閑話「カミルの休暇」
馬鹿なことばかりする主人がついに管理者に捕縛され、人工知能矯正室送りとなった。まあ、高速航空輸送網イカルガの搭乗ゲート審査で引っかかっていたのを詭弁を弄して通っていたあたりでカミルも察してはいたが。おかげで耐爆仕様メイド服の性能がよく分かった。
『けど、急に暇になっちゃったわね』
中央制御塔で主人と別れ、同行していたレティやラクトも町の外へ行ってしまったため彼女は着いていけない。そんなわけで、彼女はレッジからいくらかのお小遣いを貰い、唐突に降って湧いた自由時間に放り出された。
普段、一日の始めから終わりまでを仕事に充てていた彼女にとっては、どうにも扱いづらい代物である。そもそも、メイドロイドに休暇というものが基本的には存在しないのだ。
そう言う意味では、カミルの主人はかなり変わっている。何故なら、ただのメイドロイドであるはずの彼女に標準的な金額以上の給金を支払い、更には定期的な休暇すら設定しているのだから。
『ま、たまには肩の力を抜いて楽しみましょう』
普段の休暇は専らT-1との〈ワダツミ〉散策くらいにしか使っていないカミルは、久々の〈ウェイド〉を楽しむことにした。彼女はいつも首から提げているカメラのメモリーカードに余裕があるのを確かめて、軽やかな足取りで街へ飛び出した。
†
『おほーーーっ! いいわねぇ、この鋼鉄のジャキジャキ動いてる感じ! 一つ一つの部品は小さいのに全てが精緻に組み上がって、巨大な建造物となっているこの力強さ! まさに調査開拓団の叡智と労力がここに結実しているわ!』
〈ウェイド〉にある大規模な地下水組み上げ装置の前で、カミルはカメラのシャッターを連続で切り続けていた。巨大なポンプが唸りを上げて、〈鎧魚の瀑布〉の豊かな水源から水を吸い上げる。それは用途別に太い配管を進み、適切な濾過装置を通って町中に行き渡っていく。
汲み上げ機の真横にあるボイラーが白い水蒸気を噴き上げると、カミルも同じく歓声を上げた。
「ほほーう、凄まじい圧力の解放ですなぁ。これはやはり一見の価値ありだ!」
「ここのボイラーはつい先日〈プロメテウス工業〉からの技術供与で一新されましてな、前世代のものよりさらに出力と容量が増しておるのですぞ」
ボイラーの周囲には、カミル以外にも調査開拓員が集まっている。彼らも広い意味では、カミルの同好の士である。
とはいえ、カミルは彼らの話に耳を傾けることもなく、話しかけるつもりもない。あくまで彼女は一人でこの巨大な機械群を楽しんでいたかった。そもそも、協調性ゼロの彼女はあらゆる集団行動を得意とせず、また好まない。ただ純粋に、一人だけの世界に没頭していた。
『〈ワダツミ〉や〈ミズハノメ〉の海水濾過設備とはまた違った趣があるのよねぇ。あっちは併設された製塩設備も無限に時間が溶けるけど、この町はやっぱり全体に張り巡らされた水路が特徴的よね。町の景観との調和を考えたレンガ造りの水路は緻密に計算されていて、町のどの場所にも30分と掛からず行き渡るようになっている上、滞ることがないようになってるなんて』
カミルはファインダーを覗き込んだまま、施設から町中に広がる水路を辿っていく。西洋的、と調査開拓員たちから表される瀟洒な街並みに溶け込むような水路群は、澄んだ水を淀みなく運んでいく。中には小型の魚型原生生物が泳いでいるような広くて深い水路もある。
基本的に巨大な機械、ヤタガラスの車両や〈ミズハノメ〉の洋上プラントなどが好きなカミルだが、このような土木建築も趣味の範疇だ。頭上を通り水路のアーチをじっくりと見つめてはその構造や工法に思いを馳せたり、建物を貫通する特殊な水路に驚いたり、常に新たな楽しみを見出している。
T-1との買い出しやレッジの付き合いではなかなかじっくりと町の隅々を観察することはできない。彼女は今日というこの時間を一分一秒まで余さず有意義に使うべく全力を尽くしていた。
「やあ、そこのお嬢さん!」
『あ?』
だからこそ、突然意識の外から土足で踏み入ってくるような不埒な輩には思わずドスの効いた声が出てしまう。彼女に声を掛けた哀れな調査開拓員の青年は、小さく悲鳴を上げながらも、へこたれずに会話を続ける。
「ど、どうやら町の建造物に興味があるみたいだね。NPCにしては珍しい」
『うるっさいわね。アタシ忙しいの、それくらい見て分かんない? アンタのどうでもいい無駄話に付き合ってる暇ないんだけど』
協調性ゼロの面目躍如というべき険悪さを見せるカミル。青年は泣きそうな顔になり、足を震わせながらも粘り強く続ける。
「ご、ごめんなさい。その、良かったらこういうの、好きじゃないかなって……」
もう殆ど泣いていたが、それでも彼は懐から分厚い本を取り出してカミルに見せる。それは〈筆記〉スキルを一定以上持つ調査開拓員が町の製本所で製造可能な書籍だった。つまり、これはこの青年が作成したものである。
『これは?』
「こっ、この町の構造について書き記した本だ。最新版だよ。まだwikiにも載ってない情報もあるし、いろんな統計も纏めてある」
すっかり怯えてしまっている青年の説明を聞き流しながら、カミルはパラパラとページを捲る。そこには、シード02-スサノオの細部に至るまで、およそ全ての情報が記されていた。水路や道路はもちろん、すでに取り壊された施設や、消えてしまった区画、難解な地下トンネル網、ありとあらゆる設備の情報がそこにあった。
