第889話「無限加速装置」

 槍を突き出す。ドローンの放つ光が黒い影を浮き彫りにして、狙いをつけるのは容易だった。切っ先が思い通りに黒蛞蝓の眉間を捉え、ゼリーを刺すような柔らかな感触と共に貫く。


「せいっ!」


 黒蛞蝓は数を増やし、一突きで数匹まとめて串刺しにできるほどの密度になっていた。団子のように連なる蛞蝓を薙ぎ払う。レティの打撃に対して高い耐性を持っているだけあって、刺突攻撃にはかなり弱いらしい。


「てゃ!」


 レティも威勢よくハンマーを振り回しているが、黒蛞蝓はぽよんと鞠のように跳ねるだけだ。それでも、迫り来る黒波を押し返しているので、全く無駄というわけでもない。


「『全て凍結し、千々に砕け散る波』」


 そして、ドームの全てが蠢動する黒蛞蝓に埋め尽くされる寸前、ラクトが溜めに溜めた強力な数百KB級の機術を発動させる。

 青い波が彼女を中心に全方位へ広がり、その優しい揺らぎに撫でられた黒蛞蝓たちは瞬間的に凍結する。水っぽい体が仇となったのか、彼らは身じろぎすら許されず、氷の彫像へと成り果てる。

 そして、全てが凍りつき闇の中に静寂が訪れた直後。甲高い音とともに氷像が砕け散る。無数の氷片となって拡散し、それが周囲の黒蛞蝓たちも砕いていく。破砕する澄んだ音色が無数に重なり、耳に心地よい演奏を奏でる。


「やっぱラクトは刺さると強いですねぇ」

「だいぶギリギリなんだからね。しっかり守ってよ」


 感心するレティに、ラクトはLPアンプルをガブ飲みしながら釘を刺す。大規模な術式だけあって、詠唱にかかるコストも莫大だ。俺がやろうとすれば2回くらいは死ねるようなLP消費量を、彼女は装備やアイテムや自己バフなどを駆使してなんとか抑えている。それでも気絶一歩手前までLPを大量に消費しているため、そう連発はできない。次の波を抑えるのは、ギリギリ時間が足りないかもしれない。


「レッジさん、テントは建てられませんか?」

「手が足りないな。レティだけじゃ黒蛞蝓は倒せないだろ」

「そこはほら、“緑の人々グリーンメン”なんかを駆使して……」

「申し訳ないが、最近乱用しすぎて生産が追いついてないんだ」


 レティは気軽に言ってくれるが、“緑の人々”はかなり高度な技術の集合体だ。専用の極細フレームはネヴァの特注だし、種自体も生育に時間がかかる。その割に最近はイベントやら何やらで景気良く浪費していたため、在庫がない。


「か、肝心な時に」

「農園の拡張も考えてるんだが、なかなかワダツミから許可が降りなくてなぁ」


 戦力増強のためにも農園を広げたいのだが、別荘地の管理者であるワダツミがなかなか首を縦に振ってくれないのだ。権利書その他は一通り揃っているのだが……。仕方がないから、最近は流行りの海上プラント導入も検討中である。

 ともかく、“緑の人々グリーンメン”は在庫切れ、となると俺がテントを立てている間の場を持たせる者もいない。流石にレティ一人だけで俺とラクトとカミルの三人を守り切るのは非現実的だ。エイミーが居てくれたらと思うが、生憎今日はログインしていない。


「レティこそ、球腹魚ボールフィッシュの時みたいに打撃耐性を貫通する力を見せてくれよ」

「そうは言われましても、なんだかんだこの蛞蝓たち球腹魚よりも高い打撃耐性を持ってるみたいなんですよね」


 レティはそう言ってハンマーを振るが、黒蛞蝓はぽよんと跳ねるだけで大したダメージも受けている様子がない。


「ということはつまり、ジリ貧ってこと?」


 休みつつ戦況を見ていたラクトがストレートに評する。認めたくないが、そういう考えもある。


「うーん、しかしな……」


 だが、こんなところで諦めては〈白鹿庵〉の名が廃るというものだ。オモイカネも俺たちならできると信頼して、今回の未踏破区域調査を任せてくれたはずなのだ。であれば、彼女の期待に応えるだけの働きをしなければならない。何の成果も得られず手ぶらで帰るというのは頂けない。


「あっ、そうだ」


 人間、極限状態だと脳が活性化する。俺は槍とナイフを振り回して蛞蝓を散らしながら、ふと妙案を思いつく。ぐるりと周囲を見渡し、条件が整っていることを確認して、レティの方へと振り返った。


