第902話「闇に棲まう獣」

 廃都に棲む住人の存在は分かったが、彼らは突然の刺激で気が立っている。まだ直接戦ってこそいないが、それでも俺たち3人——しかも一人はNPC——では分が悪いのは火を見るよりも明らかだ。

 毛のない白肌の狼男のようなコボルドたちは、荒々しい声で吠えながら落ち着きなく周囲を見渡している。彼らに気づかれれば、面倒なことになるだろう。


「コボルド。多分、社会性が高いタイプ。群れで行動する。頻繁に鼻を動かしてる。視力は退化してる可能性。音と匂いに注意……」


 闇帳の中で、ミカゲはブツブツと小さく呟いている。彼はコボルドたちの一挙手一投足をつぶさに観察して、細かく情報を集めているようだった。


「写真、撮った方がいいか?」

「シャッター音とフラッシュを消して取れるなら、欲しい」


 俺ができることは、彼に判断材料を供給することだ。カミルと示し合わせ、消音シャッターで写真を撮る。ほとんど真っ黒な中に多少の濃淡があるだけのひどい写真だが、ないよりはマシだろう。

 写真鑑定も併せて行い、コボルドの情報を集める。


「やっぱり、グレムリンから枝分かれした種族みたいだな」


 コボルドは、グレムリンがより野性的な方向へ進化した存在だった。オモイカネの知識を獲得したドワーフとは対極に位置するとも言える。

 彼らはこの暗闇の廃都で生き延び、牙を研いできた。気温の変化や天気といったものが存在しないため、毛皮はない。光というものがほぼ完全に存在しないため、視力も手放した。代わりに犬や狼に似た頭部には敏感な鼻と大きな耳が備わっている。彼らはそれで同族とのコミュニーションを重ね、結束を固め、高度な社会性を獲得した。

 その吠え声には無数の種類が存在し、独特かつ高度な言語体系を確立している。匂いは非同期的なメッセージのやり取りに発達し、汗や糞尿、さらに泥や砕いた鉱石粉などを配合し、匂いを文字のように書き残すことすらあるという。

 実際、彼らはお互いの体や発火筒の残骸などをしきりに嗅ぎ、近くの廃墟の壁などに何かを塗りたくっている。それを見れば、周囲の瓦礫についた泥も何かしらの意味を伴っているように見えてくる。

 さらに彼らは腰に何かの皮を使ったベルトを巻きつけ、おそらく黒蛞蝓の皮と思しき袋をポーチのように使っている。どうやら、道具を扱うこともできるらしい。


「ドワーフと先祖が同じだけあって、かなり知性がありそうだな」

「うん。かなり厄介」


 一応、今の段階では原生生物——特に敵性存在として俺たちは認識できている。しかし、ファーストコンタクトの仕方や相手の印象次第では、ドワーフ族のように友好的な関係を結べる可能性すらある。

 今後のことを考えれば、コボルドたちと刃を交えるのは避けたい。理想的なのは、彼らに存在を悟られずにこの廃都を脱することだ。


「まだ、確証はないけど」


 今後の行動について頭を悩ませていると、ミカゲが慎重に前置きして口を開く。


「たぶん、コボルドは視力がない。あったとしても、相当強い光じゃないと、反応できないくらい鈍い可能性が高い」

「その理由は?」

「あそこ」


 彼が指差したのは、後方。大空洞を形成する壁に開いた小さな穴だ。そこからは、レティたちの焚き火がよく見える。


「コボルドたちは、あの光に興味を示していない。それに、レッジもあそこから一度、ドローンの最大光量で廃都を照らし上げたけど、反応はなかった」

「そういえばそうだったな」


 穴の縁から大空洞の様子を調べるため、ドローンの光を向けた。今思うとかなり軽率な行動だったが、コボルドたちの反応はなかった。彼らからもしっかりと見えていたはずだが、それを感知できていなかった。


「でも、閃光玉に反応して集まってきたんじゃないか?」

「閃光玉は原理的に小さい爆発も起きる。その音で気づいた可能性がある」


 閃光玉は花火のような構造をしているらしい。中に火薬と金属粉が入っていて着火することで眩い光が一瞬広がる。光の衝撃に気を取られていたが、しっかり音も鳴っていたようだ。


