第906話「洞窟獣人」
「うひゃあっ!?」
突然響き渡った咆哮にラクトが飛び上がる。レティがすぐさまハンマーを構え、トーカも身を起こすが、すぐに呻いて椅子に倒れた。
「とりあえずテントを中心にして防衛に徹すれば大丈夫だ。トーカが回復するまで持ち堪えるぞ」
「すみません。私のせいで……」
「任せてくださいよ! コボルドブレイブの一匹や二匹、レティだけでコテンパンにやっつけてやりますから!」
しゅんと気を落とすトーカを励ますためか、レティが底抜けに明るい声を出す。彼女は食べかけのピザを折りたたんで口の中に詰め込むと、腕を捲って耳をピンと立てた。
「シフォン、風水って拠点防衛とかの方が向いてたりするか?」
「はえっ!? そ、そうだね。土地そのものに影響を与えるタイプのテクニックが中心だから、動かない方が効果的だと思う」
「なら、主力はシフォンになるな。俺も罠で援護するし、レティも強敵の各個撃破はしてくれるだろうが、群れに対してはシフォンが頼りだ」
「わ、わかったよ!」
シフォンの風水系占術テクニックは土地を基盤とする。その性質上、攻めるよりも守る方に適している。コボルドがどの方角からやってくるか分からない上、大量の群れで攻めてくる可能性は高い。全方位を一括して手中に収めることのできるシフォンが一番輝くタイミングだ。
「わたしのこと忘れてない?」
「ラクトはレティのカバーだ。トーカが動けないぶん、強敵に一極集中してほしい。敵が近づいてきたら、タンクも任せたいから、そっちも注意してくれ」
「了解。テントがあれば鬼に金棒だからね」
任せてちょうだい、とラクトはテントの屋根に陣取る。そこならば周囲を広く見渡せるということだろう。
「……レッジ、ちょっと状況が悪いかも」
各々が迎撃体制を整えていく中、ミカゲがこそりと耳打ちする。
「何があった?」
「“
「なんだって!?」
ミカゲは〈呪術〉スキルを斥候にも使っている。スキルの特性として自身が殺したものと同種同族の原生生物の気配はかなり広範囲に渡って正確に掴むことができる。そんな彼の報告は驚愕をもたらした。
“洞窟獣人の勇士”は一体だけでもトーカが死力を尽くして相手取らなければならなかった大敵だ。それが一気に5体も現れるとは何事か。しかも、そんなブレイブよりも強いものまで出てきたとは。
「ミカゲ、一番強い個体の位置はわかりますか?」
耳聡く話を聞いていたレティが顔を突っ込んでくる。口元にピザソースが付いているが、目は至って真剣そのものだ。
「北の方向、200メートル。廃墟の中かどうかは分からないから」
「それだけあれば十分です。そのあたりに行けば分かるでしょう」
「ライトドローンをいくつか渡す。自動追尾プログラムを組んでるから、手間はないはずだ。死なない程度に頑張ってくれ」
レティも〈操縦〉スキルは持っているのでドローンは扱える。視界確保用に三機のドローンを渡すと、彼女はさっそくそれを展開した。背後上方から周囲を照らすドローンは自動で彼女の後を追尾して、視界を常に保ってくれる。
「それでは、行ってきます!」
レティはぴっと手を振ると、機械脚の力で一息にテントから飛び出した。
「こっちも来るよ」
彼女を見送る暇もなく、ミカゲが忍刀を引き抜く。
「——『地脈励起』『地龍盤旋』ッ!」
シフォンが柏手を打つ。乾いた音が響く。
直後、テントの周囲の地面が、荒々しく隆起する。ちょうどそのタイミングで闇の中からコボルドたちが飛び込んできて、次々と吹き飛んだ。
「俺の罠なんかよりよっぽど強力だな」
「小回りは効かないし連発できないからね!」
シフォンに釘を刺され、俺も動き出す。大地そのものを掻き乱すような動きから逃れたコボルドたちが、テントに飛び込んできている。ラクトが氷の矢で射抜いているが、追いつかない。
「ミカゲもメインアタッカーとして頑張ってくれよ」
「……善処する」
飛び出していたミカゲの幸運を祈りつつ、俺は周囲にばら撒いていた地雷を踏んで燃え上がるコボルドへ意識を向けた。
†
暗闇を三つの光が照らすなか、赤髪の少女が疾駆していた。彼女は邪魔な廃墟の瓦礫をハンマーで吹き飛ばし、一歩地面を蹴るごとに数字を重ねていきながら、北方に向かって真っ直ぐに走っていた。
「じゅーう!」
『グギャッ!?』
牙を剥き爪を伸ばしたコボルドウォーリアたちが飛びかかるが、レティはそれを歯牙にも掛けない。瓦礫と共に吹き飛ばされる獣人たちは、いっそ哀れなほどだった。
「じゅーいち!」
歩数を数えながら、レティは進む。彼女が目指すのはただ一点、ミカゲから教えられた北へ200メートル進んだ場所だ。そこへ至るまでの道で曲がってしまえば、レティはどれほどの距離を進んだか分からなくなる。であれば、障害物を全て跳ね除けて真っ直ぐに直走ればよい。