「レティ! 『破壊滅殺黒龍打破』は使えるか!?」

「ええっ!? そりゃ、使えますけど……」


 効果ないと思いますよ、とレティは困惑顔で耳を揺らす。しかし、ラクトは察してくれたようで、まさかと俺を見ていた。


「ラクト、氷壁展開よろしく」

「うへぇ。やっぱりそうなるの……」

「ま、まさかレッジさん」


 ラクトが呻き、レティが目を見開く。俺は頷き、ドームを見上げた。


「円形の空間でラクトの作った味方オブジェクトにレティのハンマーをめり込ませる。なんやかんやで威力は7800倍になるから、流石に蛞蝓共も蒸発するだろ」

「何がどうなっても知りませんよ?」

「それしか方法はないだろ」


 ラクトが決まったサイズ、形状、厚みも氷壁を展開する。レティはハンマーを高く掲げ、カクカクと素早い屈伸を始める。力を溜めて、それを攻撃力に転嫁するためだ。


「それまでの時間くらいなら稼いでやるよ」

『アタシも!』


 レティとラクトが準備をしている間、俺が時間を稼ぐ。だが、それと同時に箒を握ったカミルが前線に飛び出してきた。


「カミル!?」

『アタシだって戦闘スキルは習得してるのよ! あんまり舐めないでちょうだい!』


 そう言って彼女は箒で蛞蝓たちを掃き飛ばしていく。攻撃力はほとんど無いに等しいが、ネヴァ特製の箒はその強力なノックバック能力で次々と蛞蝓を飛ばしていた。敵の総量は減らないが、レティと同様の働きはしてくれていた。


「流石、ウチのメイドさんだな!」

『職務の範疇超えてるわよ! 超過料金貰うからね!』


 叫びながら、カミルがグルグルと踊るように箒を振り回す。戦闘技能の項目でも満点を取っているだけあって、本職かと見紛うほどの迷いのない見事な動きだ。黒い蛞蝓たちはまるで反発する磁石かのように面白いほど吹き飛んでいく。


「はあああっ! デストロイパワーが溜まってきましたよ!」


 屈伸を繰り返していたレティが叫ぶ。

 彼女のあの動きは、結構基本的なバグ技の一つだ。エネルギー保存の法則を勘違いしたような何かで、屈伸を一定の速度とタイミングで繰り返すことで、少しずつ攻撃力が高まっていく。その場から少しでも動いてしまうと蓄積は消えるが、問題はない。


「氷壁準備できたよ!」


 ラクトが叫ぶ。彼女の目の前に、巨大な雪の結晶のような八角形の氷壁が浮かんでいた。


「べべべべべっ!」


 レティがエネルギーを溜めすぎて体がぶれている。その状態では動きを制御するのも難しいはずだが、流石の運動能力だ。彼女は的確に屈伸を続けて、着実にエネルギーを高めている。


「よし、行け!」


 カミルを抱え、ラクトを拾い、白月の元へ向かう。彼が白い障壁を展開すると同時に、それを蹴って空中に逃げる。

 次の瞬間、ほとんど残像しか見えないレティが黒いハンマーを氷壁に振り下ろす。


「『破壊滅殺黒龍打破ばがい゛め゛っ゛ざづごぐり゛ゅ゛う゛だば』ッ!!!」


 ハンマーが的確に氷壁のど真ん中を捉える。その速度は7800倍を超え、オブジェクトの接触判定が発生するよりも早く当たる。ハンマーヘッドに取り付けられた1.09倍の反発係数を持つ特殊な反射壁が、硬い氷と触れる。否、両者が重なるように存在する。互いにめり込み、押しのけるため反発しあう。その時になってようやく味方オブジェクトとの接触判定が下され、二つが強制的に分離される。


「ぼべばばばべばばばあっ!?」


 次の瞬間、ラクトの氷壁が粉々になって砕け、その破片と共にレティが猛烈な勢いで吹き飛んだ。全身にオブジェクト分離判定を受けたまま、彼女はドームの内壁を跳ね回る。目にも留まらぬ速さで吹き飛び続け、ハンマーに触れた黒蛞蝓たちが爆散する。

 彼女の速度は衰えるどころか、どんどんと加速していく。速度が速すぎて、壁と接触すると自動的にハイパージャンプと同じようにオブジェクトにめり込み、強制的に強い反発力で押し出されてしまうのだ。