「ちょっと実験していい?」

「状況が悪くならないなら」

「……確証はないけど」


 ミカゲはゆっくりと立ち上がり、懐から小さな玉を取り出す。ビー玉くらいのサイズで、閃光玉と同じように紐が伸びている。彼は紐の先端を掴み、俺たちに忠告する。


「目、瞑ってて」

「おう」

『ぴっ!』


 閃光玉の教訓を生かし、俺は瞼を閉じながらカミルの目を手で覆う。数秒後、瞼越しにも分かるほど強力な光が、無音の中で放たれた。


「——いいよ」


 しばらくしてミカゲが声を掛けてくる。どうやら実験は終わったらしい。

 恐る恐る目を開くと、先ほどと何ら変わらない状況があった。コボルドたちは燃え尽きた発火筒に興味津々で、廃墟の陰に隠れている俺たちに気付く様子もない。どうやら、先ほどの光は彼らに感知されなかったらしい。


「やっぱり、コボルドは光を感じない。ドローンは飛ばせないけど、ランタンは灯せる」

「そりゃありがたいな」


 ミカゲから太鼓判を貰い、俺は停止させていたドローンの代わりにランタンを取り出す。プロペラ音がコボルドの注意を引く可能性があったため、ずっと真っ暗闇の中にいたのだ。

 光を灯すとかなり精神的に楽になる。更に嬉しいことに、シャッター音さえ消せばフラッシュは盛大に焚いても良いと言うことがわかった。俺とカミルはカメラの設定を変えて写真を撮り、より鮮明なデータを手に入れることができた。


「コボルドが火を恐れないのは、そもそも火が見えていなかったからみたい。でも、火薬の匂いは分かるし、燃える音も聞こえてる」

「物理耐性が軒並み高いな。一応斬撃属性が一番効くみたいだが……」


 鮮明な姿を収められたことで、コボルドのステータスも分かった。水準としては地上の最前線である〈老骨の遺跡島〉に生息する“骨喰い猿ボーンバイト”と同じくらい。トーカであれば敵ではない。レティも10頭程度なら相手にできる。エイミーも5頭までかつ適切な位置さえ取れていれば余裕。ミカゲは条件が整っていて3頭までなら。俺は戦闘職ではないので考えない。

 長年岩に擦ってきたからか肌は厚く硬い。防御力はかなり高い。更に敏捷性も高い。長い手足はリーチ有利を取れる。うーむ、攻守共に隙がない。


『でも、アーツはよく効くみたいよ』


 ほとんど非の打ち所がない鑑定結果に唸っていると、俺の胡座の上に座ったカミルがウィンドウに指を落とす。


「確かにアーツ耐性はないな。火には強いみたいだが……」


 機術への耐性、そして各属性への耐性。それらは比較的低かった。とはいえ、他のステータスに比べれば、という話ではあるのだが。HPを鑑みたところ、水属性の単体標的術式、それも30GB以上の上位術式がなければ一発で仕留めるのは難しそうだ。

 そして、更に厄介な点がひとつある。


「こいつら、“洞窟獣人の戦士コボルド・ウォーリア”なんだよな……」

「そこが厄介」


 俺の溢した愚痴に、ミカゲも頷く。

 わざわざ名前に戦士と明記されている。それはつまり、戦士以外のコボルドも居るということだ。能力によって役割を分担し専門家するほどの知性があるという証左であると共に、一点突破は通用しない強さの証でもある。


「もし、仮に、索敵能力に優れたコボルドが居たら——」


 ミカゲが笑えない仮説を口にする。俺たちは彼の斥候能力を受けて身を隠しているが、完璧な訳ではない。この隠蔽を突破するほどの“目”を持つコボルドがいれば、そいつが一声吠えるだけで俺たちの存在が露呈する。


「とりあえず、あの群れから離れるか」

「発火筒に気が向いてる今がチャンス」


 俺たちはそっと立ち上がり、群れから距離を取るため歩き出す。その時だった。


「ヤバい!」


 突然ミカゲが身を屈める。何事かと目を見張った直後、彼の視線の先にいた瓦礫の上に立つ一頭のコボルドと目が合った。否、目は閉じていたが、鼻先と耳をこちらにしっかりと向けていた。奴は大きく口をひらき、喉を伸ばす。胸を膨らませ——。


『オォォォーーーーーーンッ!』


 廃都全域に響くような咆哮を上げた。


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Tips

洞窟獣人コボルド

 〈窟獣の廃都〉に生息する二足歩行の狼に似た原生生物。厚く硬い皮を持ち、体毛は薄い。鋭利な牙と爪を武器とする。暗闇の中で世代を繰り返してきたため視力は殆ど失われているが、代わりに嗅覚と聴覚が著しく発達している。匂いと音によるコミュニケーションを確立しており、高い社会性と知性を持ち合わせる。

 “暗闇の中、冷たい水と硬い岩の狭間で生き抜く狡猾な獣人。獣の獰猛さと人の賢さを併せ持ち、今も廃都に君臨している。”


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