第879話「穏やかな日々」

 〈白鹿庵〉のメンバーが一堂に会し、多少の混乱はありつつもオフ会が始まった。このオフ会で発生する費用は全て〈シークレット〉が負担し、〈シークレット〉には清麗院家から謝礼金が支払われるため、なんでも注文し放題の食べ飲み放題だ。


「レティってリアルだとあんまり食べないんですね?」

「物理的な胃は、たぶん他の方と比べても小さい方だと思いますねぇ。ああ、でも普段はこんな油っこいものは食べられないので楽しいです」


 ちまちまちと唐揚げを摘むレティを見て、トーカが新鮮な驚きをあらわにする。FPOの内部ではどれだけ食べても物理的に胃が膨れる訳ではないため、レティはゲーム内屈指の大食いキャラとしてその名を知られている。しかし、現実の彼女は年相応の小食っぷりなのだ。


「レッジさん、この唐揚げ美味しいですよ」


 レティは小皿に唐揚げを乗せて、車椅子に座っているレッジの方へ持っていく。彼は部屋の隅に陣取って、花山と桑名に監視されつつ膝の上に乗せた誕生日プレゼントをじっくりと眺めていた。

 レティから貰った水晶製の牡鹿の置物を膝に置いたレッジは、頭を上げて申し訳なさそうに眉を寄せた。


「すまん、レティ。俺はそういうの食べられないんだ」

「そ、そうだったんですか。——そういえば、お父様も最近油っこいものが辛くなってきたと言っていましたね」


 驚くレティに、彼の背後に立っていた花山が事情を説明する。


「彼はブドウ糖を主成分とした専用の栄養液以外の摂取ができないのです。お気持ちはありがたいのですが……」

「残念ですね……。じゃあ、イチジクさんが召し上がってください」

「私のことは花山とむぐっ!?」


 困惑する花山の口に、レティが唐揚げを突っ込む。ドアのそばに立っていた杏奈が顔を真っ青にさせてペコペコと謝っている。


「レッジ、ご飯も自由に食べられないの?」


 その横で話を聞いていたラクトが尋ねる。レッジは苦笑しつつも頷く。


「内臓系があまり強くないのと、頭の燃費が悪いのとでな。普段は点滴で栄養を摂ってるんだ」

「そっかぁ」


 そう言って、ラクトは少ししょんぼりとする。最近は少し、料理にも自信が出てきたところだった。マンションの料理教室も参考になったし、いつかは腕によりをかけた手料理を振る舞いたいと思っていた。


「FPOの中なら何でも食べられるんだけどな」

「じゃあ、そっちでいっぱいご馳走してあげるよ」

「そりゃありがたい」


 気を取り直して宣言するラクトに、レッジは目を細める。彼の柔らかな言葉は、FPOでのそれと何も変わらない。彼の優しげな瞳を見て、ラクトは目の前に座る男性が確かにレッジであることを思い直した。


「おじちゃん、このお店ボードゲームのレンタルもあるんだって! 何かやらない?」


 そこへ、シフォンがボードゲームレンタルについて書かれた紙を持ってやってくる。


「ほう、久しぶりに何かするか? もう負けても泣かないだろ」

「い、いつの話してるの! わたしだって成長してるんだからね!?」


 にやりと笑ってからかうレッジに、シフォンは頬を赤くして反論する。その騒ぎを聞きつけて、トーカやエイミーもやってきた。


「ボードゲームですか。私もやりたいです」

「へぇ、色々揃ってるのねぇ。全然ルール分かんないけど」

「せっかくだし、全員でできるやつをやるか。と言っても、7人だとキリが悪いな……」


 部屋を見渡し、人数を数えてレッジが言う。参加人数も多様なゲームが揃っているため、7人でもできないことはないが、多少変則的なルールになるものも多い。できれば偶数人揃えたかった。


「イチジク——」

「バカ言わないでください。私は貴方の担当監視官ですよ」


 振り返って名前を呼ぶレッジに、花山がぴしゃりと突き返す。そもそも、彼女は遊びではなく職務の一環としてここにいるのだ。あまつさえ、監視対象と楽しくボドゲに興じるなど言語道断である。


