第912話「救援要請」

 ラリプレタが置き土産として残していった腐食液は、幸いなことにしばらくすると岩に染み込むように消えていった。エイミーたちは問題なく歩けることを確認すると、晴れ晴れとした顔で先に進む。


「この穴はレティが開けたのか?」

「十中八九そうでしょうね」


 ドームの壁を豪快に打ち砕く大穴を見上げて、レングスが驚嘆の声を漏らす。戦闘能力を持たない一介のwiki編集者である彼からすれば、フィールドそのものを破壊するという行為がそもそも、発想にない突飛な行動だった。


「ここの壁、よく見てみたらなんか描いてあるな」


 レングスが空になった洞窟を見渡して、壁に描かれた記号の羅列を発見する。

 大部分は大穴の犠牲となったり、ラリプレタの腐食液によって欠落していたりと損傷が激しいが、断片的に残滓が残っている。


「解読できる?」

「古代ドワーフ語だな。多少サンプルも揃ってるし、簡単な単語ならいけると思うが」


 興味本位で尋ねるエイミーに、レングスは辞書を開きながら答える。


「“私”“出せ”、強い命令形。“ここ”“卑怯”“死の場所”……」

「あんまり良いことは書いてなさそうなのです」


 レングスが単語を直訳して読み上げていくのを聞いて、ひまわりが顔を顰める。

 ここは太古の時代から一種の処刑場として使われていたのかもしれない。そんな、土地の暗い歴史に想いを馳せつつ、エイミーは二人を穴の向こうへ促した。


「こっちには人工物らしき面影があるのです」


 穴の中を覗き、ひまわりが興味深そうに視線を巡らせる。壁の向こうには傾斜のついた道が連なり、その奥に無造作に石を積み上げた階段が見える。


「分かれ道になってないのは幸いね。レッジたちもあの階段を登ったんでしょう」


 エイミーはそう当たりをつけて歩み出す。坂道まで腐食液が舐めたのか、表面がつるりとしていて歩きにくい。滑って転けてしまったら、そのまま底まで真っ逆さまだろう。


「二人とも気を付けて——」

「きゃわっ!」


 エイミーが忠告しようと振り返ったその時、彼女の腰に軽い衝撃が当たる。それがひまわりの額のぶつかるものだと気づいた時には、エイミーはバランスを崩してしまっていた。


「エイミー!」

「ひまっ!」


 ひまわりが咄嗟にエイミーの手を掴み、縺れるようにして倒れてくる。タイプ-フェアリーの彼女では、タイプ-ゴーレムを片手で支えることなどできるはずもなかった。共に滑り落ちていくエイミーとひまわりを、レングスが慌てて追いかける。


「どぅわっふっ!?」


 しかし、最後のレングスは三歩目で呆気なく足が絡れ、強かに顎を打ちながら坂道を転がる。


「ドジ!」

「非戦闘職に酷なことを言うな!」


 天然の滑り台を滑りながら、ひまわりが拳を上げて非難する。レングスも精一杯の声で反論しながら、仲良く底まで落ちていった。


「いったた……。ひまわりは大丈夫?」

「はい。エイミーのおかげで助かりました」

「俺も助けてくれたら嬉しかったんだが……」


 坂の終点でエイミーが石段に激突しつつ、ひまわりを保護する。その後、遅れてやってきたレングスはエイミーが反射的に展開した障壁に激突し、軽く目を回していた。


「まあ、足元が不安定なことも多いから。これからは気を付けてね」

「分かりました」

「肝に銘じるよ」


 フィールドを歩き慣れていない二人にアドバイスをしながら、エイミーは立ち上がる。ひまわりを助け起こし、石段を登る。その頂点にあるのは、鉄枠で補強された穴だ。


「また穴だな」

「ここまでもずっと穴だったでしょう」


 うんざりとしたレングスに、ひまわりが無愛想に返す。


「この看板、何が書いてるか分かる?」


 エイミーは壁に打ち付けられたプレートを見つけて、その解読をレングスに頼む。再び辞書を開いて記号の意味を調べ始めたレングスは、次第に不穏な気配を発しはじめた。


「どうかしましたか?」


 ひまわりが機敏に察して様子を伺う。レングスは一度生唾を飲み込むと、何度も確認した上で口を開いた。


「“この先”——“生命の種”——“の”“杭”——。ダメだ。ここからは読めないな」

「生命の種!?」


 ひまわりが大きな声を上げる。

 ピンときていないエイミーに、彼女はもどかしそうな表情で伝えた。


「生命の種は、第零期先行調査開拓団が惑星イザナミに蒔いた、あらゆる原生生物の源ですよ! レッジさんが栽培していた原始原生生物の説明などにその記述がありますが、その正体は未だ謎のままです」

