第876話「花山の苦難」

 足二本で全国津々浦々を旅していた時代と比べれば、現代は驚くほど交通機関が発達している。国の端から端まで、その気になれば数時間で往復できるし、情報だけなら1秒とかからない。


「とはいえ、ずっと座ってるのも辛いわねぇ」


 リニア駅のホームに立ち、曲がった背中をまっすぐ伸ばす。お尻がカチコチになっていた。足の筋肉をほぐすように、ゆっくりと歩く。改札を抜ければ、銀色のビル群がずらりと並ぶ大都会。


「ええと、こっちね」


 手首の端末が事前に登録した住所へと導いてくれる。広い歩道をキャリーケースと共に歩き、だんだんと駅前の繁華街からマンションの立ち並ぶ住宅街へと入る。窮屈そうにビルとビルの間に収まるコンビニを通り過ぎ、さらに歩く。そのうち、大きくて緑の多い公園が現れた。


「てことは、アレか」


 公園のそばに立つ大きな建物。地上35階建ての超高層マンション。事前に言われて、その時にひとしきり驚いたけれど、いざ目の当たりにするとまだ驚き足りない。

 人口増加は止まるところを知らない世の中だけど、まだまだ地方にはこれほど立派な建物は珍しい。


「ラクトってば、いいとこ住んでるわねぇ」


 私は今日、オンラインゲームで知り合った友人の家を訪ねていた。

 大きなエントランスに足を踏み入れると、ホテルのようなカウンターがあり、制服を着たコンシェルジュが立っていた。本当にマンションなのかと訝しみつつ、ラクトの本名と部屋番号を伝える。すぐに取り次いでくれて、エレベーターホールからラフな格好の女性がやってきた。


「エイミー!」


 名前を呼ばれ、彼女がラクトであることを確信する。私は本名とハンドルネームがほとんど一緒だから、公衆の面前で呼ばれてもあまり気にすることはなかった。キャリーケースを引きずって近づくと、小柄な女の子がにっこりと笑った。


「初めまして、かな? エイミーって一目で分かったよ」

「ラクトもね。あ、本名で呼んだほうがいい?」

「あーうー、別にラクトでいいよ」


 今どき珍しくないでしょ、とラクトは言う。その割にはきょろきょろと周囲を見渡しているのが可愛らしい。


「エイミー、疲れたでしょ。案内するよ」

「ありがと」


 ラクトに連れられて、エレベーターに向かう。彼女は慣れた様子でカードキーをコンソールにかざして、中に促した。


「すごい豪邸ね」

「ただのマンションだよ」

「字義通りの大邸宅マンションね」


 ラクトが階数を選択しなくても、エレベーターはひとりでに動き出す。どうやら、カードキーに登録された階数へ自動で向かうらしい。

 コンソールには各階層に用意された、住人の部屋以外の施設についての案内があった。


「一階と二階が共用部。ジムに図書室にキッチンルーム……」

「わたしも最近までそっちは行ってなかったんだけど、結構揃ってるんだよね」

「やっぱり都会は違うわねぇ」


 そんな話をしているうちに、エレベーターが止まる。音もなく扉が開き、エントランスとは打って変わって薄暗く落ち着いた雰囲気の廊下が現れる。


「突き当たりだよ」


 そう言ってラクトが歩き出す。私もそれを追いかける。彼女の部屋へ向かう途中、ずらりと並んだ扉のひとつが開いて、中から優しそうな顔の女性が現れた。


「あら、涼原ちゃん! この方が言ってたご友人?」

「山田さん。そうなんです。今日から数日泊まる予定で」


 ラクトに紹介されるまま、ぺこりと会釈する。山田さんというこの方は、ラクトのお隣さんらしい。「隣のことは気にしないで騒がしくしてていいからね」と言って、彼女はエレベーターの方へ向かう。


「ご近所関係も良好なのね」

「エイミーのおかげだよ」

「え?」


 ラクトの含みのある笑みに首を傾げる。私が何かやっただろうか。

 そうこうしているうちに、ラクトが部屋の扉を開く。玄関も広い、立派な部屋だ。隅々まで綺麗に手が行き届いていて、まるでモデルルームみたいだった。


「すごい、素敵ねぇ」

「ふふん。……白状すると、めちゃくちゃ片付けたよ」

「自分から言うのね」


 得意げに胸を張った直後、あっさりと吐露するラクトに苦笑しつつ、早速お邪魔させてもらう。

 どう考えても一人暮らしを想定した部屋じゃないけれど、ラクトはここに一人で住んでいるらしい。棚の上には、ルービックキューブなどのラクトらしいものが置かれているし、本棚にはパズル雑誌がいくつか並んでいる。


