第928話「地図上の空白」
「レッジさん、本当にやっちゃっていいんですか?」
「ああ。悩む必要はない。思いっきりやってくれ」
ごくりとレティが唾を飲む。彼女は荒い吐息を押さえつけ、決意を固めて口の端をキツく結ぶ。俺は彼女の側に立ち、その腕が力を溜めるのを肌で感じる。
「——せい!!」
鋼鉄が振り下ろされる。それは〈ウェイド〉の通りに敷き詰められた白い石畳を容赦なく破壊し、破砕する。彼女のハンマーは、それでもなお止まらない。石を砕き、基礎を割り、更にその下に埋没していた鋼鉄の装甲すら破る。
「いけいけいけ! どんどんやれ!」
「ひぃぃんっ!」
レティは餅つきをするようにハンマーを何度も何度も地面に叩きつける。そのたびに盛大な音が響き、地面が陥没していく。悠長にしていたら、すぐさま聞きつけた警備NPCたちが雪崩れ込んでくることだろう。
『Pipipipipipipi!!!!』
案の定、数分もしないうちにけたたましいサイレンを鳴らして蜘蛛型のNPCが黒波のように殺到する。
「早く早く!」
「やってますよぉ!」
通りを走る彼らは、次々と爆発する。事前に撒いておいた地雷が、僅かにだが進行を阻んでいる。
レティは必死の形相で地面を叩き続ける。陥没は更に深まり、俺たちの体がすっぽりと収まるほどの穴になっている。しかし、まだ足りない。
『Wiiiiiii!!』
「これでも喰らえ!」
ブルドーザーのように地雷を押し潰してやってきた重装甲のNPCに種瓶を投げつける。至近距離で急成長した蔦が機械の関節に絡みつき、僅かな隙間からデリケートな内部基盤にまで根を伸ばす。重低音を響かせて迫っていたNPCが白い煙を上げながら行動不能に陥り、逆に後続を押しとどめるバリケードとなった。
「うおおおおおっ! 突貫!」
「おうわっ!?」
大きなNPCを乗り越えて、蜘蛛が迫る。しかし、その手が俺たちを捉えるよりも僅かに早く、レティが最後の装甲板を叩き割った。
穿たれた穴に、俺とレティと白月としもふりが落ちていく。
「レッジさん!」
「任せろ!」
悲鳴をあげるレティの手を掴み、真下に向かって種瓶を投げる。すぐさまフワフワの白い巨大な綿花が飛び出して、俺たちの体を優しく受け止めた。
「まだ油断するなよ。上から来るぞ、気をつけろ!」
当然、追手も穴から落ちてくる。
「これなら余裕です!」
それに対し、レティがハンマーを構える。穴は小さく、落ちてくるNPCたちの数は限られる。空中にいる間は思うように動けないこともあり、レティの一方的な狩りとなる。
彼女は穴の下でぶんぶんとハンマーを振り回し、次々と落ちてくる蜘蛛型NPCを壁にぶち当てる。あまり耐久性はないのか、彼女の一撃で次々とスクラップが量産されていく。
「レティ、こっちだ!」
延々とお代わりし続けるわけにもいかないので、俺はレティの手を引いて走り出す。
ここは都市の地下に張り巡らされた整備用のトンネルだ。地上へはマンホールで繋がっているものの、蓋には度々強化されるロックが掛けられているため、本来なら〈解錠〉スキルが必要になる。
とはいえ、今ここにはレティがいる。彼女が〈破壊〉スキルを併用してハンマーで地面を叩けば、直接中に入れるというわけだ。鍵がないなら壁をぶち破ればいいじゃない、と偉い人も言っている。
「れ、レッジさぁん」
「走れ走れ。次の角を右、その次は左、その次は3回右だ!」
「分かんないですよ!? レッジさん、手離さないでくださいね!」
整備用トンネルは表舞台となることがないため、交通の利便性など一切考えられていない。非常に入り組んだ迷路のような構造だ。警備NPCたちは全容を熟知しているかもしれないが、否応なしに分散を余儀なくされるし、こちらとしては各個撃破がやりやすい。
「ふぅ。カミルが買ったガイドブックを読んでおいて正解だったな」
