった。ウェイドはそれを掴むと、体重を込めて下げる。うるさいサイレンが鳴り響き、周囲にずらりと並んでいたガラス管が一気に下がり始めた。
『ウェイド、何を?』
『このアップデートセンターに収容されている全管理者機体にレプリカデータをインストールして開放しました。防御力はありますし、反応としては全て管理者なので、いいデコイになってくれるでしょう』
ガラス管の中から現れたのは、全てが管理者機体だった。その中にはウェイドの姉妹たちやT-1ら指揮官と全く同じ外見のものもある。それらは粘液で濡らした髪をそのままに、続々とアップデートセンターの外へ走り出していく。
感情を映さない虚な目をした囮たちを追い立てるのは、都市全域を徘徊する警備NPCたちだ。彼らは今もなお継続する地震雷火事といった災害にも狼狽えず、冷静に“管理者”たちを攻撃していた。
『あれ、もしかしなくても、私たちも見つかったら攻撃されるってことよね?』
『そうですよ。まあ、こちらも防御力は高いですから、そうそう破損しません』
『安心できないわよ……』
既に泣きそうな顔のクナドを置いて、ウェイドはいまだ硬直したままのT-2の肩に手を置き、T-3へしたようにその口に己の舌を捩じ込んだ。恋人のように指を絡め、それでいて激しく痙攣するように高速で身体を動かす。デジタルデータをアナログな動作へと変換し、それをT-2へ伝えることで、彼女にもハザードモード移行の権限を移した。
『んっ……。ありがとう、これで自由に動ける』
膨大な情報を一気に変換し取り込んだためか、T-2は白い頬を赤く染めて口から吐息を吐き出して排熱を促している。彼女の体も、ようやく自由を取り戻した。
『ここから先は都市の脱出を最優先目標とします。三人は私が守りますので』
『ま、守るって……。ウェイドも管理者でしょ、管理者は戦闘行為が禁じられてるはずじゃ』
淡々と語りつつ出口へと向かうウェイドをクナドが押し留める。彼女は外は天災と警備NPCたちが闊歩している地獄だ。ひとまず安全なアップデートセンターの中で、救援を待つ方が妥当と考えた。
しかし、銀髪の管理者は薄く笑う。
その時、アップデートセンターの入り口に特大の砲弾が飛び込んできた。
『ウェイド!』
クナドの悲鳴。
しかし、管理者は落ち着きをはらって、無造作に片手を向ける。
『——
白魚のような指先が、砲弾に優しく触れる。衝撃が円環となって広がる中、ウェイドは涼しい表情で指を押し出す。
内包するエネルギーを吸い取られ勢いを止めた砲弾は、重力に従い落ちていく。その瞬間、ウェイドの白いワンパースがふわりと膨らんだ。
『えっ?』
爆轟。
砲弾を放った警備NPCは、自らの攻撃によって爆散した。
瞬間の出来事を見届けた後、クナドはようやく、ウェイドが砲弾を猛烈な勢いで蹴り返したことに気がついた。
『——ハザードモード展開中の管理者は、一切の戦闘制限を解除されます』
コツコツと硬い靴音を響かせながら、ウェイドはアップデートセンターの外に出る。すぐさま、赤いレーザーポインターの雨が彼女の全身へ降り注ぐ。冷徹に照準を定める警備NPCたちを睥睨し、彼女は少し悲しげな表情を浮かべた。
直後、無数の弾丸が間断なく降り注ぐ。けたたましい射撃音が響き渡り、ウェイドが立っていた場所は瞬く間に濃密な煙幕に包まれる。
何もできず立ち尽くすクナド。茫然自失となり、狼狽える彼女の視線の先で、煙が晴れる。
——カランッ
硬い金色の弾丸が地面に落ちた。澄んだ音は次々と後に続く。
立っていたのは、透き通った銀髪の少女。その白いワンピースには汚れひとつない。
『管理者権限、“
彼女が優しく笑って周囲へ視線を巡らせたかと思うと、立て続けに激しい爆発が巻き起こる。
━━━━━
Tips
◇
ハザードモード移行時、管理者に付与される特殊な権限。あらゆる戦闘的行動制限が撤廃され、危険排除のための行動が即時許可される。
この状態の管理者はブルーブラッド換算で通常の調査開拓員の数百から数千倍の機体性能を発揮する。またこの状態の場合に限り、一部の戦闘的管理者権限の使用が解放される。
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