第931話「黒龍の残滓」

 黒龍イザナギ。やつれた風貌の少女は、はっきりとそう言い放った。

 その名前が、俺たち調査開拓団をこの惑星に送り込んだ高度文明惑星群と同じであることが、偶然の一致ということはないだろう。俺たちの存在の足元を支えるような、重要な存在であると直感が訴えている。


「黒龍イザナギ。君の目的はなんなんだ?」


 ゆらゆらと小さくふらついている少女を見つめ、問いを差し向ける。

 乾いた皮が細い骨に張り付いて、髪はボサボサの伸び放題。まるで何年も打ち捨てられたかのように、全身が汚れている。着ているのは布に穴を開けただけの貫頭衣で、胸の辺りを紐で締め付けている。それもところどころに穴が開いたボロ切れのような装いだ。

 名前以外の全てが謎のまま、少女はたどたどしく語る。


『ワたしは、命ヲ産む。地ニ命を満たス』


 彼女の願いは簡潔だった。産めよ増やせよ地に満ちよと言う。ただそれだけのこと。そのために彼女は、今も封印されているという本体——黒龍の復活を望んでいる。


「そのために俺たちを助けたのか?」


 コクリ、とイザナギが頷く。その拍子に首筋の皮膚が裂け、黒い血が噴き出した。


「うひゃあっ!? だ、大丈夫ですか? ほほほ、包帯!」


 それを見ていたレティが飛び上がり、慌てて包帯を取りだす。グルグルと少女の首に巻いて、なんとか血は止まった。

 ——管理者と同じ機械人形という予想もあったのだが、やはり生身の肉体らしい。


『あリガとう。この体ハ、朽ちカケていルから……』

「のわーーーっ!」


 イザナギがぺこりと腰を折る。その拍子に背中が裂けて再び血が噴き出した。レティが悲鳴を上げて包帯を掴み、止血を行う。


「む、無理しなくていいですからね。ていうか、そんなボロボロの体でどうやってここまで……」


 レティの疑問ももっともだ。一歩動けば皮が裂けるようなボロボロの体で、どうやってあの地下坑道からここまでやってきたと言うのだろう。そんな俺たちの疑問に、イザナギはこともなげに答える。


『瞬間テキな現実事ショウ改変術式ヲ、常ニ使用しツヅけてイルから』

「なんだって?」

『連ゾク的に現ジツ事象を改変スルことで、ワタシの存在ヲイジしていル」


 ふむ。何を言っているかさっぱりだ。なんとか理解しようとするなら、本来なら存在しない自身を、現実そのものを書き換えることで存在していることにしている、ということか? どうやら、彼女は俺たちとは違う技術体系に生きているようで、なかなか理解が進まないが。

 言ってしまえば、彼女は常にこの場へ瞬間移動し続けているようなものだろうか。それができるなら、一歩も歩くことなく地の底からここまで来ることもできるだろうし、さっき突然現れたのにも納得できないわけではない。


「と、とにかくイザナギのおかげで助かったよ」

『ギブあんどテイク』


 イザナギがそう言って右手を伸ばす。彼女の意図を読み取り、俺はその手を握る。


 ぼろん。


「うわああっ?!」

「うわあああっ!? ほ、包帯! え、包帯でどうにかなりますコレ!?」


 軽く握手した弾みでイザナギの右腕が肩から離れる。レティが慌ててそれを広い、包帯でグルグル巻きにして強引に繋げる。イザナギは無表情だが、こっちは心臓が痛い。

 全身至る所に包帯を巻かれ、イザナギはすっかりミイラのような風貌だ。その荒れた風貌も合わせて、リアリティがありすぎる。


「その現実事象改変術式とやらで自分の体は治せないのか?」

『黒龍ハ強固な現実保持性ヲ有しテイる』


 つまり、自分自身を改変することはでいないと。あくまで周囲の空間に対して、“ここにイザナギが存在する”というふうに書き換えるらしい。


「レッジさん、理解力高いですね……」


 ちんぷんかんぷんです、とレティは耳を倒して項垂れる。


「俺も全部理解してるわけじゃないさ」


 実際、ほとんどノリと勢いだけだ。しかし、今は状況が状況だ。そんなことよりも確認しなければならないことがある。


「イザナギは、俺たちに何を望むんだ?」


 ギブアンドテイクと彼女は言った。助けてくれたということは、俺たちも彼女を助けなければならない。内容次第では俺たちには不可能なことかもしれない。


『黒龍ノ復活。その為ニ、この町ヲ乗ッ取っタ、杭ヲ抜く』

「杭?」

『黒龍ヲ封じル縛め。特ニ、零番は五月蝿い』

「う、うるさい……」


 厄介とか強力とか、そういう類のものではなく、イザナギはただ五月蝿いと言った。杭、零番と言われているならば、やはりクナドと関連があるのだろうか。であるとすれば、イザナギあるいは黒龍と呼ばれる存在は、クナドが封じていたそのものだ。

