第899話「人工構造物」
背中に迫る腐食液の大波から逃れるため、一心不乱に走り続ける。足の遅いカミルとラクトを両脇に抱え、壁の向こうに広がる空間を我武者羅に走る。
壁の向こうに広がっていたのは、再びグネグネと曲がりながら続く洞窟だった。先ほどまでの小穴と比べれば少し広いが、下り坂になっているのが尚わるい。俺たちを追いかける“水腹のラリプレタ”の腐食液は勢いに乗っている。
「『氷壁』! 『氷壁』! 『氷壁』!」
ラクトが脇の下でもぞもぞと動きつつアーツを連発する。先ほどの分厚い氷壁と比べれば飴細工のような薄さだが、細かな飛沫が降ってくるのを防いでくれていた。
「レッジさん! あそこ!」
前を走っていたレティが指差す。彼女に追従するよう設定してたドローンのライトが照らし上げたのは、不揃いな石を積み上げて作られた粗雑な階段だった。頂に金属で枠取られた穴が空いている。
地獄に仏とはまさにこの事。俺たちは迷う事なく石段を駆け上る。少し遅れて腐食液が到達し、階段と衝突して高い波を突き上げる。降り注ぐ飛沫をラクトの氷壁が全て阻み、俺たちはようやく一息つくことができた。
「た、助かった……」
「ラリプレタは?」
「いないみたいだな。壁のこっち側までは追いかけてこないらしい」
階段の上からドローンを飛ばし、様子を窺う。遠くの方に崩れた壁が見えるが、巨大な芋虫の姿はない。身を隠すような場所もないため、奴はここまで追いかけてこないようだと結論づける。
「すみません。壁画を壊してしまいました」
徐々に落ち着いていく腐食液の波を見ながら、レティがしょんぼりと耳を倒す。
「レティのおかげで助かったんだし、気にする事ないよ」
「シフォンがスクショも撮ってますしね」
そんな彼女をラクトたちが優しく慰める。実際、レティの機転がなければ俺たちは今頃アップデートセンターでバックアップ機体で目覚めているところだ。
『それよりも、問題はこの後でしょ。どうやって帰るのよ?』
話を現実に引き戻したのはカミルの声だった。彼女は腐食液で満たされた洞窟内を見て口をへの字に曲げる。彼女の言う通り、ここから元の場所へ戻るというのはなかなか難しい。
「ラクトの氷で橋は作れませんか?」
「無理無理。アーツ製の氷も問答無用で溶けるし、橋を掛けるようなでっかいアーツは使えないよ」
「そもそも、戻ったところでアイツがいる」
ミカゲが指摘したのは“水腹のラリプレタ”のことだ。壁の向こうまで追ってはこないようだが、あの場所に止まっていないとも限らない。そうした場合、腐食液まみれの場所でネームド個体と戦うことを強いられる。
「……つまり、先へ進むしかないということですね」
退路を塞がれたことを、改めてトーカが口にする。彼女は階段の先に続く穴の中を覗き、様子を窺う。
「ご丁寧に案内板がありますね。何にも読めませんが」
穴の壁面には、太い釘で岩肌に打ち付けられた金属プレートがあった。古代ドワーフ語らしき文字で何やら書かれているが、風化も激しく内容は読み取れない。
とはいえ、ここが古代ドワーフ由来の遺跡か何かであることは分かる。であれば、この穴の先に何かしらの施設はあるはずだろう。
「仕方ない。行こう」
どのみち、俺たちに選択肢はない。それぞれの準備が整っているのを確認して、俺は彼女たちを促した。
†
〈雪熊の霊峰〉の中腹に位置する地下資源採集拠点シード01-アマツマラ。そこから垂直に伸びるゴンドラは、〈アマツマラ地下坑道〉に接続している。調査開拓団の使用する鉱物資源の大部分を供給するこの一大坑道は、途中に存在するシード02-アマツマラを起点として現在も地中深くへと延伸が続けられていた。
「カーゴ通りまーす!」
「線路上に立つな! 轢き殺されてぇのか!」
掘削用の巨大なドリルを装備した専用のカグツチなども活躍する坑道では、イベントなどにも興味を示さない生粋の鉱夫たちが荒々しい声をあげて土を掘っている。坑道と共に延びてきた線路には巨大な貨車が走り、掘り集めた鉄鉱石を満載してシード02-アマツマラまで運んでいる。
『皆さんお疲れ様っす! ホムスビ弁当いかがっすかー?』
「おお、ホムスビちゃん!」
「弁当だ! みんな、休憩だぞ!」
機械油の匂いが立ち込め、むせかえるような熱気が充満する坑道に、爽やかな清涼剤のような声がする。小さなトロッコに乗ってやって来た赤髪の少女を認めた途端、むさい男たちが破顔して大きく手を振る。
シード02-アマツマラの管理者であるホムスビは、毎日トロッコ路線を使って鉱夫たちに向けた弁当の訪問販売を続けていた。管理者と調査開拓員の交流拠点である〈シスターズ〉の活動とはまた別に、ホムスビ自身が業務の合間を縫って自主的に行っている慰労である。