「良い部屋ね」

「でしょう? あ、ベッド使っていいからね。わたし、布団敷くし」

「私が床でしょう?」

「いいのいいの。ちゃんとシーツも取り替えて、ホテル並みにしてるんだから」


 今日から数日間、私はこの部屋を拠点にして都会を観光する予定だった。ラクトに色々と相談して、スケジュールも立てているのだ。そして、最後には一大イベントのオフ会が待っている。


「お昼ご飯は食べたよね。夕飯はどうする? どっかに食べに行ってもいいけど」

「うーん、ラクト先生の美味しい料理が食べられるって聞いてたんだけど」

「うっ」


 事前に大まかに予定を立てるなかで、二人で色々やりたい事を列挙していた。その中に、彼女がそっと入れいていたものを思い出す。


「なんか、真新しいホットプレートもあるみたいだし?」

「うっ……。良かったら、タコパしない?」

「喜んで!」


 ラクトは少し頬を赤く染めて、部屋の隅に置いていたホットプレートをテーブルに運ぶ。更に冷蔵庫を開けると、中には立派なタコがでんと鎮座していた。


「やる気満々じゃない」

「そうだけどさぁ」


 いったい二人でどれだけ食べるつもりなのか、キャベツが三つも並んでいる。ウィンナーやキムチなんかの変わり種もあるし、中華麺やうどんまで揃っている。焼きそばやお好み焼きでもするつもりだろうか。


「関西人の血が騒いちゃって……」

「あれ、ラクトってそっちの人なの?」

「実家はね。普段は方言出さないように気をつけてるの」


 今更になって知る事実に少なからず驚く。ラクトの関西弁が聞きたいとちょっと言ってみたけど、固辞された。まあ、この数日のうちについうっかりポロッと零れるのを待ってみよう。


「とはいえ、今から準備するのは流石に早すぎるよね。微妙に時間できたけど、どうする?」


 FPOでもやる? とラクトがヘッドセットを持ち上げる。私は苦笑して首を振った。せっかくこんなところまでお出かけしてきたのだから、ここでしかできないことをやってみたい。


「共用部って部外者でも入れるのかな?」

住人わたしが一緒ならいいでしょ。どこか行ってみたいところあるの?」

「ゲーセン。さっきエレベーターの中で見つけたの」

「目聡いねぇ」


 ラクトはそう言いながら頷く。私は荷物だけ置かせてもらって、再び部屋を出た。


「ラクトはゲーセン行ったことある?」

「ちょっと覗いたくらいかなぁ」


 廊下を歩きつつ話す。ラクトはFPOでも〈サカオ〉の遊戯区画にはあまり興味を示していなかったし、そういう性格なのかもしれない。私もリアルでアーケードをやるのは久々だけど、だからこそちょっと触ってみたかった。


「ここだよ」


 エレベーターで二階に降りて、そこにあるゲーセンへ入る。まさしくゲーセン、ゲームセンターというべき場所だ。ギラギラの照明の下に、クレーンゲームからレーシングゲーム、リズムゲーム、射撃ゲーム、色々な筐体がずらりと並んでいる。