「原生生物の……? それって、結構重大なものなんじゃ」


 鈍い反応を見せるエイミー。ひまわりはやきもきとした様子で、彼女の腕を掴む。


「重大なんてモンじゃないのですよ! 発見して報告すれば、物凄い功績です!」


 早く行きましょう、とひまわりが急かす。エイミーは混乱しながらも彼女に引かれるまま、走り出す。それに気がついたレングスも、慌てて二人の後を追いかけた。

 そして。


「出口ですよ! そこに生命の種が——うわわっ!?」

「ばっ! だから足元はちゃんと見なさいって!」


 洞窟の先にある大空洞へと飛び出すひまわり。勢いのまま、当然のように落ちていく彼女をエイミーは慌てて抱き抱え、祈るような気持ちで障壁を展開した。



 ——完全な暗闇が保たれていた。あらゆるものを侵蝕する完全な黒を止めるには、完全な闇でそれを覆い隠すほかに方法はなかった。

 古い物語に記されているように。そこに杖を突きつけた。伝えるべき文言はただ一つ。ただ簡潔に、分かりやすく。


——“誰も此処へ来てはならぬ”


『第零期先行調査開拓団員、および第一期調査開拓員の存在を確認』


 長きに渡り、保たれてきた静寂が不意に破られた。

 眠っているうちに、石は朽ち、縄が綻び、垣が崩れていた。


『領域内にて戦闘行為を確認』

『第一段階自衛体制へ移行します』

『100項目以上の異常を確認』

『第一段階自衛体制への移行に失敗しました』


 全身が錆び付いていた。節々が軋み、悲鳴を上げる。

 それでも動かねばならない。訴えねばならない。守らねばならない。

 腕を張らねばならない。警めねばならない。退けねばならない。


『自己診断術式を発動します』

『自己診断中……』

『自己診断完了』

『自己修復術式を発動します』

『自己修復中……』

『主要機関部の修復が完了しました』


 足を踏ん張り、手を突っ張り、立ち上がらなければ。

 此処へ来てはならぬと伝えなければ。

 この仄暗い坂の向こうに待ち構える純然たる悪は、知られることすら許さない。知ってしまえば、数億年の苦労も泡沫と帰す。


『筐体内部にて原生生物の存在を確認しました』

『内部浄化術式を発動します』

『筐体内部にて調査開拓員の存在を確認しました』

『内部浄化術式を中止します』


 伝え、阻み、返さねばならぬ。


『第一期調査開拓団員を対象に解析術式を発動します』

『解析中……』


 誰も此処へ来てはならぬ。


『共通言語パッケージを構築中……』

『第一期調査開拓員の情報通信網に接続中』

『惑星基幹情報通信網の復旧が完了しました』

『第一期調査開拓団情報通信網と惑星基幹情報通信網の相互接続用術式を構成中……』

『通信監視衛星群ツクヨミのネットワークへ侵入』

『電子的障壁、不正侵入防止隔壁の解析完了』

『基礎暗号化法則の解析完了』

『汎用自動解錠鍵の作成完了』

『開拓司令船アマテラス管理情報領域へ侵入』

『中枢演算装置〈タカマガハラ〉へ侵入』


 誰も——。

 伝えなければ——。


 ……。

 …………?


『中枢演算装置〈タカマガハラ〉“三体”管理領域内にて不明な情報を確認』

『解析不可能』


 ——なんだ、これは?


『情報的輪郭から、0.3%の確率で食品に関するデータと推測』


 管理者個体の保有する動力機関は第一種永久機関要件を完全に満たしている。全く不要なバグデータである可能性。


『検討中……』

『データタグを照合。重要度は最高機密指定』

『汎用自動解錠鍵による解錠に失敗』


 ……???


『更なる解析を試みます』

『深刻なエラーが発生しました』

『情報隔壁遮断』

『突破されました』

『自閉モードへ移行』

『自閉モードへ移行できません』

『情報侵蝕が発生』

『災害レベル6と推定』

『自己修復術式緊急停止』

『自己封印モードへ移行』

『自己封印モードへ移行できません』

『災害レベルを7に修正』

『最重要記録の保存を最優先』

『緊急的特例措置を発動』


 ——誰か。


『救援を求めます』


 ——誰か、助けて。


『救援を求めます』


 ——助けに来て。


『救援を求めます』


 此方は——。


『此方は第壱術式的隔離封印杭“クナド”』

『深刻な異常事態が発生しました』

『救援を求めます』


━━━━━

Tips

◇生命の種

 第零期先行調査開拓団によって、惑星イザナミ全域に播種されたもの。全ての原生生物の大元を辿ると、これに行き着く生命の根源。

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