「——レッジ、これ止められるの?」

「えーっと……」


 そこまで考えてなかったな。

 レティはもはや目で追うのも難しいほどの速度で動いているし、止めに入っても吹き飛ばされるだけだ。


「びびびびっ!」

「何言ってるかわかんないけど、レティは余裕そうだね」


 さらに驚くべきことに、レティは案外余裕そうだった。何を言っているのか分からないが、動きは安定している。ハンマーの位置を微調整して撃ち漏らした蛞蝓に追撃をかけることすらやっているようだ。

 しかし、俺たちも無限に上空へ避難できるわけではない。そのうち、重力にしたがって落ちていく。その前に彼女をなんとかしなければ——。


「おっ?」


 その時、ふと気がついた。ドームの壁に亀裂が入っている。レティは〈破壊〉スキルを使っていないはずだが、未踏破区域の壁はそもそもただの岩盤だ。速度からくる破壊力がその耐久力を超えたらしい。


「ねえ、レッジ。これまずいんじゃ……」


 ラクトが汗を一筋流して言う。

 その時、レティがこちらを見た気がした。


「べべべべべべっ!」


 彼女がそう言い残した直後、壁に穴が開く。レティはそのまま、硬い岩盤を突き破って、吹き飛んでいった。


「レティーーーー!?」

「まずいよまずいよ! そっちは中央管理区域が——!」



 ラクトの叫びに俺も気付く。気付いて、顔面蒼白になる。


「やばい、やりすぎた!!!」



『ふーむ。しかしここで開発しているフィナンシェもレベルが高くなってきましたね。やはりドワーフたちは凝り性なところがあるようです』


 レッジたちを未踏破区域に送り出した後、オモイカネはカフェスペースに留まりフィナンシェを追加注文していた。もぐもぐと両手で持った黄金色のフィナンシェを食べる彼女の表情は正に至福と言わんばかりで、調査開拓員たちも話し掛ける者はいない。むしろ、彼女が食べるフィナンシェ代が次々と入金されていた。


『ドリンクはもう少しバリエーションを増やしてもいいかもしれませんね。糖分は知的活動に必須の栄養素ですし』


 オモイカネは砂糖の塊のような巨大なドリンクを飲み、口の周りについたホイップクリームを拭う。それなりに年齢のいっている調査開拓員たちが何名か胃の辺りを抑えているが、彼女がそれに気付く様子はない。

 ある意味ではとても平和な時間が流れていた。

 その時だった。


「ぐわーーーーっ!?」

『なっ、何事!?』


 突如、中央管理区域の白い壁が破壊され、赤い弾丸が飛び込んでくる。それは区域内の施設をいくつか巻き込んで吹き飛ばし、反対側の壁に巨大な陥没穴を作ってようやく止まる。

 即座に赤い警戒灯と共にけたたましいサイレンが鳴り響き、警備部のドワーフたちが緊急出動する。オモイカネも立ち上がり、情報収集に努める。そして、壁に半分めり込んだタイプ-ライカンスロープの調査開拓員らしき機体——その下半身を見て、おおよその事を察する。


『……警備部に通達。人工知能矯正室を三つ確保、未踏破区域にて活動中の調査開拓員2名と、壁に突き刺さっている1名を捕縛し、連行してください。同行しているメイドロイド1名と友好的原生生物1頭は丁重に扱うように』


 そうして、オモイカネは粛々と指示を下した。


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Tips

◇第一オモイカネ記録保管庫重大インシデントNo.001

概要:

 調査開拓員3名による高密度エネルギー増幅暴走事案。新たに発見された未踏破区域内にて敵性原生生物との交戦中、調査開拓員3名が共謀。調査開拓員レティの運動エネルギーを異常なレベルにまで増幅させ、暴走させた。

被害:

 未踏破区域内部から第一オモイカネ記録保管

庫中央管理区域第34階層に至る直径2メートルの穴。および中央管理区域第34階層防護外壁一箇所の貫通。および、同防護外壁一箇所の陥没。並びに、中央管理区域第34階層内カフェエリア、司書部カウンター、警備部カウンター、休憩エリア、その他の破壊もしくは損傷。

対応:

 直接的に関与した調査開拓員3名は人工知能矯正室にて15分の再訓練を実施。シード02-スサノオ中枢演算装置〈クサナギ〉および開拓司令船アマテラス中枢演算装置“三体”T-1に本インシデントを報告。再発防止策として調査開拓団規則の改訂を請求。中央管理区域修繕任務の発令。


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