「じゅーにっ!」
レティはとても明晰かつシンプルな論理に惚れ惚れとしながら、廃墟の壁をハンマーで砕いて進んでいた。
「じゅーさっ!?」
しかし、彼女の目論見は道半ばでハプニングが発生し中断を余儀なくされる。機械脚によって増幅された脚力で一気に10メートルの幅を跳んでいたレティは、13歩目にして他とは違う風格を纏うコボルドと対峙してしまったのだ。
自分が動いているのと同時に、向こうも接近してきているのだから、当然200メートルよりも短い地点で合流を果たすのが摂理なのだが、レティはそれに気付かなかった。
「ぬわっ!? だ、誰ですか!」
まだ200メートル地点に辿り着いていないというのに、“
そのコボルドは鈍色の身体は巌のごとき荒々しさで、手には黒々とした巨岩の棍棒を握っている。腰布だけというシンプルな装いが、逆にその実力を醸していた。
レティは未知のコボルドと対峙して、反射的に『生物鑑定』を実行する。未知の原生生物と相対した時には、ほとんど呼吸をするような自然さで行う動きだ。
目の前に立つコボルドはレティの出方を待っているのか襲い掛かろうとはしない。即座に鑑定が終わり、名前が判明する。
「“
鑑定の結果判明したのは名前だけ。対象のステータスが高いため、それほど多くの情報は得られないが、それで十分だった。
名前から分かるのは、このコボルドが群れの頂点に立つ存在であるということ。つまり、これを下せばレティたちは圧倒的な優位が取れる。
「ならばっ!」
先手必勝、とレティがハンマーを持ち上げる。彼女の脚力であれば、接敵し殴りつけるまでに1秒と掛からない。すでに彼女は間合いに入っていた。脚に力を溜め、地面を蹴る。風化した瓦礫が砕けることでわずかに跳躍力が削がれるが、些事である。
「うぉおおおっ!」
迫る赤影。
その鎚が獣人の鋼のごとき腹を打つ。寸前。
『——ガァッ!』
氏族長が吠えた。
音圧は物理的な衝撃となり、レティへ迫る。
「んぎっ!?」
モデル-ラビットの聴覚が、それを余すことなく拾う。まるで頭を揺らされたかのような衝撃に、レティは思わず悲鳴を上げ緊急回避に移る。廃墟の中に突っ込み、崩れる瓦礫に埋もれながらジンジンと痺れる耳を抑える。
「くぅ、咆哮だけでもなんて強力な!」
流石は氏族長というべきか。レティは敵ながら感嘆すら覚える。
あの短い砲声だいけで、彼女の身体は恐怖に震えていた。ハンマーを取り落としそうになるほどの弱体化は、彼女が久しく感じていなかったものだ。
おそらくはかなり高位の、
「どうしましょうか……。あれ?」
戦略を組み直そうと思考を巡らせるレティ。しかし、すぐに違和感を覚える。
「襲ってこない?」
向こうもレティが廃墟の中に飛び込んだことは知っているはずだ。しかし、待てど暮らせど追撃がくる様子はない。
レティが恐る恐る瓦礫の隙間から顔を覗かせると、コボルドたちは静かにその場に立っていた。
「うーん、これはどういうことでしょう?」
何か特殊なフラグでも踏んだのだろうか。どうにも、通常の戦闘が発生している様子はない。となれば、何かイベントが起きる条件を満たしている可能性もある。
レティはこれまでの行動を思い返し、何か特筆すべき行動があったか考える。そうして、自信は無いながらも一つの結論に辿り着く。
「あのー」
レティは恐る恐る、瓦礫を押し退けて立ち上がる。彼女の姿を捉えてなお、コボルドたちが襲いかかってくる様子はない。しきりに鼻を動かし、呼吸を荒くしているだけだ。
「……」
レティはインベントリを開き、それを取り出す。
本当はこの戦いが終わった後にでもゆっくり食べようと思って、咄嗟に確保していたものだ。しかし、彼女がそれを手にした瞬間、コボルドたちの動きが一層激しくなる。今にも走り出しそうなコボルドたちを、氏族長が唸り声を上げて抑止している。
「あー、うん。——どうぞ、召し上がれ」
レティがそう言ってラクト特製“黄金軍鶏の悪魔風焼き”を地面に置く。彼女がそっと離れると、若いコボルドが勢いよく鶏肉に飛びついた。
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Tips
◇“マルゲリータ”
トマト、バジル、チーズを載せたシンプルなピザ。三色の彩りが目にも楽しく、フレッシュな美味しさ。
一定時間、LP最大値がわずかに増加する。
当作と世界観を共有した外伝的作品「ハミング・ダンデライオン〜小悪魔ちゃんと野生児さん〜」を投稿しました。こちらは不定期になると思われますが、ぜひご覧ください。
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