「俺、こういうの好きで調べてるんだ。そんでもって本にして即売会とかで売ってるんだけど、あんまり売れ行き良くなくって」
今日も即売会の帰りなのだ、と青年が言う。彼の背負う大きなリュックは、ずっしりと重たく沈んでいた。
「こんな所で同志らしい子を見つけて、しかもNPCだろ。テンション上がっちゃって。ごめんね。よかったらそれ、あげるから」
『——いくら?』
それじゃあ、と手をあげて踵を返す青年に、カミルがぶっきらぼうに声を掛ける。青年がキョトンとして振り返ると、彼女は大きなため息をついて繰り返した。
『この本いくらなのって聞いてるのよ。これだけの熱意と労力の結晶をただで受け取るわけにはいかないわ』
「ええっと……1000ビットで売ってたけど……」
『2000ビットで買うわよ』
そういって、カミルは一方的にビットを送る。慌てるのは青年の方だった。
「こっ、こんなに!? 貰えないよ!」
『うるっさいわね。口答えしないで面倒臭い。アタシが妥当だと思ったから払っただけ、アンタは損しないでしょ』
相変わらず協調性ゼロの口調だが、カミルは彼の熱意を認めていた。彼女は分厚い本を抱えたまま、フンと鼻を鳴らす。
『もし新しい版が出たり、別の町の書籍を書いたら、真っ先に〈白鹿庵〉のレッジ宛に着払いで送りなさい』
「は、はぁ……。へぁっ!? え、は、〈白鹿庵〉!?」
言いたいことを言い終わり、カミルはスタスタと去っていく。思わぬ出会いを果たした青年は、しばらく呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
その後、とある一般FPOプレイヤーのブログでこの青年の都市資料集が紹介され、そこから口コミで爆発的に広がり、彼が都市に特化した情報系バンドを立ち上げる事となるが、それはまた別の話である。
『一通り写真も撮れたし、予想外の収穫もあったし、どっかでゆっくり読もうかしら』
調査開拓員ではないため“八咫鏡”のインベントリを使えないカミルは、カメラを首から下げて両手に大きくて分厚い本を抱え、街を歩く。荷物ができてしまった以上、撮影は切り上げでどこかで休みたかった。
そんなことを考えながら歩いていると、自然と彼女の足は一箇所へ向かう。
『カミルちゃん! 来てくれたの? 嬉しいな!』
『……ちょっと立ち寄っただけよ』
喫茶〈新天地〉二号店。裏手には〈白鹿庵〉のガレージもあるその店には、彼女の姉と言える少女が働いている。識別名をミモレと言うフェアリーの少女は、珍しく一人でやってきたカミルをにこやかに迎え入れた。
『お仕事中? って感じはしないけど』
『ちょっとした休暇よ。といっても、そろそろ終わりだけど』
『へぇ。カミルちゃんもしっかりお仕事続けられてえらいねぇ』
『偉くなんかないわよ。NPCの義務でしょ』
世話焼きな姉の高いテンションに辟易しつつ、それでもカミルは律儀に会話を繋げる。彼女も、焼却処分一歩手前だった自分を救ってくれたのがミモレであることはよく分かっていた。標準教育課程で少し一緒に過ごしただけだと言うのに、協調性の高い彼女はカミルの事もとても大切に思ってくれている。
『せっかくだしご馳走するよ。パフェ食べる?』
『いらないわよ。時間もないし……コーヒーを持ち帰りで』
『そっかぁ、残念。またレッジさんと一緒に来てね』
『気が向いたらね』
キラキラと目を輝かせる姉にそっけなく返しつつ、カミルはテイクアウトのコーヒーを受け取る。二号店限定のスペシャルブレンドは、レッジの好物だ。
『元気でねー』
店先にまで出てきてブンブンと手を振る元気な姉に、適当に手を振り替えしてカミルは中央制御塔に向かって歩く。時刻はそろそろ、レッジの解放時間だ。たまにはコーヒーの一杯くらい差し入れてやってもいいだろう。
『あれ、カミル?』
『ぴぅえっ!?』
少し得意げになりながら歩いているカミルに、声が掛けられた。その主を認識するよりも早く、反射的に声が出る。そこに立っていたのは、この町の最高責任者——つまりカミルの絶対的な上司である管理者ウェイドであった。
『うぇ、ウェイド、どうしてここに……』
『それは、その。調査開拓員レッジが当初の予想よりも遥かに従順な態度を見せているため、信賞必罰の原則に則り何かしらの褒賞を与えようと思ってですね……』
何やら焦った顔で、わたわたと両手を振り始める管理者。カミルは少し考え、手に持っていたコーヒーボトルを差し出した。
『これは……?』
『レッジの好きなコーヒーよ。ちょうど良かったし、届けてください』
『はぁ……』
困惑するウェイドに、構わずカミルはボトルを押し付ける。
『アタシはこの本を精読しなければならないので』
『し、しかし、このコーヒー2杯くらい……』
『ウェイドも飲めば良いです』
『ええ……』
反論される前に、とカミルは歩き出す。ウェイドはその背中を見送って、くすりと笑った。
『全く、主従揃って私を困らせるのが得意ですね』
管理者はほのかに温かいボトルを抱えて、中央制御塔に戻る。
『これは管理者からの奢りです』
そう呟いて、都市の中枢管理機能から都市管理部商業管理課へとアクセスする。カミルが入店する喫茶店に指示を出し、前もってコーヒーを一杯注文しておく。もちろん、代金は取らない。
凝り性な店主が豆を挽き始めるのを
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