「桑名——」

「貴方の脳を解剖しても良いなら?」

「それは〈シークレット〉に言ってくれよ……」


 当然、桑名も無理筋である。交渉次第ではいけそうな雰囲気もあったが、それは花山が断固として許さない。〈シークレット〉にとってレッジは監視対象であり、警護対象でもあるのだ。


「それなら、杏奈が入りますか」

「ええっ!?」


 ぱちんと手を合わせ、レティが言う。妙案だと表情を輝かせる主人に、静かに置物に徹していた杏奈が目を丸くする。


「いえ、その。私はお嬢様の側仕えですし……」

「なら遊び相手としてお仕事お願いします」

「ええ……」


 強引な主人の命令に、杏奈も逆らえない。いざと言うときの護衛や身代わりも兼任しているので、咄嗟に動けない状況はあまり好ましくないのだが、そうも言えない雰囲気があった。


「周囲は〈シークレット〉の人員が固めておりますので。どうぞごゆるりと」


 困り果てる杏奈に、花山が囁く。彼女の笑みを見て、杏奈は諦める。


「分かりました。僭越ながら、私も参加させていただきます」

「やった! 杏奈と遊ぶのも久しぶりですねぇ」


 しずしずと前に出る杏奈に、レティが喜ぶ。幼少期からの付き合いの二人だが、お互いの立場もあり、最近はこうして遊ぶこともなかった。かつてのことを思い出したのは杏奈も同じだったのか、彼女も知らず知らず表情を崩していた。


「じゃ、始めようか」


 レッジが声をかけ、ボードゲームが始まる。初手に選ばれたのは、オーソドックスな開拓ゲームである。レティたちは意気揚々とセッティングを始め、十分後に悲鳴を上げた。


「に、人間じゃない……」

「レッジさんに思いやりという言葉はないんですか?」

「ふははは。なんとでも言うがいい」


 一人の大人気ない男がいたいけな少女たちを無慈悲に蹂躙していく様子を、花山と桑名は冷めた表情で見守る。この男は、こういう奴なのだ。ひとしきり暴れたら、相手も楽しめるように絶妙な手加減もするだろうが。

 花山は阿鼻叫喚の卓を傍目に、周囲の警備状況を確認する。これだけ規模の大きい“交流会”であれば、どれだけ秘匿しても耳聡い誰かが気づく筈だ。それらの邪魔が入らないように、部下たちが尽力していることだろう。



『ポイントF、凶器を所持した男を確保』

「了解。素性を調べてバックの奴らも一網打尽にしろ。相手によっては警察や公安と協力してもいい」


 〈シークレット〉統合作戦本部には、各地で警備を固める人員からの報告がひっきりなしに飛んでくる。“ブラックアウト”の影響で当該区域周辺はあらゆる通信が妨害されているため、今日のためにわざわざ張り巡らせた有線通信回線を用いた連絡網が使われている。


「いやぁ、入れ食いっすね。この1時間でもう30人くらいですか?」

「それだけ機密が漏洩してるって話なんだから、そう喜ぶもんじゃないだろ」


 花山に統合作戦本部を任された男が、無邪気に笑う部下を諌める。

 “交流会”が始まってまだ1時間程度しか経っていないというのに、張り巡らせた蜘蛛の巣には次々と獲物がかかっている。まるで底引網を投げたかのように、その筋の人間が次々と拘束され、〈シークレット〉所属の“相談員”の元へと送られている。


「潜入員が泣いて喜んでるでしょうね。今日一日でどれだけの情報が浚えるか」

「まったく、おっさん様様だな」


 おっさん——〈シークレット〉が保護する対象を狙う者は多い。個人、組織を問わず、また国籍や人種も問わず。彼こそが清麗院家繁栄の要であると信じている者すらいる。そのため、彼が太陽の下へ出てくる今日という日は、彼を狙う者たちにとって千載一遇のチャンスだった。

 同時に、そこには清麗院家の一人娘もいるのだから。まさに一石二鳥である。

 初めのころは、〈シークレット〉の警備能力を飽和させようと大量の鉄砲玉が送り込まれてきた。そちらは、“天眼流”の繋がりを利用してそこの門下生たちと彼らが所属している治安維持組織などが主体となって処理した。