「ここ本当にマンション?」

「マンションだって」


 共用部とは思えないほどの充実具合に圧倒されながら、軽くみて回る。そして、アーケードゲームの並ぶエリアで、あっと驚いた。


「これって……」


 ユグドラシル・リーサルウェポン。通称“百合ポン”。ほとんど汗と泥に塗れていた私の、数少ない青春。無骨な世界観の中、異彩を放つ魔王少女が特にお気に入りだった。

 かなり昔のものだから、もうどこにも稼働機体はないものだと思っていた。まさか、こんな所で再会できるなんて。


「これ、レッジとやってたやつ?」

「そうそう。FPOには復刻されてるのよね」


 ラクトも筐体に描かれた槍使いを見て気づいたらしい。レッジもこのゲームが上手かった。


「ラクトもやってみる?」

「わたし、こういうの得意じゃないけど……」

「まあまあ、お姉さんが奢るからさ」


 財布を取り出して言うと、ラクトは笑う。そうして、おもむろにカードキーを取り出して筐体に取り付けられたコンソールにタッチした。


「住人は無料でできるんだね、これ」

「ズルくない!?」


 このマンション、福利厚生が厚すぎる。都会とは素晴らしいところだ。

 私は袖をまくるラクトを軽く挑発しながら、100円玉を投入した。


「負けたら激辛ハバネロタコ焼き食べてもらおうっと」

「言ってなさい。コテンパンにしてあげるわ」


 懐かしい、アップテンポの音楽と共にキャラセレクト画面が現れる。VR世界とは一味違った感覚を懐かしみながら、私は使い慣れた魔王少女を迷うことなく選択した。



「お前ら、桃華と薫のこと頼んだぞ」

「押忍っ!」


 空港のエントランスにずらりと並ぶ黒服サングラスの偉丈夫たち。背の高い石塀のような彼らに囲まれていると、それだけで圧迫感がある。しかも、私と薫は普段着にリュックサックというごく普通のレジャーに向かう私服姿だから、アンバランスさがより際立っている。


「父さん、私たち別の飛行機でも良かったんだけど……」

「わざわざ分ける理由もないだろう。こっちの方が旅費も節約できるし」

「ぐぬぅ」


 レッジさんたちとのオフ会が決まった後、私たちの前に立ちはだかった難問が旅費だった。何せ、私も薫もド田舎の学生だから、軍資金は心許ない。父さんはともかく、お母さんはどうやって説得しようか考えていたところ、急に門下生たちが同じく首都方面へ行くことになっていた。なんでも、彼らの本業——要人警護だったり特殊部隊だったり——が忙しくなったようで、研修という名の修行中だった彼らにもお呼びがかかったらしい。

 そんなわけで、私たちは軍人じみた——実際軍人上がりもいるけれど——厳つい男たちと共に専用機で向かうこととなった。


「薫、忘れ物はない?」

「大丈夫」


 お母さんが心配そうに、何度も確認する。薫はあっさりと答えているけれど。


「お土産よろしくね、薫くん!」

「分かった」


 何故か見送りに来てくれた真ちゃんの言葉にもそっけなく返すだけだ。我が弟ながら、なんと情けない。


「向こうでも鍛錬は続けろよ。木刀は持ってるな」

「持ってるよ。浮かれた修学旅行生みたいで嫌だけど……」


 父さんからはそればっかりだ。修行は一日でも欠かせば取り返すのが大変だから仕方ないけど。流石に真剣を持っていくのだけは諦めさせた。


「軽率に切り掛かっちゃダメよ。警察のお世話にならないように」

「お母さんは私のこと何だと思ってるの?」


 少し親からの認識に疑問が残ったけれど、それを問いただす時間はない。


「お嬢、そろそろ搭乗時間です」


 黒服の一人がやって来て囁く。私は頷き、両親と真ちゃんに振り向いた。


「じゃ、行ってきます」

「おう。気をつけてな」


 言葉は短い。別に今生の別れというわけでもないし、当然だ。

 私と薫は黒服たちを引き連れて、搭乗口へ向かった。


「天眼流の皆さんですね。飛行機の準備ができております」


 何やら覚悟の決まった顔のCAさんに案内されて、大きな飛行機に向かう。


「清麗院?」


 途中、窓から見えた機体の横腹にローマ字で書かれていたのを読み上げる。


「俺たちの今回の雇い主ですよ。わざわざ飛行機を用意してくれた親切な方です」

「へぇ。すごいね」


 清麗院家は私でも知っている大財閥だ。たしか、FPOの運営にも関わっていたはず。私自身には一生縁のない家だと思っていたけれど、人生なにとどう巡り会うか分からない。


「御影桃華様と、御影薫様ですね」

「うぇっ? そ、そうですが……」


 意気揚々と乗り込もうとしていたら、突然黒いスーツの男性に呼び止められる。ウチの門下生とタイマン張れそうな厳つい人だ。そんな人が何の用だろうと、つい背中の木刀に手が伸びる。