 だが、今の時点で俺たちとイザナギの目的は一致している。俺はこの都市を奪還し、ウェイドたちを取り返したい。彼女はこの町を占拠している零番という存在を退けたい。

 であれば、一時的にでも協力体制を構築するのは十分ありえる選択肢だ。


「分かった。協力しよう。俺たちがこの町を取り返す」

『たすカル』


 俺の決意に、イザナギは口角を引き上げる。あいにく引き攣ったような笑みにしかならないが、その心は伝わる。ついでに、頬がバリバリと裂けて都市伝説の怪女のようになったが、レティが慣れた様子で包帯を巻いた。


「それじゃあ、まずは俺たちの作戦を共有しておこうと思う」


 イザナギの包帯密度が上がったところで、俺は彼女に作戦を伝える。と言っても、現在地である整備用トンネルから産業廃棄物処理場に向かい、そこから塔の最上階を目指す、というシンプルなものだが。


「言うは易し行うは難しってな。道中の警備NPCたちが予想よりもかなり厄介なんだ」


 問題点はそこに尽きる。俺たちと共に都市内部へ侵入できた仲間や、その後に入ってきた仲間も各地で尽力しているのだろうが、それでも警備NPCの戦力があまり分散されていないように感じる。もしくは、俺の見積よりも実際の配置数が多かったのかもしれない。

 ともかく、今のままでは塔の根本にたどり着くこともできず、力に押し潰されてしまうだろう。


「せめて処理場まで辿り着ければなんとかできるかも知れないんだが……」


 俺は腕を組んで唸る。

 さっきの交差路ではイザナギのアシストがあり、なおかつ偶然床下に空白地が存在していたという幸運があった。しかし、ここから先はより都市中枢に近づいていくことになる。そうなれば、区画もより厳格に設計されており、空白地も少なくなっていく。

 どうしたものかと悩んでいると、おもむろにイザナミが動き出す。実際に足を動かすわけではなく、その場で瞬間移動を行ったような、まるでコマの飛んだアニメのような動きだ。


『目的地ハ、こっち?』

「え? ああ、そうだが……」


 彼女の指差した方角は、産業廃棄物処理場のある方向だった。俺が頷くと、彼女はゆっくりと手を広げる。その中心に、いつか見た黒い球が生成された。


「まさかっ!?」

「レッジさん、伏せてください!」


 俺とレティは同時に気がつく。イザナギが何をしようとしているのか。

 だが止める暇もなく、それは放たれる。小さな黒い粒。その姿からは想像できないほどの破壊力を持って、都市の頑丈なトンネルを一直線に貫く。空間そのものをくり抜くように、なめらかな断面を残し、入り組み複雑に絡み合ったトンネルの全てを無視して、新たなトンネルを作り上げる。


『これデ、最短距離』

「お、おう……」


 パパ、と瞬間移動でこちらへ振り向き、イザナミが言う。包帯に包まれくぐもった声が、少し誇らしそうだった。唖然とする俺に、彼女は頭を向けてくる。意図を計れず困惑していると、彼女は俺の手のひらの下に瞬間移動してきた。


「な、撫でればいいのか?」

『前に、小さな者ヲ撫でテいた』


 記憶を掘り返し、そういえば坑道の突き当たりで止まっていた時にカミルの髪を撫でたようなことがあったのを思い出す。その時から俺たちのことを見ていたのかと驚きつつ、ご要望どおりその乾いた髪を優しく撫でる。

 ポロポロと長い毛髪が抜け落ちてしまうが、イザナギは気にする様子もなく目を細めるのだった。


「あのー、早くしないと警備NPCが来ちゃいますよ」


 そんな俺たちにジト目を向けて、レティが言う。それもそうだと思い直し、俺は急いでトンネルへ向き直る。


「イザナギはどうする?」

『ついテいク。気にシナくてイイ』


 そう言って彼女は瞬間移動してみせる。なるほど、これなら彼女に気を配る必要はないかもしれない。頼もしい龍の少女に安堵して、俺はレティと共に勢いよく空白地から飛び出した。


━━━━━

Tips

◇黒龍の鱗

[閲覧権限がありません]


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◇邪悪なる暗黒と滅亡を司る暴虐の黒龍が世界へと残したる悪虐の爪痕、あるいは雌伏する悪の種子、あるいは隠れたる邪悪イーヴィルオブハイド


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クッ、ついにここにまでヤツらの尖兵が辿り着いたのか。しかし、我が権能がこれしきの事で限界を迎えるとでも思っていたのか? チッチッチッ、それは安易で愚かな思い上がりというものだ。我が力は貴様らの予想など遥かに超えるということを、見せてやろう!

刮目せよ! 我が名は〈黒き闇を抱く者ブラックダーク〉! 深淵よりも深——。


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我が名は——


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