 そうすると、次は少々手強い名うての殺し屋なども出てきた。彼らの相手こそ、〈シークレット〉の本領発揮である。今日が稼ぎ時だと張り切る警備部の人員が、次々と成果を挙げていた。このままでは拘束した者を収容する牢の方が足りなくなるのではないかという危惧まで進言される始末である。


「しかし、おっさんもすごいっすよね。これだけピッタリ予測できるとは」

「あの人はどこにでもいるからな。大抵の悪巧みは筒抜けだ」


 〈シークレット〉が海千山千の手練れたちを相手に圧倒的な優位を取れているのは、今回の“交流会”のために監視対象と交わした取引の成果でもある。

 元々、彼が外に出るとこのような事態を招くということが容易に予想された。そのため、事前に彼に調査を依頼していたのだ。この“交流会”を誰が狙っているのか、どこから、どのような方法でやってくるのか。関わる組織は何か、有力な証拠はあるか、金の流れ、構成員、さらにその家族まで。あらゆる情報を〈シークレット〉に渡すこと。

 彼の目にかかれば、世の中の大抵の秘密は、その体をなさない。

 〈シークレット〉に託された情報資料は、もはや予言書だった。


「イチジクさんから定期連絡です。物理錠をもっと強固なものにしろとのことで」

「もう諦めた方がいいだろ……」


 監視対象が大人しく拘束されているのは、彼がそれを望んでいるから。それは〈シークレット〉の内部では暗黙の了解だった。

 以前には、「太陽の光を浴びたらいいと言われた」という冗談みたいな理由で、どんな監獄よりも厳重な警備をすり抜けられたのだ。今回も、先端科学技術研究所の地下では警備担当者たちが嗚咽と怨嗟を漏らしていることだろう。


「最近は平和だったのになぁ」


 警備部の一人がぼやく。

 監視対象は、FPOというVRMMOを始めてから随分と大人しくなった。無許可の脱走や暴走の頻度もかなり減ったし、メンタルもバイタルも安定している。やはり外部との交流が彼には必要だったのだろう。

 だから、〈シークレット〉はFPOの開発側とも緊密な提携を持ちかけ、担当監視官はGMとして活動する許可も得ている。仮想現実内に収まってくれていれば、現実は安泰なのだ。



「最近、平和すぎますね」


 〈大鷲の騎士団〉の本拠地、“翼の砦ウィンドウォート”の大会議室で金髪の青年が物悲しげに目を窓の外に向けて呟く。

 巨大な円卓が占有する絨毯敷の部屋にいるのは、団長のアストラ、副団長のアイ。そして幹部である“銀翼の団”の4名。それと数人のメイドロイドたちだけだ。


「いいから、さっさと予算計画書を出してください」


 しんみりとするアストラに、アイが冷たい声をかける。

 第5回〈特殊開拓指令;古術の繙読〉は終わり、その後片付けも粗方落ち着いた。とはいえ、〈ダマスカス組合〉は損害を取り戻すのに必死だし、〈大鷲の騎士団〉もリソースの回復に時間がかかっている。その上で〈オモイカネ記録保管庫〉という新規マップの調査も第一戦闘班を中心に進めているし、〈老骨の遺跡島〉にも人員を割かなければならない。その上、管理者や指揮官の動向を監視している団員からは次なる領域拡張プロトコル関連のイベントや、〈白き深淵の神殿〉の管理者や〈アマツマラ地下坑道〉の更に地下に関する情報も少しずつ集まっている。

 攻略最大手として君臨する〈大鷲の騎士団〉だからこそ、イベント直後であろうと休んでいる暇はない。膨大とはいえ有限の人員を適切に配置し、効率よくあらゆる方面に手を伸ばし続けなければならないのだ。


「しかし、レッジさんの最近の動向が掴めないと、行動の指針も立てられないんだ」

「どれだけレッジさんに依存してるの……」


 キッパリと爽やかな顔で断言するアストラに、アイが口をへの字に曲げる。

 とはいえ、団長の言葉もあながち間違いとは言えないのがもどかしい。第5回イベントが終わった直後から、レッジだけでなく〈白鹿庵〉の活動は目に見えて大人しくなった。普段は毎日話題が尽きないほど暴れ回っていた彼らが、突然なりを潜めたのだ。