他の管理者たちと比べても距離感の近い彼女の優しさに感化される調査開拓員は多く、彼女のおかげで地下坑道の鉱物産出量は5割以上増加していると見る有識者もいるほどだ。
『皆さん、お疲れ様っす! 落盤事故があったみたいっすけど、大丈夫っすか?』
トロッコがブレーキ音を軋ませ、停止する。荷台から管理者の護衛を務める蜘蛛型の警備NPCたちがワラワラと飛び出し、彼らに囲まれてホムスビも降りてくる。駆け寄ってきた泥塗れの調査開拓員たちに、ホムスビは屈託のない笑みを浮かべて進捗を尋ねる。
「大丈夫大丈夫! 掘ってたやつが何人か圧死したけど、機体は回収できたし」
『なら良かったっす! 坑道整備任務は出しておいたので、そのうち補強が入ると思うっすよ』
「助かるよー。ホムスビちゃんは最高の管理者だな」
『えへへ。そんなに褒めても何も出ないっすよ!』
調査開拓員たちと和気藹々と話に花を咲かせながら、ホムスビは特製の弁当をひとつひとつ手売りしていく。過酷な坑道でも力が出せるよう、ホムスビ自身が考えた弁当だ。連日のように坑道に篭っている調査開拓員でも飽きないように、定期的に内容は変わっているが、基本は大きなおにぎりや卵焼きといった素朴なものだ。
坑道は長く続くが、途中に拠点を置くほどの空間もない。その割に他のフィールドと同様に原生生物との戦闘も発生するし、落盤といった事故の可能性もある。そんな過酷な環境で働く調査開拓員たちを少しでも支えようというホムスビの優しさだ。しかし、彼女との交流は調査開拓員たちの士気を底上げし、さらに会話の中でホムスビも坑道内の状況を細かく察知することができる。ホムスビによる弁当の訪問販売は、様々な面で利があった。
「そういえば、28番大坑道で見つかった人工構造物の調査はどうなってるんだ?」
ホムスビが次々と弁当を売り捌いていると、それを受け取った調査開拓員の一人がふと尋ねた。先日、地下坑道の中でも“幹”となる大型の穴の延伸工事中、奇妙な石造建造物が見つかったのだ。綺麗に整えられた未知の石材で構築された、精緻な細工の施された巨大な扉のようなものだが、それ以上の情報を集めるのは難航していた。
構成している石材は既知のどんなものとも合致せず、〈鑑定〉スキルなどを用いた非破壊的調査でも情報は得られなかった。更に、歴戦の鉱夫や専用カグツチの猛攻を受けても、擦り傷ひとつ付かなかった。第5回〈特殊開拓指令;古術の繙読〉が発生した際には、重要情報記録封印拠点の構造壁との類似性も指摘されたが、同一のものであるという確証も得られていない。
「物質系スキルを使えば破壊できないのかしら」
『うーん。できるかも知れないっすけど、それ以外にどんなことが発生するか予想が付かないのが問題なんすよね』
褐色の女性調査開拓員の提案に、ホムスビは腕を組んで唸る。〈白鹿庵〉のレティが〈破壊〉スキルを用いて非破壊であるはずの構造壁をぶち壊したという話は地下深くの坑道まで知れ渡っている。しかし、ホムスビは管理者として未知の構造物を安易に破壊するということに足踏みしていた。
『あの人工構造物が何かを収容し、閉じ込めるものだった場合、安易に解き放つと最悪調査開拓団が壊滅する恐れもあるっすから』
管理者の指摘に、調査開拓員たちも頷かざるを得ない。彼らも自ら好き好んでパンドラの箱をこじ開けようとは思わないのだ。
『今の所は、人工構造物そのものを掘り出すように動くしかないっすね。そっちは危険手当も付くっすから、もっと稼ぎがいいっすよ』
ホムスビがちゃっかりと宣伝しつつ、現在の方針を伝える。それを聞いた調査開拓員たちは、異論もなく素直に頷くのだった。
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Tips
◇由来不明人工構造物-アマツマラ0201
シード02-アマツマラによって発見され、管理、調査が続けられている人工構造物。
形状は現在判明している限りでは巨大な二枚扉様となっているが、開閉操作の試みは全て失敗し、現在も閉ざされたままである。不明な石材によって全てが構成されており、表面には複雑精緻な模様が刻み込まれている。これらの加工技術に関しても全く不明である。
現在は構造物の全容を把握するべく外周の掘削作業が行われているが、扉部分の上下左右に伸びる壁面は長大で、いまだに終端が見えない。
管理者オモイカネへも調査依頼を申請中。
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