「姉さん」

「わ、分かってるわ」


 薫に諌められて、慌てて手を離す。男の人は気にした様子もなく、スーツの内ポケットに手を入れる。胸の膨らみからして、銃ではない。薄い書類だろうか。そう考えているうちに、彼は2枚の便箋を取り出して見せた。赤い蝋で封がされている、随分と品のあるものだ。


「お二人に招待状をお持ちしました」

「招待状?」

「はい。今回の——“交流会”のご案内です」


 その言葉に見当がつく。

 オフ会は、元々レッジさんが色々なセッティングをしてくれる手筈になっていた。今の段階ではまだ明確な場所も決まっていなくて、少し不安だった。まさか、このような形で知らされるとは思わなかったけど。


「レッジさんって、清麗院家の人なのかな?」

「どうだろう……?」


 薫と小声で話し合う。聞こえていると思うけど、男の人は何も言わなかった。


「その中に具体的な時間と会場、入場方法が書かれています。ご自身以外の誰にも漏洩なさいませんよう」

「ええ……。わ、わかりました」


 随分と物々しい。ただのオフ会のはずなのに、これはどう言うことだろう。

 私と薫は困惑しながら、ようやく飛行機の中に入る。そこはただの旅客機とはガラリと異なる、いかにもお金持ち専用機と言うべき豪華絢爛な機内だった。

 門下生たちは早速思い思いの席でくつろいでいる。図太い神経は筋金入りらしい。私はリュックを置いて、とりあえず革張りのソファに座る。どこまでも沈んでいってとても焦った。


「お飲み物はいかがですか?」

「えっ。ええと、では、緑茶を」

「かしこまりました」


 メイド服を着たCAさんがいた。いや、胸にさっきの男性と同じ金色のバッジを着けていたし、清麗院家のメイドさんなのかもしれない。


「え、清麗院家ってメイドさんがいるの?」

「いるんじゃない?」


 遅れて驚く私に、薫がそっけなく答える。彼は早速リュックから古びた巻物を取り出して広げていた。我が弟ながら、マイペースすぎる。


「お嬢、お嬢、トランプしませんか? 7並べ」

「やらないわよ。ていうか、せめてポーカーとかにしなさいよ」


 門下生たちは早速はしゃいでいる。鬼の師範がいないからって、まるで修学旅行中の学生みたいだ。

 機内の真ん中に大きなテーブルがあるのを良いことに、大男たちが肩を並べてトランプを配っている。


「みんな、良い人だといいなぁ」


 私は貰ったばかりの案内状をそっと胸に当てる。そうして、慣れない洋風の機内にソワソワしながら、飛行機が動き出すのを待った。



「清麗院家の御令嬢に、天眼流の後継者、それに社長の娘さん。どう考えてもメンツが揃いすぎでしょ……」


 厳重に警備と防諜がなされた室内で、彼女は項垂れていた。彼女の手元には、独自のルートを使って調べ上げた〈白鹿庵〉メンバーの素性——つまるところオフ会の参加者のプロフィールが書かれている。

 社長から一任という名の丸投げをされた花山は、その責任の重さに押し潰されそうになっていた。


「レティちゃんがねぇ……」


 メンバーの一人が世に知らぬものがいない大富豪、清麗院家の一人娘であると判明した瞬間、彼女は自分の首が物理的に飛ぶのを覚悟した。けれど、その直後になんと清麗院家の当主直々に話し合いの場が用意されたのだ。

 花山が心臓が千切れそうなほどのプレッシャーで、寝込んでいた間に、清麗院家当主と社長との間で内密の相談が行われた。その結果、彼女が驚くほどあっさりと、オフ会の開催許可が降りた。


「社長、清麗院家に対抗できるカードを持ってるって言ってたけど、何を知ってるのかしら」

「それは俺たちが知らない方がいいやつですよ」


 彼女のもとで働いている花山だが、時折社長の内側に底知れぬ恐怖を感じることがあった。世界を掌握したと言っても過言ではない清麗院家に対して、いったいなぜ対等な立場に立てるのだろうか。

 とはいえ、大変だったのはそれからだ。レッジとレティが揃った時点で、“オフ会”がただのオフ会になる可能性はゼロだ。どちらかに何かあった時点で、今度こそ花山の首が飛ぶ。