 一部の調査系バンドはまた〈白鹿庵〉が未確認フィールドに出向いているものだと考えて血眼になって探していたが、レッジとフレンド登録しているアストラなどは知っている。彼らはそもそも、ログインしていない。


「FPOに飽きたんじゃないの?」


 椅子に深く腰掛けていたフィーネが言う。

 結局のところ、この世界はゲームだ。飽きてログインしなくなる者も珍しくない。けれど、それはアストラだけでなくアイにとっても考えたくない事実だった。


「そんなはずはないと思いたいけどね。そもそも、〈白鹿庵〉のメンバーが全員、一斉に何も言わずにいなくなるっていうのは考えづらい」


 多少の願望も込めて、アストラが言う。フィーネもレッジとの付き合いは浅いわけではない。冗談よ、と肩を竦める。

 それでも、最強と名高いアストラが、ただ一人のプレイヤーの不在でここまで揺らぐのは面白くなかった。そもそも、アストラは第5回イベントで甚大なデスペナルティを受け、そこからようやく復活を果たしたところなのだ。今後はその間の遅れを取り戻すだけの働きが期待されている。


「ああ、レッジさんと戦いたい……」

「闘技場に行けばいいじゃねぇか。レッジのアクションデータはあるだろ」


 アッシュの言葉にアストラは項垂れる。そういう訳じゃないのだと力説する。

 〈アマツマラ地下闘技場〉には、プレイヤーの戦闘データが蓄積されている。プレイヤー本人が許可を出していれば、そのデータを元に組み上げられた行動アルゴリズムをNPCにインストールし、疑似的な対戦が行える。ライバルとの戦いに向けた練習などで使われているが、レッジのアクションデータは特に使用率の高いものの一つだった。


「レッジのアクションデータって最新のでも“緑の人々”は使わないしね。今のレッジとは全然違うでしょ」

「そう言う話でもないけど……。まあ、そうだな」


 机に突っ伏したまま、アストラが頷く。ニルマの言う通り、レッジ本人がそもそも対人戦闘にあまり興味を示していないため、アクションデータの更新もそれほど頻繁には行われていない。たまに彼のブログに要望が大量に集まった際に、彼の気分が乗れば突発的に戦闘が始まる程度なのだ。


「まあ、レッジさんがいなくなって調子が出ないのはどこも一緒みたいだけどね」

「そうなの?」

「BBCも〈七人の賢者セブンスセージ〉も最近は新規開拓はあんまり積極的じゃないみたいよ」


 会議中にも関わらず掲示板を覗いていたフィーネが言う。

 レッジという人物が、少なくともトッププレイヤー界隈ではかなり大きな存在感を示していたことが、そこから分かった。


「ま、管理者とか指揮官とかのNPCたちはのびのびしてるけどね」

「本来の業務に専念できて嬉しそうよね、彼女たち」


 プレイヤーたちとは対照的に、NPCたちは鬼の居ぬ間に洗濯とばかりに、普段できていない都市整備を急速に推し進めている。それでも、彼女たちもレッジの不在を意識していないわけではないだろう。そうでなければ、“都市防衛設備を強奪された場合の対応策”などと称して次世代の都市防衛設備の開発計画を進めるはずもない。


「——おや?」


 どことなく倦怠感のある空気が会議室を支配していると、不意にアストラが顔をあげる。訝しむアイたちに見られながら、彼は素早く背筋を伸ばすと、慌てた様子で“八咫鏡”を操作する。そうして、ついには椅子を蹴飛ばした立ち上がった。


「ちょっ、アストラ?」


 心配そうにフィーネが様子を伺う。

 青年は青い瞳を星のように輝かせ、その顔に生気を漲らせていた。


「レッジさんがログインしてきました!」


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Tips

◇アクションデータ

 〈アマツマラ地下闘技場〉に保管されている、調査開拓員の戦闘行動情報。個々の調査開拓員たちが闘技場内でどのような戦闘を繰り広げたか、様々なデータが全て記録されている。このアクションデータを基に専用戦闘アルゴリズムを組み上げ、それをNPCにインストールすることで、擬似的に調査開拓員との戦闘を行うことができる。

 アクションデータの使用には、データ元の調査開拓員本人の許諾が必要となる。


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