なぜ俺が〈ウェイド〉の整備トンネルの構造を熟知しているのか。理由は単純で、少し前にカミルが買った町のガイドブックを読んでいたからだ。非常に分厚いカタログのような書籍で、暇つぶし程度に思っていたのだがかなり面白かった。
それに、その本の面白いところはまだある。〈ウェイド〉に限らず、全ての都市は常に増改築が行われている。それは経営不振の著しいショップを改装するためだったり、町そのものの面積を広げるためだったり、色々な理由があるが。そんな増改築の過程も、詳細に記されているのだ。
「レティ、この壁壊してくれ!」
「うええっ!? も、もうどうにでもなれ!」
たどり着いたエリアが、脳内に記憶している地図と一致しているのを確認して、壁を指し示す。レティはもはや考える余裕も無さそうで、俺の指示を受けるままハンマーを叩きつけた。
「とりゃああっ!」
彼女の雄叫びと同時に、呆気なく薄い鉄板が吹き飛ぶ。その奥にある暗い空間に急いで身を押し込み、しもふりと白月も引き摺り込む。
すぐそこまでNPCの群勢がやってきているのがわかる。その騒々しい足音がこちらへ近づいてくる。
「れ、レッジさん……」
「静かに」
不安そうなレティの肩を抱き、落ち着かせる。やがて、小さな誘導灯の照らす薄暗いトンネルに大量の警備NPCたちが激流のように押し寄せた。
「ひっ」
「大丈夫」
カシャカシャと足を動かし、NPCたちは右から左へ走っていく。その動きにレティも違和感を覚え、やがてきょとんとして首を傾げた。
「警備NPCたち、レティのことが見えてないんですか?」
「カメラの視界に入ったらアウトだが、そうじゃなければ大丈夫だ。ここは本来、
度重なる増改築は、常に形の変わるピースを埋め続ける難解なパズルのようだ。当然、噛み合わないところが出てくる。それによって生じるのが、都市のあちこちにできたデッドスペース。本来ならある空間が、地図上には記されていない、そんな空白だ。
地図を正確に頭に叩き込み、それに従って地の果てまで追いかけてくる警備NPCたちだが、当然その地図のバージョンは最新のものだ。俺たちの今いる場所は、太い下水用パイプが通っている場所で、調査開拓員や大型機獣が隠れられるような隙間はない、そう判断される。
「そんなわけで、こういうデッドスペースは警備NPCの巡回してこない安全な場所になる。やっと一息つけるぞ」
「はぁぁ。つ、疲れました……」
索敵特化型のボールのようなNPCが、ふよふよと漂いながら俺たちの真横を通過していったのを見送って、レティは膝から崩れ落ちる。“雲隠”は応急処置的な隠蔽だったが、ここならどれだけ騒いでも問題はない。そのことを理解して、緊張の糸が解けたらしい。
「とりあえずテント建てて、拠点を作ろう。その後は腹拵えでもして。ああ、その前に外部に連絡を——」
安全な場所を手に入れたのも束の間、息をつく暇もない。〈ウェイド〉奪還、ウェイド救出のためにはするべき事が山積みだ。
「レッジさん」
早速テントを組み立てようとする俺の手を、レティがそっと掴んでくる。何かあったかと振り返ると、彼女は眉間に皺を寄せ鋭い目つきをこちらに向けていた。
「れ、レティ?」
「……」
彼女の様子に困惑する。
「レティさん? お腹空いてるなら、しもふりのコンテナにすぐ食べられるレーションなんかも——」
ギリ、と彼女が歯を噛み締めたのがわかった。
「——こう言うことするなら、事前に説明してくださいよ!」
トンネル中に響き渡るような声で言われたのは、全くもってド直球の正論だった。
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Tips
◇
蒙昧たる黒の民たちを啓蒙し、地上の隅々にまで響く栄光の讃歌を奏させた偉大なる八人の指導者たち。
そして、来るべき“流転の時代”。重く秘されていた
Ich bin immer da.(私はいつもそこにいる)
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