第898話「水腐りの監獄」

 シフォンのブースター機術でレティたちの元へ勢いよく飛び込んだ俺たちは、そのまま絡まり合って転がり、硬い岩肌に激突してようやく止まった。LPに被害はないが、節々が痛い。その上、腹や胸に強い圧迫感があった。


「ぐおお……。みんな、とりあえず退いてくれ」

「はええっ!? ご、ごめんなさい!」


 伸びていたシフォンの背中を叩くと、彼女は飛び上がるようにして立ち上がる。


「いたた……。うぅ、レティはまだちょっと動けませんね」

「嘘はダメですよ、レティ」

「むううう」


 俺の胸に乗っかっていたレティも、トーカに摘み上げられる。周囲に転がっているラクトとカミルも無事そうで、ひとまず安堵できた。


「シフォンもレッジさんに似てきましたね」

「うぅ。ごめんなさい……」


 けろりとした顔で土埃を払うレティに、シフォンはしょんぼりと肩を落として謝罪する。いくら彼女でもぶっつけ本番で機術による高速移動は扱いきれない。地道に練習しなければ、自由に動けるようにはならないだろう。

 レティたちも怒っていないようで、彼女の肩を叩いて慰める。


「大丈夫ですよ。レッジさんで慣れっこですから」

「そ、そうなんだ……」


 シフォンが俺の方をチラチラと見てくる。失敗は成功の母と言うからな、これからもどんどん失敗していけばいいのだ。


「レッジはもうちょっと後先考えた方がいいよ」

「ぐっ。善処します……」


 つんとしたラクトの視線に、白旗を上げる。逃げるように周囲へ視線を巡らせ、ようやく今いる場所に意識を向けた。


「それで、ここは?」

「そうでした! ここが行き止まりみたいなんですけど、途中まで何にもいなかったんですよね」


 レティも状況を思い出し、首を傾げる。たしかに、シフォンが何やら嫌な予感がすると言った割には、特に何も起きず平穏無事にここまでやってくることができてしまった。シフォン自身も不思議に思っているようで、困惑顔だ。


「お、おかしいなぁ。地脈は太いのが流れ込んでたんだけど……」

「しかし、見たところ普通の袋小路ですね」


 小穴の奥は少し天井が高くなり幅も広くなっているが、それだけだ。これといった特筆すべき物も転がっておらず、ただ無機質な硬い岩の壁が周囲を取り囲んでいる。


「シフォン、もう一回地脈を見てもらってもいい?」

「分かった、やってみるね」


 ラクトの要請に応えてシフォンが再び目を薄紫に光らせる。そしてすぐに、驚きの表情を浮かべて小さく声を漏らした。


「どうした?」

「この壁、一面に何か書かれてる。さっきの古文書に書かれてたのと同じような感じがするよ!」

「なんだって!?」


 シフォンはスクリーンショットを撮って俺たちにデータを送ってくれる。彼女の視界に映っていた風景は、俺たちのそれとはまるで違っていた。壁面に青白く輝く文字がびっしりと刻まれている。意味は汲み取れないが、どれも乱暴に書き殴ったような筆致だ。


「これはレングスに来てもらったほうがいいか?」

「ですね。レティたちだと分かりませんし」


 ひとまずレングスたちと話をつけるため、TELウィンドウを開く。その時、レティの耳がぴくんと揺れ動いた。


「レッジさん、ちょっとやばいですよ」

「どうした?」


 何やら硬い声で警戒するレティ。俺が振り返ると、彼女は洞窟の入り口へ目を向けていた。


「トーカ!」

「いつでも」


 レティがトーカを呼び寄せる。何やら尋常ではない様子に、ラクトとシフォンも身構える。俺はカミルと白月を呼び戻し、彼女を守れるように態勢を整える。その時、ようやく俺たちの耳にも岩肌を擦る音が聞こえてきた。


「まさか……」

「来ますよ!」


 その直後、穴の中から無数の黒蛞蝓が飛び出してきた。波のように襲いかかるそれを、即座に飛び出したトーカが切り刻む。しかし蛞蝓の量は尋常ではなく、彼女1人では対応できない。


「風牙流、一の技、『群狼』ッ!」


 俺も範囲技で蛞蝓を散らし、支援する。しかし、敵の勢いは止まらない。それどころか、俺たちの攻撃など構わず何かに追い立てられるかのように飛び込んでくる。その理由はすぐに分かった。


「レティ!」

「はああああっ!」


 穴から現れた巨大な影。大きく口を開け、蛞蝓たちと路傍の岩石を十把一絡げに飲み込んでいく。強力な腐食液をダラダラと垂れ流し、白い水蒸気を纏って現れた。——大食い芋虫ロックイーター

 準備を整えていたレティがハンマーを掲げて飛び出す。


「『空震破』ッ!」


 彼女の振り下ろした黒い金属塊が、芋虫を潰す。紫色の血液が飛び散り、壁を溶かす。


「レティ、気をつけろ!」

「大丈夫です!」


 レティが奴と対敵するのは二度目だ。彼女は邂逅時の失敗を糧に、完璧な対応を見せていた。

 彼女へ芋虫の体液が迫る。瞬間、両者の間に薄い氷の壁が現れた。


「ナイスです、ラクト!」

「無茶苦茶言ってくれるよね、まったく!」


 レティは芋虫を潰しながら、飛沫を上げるその体液を避けていた。しかし、どうしても避けきれないものはある。それを、ラクトが的確に氷壁を展開することで遮断していた。2人の息の合ったコンビネーションで、次々と芋虫に攻撃を加えていく。