 そこで他のメンバーの素性を洗ったところ、トーカとミカゲはあの天眼流の正当な後継者であることが判明した。天眼流は現代においていっそフィクションだと言ってほしいくらい馬鹿げた強さで名を轟かせる古武術の一門だ。歴史の裏で暗躍していた忍者の末裔だとか、ヒグマを素手で倒すとか、そんな噂がまことしやかに囁かれている。実際、警察組織や軍部との繋がりも深く、当然のように警備会社である花山の所属とも関係がある。

 更にダメ押しとして、シフォンの正体が判明した時、花山は気を失いそうになった。どう社長に伝えたら良いものか、三日三晩悩み抜いた。毛もたくさん抜けた気がする。

 意を決して社長に伝えたところ、彼女は驚くほどあっさりと頷いた。


「良いじゃない。私は自分の会社の警備の固さをよく知ってるし、信頼してるわ。それに、それだけのメンツが揃ってるなら、世界一安全な集まりになるでしょう」

「それはそうかもしれませんけどねぇ!」


 このぶんでは、ラクトもエイミーも本当にただの一般人なのか疑いたくなってしまう。どれだけ身辺を洗っても、巧妙に隠されているように思えてしまう。そして、そんな必要があるほどの何かがあるのだと考えてしまう。まるで悪魔の証明だ。

 おかげで、会社の同僚たちが次々とストレスでダウンしている。


「そういえば、ラクトとエイミーの合流は確認できた?」

「エイミーは移動中から尾行してましたが、怪しい動きはありませんでした。気取られた様子も確認できてません。ただ、ラクトの居住地が妙にセキュリティ強くて、誰も入れませんでした」

「ええ……。そんなことある?」

「こっちも困惑しきりですよ。データ洗ったところ、ごく普通の高級マンションのはずなんですけど」


 仕事柄、この会社は潜入なども得意としている。その道のエキスパートがダース単位で送り込まれていたはずだが、めぼしい成果は挙がっていない。光すら捕らえるブラックホールのようだ。

 どうします? と部下が問いを投げてくる。幸いというべきか、ラクトやエイミーの身辺調査は気が狂うほど微に入り細を穿つ精度で行った。そこで疾しいものがでていないから、十分だろうと花山は判断する。


「いいわ。人員は監視だけ置いて引き上げて。会場の準備に回してちょうだい」

「了解です」


 花山の指示ですぐに部下の移動が始まる。現時点まででも、かかった経費や資産は桁違いだ。オフ会が万が一にでも失敗すれば、花山の面目どころか社の存続が怪しくなる。


「まじであのおっさん、厄介ごとしか持ってこないなぁ」


 強い酒でも煽りたかった。そんでもって、あの男をいっぺんブン殴りたかった。でも、それはできない。

 結局、花山は粛々と堅固な警備態勢を整えるしかないのだ。


「イチジクさん、本当に会場はここでいいんですか?」


 室内で作業をしていた部下が不安そうに尋ねてくる。


「イチジクって呼ぶな。——仕方ないでしょう、茜さんは普通のオフ会を望んでおられるんだし」


 それもまた難点だった。ただ何も考えず集めるだけなら、完全に世間から隔絶された場所に護送すればいい。例えば、適当な絶海の孤島を買って、そこに全員を集めれば手っ取り早い。しかし、それでは清麗院家のお嬢様が望む“オフ会”にはならないし、一般人である面々を萎縮させてしまう。

 これだけの要人を完璧に守りつつも、表面上はただのオフ会にしなければならない。このどう考えても無理な要件を、どうしても抑える必要があった。


「社長も何考えてるんだか……。あのおじさんを外に出すどころか、あの場所から動かすだけでもリスクがあるでしょうに」

「まー、身内ですしねぇ」


 怨嗟を込めて呻く花山に、部下が軽い調子で答える。

 空宮里穂が一代で築き上げた特殊警備会社〈シークレット〉は、清麗院家の関連企業や国際的な大企業、更には政府機関とも深い繋がりを持つ。その主な業務は要人警護や重要な会合のセッティングなど。しかしそれは表向きのセールストークであり、空宮里穂が本業と定めているものは別にある。

 それは、彼女の弟であり、シフォンの叔父にあたる男。彼の存在を秘匿し、警護し、保護し、監視すること。〈シークレット〉はただ一人の男を隠すためだけに作られた企業であった。

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