 ハンマーも体液に触れないように傷跡に攻撃を重ねることはせず、流れるような動きで打撃を加えている。

 しかし、芋虫の体液はやはり脅威だ。レティも普段通りの戦闘をできず、苦戦を強いられる。そこで勇猛果敢に飛び出してきたのが、シフォンだった。


「『氷点下の牙刃剣』ッ!」


 空の手に氷で作られた冷気を放つ長剣が握られる。シフォンは獣の身軽さで跳躍し、空中で身を翻す。


「せいやっ!」


 ぐるりと前転するシフォン。彼女の持つ剣が芋虫の厚い皮を切り裂く。

 当然、強力な腐食液が吹き出し、氷剣は急速に耐久値を失って砕ける。しかし、次の瞬間にはシフォンの手に新たな氷剣が握られていた。


「悔しいですが、あの敵はシフォンの方が有利ですね」


 一旦後方に下がってアンプルを飲みながらレティが言う。彼女の視線の先で、シフォンは軽やかな動きで芋虫を翻弄していた。機術製の武器を瞬間的に生成して使い捨てる独特の戦闘スタイルを得意とするシフォンは、そもそも武器が壊れるということに頓着しない。LPと触媒のあるかぎり、いくらでも武器は補充できるのだ。

 武器が耐久値を失う最後の一撃にダメージボーナスが掛かることもあり、シフォンは次々と武器を破壊しながら攻撃を続けている。


「『蹴り出す爆炎』ッ!」

「おおっ」


 しかも、シフォンはついさっき作ったばかりの機動機術も使いこなしていた。天井や壁の近い洞窟内ということもあり、彼女は重力などないかのように縦横無尽に駆け回る。

 大きな芋虫は、彼女の繰り出す攻撃に翻弄され、動くことすらままならない。


「よーし! いいぞ、シフォン!」


 トーカのおかげで黒蛞蝓たちもあらかた切り刻まれ、芋虫だけになる。オーディエンスに回った俺たちは、シフォンを応援する。


「わたしも頑張ってるんだけど?」

「ラクトもすごいぞ!」


 同じく機術による攻撃を繰り出しているラクトも主力の1人だ。彼女の攻撃も、芋虫の腐食液をものともしない。

 しかし。


「シフォン、気をつけて!」


 レティが叫ぶ。


「はえっ!?」


 シフォンが驚き、緊急回避する。

 直後、洞窟の奥から流れ込んできた濃い紫色の波が、傷だらけの黒芋虫諸共俺たちを飲み込もうと襲いかかってきた。


「『堅氷の城壁』!」


 咄嗟にラクトが分厚い氷の壁を立ち上げる。紫の波がそれに激突し、猛烈な勢いで溶かしていく。


「は、はええ……」

「大丈夫か?」


 間一髪逃れたシフォンは、唖然としながらもこくりと頷く。彼女に手を貸して立ち上がらせ、氷壁の様子を伺う。


「残念だけど、20秒ももたないよ!」


 ラクトは必死に術式を連ねながらも、厳しい現実を宣告する。氷を溶かす速度は異常なほど早く、ラクトの術式構築が追いついていない。俺たちはジリジリと壁際に追いやられていた。


「どっどっどっどっ!」


 ダメだ。混乱しすぎてシフォンがエンジン音しか発せなくなっている。

 透き通った氷壁の向こう、俺たちが入ってきた穴の奥からぬらりと黒い影が現れる。


「でっ——」


 デカい。さっきシフォンが圧倒した黒芋虫よりも、遥かに大きい。それは洞窟の岩肌を削り、強引に押し広げながら、大きく開いた口からとめどなく紫色の体液を流しながら、ゆっくりと現れた。


「“水腹のラリプレタ”という名前のようですね」

「チッ、名持ちネームド個体か!」


 トーカが冷静に大芋虫の名前を告げる。どうやら、タイミングの非常に悪いことに、俺たちは大食い芋虫ロックイーターの特別な個体と遭遇してしまったらしい。


「水腹ってそういう意味じゃないと思うんだけどなぁ」


 ラクトが徐々に上昇していく腐食液の水位を見ながら溢す。氷で仕切られた向こう側は完全にラリプレタの体液で水没し、さらに嵩を増している。ラリプレタは際限なく体液を流し続けており、その限界はまだまだ訪れそうにない。


「どうするの? レッジ」


 ラクトが振り返る。すでに余裕はなかった。背後は壁で、逃げる場所はない。

 覚悟を決めろ。そう告げようとしたその時だった。


「でぃええええええええいっ!」


 勇ましい声と共に、轟音が鳴り響く。驚いて背後を見ると、レティが洞窟の壁をハンマーで破砕していた。


「レティ!?」

「地脈の流れがあるなら、奥に続いているはず! だったら壁をぶち壊して通るのみです!」


 叫ぶレティ。周囲の空間を歪ませた彼女によって、あっけなく岩盤が砕け落ちる。

 そして、彼女の言葉通り、その奥には長い道が続いていた。


「レッジ!」


 もう保たないとラクトが叫ぶ。限界だった。


「走れ!」


 俺はカミルを抱えて叫ぶ。即座にラクトが俺の背中に飛びつき、トーカたちも足を踏み出す。

 シフォンの足元で炎が爆ぜる。その瞬間、厚い氷の壁に亀裂が走り、腐食液の大波が流れ込んできた。


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Tips

◇『氷点下の牙刃剣』

 三つのアーツチップを用いる中級アーツ。

 触れたものを凍り付かせる冷気を纏う鋭利な刃を持つ氷の長剣を生成する。


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